第三話 不座化露六苦(ふざけろロック)
Ⅰ
権現堂は鏡に映る自分の姿を睨み、それがまばたきをしても目を擦っても頬をつねっても変わらないことを確認した。
艶のある長い金髪、遠目には華奢に見えるが筋肉質な手足、くびれたウエスト、どれひとつとっても見覚えがない女性の中にどういうわけか自分が入り込んでしまっている。権現堂は目を覚ましてから何度目かの「どうなってんだァ」を呟いた。
「お嬢様……お加減が悪いのですか?」
奇行を繰り返す権現堂にそう尋ねた女性もまた美しい容姿をしていた。
齢は30代前半といったところか、明るい茶色の髪をひとつに結い上げ、中世ヨーロッパで実際に使用人が着用していたようなクラシカルなメイド服に身を包んでいる。その眼差しは理知的であり落ち着いていた。
その大人の女性が持つ特有の雰囲気は、権現堂に中学のときの恩師を想起させた。権現堂は先生にいつも言われていた言葉『落ち着いてやればできるわよ』を懐かしく思いだし、少し気持ちを落ち着かせる。それから権現堂は自分が置かれている『目が覚めたら絶世の美女になっていた』という悪夢をひとまず受け入れ、状況を把握するために部屋に現れた美しい女性――エリー――と会話を試みることにした。
権現堂はソファーを指差し「座りなよ」とエリーをうながした。エリーは使用人としてそれを慎んで断った。権現堂は何度も勧めるのもおかしいかと自分はソファーに座り、それからエリーを見上げた。
「あんたはこのー……体のことを知ってんスね? 教えてくれねえっスか。俺はこの天使みてェなお嬢ちゃんのことなにも知らないからよォ」
権現堂は語尾にスをつければそれが敬語になると思っている。そのことを知っている権現堂の周りの人間であれば、彼の言葉は彼にとっての最大限の敬語だと理解できただろう。しかしエリーはそうではない。
エリーにとって――つまりこの世界の住人にとって――自分を『俺』と言うのはあまりにも古い言い方であり今となっては荒くれ者しか使わないものだ。つまり、同じ使用人から使われるならまだしも、この国の中枢であるコンツェルン家の令嬢が使うなどありえないものだった。
――なにかがおかしい。
エリーはレオナ嬢の姿を改めて見直した。
レオナ嬢は無防備な装いだけではなく、その表情も平素とは異なり年相応に砕けている。エリーの知る限りレオナ嬢が困ったように眉を下げることはなかく、ましては唇をつきだして拗ねたような顔をするなどとはありえないことだ。
『なにかがおかしい』
『なにかとてつもなく厄介なことが起きている』
エリーはそう理解し、レオナ嬢に頭を下げた。
「レオナお嬢様……医者を連れて参ります。お待ちくださいませ」
「医者だァ? ちょっと待ってくれよ、先生。俺は悪いところなんざひとつもねェよ」
「いいえお嬢様! なにか恐ろしいことが起きております!」
エリーが大きな声を出すとレオナ嬢は目を丸くした。
その表情を見た瞬間にエリーは自分の失態に気がついた。例え『なにかおかしい』としても相手は『コンツェルン家のレオナ嬢』なのだ。例え『どんなことであっても反論など許されない』。それは極刑に値する暴挙だった、と。
「あ、……」
エリーは全身の血が凍りついたかのような錯覚を覚え、息を詰まらせた。しかしシュヴァラン家のメイド長として速やかに行動にうつした。つまりエリーはすぐさま頭を垂れその場に跪いた。
「申し訳ありません。出すぎたことを……」
しかしそんなエリーの腕をつかみ立ち上がらせたのは他ならぬレオナ嬢であった。
「やめてくれよ、先生。俺は女に膝をつかせるなんてクズみたいなことしたくねェ」
レオナ嬢はエリーをソファーに座らせ、さらには恐縮がるエリーの肩をつかみ「先生が座ってくれねえなら俺も立つしよォ先生が床に座るって言うなら俺も床に座るぜ。どうする?」と脅かすような言葉を、チャーミングな笑顔で放った。それはこれまでのレオナ嬢であれば決して見せない振る舞いであり、表情だった。
エリーはそれで『学園卒業舞踏会の申し込みでご子息様がなにかしたのだ』とはっきりと気がついた。そしてその結果『レオナお嬢様は壊れてしまったのだ』と……エリーはめまいを感じながら、しかしシュヴァラン家に仕えるものとして迅速に行動を起こした。つまりエリーは深く傷ついているレオナ嬢を抱き締めて「ご子息様がどんな振る舞いをしたとしてもそれはレオナお嬢様のためなのですよ」と主人の行動を詫びたのである。
平素のレオナ嬢であればエリーのこの行動の意図をすぐに理解しただろう。しかし権現堂はそれを理解できず、顔を赤らめ「やめてくれや、先生……俺はそんな子どもじゃないぜ」とエリーを引き剥がした。それから「それに俺はご子息様なんて知らねえしよ」と付け加えた。
それは権現堂にとっては大した意味のない言葉だったが、エリーにとっては、『コンツェルン家の令嬢がシュヴァラン家を見捨てたこと』を意味するものだった。あまりのことにエリーは気が遠くなり、ついには権現堂の目の前で意識を失ってしまった。
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