第34話 VSヒュドラ

 眼前に佇むは、かつて遭遇したことのない圧倒的なオーラを醸し出す強敵――ヒュドラ。

 気を抜けば膝が震えてしまいそうになるほどの恐怖を抱きながらも、俺は力強く叫んだ。



「――全員、持ち場につけ!」



 それを皮切りに、フレアたちは事前に決めていた作戦通りの配置につく。

 ヒュドラがどれだけの強敵であったとしても、俺たちに逃げるという選択肢は存在しない。


「リーシア、そのまま浄化魔法の維持を頼む」

「心得ています」


 後衛にはリーシアを残し、ヒュドラの毒魔法の浄化に全力を尽くしてもらう。

 リーシアから放たれる純白の光は空間全体に広がっていき、紫色の霧を全て消していた。

 そこまでやってようやく俺たちが戦える環境が整うのだ。


 前衛はフレアとテトラの二人。

 二人は高速でヒュドラとの距離を詰めていく。


 最初の攻防が間もなく訪れる。

 ここでフレアとテトラが善戦できないようでは、勝利は遠ざかるだろう。


「頼む……!」


 縋るように二人の背中を見る俺の前で、とうとうその瞬間が訪れた。



「「「グルァァァアアアアア!!!」」」



 明確な敵意を持って自分に迫る敵をただ眺めるだけのヒュドラではなかった。

 フレアとテトラに向けてそれぞれ三本ずつの頭が、大きく口を開けて攻撃を仕掛ける。


 三方向からの同時攻撃。

 回避は困難。

 フレアとテトラが選んだのは、それぞれ異なる対応だった。



「遅いよ!」

「「「グルゥ!?」」」



 フレアは速度と身のこなしを活用、頭の隙間を縫うようにして突進した。

 さらには華麗に身をよじりながら、流れるように首へ斬撃を浴びせていく。

 禍々しい黒色の血が勢いよく噴き出る。


 熟練した技量を持つフレアだからこその解決方法だった。



「そんな攻撃、無駄」



 対して、テトラが選んだ方法はより単純なものだった。


 自分の体を軽々と呑み込んでしまう大きさの口が三つも迫っているというのに焦りはない。

 その場で高くジャンプすると、紙一重のタイミングで敵の攻撃を躱す。

 そして――


「えいっ」

「「「ギュグゥ!?」」」


 頭上から振り下ろされる拳が、次々とヒュドラの頭を叩き、力ずくで口を閉じていく。

 三つの頭は押し付けられるように地面に叩きつけられた。


 絶大な力を誇るテトラによる、単純ながらも効果的な方法だった。



「よしっ!」



 二人が圧倒する姿を見て、俺は思わず歓喜を口にした。

 想像を超える大きさを誇るヒュドラは非常に驚異的だったが、俺たちでも戦えると実感したからだ。

 ミノタウロス戦、サイクロプス戦、レッサーデーモン戦。

 数々の死線を乗り越え、俺たちはこれほどの強敵と戦えるだけの力を手に入れていたのだ。


 しかし、ヒュドラ相手にはただダメージを与えるだけでは足りない。

 首を切断したのち燃やす。

 この方法でしか再生を無効化することはできない。


 その代わり、一本一本を倒すたびに敵の戦力も落ちていく。

 つまり徐々にこちらが優勢になっていくのだ。

 戦闘はまだ始まったばかりだが、様子見はなしだ。

 全力で仕掛けていく!


