第35話 人形の覚醒

 ――眼前には、計十七本にも及ぶヒュドラの首が立ちはだかっていた。

 対して、こちらは接近戦の最大戦力であるフレアを失った状態。


 絶体絶命。

 この状況を説明するのに、これ以上に適した言葉はなかった。


「くそっ!」


 どうすればいい? 考えろ!

 フレアを残して逃亡するという選択肢はない。

 ヒュドラを倒すかフレアをがれきの山から救い出すかの二択だ。


 だが眼前に君臨する絶対強者は、俺たちに思考の時間を与えてはくれなかった。



「グルァァァアアアアア!!!」



 巨首は天を仰ぐように顔を上げながら咆哮する。

 それに応じるように、巨首以外の首が動きだす。


 十六本中六本の首は、巨首の周囲を取り囲み毒霧ポイズンミストを放つ。

 残る十本の首は一斉に俺たちに襲い掛かってくる。

 その光景はさながら、凶悪な漆黒の壁の猛進だった。


「やるぞ、テトラ!」

「……うんっ!」

「わたくしは毒霧の対処に回ります!」


 俺とテトラが前衛に。

 リーシアが後衛となり、ヒュドラを待ち受ける。


 そして、あまりにも無謀な戦いが始まった。


 襲い掛かってくる首のうち、五本がテトラに。

 残りの五本が俺に向かってくる。


 一本一本がAランク魔物に匹敵する威圧感を放っている。

 言ってしまうならば、ミノタウロスを同時に五体相手にしているようなものだ。

 周囲に意識を配りながら相手にできる敵ではない。



「――全網羅オールビジョン



 一気に二段階、集中状態を深める。

 敵の動きを予知し回避に徹する。

 敵の攻撃を全てさばき切れる自信があったわけではない。

 それでも数分くらいの時間は稼げるものだと思っていた。


 が――それは甘い考えだとすぐに突きつけられることとなる。


「これは……!」


 ――大きな思い違いをしていた。

 俺はただ五体の魔物を敵にしているわけではない。

 もともと一体の魔物であるヒュドラの首を五本相手にしているのだ。


 すなわち、連携の練度が段違いだった。

 全ての首が、自分以外の首の動きを完璧に把握した攻撃を仕掛けてくる。


 突進が腕のすぐ横を通り過ぎる。

 牙が横腹を掠める。

 巻き付きが一瞬足を捕らえる。

 毒砲が俺の周囲の地面を溶かす。


 気が付けば、俺は逃げ場を失っていた。

 周囲を首に取り囲まれていた。


「ご主人様!」

「ッ、アイク……!」


 盤面全体を後方から見るリーシアが俺の危機に気付き、俺の名を叫ぶ。

 それを聞いたテトラが急いでこちらに駆けつけようとするも、ヒュドラの猛攻を前に動きを止められていた。


 助けを期待できる状況じゃない。

 自分の力でこの危機的状況を打破しなくてはいけない。

 俺は決死の覚悟で、腰ベルトの道具袋から魔留石(高)を取り出した。



「「「グガァァァアアアアア!!!」」」



 五つの顔が大きな口を開けて俺に迫るその瞬間、俺は高らかに叫んだ。


火炎ファイア!」


 魔留石(高)に込められた莫大な魔力を使用することで、俺の周囲を取り囲むように真っ赤な炎が燃え盛る。

 空気さえ焦がす熱量を誇る炎の壁だ。

 これで僅かでも敵の攻撃を食い止めることができれば――


「――えっ?」


 ――何が起きたか、一瞬理解できなかった。


 腹に何か重い衝撃があった。

 その衝撃によって俺の体は空高く放り出される。

 朦朧とする意識の中で、俺はかろうじて何が起きたのかを確認する。


 俺が生み出した炎の壁はある程度の効果があったのか、五つの顔は炎の手前で進撃を止めていた。

 しかしその中の一本は胴のみを炎の中に振るい、俺を攻撃したのだ。

 さらに最悪なことに、炎の中にある胴にさえ一切の傷はついていない。


「がはっ!」


 背中から地面に強く叩きつけられる。

 胃から酸っぱい何かが噴き出ていた。

 魔留石を使い限界を超えた魔力行使をしたこと、ヒュドラの一撃を浴びたこと、そしてこの落下。

 体中に激痛が走り、起き上がろうとしても満足に体は動かない。



「だ……め、だ……」



 フレアを失いただでさえ戦力不足な中、囮である俺が倒れてしまえば勝利どころか逃走の可能性すらなくなる。

 リーシアはAランク相手に接近戦ができるような性能ではない。

 三人の人形の中で最大のパワーを誇るテトラであったとしても、十本以上の首を同時に相手することなど不可能だ。


 絶望が目の前に迫ろうとしていた。

 倒れ伏す俺に止めをさすべく、五本の首がゆっくりと近付いてくる。



「アイク!」

「ご主人様!」



 テトラとリーシアの声が遠くから聞こえる。

 だけどもう手遅れだった。

 この距離では到底間に合わない。


 ……万事休す、か。


 俺はもう助からない。

 せめて、テトラたちだけでも助かってほしい。

 俺を見捨ててでも逃亡してくれと指示を出すべきだろうか……



「……いや、そんな指示、意味ないか」



 ずっと彼女たちと同じ時間を過ごしてきた。

 彼女たちが意思を得てからはまだほんの少ししか経っていないが、それでも分かる。

 俺が決して彼女たちを見捨てないように、彼女たちもまた俺を見捨てることはないだろう。



「……諦めてたまるか」



 残されたわずか数秒の時間の中で、俺にできることは何がある?

 考えろ。考えろ。考えろ。

 全員でここから生きて帰るために必要なものはなんだ――


 一つ。

 たった一つ。

 俺の中に答えが生まれる。

 いま、それを望んだところで意味がないことくらいわかっている。

 それでも願わずにはいられなかった。


 もう一人いるんだ。

 俺たちが全力で戦うためには。

 長い時間を共に過ごしてきた俺たちが全員揃って初めて、この最強の敵に渡り合える。

 

