第3話 第二の精霊(その一)
スクルージは、自分の発する怖いぐらいに大きないびきで目を覚ました。そして彼は、ベッドから体を起こして頭を少し振り、完全に目を覚まそうとした。というのは、もうそろそろ時を告げる鐘が夜の一時を打つ頃だと分かっていたからだ。
ジェイコブ・マーレーの言っていた次に来る精霊を出迎え、交渉するには、ぎりぎりの時間に起きてしまったとスクルージは思った。しかし、今度の精霊はベッドの周りのどのカーテンを引き寄せて入って来るのだろうかと、それが気になりだすと、どうも気味の悪い寒さを背中に感じたので、彼は自分の手でカーテンを残らずわきへ寄せた。それからまた横になると、鋭い目をベッドの周囲に放ちながら、じっと警戒していた。というのは、今度は彼のほうから精霊が出現するその瞬間に、戦いを挑んでやろうと思ったからだ。
スクルージは、また不意打ちされないようにと、冷静さを保った。
時を告げる鐘が夜中の一時を打っても、何の姿も現れなかった時、なんともいえない恐怖で体が震えた。
五分、十分、十五分と経っても、何一つ出てこない。その間、スクルージは、ベッドの天井で、赤々と燃え立つような光を浴びながら横になっていた。
その光は、教会の鐘が夜中の一時を告げた時に、そのベッドの天井から流れだしたものである。そして、それがただの光であって、しかもそれが何を意味しているのか、何をどうしようとしているのか、さっぱり理解ができなかったので、スクルージにとっては、前の夜中に来た最初の精霊の時よりも困惑していた。
スクルージはよくよく考えて、その怪しい光の出所が壁一枚隔てた隣の部屋にあるのではないか、そして、光の射してくる方向をたどると、どうもその隣の部屋のドアからもれているのではないかとの考えに達した。そこで、彼は、ベッドから起き上がり、スリッパをはいて、隣の部屋のドアの方に恐る恐る歩み寄った。
スクルージの手が、隣の部屋のドアの鍵にかかったその瞬間、耳慣れぬ声が彼の名前を呼んで、彼に中に入れと命じた。思わず彼はそれに従った。
そこはスクルージの部屋だった。そのことについては疑う余地がなかった。ところが、そこは驚くべき変化をしていた。
部屋には、壁にも天井にも生々した緑の葉が垂れ下がって、完璧な森のように見えた。そして、いたる所に明るく輝く果物が、まるで露のようにきらめいていた。
柊(ヒイラギ)やヤドリギやツタのさわやかな葉が光を照り返して、さながら無数の小さな鏡がちりばめられているように見えた。
スクルージが住んでいる時でも、マーレーが住んでいた時でも、また、なん十年という過ぎ去った冬の間にも、この石と化したように忘れ去られた暖炉が、今まで経験したことのないような、それはそれは盛んな火炎を煙突の中へゴウゴウと音を立てて燃え上がらせていた。
七面鳥、ガチョウ、獲物、家禽、野猪肉、肉の大きな関節、仔豚、ソーセージの長い環、ミンチパイ、プラムプッディング、カキの樽、赤く焼けている栗、桜色の頬のようなリンゴ、ジューシーなオレンジ、甘くて美味しそうな梨、巨大な十二段のケーキ、泡立っているパンチボールなどがそれぞれの美味しそうな湯気を部屋中にあふれさせ、一種の玉座を形造るように、床の上に積み上げられていた。そして、その頂にあるソファの上に、見るも愉快な、陽気な巨人がゆったりとかまえて座っていた。
巨人は、その形からして豊穣の角に似ている一本の燃え立つトーチを片手に持っていたが、スクルージがドアの後ろから覗くようにして入って来た時、その光を彼に振りかけようとして、高くそれを差し上げた。
「来なさい!」と、巨人は叫んだ。
「来なさい! そして、もっとよく私を観察すればいい、旦那!」
スクルージは、まるで他人の家に来たように、おずおずと入って、この巨人の前に頭を下げた。その姿は今や以前のような強情な彼ではなかった。だから、巨人の目は明らかに親切だったけれど、巨人がそれに満足しているような好意はなかった。
「私は現在のクリスマスを盛り上げる精霊だ」と、精霊は言った。
「私をよく見るんだ」
