学園卒業舞踏会の申し込みの翌朝に、コンツェルン家の一人娘が行方知れずであることを知った彼女の婚約者――ロロイ――はすぐに早馬に乗り、自らの別荘に向かった。

 ロロイには彼女が逃げる先はあそこしかないという確信があった。

 ロロイにとってレオナは初恋の相手であり唯一無二の最愛の女性だ。彼女以上に美しいものはなく彼女以上に聡明なものはなく彼女以上のものはないと臆面もなく言えるほどにロロイはレオナを愛していた。

 しかし彼にはシュヴァラン家の次期当主としての責務もある。そのことが彼女を傷つけていることも理解した上で、ロロイはその責務を優先した。それでもレオナは自分を選ぶという自信があったからだ。

 そして昨日、――学園卒業舞踏会の申し込みでロロイはついにレオナ以外の女性の前で膝をついてしまった。ロロイが悔しさのあまり噛み締めた唇も握りしめた両手も血を流し、それはそれは恐ろしい有り様だった。しかし、それでついに彼の責務は果たされた。つまり救世主とされる平民『ヤミン』の我が儘を聞かねばならぬ長い苦痛の日々は終わりを告げたのだ。

 はじめからロロイは今日という日にレオナにすべてを打ち明けるつもりでいた。

 そしたら彼女は自分を許してくれるだろうと傲慢にも確信していたのだ。どれほど彼女が傷ついていたとしても、彼女には自分しかいないと分かっていたのだ。そして自分は彼女がどれほど傷つき暴れまわろうともそれを受け止められると自負していたのだ。

 ロロイがシュヴァラン家の別荘についたのは昼過ぎだった。

 一面の雪に染まった別荘の入り口で、ロロイが見たレオナの姿は彼の想像を遥かに上回る恐ろしいものだったをしていた。


「まじかよ! 旦那すげーな、腰痛めんなよ!」


 レオナ嬢はスコップを片手に雪の中を駆け回っていたのだ。いつも結われている髪は乱暴にひとつに結ばれ、いつも見せられることのない白い歯を見せてけらけらと笑う。そして使用人たちに混じり、屋敷前の道の雪をわきに寄せていく。その動きには無駄はなく「寒いなー」と使用人たちと笑いあいながらてきぱきと働いている。


「……レオナ……」


 ロロイは動揺のあまり馬から落ちかけたが、なんとか立て直し、馬から下りた。ロロイが現れると使用人たちは慌てて頭を下げてそこに膝をついた。ロロイは彼らには目もくれずにきょとんとしているレオナに駆け寄った。


「レオナ! そんな格好で外に出てはいけない……っどうしたというのだ、君らしくもない!」

「ァアン?」


 レオナは怪訝げにロロイを見上げた。


「とにかくすぐ中に……お前たちも何故レオナにこんなことさせているんだ! なんという……解雇だけではすまされないぞ!」


 ロロイの怒りに使用人たちはみな顔を真っ青にしたが反論の言葉なくうなだれた。しかし、レオナは違った。


「誰だよテメェ」


 とん、と彼女はそう言い放った。


「俺は一宿一飯の礼をしているんだ。こんなときに来ちまったのは……まあ俺じゃねえけど、迷惑だってことはわかるぜ。だからこんくらいはさせてくれって俺が頼んだんだよ」


 とん、と彼女はロロイを突き飛ばした。


「坊っちゃんよ。あんたがお馬さんで来た道はよォ、俺らが雪かきした道だぜ。恩はもらっといて礼も払わず解雇だァ? 目ェ腐ってんじゃねェのか?」


 ロロイはこのとき初めてレオナがわからなくなった。しかし彼はそれを認めることはできなかった。ロロイにとってレオナは完璧な自分の理解者であり、自分は完璧なレオナの理解者だ。それはすべての大前提だった。


「……きみは、誰だ……?」


 ロロイはだからこそすぐにその事実に近い場所にたどり着いた。しかしそれはまたシュヴァラン家とコンツェルン家の断絶に繋がる、恐ろしい一言だった。そこにいる使用人全員の意識が遠退くほどには、決して言ってはいけない言葉だった。


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