 だから、俺は。

 朦朧とする意識の中で。

 心の中で。

 彼女のことを思った。


 そして――――



「――――えっ?」



 ガララン! という岩が崩れ落ちるような音が空間全体に響く。


 それが何の音なのか疑問に思った次の瞬間だった。


 赤色の剣閃が眼前で瞬いた。

 数十の剣閃は、俺の前にいたヒュドラの首に幾つもの傷を与えた。



「「「グギャァァァアアアア」」」



 突然の大ダメージに悶えるヒュドラ。

 しかし俺の意識はヒュドラではなく、に向いていた。


 鮮血を身に纏う、赤髪の少女。

 少女は赤色の刀身が美しい剣を手にして、俺に背を向けて立っていた。


 信じられなかった。

 それでも、この目に映る光景は正しいはずだ。


 彼女が無事であったことを歓喜するとともに、俺は彼女の名を呼んだ。


「……フレア!」


 その呼びかけに応えるように、フレアは振り向いてこくりと頷く。


「ごめん、待たせちゃったね、アイク」


 片膝をつけながら、そう告げるフレア。

 その真剣な表情に思わず見惚れてしまう。



「「「ガァァァアアアア!!!」」」



 しかしいつまでもフレアの復活を喜んではいられない。

 傷を負った五本の首が、雄叫びを上げてこちらに強い敵視を向けていた。


「しまった……!」


 先ほどは不意打ちであったため、ダメージを与えることができた。

 しかし明確にフレアを敵と見据えた状況下では、五本もの首を相手にすることは難しい。


 だけどそんな状況の中でもフレアは落ち着いていた。

 そして優しい声で告げる。


「ずっと思っていたんだ。

 アイクがいつも私たちが傷を負わないように操ってくれていたこと。

 時には自分を犠牲にしてでも守ってくれたこと。

 それが凄く嬉しくて、同時に思ったんだ。

 ああ、なんて私は不甲斐ないんだって」


 フレアは再び俺に背を向け、ヒュドラに向かい合う。


「でも、分かったよ。

 傷付いて、ボロボロになって、意識を失って。それでも今私はここにいる。

 アイクを、テトラを、リーシアを。皆を守りたいって思ったから。

 それだけで無限の力が湧いてくる。きっとアイクもそうだったんだよね?」


 そしてフレアは、俺たち目掛けて攻撃を仕掛けようとするヒュドラに剣を向けて叫ぶ。


「だから次は私の番。

 全身全霊で、私たちの前に立つもの全てを断ち切ってみせる!」


 フレアは左足を一歩前に出す。

 足は地面を掴み、強い反発を受けて加速する。

 これまでとは比べ物にならない速度でヒュドラ目掛けて駆けていく。


「はあっ!」


 そして再び、剣閃が瞬いた。

 目にも止まらぬ速度で振るわれた刃が、次々とヒュドラの胴を切り裂いていく。



「……すごい」



 ついさっきまでは二本の首を相手に苦戦していた。

 それが今は五本の首を相手にして圧倒している。


 敵に反撃する余裕さえ与えない、圧倒的な連撃。

 一秒の間に数十に至る攻撃が繰り出されていた。


 その光景を眺めながら俺は思う。

 彼女たちが意思を得た時のこと。