スクルージは、恐る恐る精霊の座る高台を見上げた。
精霊は、白い毛皮で縁取った、濃い緑色の簡単なローブ、あるいはマントのようなものを身にまとっていた。その衣装は体にふわりとかけてある感じがした。そして、それ以外はなにも身につけていない裸のようで、大きい胸板が見えていた。
精霊は、それ以外の衣装など必要ないといった野生的な雰囲気をかもしだしていた。
衣装のすその深いひだの下から見えているその足も、やはり素足だった。ただ、その頭には、いたるところにピカピカ光るつららの下がっている柊の花で作った冠があった。
精霊のこげ茶色の巻き毛は長く、そしてゆるやかに垂れていた。ちょうどそのにこやかな顔、キラキラしている目、開いた手、元気のよい声、くつろいだ態度、楽しげな雰囲気のように無造作だった。
よく見ると、精霊の腰の周りには古風な刀の鞘をさしたベルトを巻いていた。しかし、その鞘の中に剣はなかった。しかもその古い鞘はサビてぼろぼろになっていた。
「旦那はこれまで私のような姿を見たことがないんだ!」と、精霊は、驚いたように叫んだ。
「もちろん、ございません」と、スクルージはそれに応えた。
「私の一族の若い者達と一緒に歩いたことがなかったかい? 若い者達といっても、(私はその中で一番若いんだから)この近年に生まれた私の兄さん達のことを言っているんだが」と、精霊は聞いた。
「そんなことがあったようには覚えてませんけど」と、スクルージは応えた。
「どうも残念ながら一緒に歩いたことはなかったようでございます。ご兄弟が沢山いるのですか? 精霊様」
「千八百人以上はいるよ」と、精霊は応えた。
「恐ろしく沢山のご一族ですね。食べさせていくにも・・・」と、スクルージは口の中でつぶやいた。
おもむろに精霊は立ち上がった。
「精霊様!」と、スクルージは率直に言った。
「どこへでもお気の向いた所へ連れて行って下さいませ。昨夜は、しかたなくついて行きましたが、その体験で、私の心にしみじみ感じることのできる教訓を学びました。今夜も、何か私に教えて下さるのなら、どうかそれによって有益な時間にして下さいませ」
「私のローブに触ってごらん!」と、精霊は言った。
スクルージは言われたとおりにした。そして、しっかりと精霊のローブを握った。
柊、ヤドリギ、赤い果実、蔦、七面鳥、ガチョウ、獲物、家禽、野猪肉、獣肉、豚、ソーセージ、カキ、パイ、プッディング、果物、パンチボール、これらすべての物が瞬く間に消えさってしまった。
同じように部屋も、そこにあった暖炉も、赤々と燃え立つ炎も、夜の時間も消えてしまって、精霊とスクルージは、クリスマスの朝の街頭に立っていた。
街頭では人々が、家の前の歩道や屋根の上から雪かきをして、雑然とした、しかし、不快でない活発な一種の音楽を奏でていた。
屋根の上から下の道路へバサバサと雪が落ちてきて、人工の小さな雪崩となって散乱するのを見て、少年たちが狂喜していた。
地上の雪の降り積った表面は、荷馬車や荷車の重たい車輪に踏み潰されて、深いわだちを作っていた。それは、何筋にも大通りの分岐したところで、何百ものくい違った上をまたくい違って、厚い黄色の泥や氷のような水の中に、跡をたどるのが困難で複雑な深い溝になっていた。
鶏肉屋の店はまだ半分開いていた。
果物屋の店は今が盛りと華やかさを競って照り輝いていた。そこには大きな円いポット腹の栗のカゴがいくつもあった。それに、スペイン種の玉ねぎがあって、梨やリンゴなどが派手なピラミッドのように高く盛り上げられていた。また、その店の軒先からは、ぶどうの房が、店主の好意で、通りすがりの人が無料で口に水分を潤すようにと、人目につくフックにぶら下げられていた。そこにはまた、茶色をした榛(はしばみ)の実がコケをつけ、山と積み上げられていた。
果物屋の店主の前には果肉が厚く色の黒ずんだノーフオーク産のリンゴがあって、オレンジやレモンの黄色を引き立たせたり、その水気の多い熟した物を、早く紙袋に包んで持ち帰って、食後にどうぞとしきりに声をかけ薦めていた。
こっちの食料品屋!
