第30話 少女の願い

「こら、アイリスが困ってるだろ」


 言いながら、俺はフレアたちをアイリスから引きはがす。

 解放されたアイリスはほっと息をついていた。


 しかしすぐに現実に起きた出来事の異常さに気付いたのか、バッと顔を上げた。


「な、なにが起きたの?

 なにもないはずの場所からいきなりこの人たちが現れて!」

「彼女たちは人形だよ。最小サイズから最大サイズまで一気に変化しただけだ」

「に、人形って……」


 アイリスはフレアたちを見渡したあと、ぶんぶんと首を左右に振る。


「そ、そんなわけない。

 だって人形がこんなふうに話すわけないもん!」

「俺も少し前まではそう思っていたよ。

 だけどこれは現実なんだ。彼女たちは今こうして、意思を持ってここにいる」


 ここから先は彼女たち本人から説明したほうがいいだろう。

 視線を送ると、フレアたちはこくりと頷き前に出た。



「アイクの言うことは本当だよ、アイリスちゃん。

 私たちはもともとただの人形だった。

 けどね、アイクが私たちを大事に大事に扱ってくれたおかげで、こうして心を得たんだ」

「……心を、得た?」

「そう。アイクは決してわたしたちを犠牲にしようとはしなかった。

 むしろわたしたちを守るために自分が危険に身をさらすことさえあった。

 アイクはどんな時でもわたしたちに接してくれたの」

「……それで、お姉ちゃんたちにも心が生まれたの?」

「その通りです。

 このような突拍子のないこと、すぐには信じられないかもしれません。

 ですがアイリスさん、人形遣いとはそのような奇跡をも可能にするのです。

 常識にとらわれる必要なんて全くありません」

「……ほんとうに?」



 三人の主張を聞いた後、アイリスは震える声で俺にそう問いかけた。

 俺はそんな彼女の瞳の奥に、小さな光が灯るのを見た。


 先ほどまでのような、疑う気持ちだけはない。

 確かにアイリスは今、希望という感情を抱いている。


 俺は力強く頷く。



「ああ、全部本当だ。

 だからもう一度だけ言わせてくれ。

 人形を大切に思うアイリスの気持ちは、人形遣いにとって何よりも大切なことなんだ」

「……わたし、まちがってなかった?」

「間違ってなんかない、大正解だ。

 アイリスはきっと、すごい人形遣いになる。

 それを俺が証明してやる」

「……証明? 保証、じゃなくて?」

「ああ、そうだ」



 俺はアイリスの前までいき、片膝をついて彼女と目線の高さを合わせる。



「アイリスと同じ気持ちを持つ俺が――俺たちが、最強の人形遣いとしてヒュドラを倒してみせる。

 そして、アイリスのお母さんを絶対に助け出す。

 その時には、人形遣いと、何より君自身のことを好きになってほしいんだ」

「――――!」



 アイリスの美しい青色の目が、大きく見開かれる。

 まぶたに涙を滲ませながら、彼女はゆっくりとうつむいた。


 アイリスは震える手で、精いっぱい俺の袖を掴む。



「……人形を大切に思うことは、まちがいじゃないんだよね?」

「もちろんだ」

「もう絶対に、裏切ったりなんかしない?」

「誓うよ。俺は絶対に君を裏切らない」

「――信じて、いいの?」

「ああ」



 ぎゅっと、袖を掴む手の力が強くなる。

 目の前に突如として現れた不確かな希望に縋るアイリスの気持ちが、手に取るように分かった。


 アイリスは顔を上げ、まっすぐに俺を見た。

 大きな雫を零しながら、彼女は叫ぶ。



「お願い、お兄ちゃん――お母さんを、助けて!」



 そんな、心からの願いを。


 俺は袖を掴むアイリスの手を、両手で包み込むようにして握る。

 そして心を込めて告げた。



「ああ――任された」



 決意は終えた。

 後は、かつてない強敵に挑むだけ。

 だけど不思議と恐怖はなかった。

 彼女の願いが背中を押してくれる気がしたから。



 ――――



 改めてアルトに依頼を受けると伝えた後。

 館を出る俺たちの見送りに、アルトとアイリスの二人が来てくれていた。


 俺やフレアたちを見たアルトが、おもむろに口を開く。


「それにしても、やはりまだ信じられないな。

 人形が心を得て、自らの意思で行動するとは。

 君たちならどんな奇跡でも起こしてくれそうだ」


 結局あの後、アルトにも俺の人形について説明した。

 最初は驚いていたものの、最終的にはこうして好意的に受け入れてくれていた。


「それからアイクくん、君に渡しておくものがある。これを」

「っ、これは」

「リーンのパーティーメンバーだった二人が残した四階層以降の地図だ。

 完璧ではないようだが参考にしてくれたまえ」

「いえ、すごく助かります」


 実のところ、俺は四階層以降の攻略経験がほとんどない。

 不完全とはいえ、これはかなり攻略の助けになるはずだ。

 ありがたく使わせてもらおう。


「……ねえ、お兄ちゃん」

「ん? どうしたアイリス?」


 地図をしまった俺のすぐ前に、アイリスが駆け寄ってくる。

 彼女は意を決した顔で透明の石がついたネックレスを外すと、んっ、と俺に差し出す。


「アイリス!? それは!」

「大丈夫。わたしがこうしたいって思ったから……」


 アルトが声を荒げて制止しようとするが、アイリスは首を横に振った。

 そして改めて俺を見る。


「これはね、昔、お母様がわたしにくれたお守りなの。

 きっとお兄ちゃんを守ってくれると思うから」

「……いいのか? そんな大切なもの」

「うん! あ、でもね、貸すだけだよ。あげたりしないもん」

「そ、そうだよな」


 少しホッとした。

 あげると言われていたら恐縮していた。

 いやまあ、借りるだけでも責任重大なんだが。


 俺はアイリスからネックレスを受け取り、首にかける。

 魔道具だったみたいで、自動的に俺の首の大きさに変わってくれた。


 アイリスはネックレスをつけた俺を見て満足気に頷く。



「あのね、お兄ちゃん。そのお守りはすごく大切なものなの。

 だからぜったいに返してね」

「ああ、もちろん」

「……ぜったいのぜったいだもん。

 お母様が助かるだけじゃ、だめなの。

 だから約束。お兄ちゃんたちも、ぜったい無事に帰ってきて!」

「――そうだな。約束だ」



 そうか。

 これはきっと、アイリスなりの激励でもあるのだろう。

 だったら、期待を裏切る訳にはいかないな。


 俺たち全員で無事に帰ってくる。

 俺が、フレアが、テトラが、リーシアが、アイリスが、アルトが、リーンが。

 全員で笑顔を浮かべられるようにも。



「じゃあ、そろそろ行くか」

「そうだね、アイク!」

「うん、がんばる」

「ついていきます、ご主人様!」



 そして俺たちはヒュドラ討伐を目指し、グレイス宅を出発した。

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