 そしてそれに伴い性能を著しく上昇させたこと。


 俺が心を注ぐことで彼女たちは意思を得て、その結果力を手に入れた。

 すなわち彼女たち人形にとって、心の強さはそのまま力に繋がるものなのかもしれない。


 ……思えば、リーシアも言っていた。

 彼女は憎悪や嫉妬といった感情を原動力にすることで、浄化魔法を黒い炎をに昇華させていた。


 心の強さでどこまでも実力を増す。

 そんな無限の可能性が人形にはあるのではないか。

 そう信じたくなるような光景が眼前で繰り広げられていた。



「――――! フレア、右だ!」

「ッ!?」



 新たに現れた三本の首。

 フレアは一時的に攻撃の手を止め、回避に徹する。


「くっ」

「テトラ!?」


 直後、テトラがこちらに吹き飛ばされてくる。

 なんとか着地した彼女は、肩で息をしていた。


「ごめん。わたしが相手にしていた分、こちらに逃がした」

「いや、よく頑張ってくれた」


 実際にテトラは自分を上回る敵を相手にして、これだけの時間を渡り合ってくれたのだ。

 文句をつけるなどできるはずがない。


「ご主人様! すぐに治療します」

「リーシア……頼む」


 続けてこちらにやってきたリーシアが超治癒ハイヒールを発動してくれる。

 おかげで体が随分と楽になった。

 これでもう少し動けるはずだ。


 フレアとテトラが協力して戦うことで、十本の首とは対等以上に戦えている。

 だけどまだ足りない。こいつらを倒すだけでは足りないのだ。

 最奥にそびえる巨首を倒さなければヒュドラ討伐は達成しない。


 俺がもう一度囮になって何本か引き受けるか?

 ……いや、だめだ。それだけで状況は改善しない。

 俺が引き受けられるのは良くて二本。

 それだけではフレアを巨首のもとに向かわせることはできない。

 今必要なのは、状況を大きく変える絶大な一撃!


 ……あと一歩が足りない!

 ここまできたのに勝てないのか!?


「……嫌だ」


 一瞬、それは無意識に俺が零した言葉だと思った。

 俺が考えていたことと全く同じ言葉だったから。


 だけど違った。

 重々しくそう呟いたのは、ヒュドラと戦うテトラだった。


 いつもは無表情な横顔に憂いを帯びながら、テトラは続ける。


「フレアに、皆に、守られるだけなんて、嫌だ。

 皆の足を引っ張りたくなんかない。もっと、強くなりたい」


 悔しさに耐えられないとばかりに、声を震わせながらテトラは続けた。


 ……今、十本の首を相手にしている配分はフレアが七本、テトラが三本といったところだ。

 そんな現状に不甲斐なさを感じてしまったのかもしれない。

 テトラが俺たちの力になっていることは火を見るよりも明らかだ。

 そう言ってやることもできた。

 だけど俺は、何も言わずただテトラを見つめた。


 ――リーシアとフレアを見て俺は知ってしまった。

 自分の足りない部分を知り力を願う心こそが彼女たちを強くするのだと。


 だから俺はテトラの答えを待つ。

 彼女を信じていた。


「フレアが全てを断ち切る刃になるのなら!