あっちの食料品屋!
おそらくこの二つの店は、ほぼシャッターを閉めているので、いずれも閉じようとしていた。しかし、その隙間からだけでも、にぎやかな光景がいたるところに見えている!
そうした中、まもなく方々の尖塔の鐘は、教会や礼拝堂にすべての善い人達を呼び集めるために鳴り響いた。
彼らは、最高の服で街中を群れながら、とても愉快そうな顔をそろえて、ゾロゾロと集まって来た。それと同時に、あちらこちらの横道、小道、名もない片隅から、無数の人々が自分達の夕食をもらいに、売れ残った食材で料理をふるまうパン屋などの店々へ向かって行った。
これらの貧しい人々の楽しそうな光景は、とても精霊の興味をひいたらしく、精霊は一軒のパン屋の出入り口に、スクルージをそばに呼んで立っていた。そして、彼らが夕食を持って通るたびに、ふたを取って、トーチからその夕食の上に香料を振りかけてやった。
精霊の持つそのトーチは、普通のトーチではなかった。というのは、一度か二度、夕食をもらいに来た人達がお互いに押しのけあってケンカを始めた時、精霊はそのトーチから彼らの頭上に二、三滴の水を振りかけた。すると、彼らはたちまち元通りのよい機嫌になったのだ。そして、彼らは口々に、そうだクリスマスの日にケンカするなんて恥かしいことだと言いあった。
「精霊様のお持ちのトーチは、何でもできるすばらしい道具ですね」と、スクルージは精霊の持っていたトーチを褒め称えた。
「旦那は、そう思うかね?」と、精霊は聞いた。
「はい。そのトーチから振りかけていらっしゃったものには、なにか特有の味でもついているのですか?」と、スクルージは聞いた。
「それが今日のどんな夕食にでもよく合うのでしょうか?」
「最も貧しい者に、親切心から与えられた料理にはね」と、精霊は応えた。
「なぜ、最も貧しい者に?」と、スクルージは聞いた。
「そうした者は最も善意を必要としているからね」と、精霊は応えた。
やがて街中に響いていた鐘の音は静まりかえった。そして、パン屋の店も閉じられた。
どこのパン屋でも、そのオーブンの辺りの雪が溶けて濡れた場所には、貧しい人々に与えられた夕食に出された料理の残り香が、良い音楽の余韻のように残されていた。そこでは、まるで石まで料理されているように、舗道の石畳が湯気を立てていたのである。
「精霊様!」と、スクルージはちょっと考えた後で言った。
「私たちの周囲の色々な世界のありとあらゆる存在の中で、最も賢明な精霊様が、商売の邪魔をしていらっしゃることは、私にはどうも不思議でなりません」
「私が!」と、精霊は叫んだ。
「七日間にわたって精霊様は、食事を提供している店の商売を邪魔していらっしゃるのですよ。彼らにとってこの一週間こそ最も稼げる日なのです」と、スクルージは言った。
「そうじゃありませんか?」
「私がだと!」と、精霊は叫んだ。
「精霊様は七日間にわたって、貧しいからといって、他の料理屋より美味しい料理を無料で与えていては、誰も他の料理屋へは寄りつかなくなります。その結果、商売をできなくしているのです」と、スクルージは言った。
「だから、同じことになるんですよ」
「それで私が商売の邪魔をしていると言うのかい?」と、精霊は大きな声で聞いた。
「間違っていたらお許しください。ですが、クリスマスというのは、一年でも特に稼ぎ時なのです」と、スクルージは応えた。
「人間にとって食事とはなんだ? 生きていくうえで欠かすことのできないことじゃないのかい? 料理は生きていくためのいわば道具だ。道具はそれを必要としている者に公平に与えられるものだ。それを独り占めにしたり、他人には使わせず、捨ててしまっていいものではないだろ。売り物にすることじたいが間違っているんじゃないかい?」と、精霊は聞いた。
「たしかにそうですが、それを商売にして食事にありついている者がいることも事実です」と、スクルージは応えた。