 俺はテトラに向けて方針を告げるべく叫んだ、



「テトラ! 倒れている首を一本掴んで、フレアが相手する敵に投げつけろ!」

「わかった」



 テトラは着地と同時に、両腕でも掴み切れない大きさの首を力ずくで無理やり持ち上げる。

 ドンッ! という激しい踏み込みと共に、その巨大な首を投擲する。



「ふんっ!」

「――フレア、後ろに下がれ!」

「了解、だよっ!」



 三本の首の中から素早く撤退したフレアは、そのまま一時的に距離を取る。

 すぐに三つの頭がフレアを追おうとするが、もう遅い。


 テトラが投擲した首が、上空から勢いよく落下してきたからだ。

 落下に巻き込まれた三本の首は地面に叩きつけられると、身動きが取れなくなっていた。



「いまッ!」

「「「グギュァァアアア!?」」」



 身動きの取れなくなった四本の首に、フレアは次々と斬りかかる。

 敵の動きが止まり、十分な踏み込みとともに剣を振るえたからだろう。

 フレアの剣はヒュドラの硬質な鎧を貫き、切断することに成功した。



「リーシア!」

「ええ! ――嫉獄炎インフェルノ



 直後、リーシアから放たれた漆黒の炎が切断面に直撃する。

 破壊と浄化、両方の性質を持つその攻撃は瞬く間に切断面を燃やし尽くした。



「これで、まず四本!」



 ヒュドラとの戦いでは最初の一本目をどれだけ早く切断できるかが重要になる。

 そんな中、開始早々四本はかなり幸先がいい。


 もはや勝利は目と鼻の先……

 そう、思いたかったのだが――


「…………」


 ――残された五本のうち、唯一五十メートルにも及ぶ巨大な首――巨首きょしゅとでも言おうか。

 巨首はぎょろりと、二つの丸い金色の目で俺たちを観察していた

 左右に毒霧を放っている二本の首を携えながら。

 


「……ちっ」


 間違いなくこちらが優勢のはずだ。

 なのにあの目を見た途端、そのような気持ちが一瞬で消えていく。


 いや違う、恐れるな。

 なんにせよ、こちらが有利であることには間違いない。

 このまま突き進め。


 まずは、テトラのそばにいるようやく起き上がったばかりの二本の首だ。

 あの二本を切断し、残る三本を相手にする。


 その指示を出そうとした瞬間だった。



「グルォォォオオオオオ!!!」



 ここまで沈黙を保っていた巨首が、上を向きながら咆哮をあげる。

 鼓膜が破れそうになるほどの大音量に、俺たちは思わず動きを止めた。


「くっ、なんだ一体!?」


 戸惑っているのはこちら側だけだった。

 巨首を除く四本の首は、突如として動きを再開する。


 驚愕したのはここからだった。

 動き始めた四本の首の動きは、先ほどまでとは明らかに違っていた。

 速さも鋭さも、格段に良くなっている。

 フレアとテトラに対して、それぞれ二本ずつの首が迫る。


「なっ、速い!」

「…………!」


 先ほどと比べて数は減ったにもかかわらず、対応は困難になっていた。

 二人は回避に手いっぱいで反撃に移れていない。


 さらに――


 フレアに襲い掛かるうちの一体の口に紫色の魔力が溜まるのを見て、俺は反射的に叫んだ。



「躱せ! フレア!」

「――――!」



 フレアは俺の言葉に反応し、その場から全力で飛び退いた。

 直後、ヒュドラから放たれる紫色の砲弾――毒砲ポイズンショット

 毒砲はフレアがいた足場に直撃すると、紫色の蒸気を発生させて消滅する。

 毒砲が直撃した地面はひどく溶けていた。


 危なかった。

 範囲を限定した分、毒霧より効果が増していたのだろう。

 リーシアの浄化魔法では防げなかったようだ。

 あれを喰らっていれば、さすがのフレアとはいえ大怪我は免れなかった。

 あるいはリーンのようにやられていたかもしれない。


 鋭い動きに加えて、とうとう使用してきた毒攻撃。

 ようやくヒュドラが本気を出してきたと考えるべきだろう。

 分かってはいたことだが、やはりそう簡単に倒せる相手ではなかった。




 ――――それでも、俺たちは。




 リーシアの常時魔法発動を始め、序盤から大量の魔力を使用している。

 長期戦は避けたいところだ。

 力を使い果たすことになったとしても、この一瞬で勝負を決める!