 わたしは! 全てから皆を守る盾になる!」


 テトラは両手を前に伸ばす。

 手の先には蒼く輝く魔力が集っていく。


「……これは!」


 その光景を前に、俺は目を見開いた。

 格闘家型である彼女は魔力を体内で使用し身体強化に利用している。

 外部に放出する機能はついていなかったはず。


 テトラもいま、限界を超えようとしている。

 心の中にある力を自分のものにするために。


 そして。

 テトラは叫んだ。

 彼女が求めた力の形を。



「わたしは全てを守る盾。

 万物を拒絶する――――蒼盾アイギス!」



 蒼色の魔力が、円状に薄く広がっていく。

 やがて数ミリの透き通るような蒼色の盾が完成する。

 そして――



「喰らえ」



 ――テトラはなんと、その蒼盾を

 弾き飛ばされた蒼盾は三本の首に直撃し、胴体を深く凹ませる。

 その勢いのまま数十メートル先に吹き飛ばしていた。


「硬化か!」


 俺はそう叫んだ。

 格闘家や重戦士が保有するスキル、硬化。

 身体強化の一種で、体の硬度を上げることができる。


 テトラは硬化に使われる魔力を強引に盾として形成することで、ヒュドラの胴体を凹ませるほどの硬度を得た蒼盾が完成したのだろう。

 力技にもほどがあるが、現状を覆す一手になりうる。


 テトラが敵の攻撃を防ぎ、フレアが攻撃を与えていく。

 それを繰り返せば巨首のもとにまで辿り着ける!



「ルガァァァァァアアアアアアアアアア!!!」

「なっ!」



 だが、いざ行動に移そうとしたとき巨首が再び咆哮する。

 巨首の周囲を取り囲む六本の首は毒霧を吐くのを止め、こちらに突進してくる。


「数が増えても無駄だよ!」

「守り切ってみせる」


 剣を構えるフレアと、蒼盾を発動するテトラ。

 数本の首が加算したところで、この双璧を崩すのは困難なはず。


「ッ!?」


 そんな風に考える俺たちを嘲笑うように、再び加わった十本を含めた計十六本の首は二人の前で進路を変えた。

 上と左右に散り散りになった首は二人に攻撃を与えようとはせず、突破を目的としていた。


「っ、そんな!」

「これじゃ、対処が追い付かないっ」


 自分に向かってくるならばともかく、周囲に散っていく首の全てに対応するのは困難だった。

 フレアの剣が七本の首を切り刻み、テトラの蒼盾が八本の首を食い止める。

 が――残された一本の首が二人の間を突破し俺とリーシア目掛けて襲い掛かってくる。


 だが、一本ならば俺でもなんとか対応できるはずだ。


「囮(デコイ)」


 囮のスキルを発動する。

 ここを食い止めることができれば、こちらの攻撃の手番だ。


 しかし、ヒュドラが俺に襲い掛かってくることはなかった。

 こちらには目もくれず、すぐ横を素通りしていく。


「なんだと!?」

「――――!」


 ヒュドラが攻撃対象としたのはリーシアだった。

 だが理解できない。囮は確かに発動した。

  悪感情ヘイトを集めることには成功したはずだ。

 ダメージを与えているフレアやテトラならばともかく、援護に徹しているリーシアを真っ先に攻撃するなど魔物のする判断ではないはずだ。


「――――ッ」


 瞬間、身を貫くような視線を感じる。

 一人離れた場所に君臨する巨首の金色の目は確かにこちらを向いていた。


 ……まさか、理解しているのか?

 俺たちが戦えているのは毒を浄化させるリーシアがこの場にいるからだと。

 リーシアを失えば一瞬で陣形は瓦解すると。

 そんな判断を下せるだけの知能が魔物に……!?



「ガァァァアアアアア!!!」

「くっ!」



 大きく口を開き、リーシアに襲い掛かるヒュドラ。

 彼女の身体能力ではあの攻撃を躱すことはできない。

 このままだとリーシアが犠牲になる――



 ――そんなのは絶対に嫌だ!