「旦那、この世の中にはね」と、精霊は話し始めた。
「私達を知っているような顔をしながら、自分勝手な目的のためだけに、クリスマスの名前を利用して商売している者がいるんだよ。しかも彼らは、私達や、私達の一族には一面識もない奴らなんだよ。これはよく覚えておいてもらいたいね。彼らのしたことについては、彼らを責めるべきだろ。そのことで私達を批判してもらいたくないものだね。いいかい旦那、私のやっていることは、このトーチという道具を使って気づかせているにすぎないんだよ。お腹を空かせていれば、どんな料理だって美味しいと感じる。争うことの愚かさやむなしさを気づかせているだけだ。道具は使い方しだいだ。どんな道具でも使い方を間違えたり、使わなければ役には立たない。このトーチは何でもできるわけじゃないんだよ。トーチを良くも悪くもするのは、私自身の使い方にあるんだ。食事を提供することを商売にするのなら、もっと料理という道具の使い方を工夫するべきだ。それが人間の知恵というものじゃないかね? そういう旦那はどうだい。お金という道具を集めているだけで、使ったことはないだろう」
スクルージは、まだ納得はしていないようだったが、反論はしなかった。
それから精霊とスクルージは、最初の精霊と行動した時と同じように誰にも姿が見えない状態で、町の郊外へ向かって行った。
精霊には大きな特質があった。
精霊は、その巨大な体にもかかわらず、どんな場所でも楽々とその体を適応させることが出来た。そして、精霊は低い屋根の下でも、どんなに天井の高い広間にいても違和感がなく、優雅に、そのうえいかにも超自然の生物のように立っていた。
精霊がまっすぐにボブ・クラチェットの家へスクルージを連れて行ったのは、おそらくこの精霊が自分の力を披露することに喜びがあるのか、それとも精霊の持って生れた親切にして慈悲深い、誠実なる性格と、すべての貧しい者に対する同情のためかだった。それは、精霊がスクルージの最も近くで、貧しく虐げられている者がいることを知っていて、スクルージにそれを気づかせるためだったからだ。
ボブの家の玄関前に立った精霊は、ニッコリと笑って、持っていたトーチから、あのしずくを振りかけながら、ボブの家族を祝福した。
その頃、クラチェット夫人、つまりボブの奥さんは、二度も裏返しにした粗末なガウンで、すっかり身なりを整え、そのうえ、6ペンスという安さにしては良く見えるリボンで華やかに飾り立てていた。
クラチェット夫人は、これもまたリボンで飾り立てている次女のベリンダに手伝ってもらい、テーブルクロスをひろげた。その一方では、長男のピーターがジャガイモを茹でている鍋の中にフォークを突込んだ。
ピーターは、恐ろしく大きなシャツ(この日のためにと、ボブが跡継であるピーターにプレゼントした大切な服だ)の襟の両端を自分の口の中にくわえながら、自分としてはいかにも華々しくおしゃれをしたのが嬉しくて、すぐにでも友達の集まる公園に出かけて自分のシャツを見せたくてしかたなかった。
その他の二人のクラチェット達、つまり、次男と三女とは、パン屋の近くでガチョウの香りがするのに気づいたが、それは自分達のだと分ったと言って、キャッキャと叫びながら家に帰って来た。そして、これらの若いクラチェット達はサルビヤや玉ねぎなどと贅沢な料理を想像しながら、テーブルの周囲を踊り回って、ピーターの着ていたシャツを見て、口をそろえて褒めたたえた。
「それはそうと、お前達のだいじなお父さんはどうしたんだろうね?」と、クラチェット夫人は言った。
「それからお前達の弟のティムもだよ! それからマーサも去年のクリスマスには三十分ぐらい前に帰って来ていたのにねえ」
「マーサが戻りましたよ、お母さん!」と、言いながら、長女のマーサがそこに現われた。