「フレア! テトラ! リーシア!

 余力は残さなくていい! 畳みかけるぞ!」

「うんっ!」

「わかった」

「かしこまりました!」



 さあ、いくぞ!


「――デコイ!」


 フレアとテトラに襲い掛かるうち、それぞれ一本ずつが囮につられて俺に襲い掛かってくる。

 一本一本の威圧感が、ミノタウロスに匹敵するほどだった。

 それでも、数十秒ならば俺でも稼げるはずだ。


 一段階、集中状態を深める。

 ――そして、躱す。

 突進を、牙を、巻き付きを、毒砲を。

 その全てを紙一重で回避していく。


 まさか相手も、俺のような弱そうな相手に躱し続けられると思っていなかったのだろう。

 焦った様子で、精細さを失った攻撃を繰り出してくる。

 その分、俺にとってはよりやりやすくなる。



「取った!」

「弾き飛ばした」

嫉獄炎インフェルノ!」



 その間にもフレアは一本の首を切断し、テトラは同ヵ所に反発も殴打を浴びせることによって一本の首を弾き飛ばしていた。

 リーシアが切断面を燃やすのを見届けることなく、二人は俺の援護にくる。



「はあッ!」

「これでおわりっ」



 剣と拳が、眼前で振るわれた。

 絶大な力を誇るそれらの攻撃によって、残る二本の首の討伐にも成功する。

 

 これで残るは巨首のみ。

 あいつを倒せさえすれば、俺たちの勝ちだ!




 ――――力を合わせれば、どんな強敵にも勝てる。




 ただ、巨首は自分一本になった今もまだその場に佇むだけ。

 首はかなり高いところに位置している。


 もし、それで俺たちの攻撃が届かないと考えているのなら甘い。

 その油断を利用してやる。


「フレア、テトラ。聞いてくれ」


 俺は素早く二人に指示を伝える。

 すると二人はこくりと頷いた。


「うん、やってみせるよ」

「まかされた」

「頼んだぞ――魔力供給リソース


 ここが最終局面だ。

 俺は大量の魔力を二人に注ぎ込む。

 魔力を補充した二人は満足気に頷くと、


「じゃあ、やる」

「お願い、テトラ」


 テトラは身を屈め、拳を低く構える。

 そしてその拳の上に、


 拳の上にある重みを気にする素振りもなく、テトラは勢い良く膝を伸ばし、腕を振り切った。


「えいっ!」


 ギュンッと、風を切る音と共にフレアが跳んだ。

 テトラの膂力を借りたフレアは、見る見るうちに巨首に接近していく。


 想定外の行動だったのか、巨首はまだ反応しない。

 これならいける!