 俺は全魔力を使い切る勢いで身体強化エンハンスメントを発動し、リーシアのもとに駆ける。



「リーシア!」

「ッ!?」



 ギリギリのタイミングで、俺の伸ばした手がリーシアの軽い体を吹き飛ばした。

 リーシアは青色の目を大きく見開きながら、縋るように手を伸ばす。


「ご主人様!」


 リーシアの目は俺と、俺のすぐ横にいるヒュドラに向けられていた。

 絶望が、死が。すぐそこに迫っていた。


 ――回避は間に合わない。

 直感的にそれが分かった。


「アイク!」

「だめっ!」


 フレアとテトラが絶望を含んだ声で叫ぶのが聞こえた。

 彼女たちもまた、俺に訪れた絶対の死を理解してしまったのだろう。



 ……ああ、これで、終わりか。


 この態勢では反撃を試みることさえできない。

 生き残るための、一縷の望みすら存在しなかった。


 コンマ数秒が永遠のように感じる。

 自分の動きもヒュドラの動きも、全てがゆっくりに見えた。

 ――これまでの記憶が次々と脳裏をよぎっていく。



『君が人形遣いになったことには、何か大きな意味があるのかもしれないね』

『あっ、目が覚めたんだね、アイク』

『フレアばかりずるい。わたしも褒めてほしい』

『ずっとお会いしたかったですわ……ご主人様』



 それは俺にとってかけがえのない大切な記憶。

 絶対に失ってはいけないもの。

 これからもずっと重ねていかなくてはならないもの。


 そして――最後に思い出した。

 その少女との約束を。

  


『……ぜったいのぜったいだもん。

 お母様が助かるだけじゃ、だめなの。

 だから約束。お兄ちゃんたちも、ぜったい無事に帰ってきて!』



 ……そうだ、俺は!



「約束、したんだよっ!!!」



 約束したんだ! アイリスと!

 皆と一緒に生きて帰るって!



 ――――だから、俺は!