「マーサが帰って来たよ、お母さん!」と、次男と三女が叫んだ。
「やったあ! こんなガチョウがあるよ、マーサ!」
「まあ、どうしたというんだね、マーサ。ずいぶん遅かったねえ!」と、言いながら、クラチェット夫人は何度も彼女にキスしたり、あれこれと世話をしたがって、マーサのシォールや帽子などを脱がしたりした。
「昨夜(ゆうべ)のうちに仕上げなければならない仕事が沢山あったのよ」と、マーサは応えた。
「そして、今朝はまたお掃除をしなければならなかったの、お母さん!」
「ええ、ええ、帰って来てくれたんだもの、もうなにもいうことはないんだよ」と、クラチェット夫人は言った。
「暖炉の前に座りなさい。そして、まずお暖まり。本当によかったねえ」
「だめだ。だめよ。お父さんが帰って来られるところだ」と、どこへでもでしゃばりたがる次男と三女がどなった。
「隠れて。マーサ、隠れてて」
マーサは言われるままに隠れた。そして、お父さんのボブは、少しして、毛糸のマフラーを、ふさを除いて少くとも3フィートはだらりと垂らして、この季節に見栄えが良いようにと、とびっきりの着古した服にブラシをかけ、そして、病弱な末っ子のティムを肩車して戻って来た。
かわいそうで病弱なティムよ。彼は、鉄のギブスで手足を固定し、小さな松葉杖をついて支えていた。
「あれ、マーサはどこにいるんだい?」と、ボブは辺りを見回しながら聞いた。
「まだ帰ってませんよ」と、クラチェット夫人は応えた。
「まだ帰っていないのか!」と、ボブは今まで元気だったのが嘘のように、急にがっかりして言った。
「クリスマスだというのに、まだ帰っていないのか!」
マーサは、たとえ冗談にしても、父親が失望しているのを見たくなかった。それで、まだ早いのにクローゼットのドアの陰から出て来た。そして、ボブの両腕の中に走り寄った。
クラチェット夫人は、クスクス笑いながら、ボブが簡単に人の言うことを本気にするのをひやかした。
「ところで、ティムはどんな様子でした?」と、クラチェット夫人は聞いた。
ボブは、おもいっきりマーサを抱きしめていた。
「立派な子だよ」と、ボブは応えた。
「長い時間、一人でイスに座て、どういうわけか考え込んでいたんだ。そして、誰も今まで聞いたこともないような奇妙なことを考えているんだよ。帰り道で、私にこう言うんだ。教会の中で皆が僕を見てくれればいいと思った。なぜなら僕の体が不自由なのを見れば、皆は元気なことを神様に感謝する。それで、僕に手をさしのべる気になて、僕は感謝の気持ちを込めて歌を唄えば、皆も気分がよくなる。すると、もしクリスマスの日に、皆が体の不自由なホームレスや盲目の人が歩いているのを見かけたら、僕のことを思い出して手をさしのべるのが習慣になれば、街中が幸福に包まれ、楽しくなるだろうからと言うんだよ」
クラチェット夫人にこの話をした時、ボブの声は震えていた。そして、病弱なティムが強い心に成長したと言った時には、もっと震えていた。
ティムが動き回る時の小さな松葉杖の音が床の上に聞こえた。そして、ボブの次の言葉がまだ言いだされないうちに、ティムは兄や姉の助けを借りて、もう暖炉のそばの自分のイスに戻って来た。
その間、ボブは服の袖をまくり上げて、ジン酒にレモンを加えて、それをグルグルとかき回してから、とろ火で煮るためにコンロの上に置いた。
ピーターと二人のちょこまかしていた次男と三女は、ガチョウを店に取りに出かけたが、間もなくそれを高々と持ち、行列になって帰って来た。
そのようなにぎやかさを見れば、あらゆる鳥の中でガチョウが最も貴重だと思うかもしれない。そう思わせるような出来事がクラチェット家では起きるのだ。
