第36話 人形遣いの英雄
アイクたちがヒュドラと邂逅し、戦闘を行っている一方。
アイリスはリーンが眠っているベッドの横で、彼らの帰りを待っていた。
「……お母様」
アイリスは眠るリーンの手を、両手でそっと握り締める。
目を閉じ、祈るようにこれまでの出来事を思い出す。
アイリスにとって、母リーンは憧れだった。
貴族でありながら最強の勇者として数々の冒険を経験してきたリーン。
そんな彼女の冒険譚を聞く時間が、アイリスは何よりも好きだった。
アイリスはリーンから冒険譚を聞くたびに、いつも同じ言葉を返していた。
『すごいね、お母様!
私もお母様と一緒に冒険したい!
見ててよね、職業を得たらすぐにお母様に追いつくんだから!』
『そうですか。
では私も、アイリスに負けないように頑張らないといけませんね』
それはアイリスにとって疑いようのない、確定した未来のはずだった。
だけどその未来はいとも容易く壊されることになる。
アイリスが九歳になったすぐ後のこと。
いつものように冒険に出かけた母の帰りを心待ちにしていると、何故か母のパーティーメンバーである二人が館にやってきた――傷だらけのリーンを連れて。
二人が言うには、もう一人のパーティーメンバーであった人形遣いが裏切ったせいでリーンがヒュドラの猛毒を受けたという。
二人が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
どうして、お母様が犠牲にならなくちゃいけなかったの?
なんで、お母様は眠ったまま目覚めないの?
どういう意図で、その人形遣いは裏切ったの?
分からないことばかりで。
救いなんて何一つとしてなくて。
頭の中で色々な考えがぐるぐると周り、やがて一つの答えに辿り着いた。
お母様が犠牲になったのは、人形遣いのせいで。
人形遣いという職業がなければ、こんなことにはならなかった。
あまりにも突拍子のない結論。
だけど傷付いた心に一旦の納得を与えるには、そう考えるしかなかった。
だが、アイリスにとっての絶望はここで終わらない。
十歳になったアイリスに与えられた職業は人形遣いだった。
領主の娘が不遇職なのかと周りからは陰口を叩かれ、アイリス自身もまた心の底から人形遣いという職業を嫌悪していた。
人形遣いを嫌悪していた理由。
それはお母様を裏切った者が人形遣いであることの他にもう一つあったのだ。
アイリスが母から貰ったプレゼントの中でも特別に大切な二つ。
ネックレスのお守りと、白い犬のぬいぐるみ。
人形遣いは自分の扱う人形を囮にして犠牲にするという。
アイリスにはそんな戦い方など考えられなかった。
自分にとって家族の次に大切な存在を傷付けるなんて嫌だったから。
きっとそんな考えを主張したところで、周りは理解してくれない。
間違っているのはお前だと言われる。
人形遣いになって可哀そうだと同情される。
違う。本当に自分が望んでいるのはそんなことじゃない。
だけど……色んなことが短い期間に起こりすぎて。
袋小路に入ったみたいで。
もう何も手がつかなくなって。
自分が何をすればいいのかさえ分からなくなって。
――そんな時に、アイリスは彼に出会った。
アイクと名乗ったその人形遣いはアイリスに言った。
アイリスが人形に向けるその思いは正しいと。
それを証明するためにヒュドラを討伐し、母を助けてくれると。
――その時には、人形遣いである自分自身を好きになってほしいと。
その優しい笑みに。
温かい言葉に。
思わずアイリスは手を伸ばした。
ずっと出口のない暗闇にいるような気がしていた。
そんな中、唯一の光が射したから。
そしてアイリスは夢を見た。
ずっと昔に置き去りにした家族の光景。
自分がいて、父がいて、母がいて。
家族が全員揃って笑い合っていた。
だけど、三年前と違うことが一つあった。
家族が笑い合うその場所には、あの人たちも一緒に――――
「……ん、んんぅ」
ゆっくりと目を開ける。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