 俺の首元で揺れるネックレス。

 輝く透明の石を俺は無意識のうちに握り締めた。


 その瞬間だった。

 透明の石から、眩い純白の光が膨れ上がる。


「っ、これは――!」


 光から感じる、温かくも力強い何か。

 ああ、そうか。この光はきっと――



「グルゥゥゥゥウウウウ!!!」

「――やられてたまるか!」



 大きく開かれたヒュドラの口が、俺の体を呑み込む。

 その中で俺は一際強くネックレスを握り締めた。

 瞬間、純白の光は一際強く膨れ上がり破裂した。


「!?!?!?!?」


 耳をつんざくような轟音を響かせる、激しい破裂。

 その破裂によって、ヒュドラの顔は跡形もなく弾け飛んだ。


 その場に残されたのは、ネックレスを握り締めたままの俺だけだった。


 ……どうやら無事だったみたいだ。

 このネックレス――いや、リーンからアイリスに渡されたお守りが俺を守ってくれた。


 今だからこそわかる。

 このネックレスに込められていたのは、勇者リーンの魔力だ。

 アイリスが危機的状況に陥った時、彼女を守るためのものだったのだろう。


 そのための魔力を俺が借りた結果、ヒュドラの攻撃を防ぐことができた。

 お守りを貸してくれたアイリスにはどれだけ感謝してもし尽くさない。


 ネックレスにはまだリーンの魔力が残っている。

 ヒュドラの首を一本吹き飛ばしただけでなくなる量ではなかったのだろう。


 それに加え、リーンの魔力によってやられたヒュドラが再生する気配はない。

 ……勇者の魔力には消滅の力も含まれている。

 その力がヒュドラの再生を防いでいるのかもしれない。


「……そうだ」


 そこで俺は一つ策を思いついた。


「頼む、アイリス。

 もう少しだけこの力を貸してくれ」


 決意し、俺は立ち上がる。

 最後の決着をつけるために。



「無事ですか、ご主人様!?」

「ああ、なんとかな。

 戦いも佳境だ。決着をつけるぞ」

「――――はい! はい!」



 涙を滲ませながら、何度も頷くリーシア。

 彼女をこんなに心配させた俺の実力不足を不甲斐なく思う。


 俺は踵を返し、巨首を見つめる。

 金色の両眼と視線がぶつかった気がした。


「…………」

「悪いな、何度も足掻かせてもらって。

 だけどそれももう終わりだ」


 一本の首を再生不能にした今、立ちはだかるは巨首を含めて十六本の首。

 絶対の脅威を前にしても、もう不安はなかった。


 俺は今も大量の首と戦うフレアとテトラに指示を送る。



「テトラ! 今扱える最大の盾を生み出してくれ!」

「……わかった! でも、少し時間がかかる!」

「フレアは時間稼ぎだ! 少しでいい、首のほとんどを一人で相手できるか!?」

「数秒ならなんとか! だけどそれ以上は難しいと思う!

 せめてもう少し相手の動きが遅ければ……!」

「――ならば、わたくしの出番ですね」



 策を実行するためにあと一歩が足りないと思いかけた瞬間、リーシアが前に出る。



「わたくしだってテトラと同じ気持ちだったんです。

 フレアとテトラに守られて、ご主人様まで危険な目に合わせて。

 わたくしが後衛だなんて関係ありません。わたくしだって皆を守りたいんです。

 だから今、全力を注ぎます!」



 リーシアの手に漆黒の炎が浮かぶ。

 熱量が、大きさが、かつてないほどに膨れ上がっていく。



「わたくしの嫉妬の炎は、わたくしが敵と定めたものだけを燃やし尽くします!

 それでも、この程度の火力ではヒュドラの鱗に防がれてしまうでしょう!

 ――ならば、話は単純です!」



 莫大な漆黒の炎を前方に構え、リーシアは叫ぶ。



「鱗に防がれるというならば、

 内部のみを滅ぼしてしまえばいいのです!

 内側から嫉妬の炎で燃やし尽くされなさい――――嫉獄炎インフェルノトウ!」



 そして放たれた、空間全体を埋め尽くす漆黒の炎。

 俺たちにも触れるほどの規模だが、熱さを感じることはない。



「ギャァァァアアアアア!!!」

「ルグゥゥゥウウウウウ!!!」

「グギョォォオオオオオ!!!」



 対象と定められたヒュドラだけが、体内を燃やし尽くす炎を浴びて動きを鈍らせる。

 かなりえげつない技だ。


「っ、これなら!」


 漆黒の炎を目隠し利用するフレアが、次々とヒュドラを斬っていく。

 時間にして数十秒後、テトラの準備が整う。


「魔力を溜め終えた。

 後はこれを盾にするだけ」

「よし――フレア! 一度下がれ!」

「うん!」


 大量の首から撤退したフレアが俺の横に降り立つ。

 そんな彼女に俺はネックレスを差し出した。



「これは?」

「俺がアイリスから借りたお守りだ。

 これには勇者リーンの魔力が込められている。

 この魔力を使えば今度こそヒュドラを倒せるはずだ。

 だからフレア、これはお前に託す」

「アイク……うん、わかったよ」


 

 真剣な表情で頷いたフレアは、そのネックレスを受け取り力強く握り締める。

 残された魔力から察するに使用できるのはあと一回のみ。

 それを巨首にぶつけたい。


 リーシアの漆黒の炎でほとんどの首が苦しむ中、巨首だけはこちらを窺ったまま微動だにしない。

 一本のみ圧倒的に格の違う奴だけは、覚醒したフレアの一撃でも倒し切れるかな不明だ。

 だからこそできる準備は全てする。


「さあ――最終局面だ。

 フレア、この後は――――」

「……! ふふっ、任せて!」


 俺はフレアに一言で策を伝えると、続けてテトラに向けて叫ぶ。



「今だ、テトラ! 盾を展開しろ!

