第58話 悪魔の提案

「ふふふ……いい絶望の味です」


 日が沈み切ったころ。

 人通りの少ない路地裏に、一人の男が歩いていた。

 他の者たちと異なるのは、目が左右で黒と赤に分かれていること。

 それから、頭から一本の角が生えている点だ。


 しかし、時折すれ違う人間ですら、その特徴に気付くことはない。

 それもそのはず。男は高度な隠蔽魔法を使用しており、並大抵のものでは存在すら認識できない。


 そんな男の視線の先には、金髪の男――ノードが一人で歩いていた。

 体調が悪いのか、足取りは重い。

 男にとっては好都合だった。



「おやおや、勇者ともあろうお方がずいぶんと物憂げなご様子ですね」

「……? いきなりなんだ、お前は――!」



 顔を上げ、男の姿を目にした瞬間、ノードは勢いよく後ずさる。



「その容姿……まさか貴様、悪魔か!?」

「ほう、さすがにそれに気付ける程の実力は有しているのですね」

「黙れ! いったい何のつもりかはしらないが、貴様のような奴、前と同じようにこのオレが殺してやる――ッ!?」



 聖剣を抜こうとした直後、ノードは驚愕に目を見開く。

 聖剣は黒い靄のようなもので覆われており、抜くことができなかったからだ。



「貴様! いったい何をした!」

「それにお答えする筋合いはないのですが……まあいいでしょう。私の魔力で貴方の聖剣の持つ力を抑え込んでいるのです。我々悪魔族の魔力と、勇者の持つ聖なる魔力は背反する。より強い力の前では、もう一方はその真価を発揮することすらできないのです」

「このオレが貴様よりも劣っているということか!?」

「ええ、その通りです。下級悪魔レッサーにすら敗北する輩が、この私に勝てる道理はないでしょう」

「俺がいつ、下級悪魔に負けたと言うんだ!」

「それすら正しく把握できていないのですか……まあ、利用するだけなので実力には期待していませんが」



 ノードに聞こえないよう、後半は小声でささやいた。

 ノードはまだ怒りを隠せないようだったが、男はすぐに話題を変えることにした。



「話を戻しましょう。私がわざわざ貴方に話しかけたのには理由があるのです」

「理由だと?」

「ええ。今の貴方の状況は把握しています。本来ならば貴方より劣る者たちに見下される現状を疎ましく思っているのでしょう?」

「なぜそれを……」

「その上で、一つご提案を。貴方を見下す不届き者に復讐するための力を、欲しくはありませんか?」

「復讐するための、力……」



 予想通り、ノードはその提案に興味を持ったようだった。

 このようなタイプは扱いやすいと、男は心の中でほくそ笑む。



「し、しかし、なぜ悪魔である貴様がそんなことをする必要がある。天敵である勇者が強くなるなど看過できることではないはずだ」

「確かに貴方の言うことにも一理ありますが、私は別に他の悪魔が貴方の手によって殺されようが何も思いません。それ以上に、復讐心を持った若者がその意思を成し遂げられないということにこそ嫌悪感を抱いてしまうのです」


 ノードは一瞬、考える素振りを見せる。


「それで俺に力を……? だが、やはり貴様は信頼できない」

「そう思われるのも仕方のないことです。ですがご安心を。決して私から直接貴方に力を与える訳ではありません。私はただ、勇者である貴方が強くなるための方法を知っており、それを教えて差し上げるだけです。実際にそれを選択するかどうかはひとまず置いておくとして、私の言葉を聞いて下さいませんか?」

「まあ、それだけならば……」



 ここまでくれば、思惑通りになったと言ってもいい。

 劣等感を刺激し、決定権が自分にあると思い込ませてしまえば、ノードのような人間はいとも簡単にこちらの術中にはまってくれる。


 その後、男はノードに自身の持つ情報を渡し、彼とわかれた。

 これで十中八九、彼は思い通りに動いてくれることだろう。


 もっとも、仮にノードが行動を起こさなかったとしても、そこまで計画に支障をきたすことはない。

 これはあくまで、数多く打ってきた布石のうちの一つにすぎないのだ。


 男は振り返ると、いつの間にかそこに立っていた、漆黒のローブで顔を隠した女に向けて問う。


「そう、貴女も思いますよね?」


 しかし、彼女の答えはイエスでもノーでもなかった。


「興味ありません。私は、私の為すべきことをするだけですので」

「ふむ……それでは期待するといたしましょう。貴女の活躍次第では、彼の使い道も変わってしまいますから」

「……お好きにどうぞ」


 彼女の答えを聞いた男は小さく笑った後、一瞬でその場から姿を消す。

 残されたのはローブの女ただ一人。


 彼女は頭上に浮かぶ月を見上げ、小さく零した。



「リーン……私が、殺すべき勇者」

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