第72話 過去を乗り越えて

「……なるほど。そのタイミングで洗脳魔法を使用されたようですね」


 リーンの呟きに対し、シオンは頷く。



「ええ。そこから後は記憶が朧気なのだけど、私はその悪魔……洗脳魔法を使えたことから鑑みるに、魔族と呼ぶべきかしら。その魔族が用意した隠れ家で生活していた。そして時折連れてこられる下級悪魔を使役するよう命じられ、徐々に実力を増していった。そしてつい先日、勇者リーンが目覚めたと風のうわさで聞いたソイツから、殺害に向かうよう命じられたの」

「そして、今日に繋がったということですね。その魔族について、他に分かることはありませんか?」

「……あまり詳しいことは分からないわ。ただ言動から察するに、私だけでなく色々な人物に声をかけ、配下にしているようなことを言っていた気がするわ」

「なるほど……なかなか厄介そうな相手ですね」



 そのリーンの言葉を最後に、場を沈黙が支配する。

 どことなく居心地の悪い空気が流れる中、声を上げたのはフレアだった。


「何はともあれ、これで一件落着ってことでいいんだよね? 全員無事で、シオンの洗脳も解けたんだから!」


 しかし、シオンは首を横に振る。


「そういうわけにはいかないわ……まだ、するべきことが残っているもの」


 そう言って、シオンはリーンに視線を向ける。

 そしてそのまま深く頭を下げた。


「ごめんなさい……! あの日、私のせいで貴女を傷つけた。長い時間を奪ってしまった。たとえ私の意思によるものではなかったとしても、その責任は間違いなく私にある。だから……本当に、本当にごめんなさい……!」


 嘘偽りない、心からのまっすぐな謝罪。

 それを受けてリーンは小さく笑う。


「顔を上げてください」

「……リーン?」

「私に謝る必要はありません。私は初めから、貴女を恨んではいませんから」

「……許してくれるの?」

「……どうでしょう。それを決めるのは、私ではありませんから」


 そう言ってリーンが視線を向けた先にいたのはアイリスだった。

 シオンの洗脳が解けて以降、複雑な表情を浮かべたまま無言を貫いていた。


 ――リーンが三年間眠り続けたことを、最も辛く感じていたのはきっと彼女だ。


 だからこそリーンは、シオンを許すかどうかの判断を彼女に委ねるべきだと思ったのだろう。

 その考えはシオンも十分に理解しているのだろう。

 シオンは膝を曲げ、アイリスと向かい合う。

 そのままじっと、アイリスが話し始めるのを待っていた。


 それから十数秒後。

 アイリスがゆっくりと口を開く。



「わたしはずっと、あなたを恨んでた」

「……ええ」

「あなたがお母様をうらぎらなかったら、お母様はずっと元気だったはずなのにって……」

「そうね。私のせいでリーンや貴女を深く傷つけてしまった。本当に、ごめんなさい……どんな罰でも受ける覚悟はして――」

「――それでも、それでも思ったの」

「――えっ?」



 ここまでどこから不安げだったアイリスが、力強い表情でシオンと向き合う。

 その様子に気圧されたかのようなシオンに向けて、アイリスは言う。



「わたしね、知ってるんだ。お兄ちゃんから教えてもらったの。人形を心から大切にすることで、人形に心が生まれるんだって」

「…………」

「あなたの人形があなたを救おうとしたのは、あなたが人形を大切に思い続けたから。だからわたしは……それを知って、それでもあなたを恨み続けることなんてできない」

「……アイリスちゃん」

「だからね、一つだけ。これからはその力を正しく使ってほしい。それだけが、わたしのお願い」

「……ええ、ええ! 分かったわ。絶対にもう、間違えたりなんてしないから。約束するわっ」

「うん、約束っ!」



 涙を流すシオンを前に、アイリスは優しい笑顔を浮かべていた。


 ……強いな、アイリスは。


 二人のやり取りを見て、俺は心の中でそう呟いた。

 もっとも、そう思ったのは俺だけではなかったようで――


「アイリスちゃん! すごいよ! そんな風に思えるなんて、すごく立派だね!」

「きゃっ! フレアお姉ちゃん」

「立派。えらい。よしよし」

「くすぐったいよ、テトラお姉ちゃん」

「ええ。尊敬に値しますわ、アイリスちゃん」

「リーシアお姉ちゃん……えへへ。そんな風に言われちゃうとはずかしいよ」


 フレアたちからの称賛を受け、アイリスは気恥ずかしそうに照れていた。

 俺は最後に、アイリスの頭に手を載せる。


「お兄ちゃん?」

「頑張ったな、アイリス」

「……! うん!」


 アイリスは一瞬だけ驚いた後、満面の笑みで頷いてくれた。

 その笑顔は何よりも眩しく美しいと俺は思った。


 何はともあれ、そんな風にして。

 かつての因縁をも乗り越え、俺たちは日常を取り戻すのだった。

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