第3話 ロックオン

様変わりして行く街をよたよたと歩きながら、ふと考える事がある。

十数年前と比べて老舗の店舗は姿を消し、ニョキニョキと聳え立つタワーマンション。

その片隅の公園に集まる仲間達は今ではすっかり若返って、大学のサークル活動の様相を漂わせていた。

鈴吉はそんな雰囲気にのまれたくはないから、あえて孤独を選び、またそんな己を好んでいた。

今日も鈴を鳴らしながらよたよたと権之助商店街を散歩している。

途中、駆け抜けて行く眼鏡の女に蹴飛ばされそうになって。


「ばかやろ。気を付けろってんだ!」


と唸りをあげる、

また、顔馴染みの近所の奥様連中にすり寄ってみてはおこぼれにありつく。

そんな風にして1日を大切に過ごす幸せは、日向ぼっこやガシャガシャブンブンで時間を潰すよりも心を充実させてくれた。

鈴吉は、鼻歌交じりに道の隅を歩く。

すると、何処からか香ばしい匂いが秋風に漂って鈴吉のピンクの鼻頭をくすぐった。

ヒゲをピクピクさせて、目を半目にしてクンクンしてみる。


「おっ!さんまだ!」


そう思うと居ても立っても居られなかった。

鈴吉は本能のまま、匂いのする方向へと走り始めていた。

首元の鈴の音を辺りに響かせてー。



拓郎は店奥ー台所兼居間から連なる小庭で、1尾のさんまを七輪にかけていた。

炭火の黒と赤のコントラストに胸をときめかせ、さんまから滴り落ちる脂のシンフォニーに興奮し、今か今かとその時を待っていた。

今日はさんまを思う存分に楽しむのだと朝から心に決めていた。

冷蔵庫の鮮魚室にはさんまがまだ6尾も眠っている。

身は太くて張りがあり、口もとはほんのりと黄色い。新鮮な証拠だ。

垣根の隙間のちいさな秘密のトンネルから「ニャアー」と声がして振り向くと、野良猫の鈴吉が顔をひょいと覗かせていた。

拓郎は。


「お!鈴吉も食いたいのか! 待ってな、ちょいとわけてやらあ」


と言って、真っ黒に焼けたさんまをひっくり返しながら喋り続けた。


「ほら見てみろ鈴吉。じゅわあーってな、脂が火種に落ちるだろ。するってえとだな、バチバチって美味い音がすんだ。あ、真っ黒っても爆弾じゃねえぞ。さんまださんま。これをだな、大根おろしと醤油でもってひょいと口ん中に放り込む。秋だねえ」


鈴吉はよたよたと七輪に近付いて、クンクンと匂いを嗅ぎながらからだをまるめた。


その時、店中から霧子の声がした。


「父ちゃん!ちょいとちょいと!来ておくれよ!」


拓郎はまさに今、さんまの身を口の中に放り込む瞬間だった。

諦めて立ち上がり、まるまった鈴吉をギンと睨む。


「おとなしく待ってろよ!」


そう言い残して拓郎は立ち去って行った。

寝たふりをしていた鈴吉の鋭い眼光は、欠けた皿の上のさんまにロックオンされていた・・・。


店先にはちょっとした人だかりが出来ていて、近所の老夫婦や鼻を垂らした小学生やらが、遠巻きにシクシク泣いている若い女性を見守っていた。

霧子は困った顔で拓郎に助けを求め、孝明はスマホでその光景を撮影していた。

拓郎が孝明の頭をパシッと叩いて。


「やめなさい! ゲスなコトをするもんじゃないよ」


と言うと、周りの大半の見物人達もスマホを鞄にしまい込んだ。こともあろうか老夫婦までー

拓郎はひとつ咳払いをして。


「どうしました? 困り事かな?」


と言いながら女性に近づいて気が付いた。

先ほど慌てふためきながら走り去った眼鏡の女性だったのだ。

女性はひょいと顔をあげ、真っ赤な目で拓郎を見つめて話し始めた。


「目黒のさんまを買いに来たんです。だけど魚屋さんはもうマンションに変わっていて、それでスーパーとかあちこち走ったんですけど、すでにさんまは品切れで ー それで行くあてもなくこの商店街をまた走り回って。でもやっぱりなくて」


眼鏡の女性は顔を覆った。

シクシク嗚咽が聞こえている。

ヒールの片方は無くなっていた。

霧子がポンと手を叩いて言った。


「そうだ父ちゃん!」


拓郎は嫌な予感がした。


「ん?」


「父ちゃん! うちの分けておあげよ」


「むむ」


眼鏡の女性はパッと顔をあげた。

拓郎と目が合った。

見ればそこそこの美しい容姿で、厚めのくちびるがわなわなと震えている。

頬に残る涙の筋に、拓郎の目は完全にロックオンしてしまった。

か弱き女を見捨てたとあっては、お天道様に顔向けもできやしない。それに息子の手前、父の生き様たるやも見せたかった。

拓郎は言った。


「お、おう。うちにさんまがあるからよ。二つ三つ持って行きな!」


女性は何度も頭を下げながらお代を払いますと言ってはいたが、拓郎は頑としてそれを受け取らなかった。

奥から霧子がさんまを2尾、袋に入れて女性へと手渡した。

周りの群衆から沸き起こる拍手喝采に気を良くした拓郎は、女性に靴までもプレゼントしていた。

霧子のお気に入りのナイキのスニーカーは、意外にも女性の足のサイズと同じくらいだった。

女性は立ち上がって走り出す。

それを拍手で見送る群衆を見ながら、拓郎は呟いていた。


「まだまだ捨てたもんじゃないねえ」


すると腹の虫が鳴いて、拓郎はいそいそと小庭に戻って行った。まだ手をつけていないさんまの姿が脳裏にちらついて離れない。

とりあえずかきこんで仕事に戻ろうと欠けた皿に目をやると、そこには大根おろししか残っていなかった。

拓郎は煮えくり返る腹わたと、鳴り響く腹の虫に襲われながら叫んだ。


「おのれ!鈴吉!」



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