 そして全力でぶん殴れ!」

「了解――蒼盾、最大展開!」

 


 テトラの前に展開される、硬化の魔力によって生み出された蒼色の盾は直径50メートルにも及ぶ大きさを誇っていた。

 巨首を除いた十六本の首全てをその範囲に治めている。

 そして。



「弾けろ!」



 ドンッ! と大地を凹ませる踏み込みと共に、全身のバネを利用し放たれる最大火力の一撃。

 弾かれた巨大な蒼盾はヒュドラの首をまとめて吹き飛ばす。

 大量の首はぶつかり合い、絡み合い、固まることで身動きがとれなくなる。


 ヒュドラの首によって生み出された巨大な山。

 その遥か上空に浮かぶ一つの影があった。


 その影の正体はフレアだ。

 彼女はテトラが蒼盾を弾く直前、その上に乗っていた。

 蒼盾を足場にすることに加え、弾かれる力を利用することで集団を飛び越えて巨首を目指す。



「この一撃で終わらせる!」



 フレアは空中で態勢を整え、両手で剣を高く構える。

 手に握られたネックレスから魔力が伝わり、剣は純白に輝いていた。

 最強の勇者の力を借りた全力の一撃。

 それに俺は全てを賭けた。


 あの一撃を与えられたら、俺たちの勝利――



「グルゥゥゥァァァアアアアアアアア!!!!!」



 ――そう思った瞬間、巨首はここまでで一番の咆哮を上げた。


 直後、驚くような光景が眼前で繰り広げられる。

 絡まり合い身動きが取れなくなっていた首の山の中から、幾つかの顔が自分以外の胴体を食いちぎると、拘束を抜け飛び出してきたのだ。


 他の全ての首を食い殺してでも這い上がってきたのは実に六体。

 下から伸びる六本の首が、巨首目掛けて飛ぶフレアに襲い掛かる。


「くそっ!」


 俺は思わず舌打ちした。

 理解してしまったからだ。

 このままだとフレアが巨首に剣を振るうのと、六本の首がフレアに到達するタイミングは同じ。

 巨首を倒し切れたとしても彼女も同時にやられてしまうだろう。


 例え回避に徹しようとしても、空中では動きが制限されてしまう。

 それを考慮すれば回避は難しいだろう。


「フレア……!」

「フレア!」


 テトラとリーシアがフレアの名を叫ぶ。

 対するフレアは顔を僅かに強張らせ、判断に迷っていた。


 つまり、相打ち覚悟で巨首を倒すか。

 無理を承知で回避を試みるか。

 全てはフレアの選択に託された。



「ふざけるな……!」



 だけど俺は、そんな当然の選択肢を否定する。


 ここまできて、俺にできるのはフレアに縋ることだけなのか?

 違う。俺にできることが、俺にしかできないことがまだあるはずだ!


 フレアは心の強さを知り、全てを断ち切る刃となった。

 テトラは自分の弱さを知り、全てを拒絶する盾となった。

 リーシアは際限なき可能性を知り、新たな力を手に入れた。


 なら、俺は?

 俺にできることは何だ?

 人形ではない、人形遣いの俺にしかできないことは何だ!?



「――――そうか」



 そして俺はその答えに至る。

 簡単な話だったんだ。

 俺は人形遣いで、俺一人では最強になんてなれやしないけど。

 


 だから!



「フレア! そのまま突っ込め!」

「アイク!? ――――うん!」



 俺は使う。

 彼女たちが意思を得てから使うことを控えていたそのスキルを。

 彼女たちを限界の先へ連れて行くために――


 俺は告げた。

 


「――――魔糸操マリオネット!」



 瞬間、俺から数十数百に至る魔力の糸が伸び、フレアの全身に巻き付いた。


 これは俺の意思によって人形を操作するスキル。

 意思がある彼女たちにとって、他人の意思が介入することは邪魔になると思い、これまで使用を避けてきた。

 だが今に限っては、このスキルによってフレアの空中における行動の制限をなくすことができる。


 当然、リスクはある。

 俺とフレアがお互いの考えを完全に理解していなければ、逆にフレアの動きを制限することになるだろう。


 だけど不安はなかった。

 だって分かっていることだから。

 俺とフレアたちの心が違える可能性なんて、絶対にない!



「いくぞ、フレア!」

「うん、アイク!」


 

 俺が動かす魔力の糸と、フレアの動きがシンクロする。

 フレアの力強い動きを、俺の糸が加速させる!