リーンの手を握り締めながら、アイクたちの帰還を祈っていたところまでは覚えているのだが。
「……あれ?」
そこでアイリスは違和感を覚えた。
アイリスは両手でリーンの手を握り締めていたはずだった。
だけど、なぜか今は逆にリーンの手がアイリスの手を握っていたのだ。
「おはようございます、アイリス」
「――――え?」
戸惑うアイリスに、頭上から声がかけられる。
その優しい声色が誰のものかアイリスは知っていた。
だからこそ信じられなかった。
ゆっくりと、ゆっくりと顔を上げる。
もしも勘違いだった時、その絶望に耐えられなくなると思ったから。
だけど――――
勘違いなんかじゃなかった。
そこに彼女はいた。
三年前と何も変わらない優しい笑みを浮かべて、アイリスを見つめる彼女が。
リーンがそこにいた。
「――お母さん!」
もう耐えられなかった。
涙が零れてしまうのもお構いなしに、アイリスはリーンの体に飛びついた。
リーンはそんなアイリスの体をぎゅっと抱き締めて頭を撫でてくれる。
「お母さん! ぐすっ! お母さん!」
「あら。私が少し眠っている間に随分と大きくなっていると思いましたが、甘えん坊なのは変わりませんね」
「ん!」
リーンになんて言われてもよかった。
この奇跡以上に大切なものなんてなかったから。
「ずっと、聞こえていましたよ。アイリスの声が」
「……え?」
「私が眠っている間のことです。
勇者の魔力でヒュドラの毒を浄化しようとも、何かに妨害されているかのようにうまくいかなくて。
辛くて苦しかった時はいつも、アイリスの声が私を励ましてくれました。
そのおかげで私は頑張れたんです」
「本当に? 私、お母さんの役に立てた」
「ええ。一等賞あげちゃいますよ」
ずっと、ただそばにいることしかできない自分を不甲斐なく思っていた。
だけどリーンは言う。それが彼女の力になったと。
アイリスはこれまでの自分の行動が全て報われたような気がした。
と、そんな時だった。
ドンッと、部屋の扉が勢いよく開けられる。
「リーン! 魔力の流れが変わったためもしやと思い来てみたが、やはり目覚めたのか!」
「あら、アルト。貴方のそんな焦った姿は始めて見るような気がしますね」
「誰のっ、誰のせいだと思っているのだ! ああ、リーン! 本当に、よかった……!」
部屋に入ってきたアルトは涙を滲ませながら、歓喜に満ちた表情を浮かべていた。
まだ涙は枯れないが、全員が笑顔に満ちた幸せな家族の時間。
アイリスがずっと求めていたものが今ここにある。
「……ううん、違う」
ここにはまだ足りないものがある。
約束したんだ。皆で笑い合おうって。
――――だから!
音がした。
館に来客がやってきた時に鳴らされる音。
今日この館にやってくる予定のある者など、アイリスは一組しか知らない。
今すぐ会いたいと思ったんだ。
「私が行ってくる!」
「っ、アイリス!?」
「あら。随分と嬉しそうな笑顔ですね」
二人の声を背に受けながら、アイリスは駆け出した。
廊下を走り、階段を駆け下り、入り口の扉に向かっていく。
アイリスはかつて冒険者としての母に憧れた。
勇者リーンはアイリスにとって英雄だった。
いつの日かそんな彼女のようになりたいと思った。
だけど今、アイリスは新たに憧れを抱く。
彼女を絶望の淵から救った、勇者とは比べ物にならない不遇職で持たざる者だったはずの彼らに。
入り口には彼らが立っていた。
見るからに傷だらけで、それでも誇らしげな表情を浮かべて。
アイリスを見つけると笑みを浮かべてくれる。
そんな彼らに、最初にかける言葉は何がいいだろうか。
一瞬だけ悩んだが、すぐに答えが出た。
これしかないはずだ。
約束を守ってくれたことに感謝を込めて。
アイリスは満面の笑みを浮かべて告げた。
「――おかえり、みんな!」
――――
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