「いけ! フレア!」

「いっけぇえええ!」



 フレアは大きく剣を振りかぶり、巨首目掛けて振るった。

 全員の力を合わせた一撃が巨首の首を断ち切る――




 ――――そう、思っていた。




「――――えっ?」



 気の抜けた、フレアの素っ頓狂な声が静かな空間内にこだまする。

 そんな彼女を見ている俺もまた、何が起きたのか理解できなかった。


 フレアの振るった剣は、史上最高といってもいい速度と力を有していた。

 音速の刃は巨首の鱗に刺さり、そのまま断ち切るはずだった。


 なのに。

 そのはずだったのに。

 刃はほんの数ミリしか鱗を切ることはできず、食い止められていた。


 そして。



「ッ!?」



 巨首がその場が軽く首を振るう。

 それだけで剣は巨首から抜け、フレアの体は一直線に吹き飛ばされた。


 ドスンッと、鈍重な音を立て紫水晶の壁に減り込んだ。

 ずるりと滑り、彼女の体は地面に落下していく。

 彼女が離れた壁には、赤色の血が付着していた。


 遅れて、破壊された壁が巨大な破片になり、落下したフレアのもとに落ちていき――


「ッ、フレアッ!」


 ――叫び、駆け付けようとするがもう手遅れだった。

 大量の破片が耳をつんざくような音を鳴らしながらフレアの上に落ちていく。

 がれきの山によって、フレアの姿は瞬く間に見えなくなる。



「あ、ああっ……」



 意識するでもなく、両膝が地に落ちた。


 何かを叫ぼうとしたはずなのに。

 言葉にはならなかった。

 言い表せないような感情が胸中を支配する。


 人形遣いになったあの日、俺は一つの誓いを立てた。

 それは自分が使役する人形に

 それが、俺が人形遣いとして活動する上での信念だった。


 だが、今この瞬間にその信念は打ち砕かれた。

 誰よりも大切だったはずの存在(フレア)ががれきの下に埋まっている。


「……うそだ」


 どこで間違えた?

 何が悪かった。

 フレアたちに意思が芽生えて、これまでには考えられなかったことができるようになって。

 ……どこかで、自分自身が特別な存在になったと驕っていたんじゃないか?


 そんな驕りのせいで、フレアが――



「気を確かに持ってください、ご主人様!」



 ――絶望に沈みかけていた俺の体を、リーシアが無理やり起き上がらせる。



「リー、シア……?」

「ご主人様の信条は把握していますが、その上で言います!

 あの程度で私たち人形は死んだりしません!

 フレアはまだ生きています! フレアを助け出すためにも、早くヒュドラを倒さないと!」

「――――ッ!」



 そうだ、リーシアの言う通りだった。

 反省も後悔も絶望も全ては後だ。

 今は何よりも先に、ヒュドラを倒さなくてはならない。


 フレアという大きな戦力を失った。

 巨首はこちらの想像を遥かに超える実力で。

 それでも、諦める訳にはいかない!

 何があっても、絶対に!



 俺は無理やり意識を戦闘に向けると、リーシアとテトラに指示を出す。


「リーシアは引き続き浄化魔法を頼む。

 俺は囮になる。

 そしてテトラ。フレアがいなくなった今、攻撃はお前に任せる」

「任せてください」

「……わかった。やる!」


 足掻くんだ。

 どんな絶望を前にしても。

 今この状況で、俺たちにできることはそれだけなのだから。


 だから――




 ――――俺たちは思い知ることになる。




「グルゥァァァアアアアア!!!」


 突如として辺り一帯に響き渡る、巨首の咆哮。

 攻撃を予想し身構える俺たちの前でその現象は起きた。


 フレアやテトラによって切断され、横たわっている八本の首。

 燃やし尽くされていたはずの切断面が、もごもごと動き始めたのだ。


「おい、まさか!」


 冗談だと思いたかった。

 しかし目の前の光景が、それが真実だと強く告げていた。


 俺は思い出す。

 俺たちが相手にしているヒュドラは特殊個体だと。

 ならば、普通ではありえないことでも現実になりえる。


 セオリー通りに切断面を燃やしても無駄だったのだ。

 このヒュドラの再生力は常軌を逸している。


 巨首一本でも勝利は難しい状況下での完全復活。

 心が折れそうになる。

 それでも何とか踏みとどまれたのは、一刻も早くフレアを救い出さねばならないという想いがあったからだ。


 だけど。

 俺たちは思い知ることになる。


「……うそ」

「ありえません、これは……!」

「――――」




 ――――本当の絶望というモノを。




 予想通り、切断面からは再びヒュドラの首が生えてくる。

 だけどその数までは予想していなかった。

 できるはずがなかった。


 一つの切断面につき、生えるのは二十メートル強の首が

 計、十六本の首が生えてくる。

 巨首を合わせれば、その数は実に十七本に及ぶ。

 その一本一本が、Aランク魔物に匹敵する威圧感を放っていた。



「冗談……だよな?」



 そう呟いても、眼前の光景が変わることはなく。



 ――かくして、最強との戦いが火ぶたを切った。

 それは同時に、一切の勝ち目がない戦いの始まりでもあった。

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