第二話 本気愛死天流(マジ愛してる)

第二話 本気愛死天流マジ愛してる


 そもそもその日は権現堂友幸ごんげんどう ともゆきにとっては最悪の一日だった。


「なんでだ……なにが気に食わねェ……サチィ……」


 彼の妹でもあり彼にとって唯一の弱点でもある紗知さちのことである。

 彼女は権現堂より十年下の八歳であり、少しおませな溌剌とした美少女である。権現堂にとっては目にいれても痛くない存在であり、人生の目的でもある。というのは権現堂の両親は彼が十才のときに、まだ寝返りも打てない紗知と彼を残し失踪したためだ。まだ小学生であった権現堂は祖父母を頼りながらも、しかし彼にできるすべてで紗知の面倒を見続けてきたのだ。つまり彼にとって紗知はかわいい娘なのである。紗知もまた親代わりの権現堂を慕い、にいや、にいやと後をついて歩いていたのだ。

 それがどういうわけかこの半年、紗知は権現堂の手料理を残したり、権現堂の指定した門限を破ったり、学校のプリントを権現堂に隠したりなど、それまでからは考えられない反抗を見せるようになった。

 権現堂は怒りはしなかった。故に叱ることもなかった。

 ただ困惑し、狼狽え、なぜと妹に問いかけるしか彼にはできなかった。しかし妹は兄の問いかけにいつも目を逸らし、顔を隠し『にいやにはわからないもん』と悲しそうに呟くのだ。

 それでも今日は、今日だけは違うはずだった。なぜなら今日は紗知の11歳の誕生日だったからだ。権現堂は例年の通り――いや例年よりもはるかに気合いをいれて――誕生日パーティーの準備を行った。紗知の好きな花を並べ、紗知の好きな唐揚げを山のように作り、紗知の好きなショートケーキを作り、紗知の友人を招待した。誕生日プレゼントは最後まで悩んだが、二週間ほど前に紗知が見ていたワンピースにした。ノースリーブの淡い桃色のワンピースで紗知によく似合うであろうものだった。今日はきっと紗知はいつものように満面の笑顔で、ありがとう、にいやと言ってくれる、権現堂は疑わなかった。

 しかし、しかし今日、紗知は泣いたのだ。

 赤子の時から見たことがない、まさに火がついたような泣き方だった。権現堂は驚きながらもなんとか宥めようとしたが、その行為はすべて逆効果となった。紗知は泣きながら権現堂の用意したものを片端から破壊し、友人を蹴りだし、権現堂の腹を殴り、そうして祖父母の膝にしがみついて泣いた。まるでこの世の終わりのように紗知は泣いた。そうしてまた言ったのだ。にいやにはわからない、にいやにはわかりっこない、と。

 権現堂はまず謝った。床に頭をつけて、どうかゆるしてほしいと言葉を尽くした。しかし紗知は顔もあげずに、なんでと言った。なにもわかってないのになにをあやまるのと言った。それを教えてほしいのだ、どうして泣くのだ、俺はなにをわかっていないんだと権現堂は尋ねた。紗知は泣いた。息をつまらせて、泣いた。

 そうして結局紗知は権現堂になにも説明せずに泣きつかれて眠ってしまった。だから権現堂はひとり、深夜の水道工事のアルバイトに勤しむしか出来なかった。


「俺はただ喜んでほしかったンだ……そんだけだァ……なにがいけなかったンだよ……」


 地面を掘り起こしながら権現堂は痛む腹をおさえる。紗知の力はいつのまにか強くなっていた。もちろん権現堂にとっては弱い力ではあるが、権現堂の心には大きな痛みが残っていた。そんな権現堂に煙草を吸って休んでいた茂木もぎが声をかけた。茂木はこの工事現場の責任者であり、もう何回も権現堂を日雇いで雇っている男だ。権現堂も信用している雇用主であり、また茂木にとっても権現堂は信用できる部下である。


「どうした権ちゃん、元気ねえな」

「……ッス……」

「スッてなんだよ? なんだぁ、さっちゃんか?」


 茂木の言葉に権現堂はまた「ッス」と短く答える。茂木は煙草の火を消して立ち上がり、億劫そうに自らの腰を叩いた。


「なに、怒らせたのか?」

「……ッス」

「誕生日だからって頑張って働いてたじゃねえか」

「……」

「あー、まあ女の子は難しいからなーすぐ成長するしよ……そんな思い詰めんなって。明日になったらきっと落ち着いてるよ」

「……だといいンだけどよォ……」

「大丈夫だって。女の機嫌なんてのはな腹減ってるか寝不足だよ」


 茂木はケラケラと笑い「権ちゃん明日も学校あんだろ?今日はもう上がりなよ」と言った。権現堂は、今日は朝まで働きたいという気持ちではあったが、茂木にそれは通用しないことはわかっていたのでおとなしく仕事を終えた。ひとり夜道を歩き、星ひとつ見えない夜空を眺め、彼は家に帰った。

 自分の部屋にいつもならある妹の姿はなかった。予想はしていた。祖父母の部屋のふすまを薄く開けば、思った通り、妹は祖父母の間で眠っていた。その目元も、その頬も、その鼻も赤く腫れていた。権現堂は音を立てないように襖をしめ、自室に戻り、ひとり布団に潜った。


「俺じゃア、……サチの親にはなれねェのかな……」


 権現堂は深くため息をつき、それから眠りについた。


 次に目覚めるときに愛しの妹がいないことも、知らずに。


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