 フレアの周囲を取り囲み襲い掛かる六本の首!

 そして真正面から一番大きく口を開けて迫る巨首!

 今、この瞬間、俺たちは最強に挑む!



「「うおぉぉぉおおおおおお!!!」」

「「「グラァァァアアアアア!!!!!」」」

 


 フレアは横に回転しながら、眩い光を放つ剣を振るう。

 円状に振るわれた剣が次々とヒュドラの首を斬り落としていく。

 六本の首を斬った後、ようやく巨首に触れた。


 他の首とは比べ物にならない圧倒的な硬度。

 一人では絶対に断ち切ることができなかっただろう。


 だけど、俺たちは一人じゃない。

 リーンの魔力が威力を高め、

 リーシアの嫉獄炎が敵の体力を削り、

 テトラの蒼盾が動きを加速させ、

 俺とフレアの意思が刃を振るう!


 全員の力を合わせて生み出されたその剣技の名を俺たちは叫ぶ!




「「――――光輪ロンド!」」



 

 加速を続け音速に至った刃は、光の輪を描く。

 音を置き去りにした一閃はとうとう巨首を断ち切った。



「ガァァァアアアアア!?」



 巨首は自分がやられたことが信じられないとばかりに、金色の目を見開きながら地面に落ちていく。


「っ、フレア!」


 巨首の横でフレアもまた、無理やり剣を振るったせいか態勢を崩しながら落下していく。

 音速の動きの弊害か魔糸操作(マリオネット)の発動が切れているため、俺が支えることはできない。


「問題ない」


 テトラはフレアの落下地点に行くと、軽々とその体を受け止める。

 俺はほっと息を吐いた。


 同時に、巨首の顔も地面に落ちる。

 するとヒュドラの全ての首が禍々しい黒色の霧に変わっていく。

 残されたの黒色の魔石ただ一つ。


「……終わったのか」


 魔石になったここから再生はあり得ない。

 それでも俺はヒュドラを討伐できたことをすぐに実感できなかった。

 なぜ勝てたのか今でも分からないほどの強敵だったからだろう。



「アイク!」

「アイク」

「ご主人様!」

「うおっ!?」



 ぼーっと立ち尽くす俺のもとに、フレアたちが一斉に飛びついてくる。

 バランスを崩した俺たちは全員でその場に崩れ落ちた。



「勝った、勝ったんだよ、アイク!」

「うん、皆で頑張った結果」

「そうですわ! ふふふ、これでご褒美をいただけますね?」

「フレア、テトラ、リーシア……そっか。勝ったんだよな、俺たち」



 皆の喜ぶ顔を見て、俺はようやく勝利を実感する。

 心の内側から言いようがないほどの歓喜が沸き上がってくる。


 全員で掴み取った最強からの勝利。

 この中の誰か一人が欠けても勝利はできなかった。

 最高の仲間たちだ。


 俺は思わず、三人を抱きしめた。



「えっ!? あ、アイク!?」

「満足。えっへん」

「ご、ご主人様からですって!? 想定外です! でも好き!」

「皆、ありがとう。本当にありがとう……!」



 言いたい言葉は色々とあったはずなのに、そんな陳腐な感謝の言葉しか出てこなかった。

 それでも気持ちは十分に伝わったらしい。

 三人は優しく微笑んでくれる。



「うん! どういたしまして、だよっ」

「アイクの力になれて、わたしも嬉しい」

「全員で掴み取った勝利です。わたくしたちも、感謝していますよ」



 そう言ってくれることが何よりも嬉しかった。

 だけど、ふと思い出す。

 この喜びはここにいる四人だけで分かち合うものではない。


 俺たちの帰りを待っている人がいる。

 絶望的な状況から救ってくれた人がいる。

 彼女たちの幸せを心から願った人がいる。


 だから。分かち合いたいと思ったんだ。


 俺は立ち上がると、笑顔を浮かべて言った。

 望んだ未来を手にするために。



「さあ、帰ろう。アイリスたちのもとへ」



 かくして俺たちは、最強の敵ヒュドラの討伐に成功した。

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