この時代のクリスマスといえば、七面鳥の料理が食べられるようになっていたのだが、まだ貴重で高価だったので買うことのできないクラチェット家では、昔からクリスマスに食べられていた、安くて、それも痩せこけたガチョウがいつものようにメインの料理になっていた。
もっとも、一番高級な黒鳥だろうが、ガチョウだろうが、どちらも羽を生やした鳥にはかわりない。
クラチェット夫人は、グレイビーソースをシューシューと音をさせながら煮立たせた。
ピーターは、ほとんど信じられないような力で茹で上がったジャガイモを突きつぶした。
ベリンダは、アップル・ソースに甘味をつけた。
マーサは、湯から出したての熱い皿をふいた。
ボブは、テーブルの片隅に座っているティムのそばにイスを寄せて座った。
次男と三女は、皆のためにイスを並べた。皆という中にはもちろん自分達のことも忘れはしなかった。そして、それぞれの席についた。
やっとお皿が並べられた。
食事前のお祈りも済んだ。それからクラチェット夫人がカービングナイフを手にとって、ゆっくりと見ながら、ガチョウの胸に突き刺そうと身構えた時、家族全員、息を止めてパタリと静かになった。それで、それを突き刺した時には、そして、長い間、待ち焦れていた詰め物がどっとあふれ出た時には、テーブルの周囲から割れるような歓声が一斉にあがった。
あのティムでさえ、次男と三女に励まされて、自分のナイフの柄でテーブルを叩いたり、弱々しい声で「やったー!」と、叫んだりした。
こんなガチョウは決してありえなかった。
「こんなガチョウが今までに料理されたことなどありえないぞ」と、ボブは言った。
その軟かさといい、香りといい、大きさといい、安いことといい、すべてのことが賞賛にあたいしていた。
アップル・ソースとマッシュポテトがそろえば、家族全員で食べるのに十分のごちそうだった。
クラチェット夫人が、皿の上に残った小さな骨の破片をしみじみと見ながら、とても嬉しそうに言ったとおり、彼らは最後までそれを食べ尽くしたのだ!
痩せこけたガチョウの料理だったが、それでも一人一人が満腹になった。
今度はベリンダが皿をとり換え、クラチェット夫人がプディングを持って来ようと、一人でその部屋を出て行った。
おおぅ!
素晴らしい湯気だ!
プディングは鍋から取り出された。
一分と経たないうちに、クラチェット夫人は、皆が待ちかまえている部屋に戻って来た。彼女は恥ずかしそうだが、しかし、誇らしげな笑顔をしていた。
プディングには、酒瓶の半分ぐらいのブランディが含まれていたので、火が点けられ、ボッボッと燃え立っている。そして、そのてっぺんにはクリスマスの柊を突き刺して飾り立てられていた。
おお、素敵なプディングだ!
ボブ・クラチェットは、しかも冷静に、自分はそれを結婚以来、クラチェット夫人が達成した最大の成功だと思うと語った。
クラチェット夫人は、心の重荷が降りた今では、自分は実は粉の分量について不安を抱いていたことをうちあけた。
誰もがプディングについて、ああだこうだと言いあった。しかし、誰もそれが大人数の家族にとっては、どうみても小さなプディングだと言う者はなく、そう考える者もいなかった。
クラチェット家の者で、そんなことを口ばしって、母親に恥をかかせる者は一人だっていなかった。
とうとう夕食がすっかり終わった。
テーブルクロスはきれいに片づけられた。
暖炉も掃除されて、火が焚きつけられた。
ポットのカクテルは味見をしたところ、完璧で、リンゴとオレンジがテーブルの上に置かれ、シャベルに一杯の栗が火の上に載せられた。
それからクラチェットの家族は、暖炉の周囲に集った。そして、ボブの手元近くには家中のグラスというグラスが飾り立てられた。それは、水飲みのコップ二個と、柄のないカスタード用コップ一個だけだったけれど。これらの容器は、それでも、黄金の大盃と同じ様にポットから熱いカクテルをなみなみと受け入れた。
ボブは、晴れ晴れしい顔つきでそれを注いでいた。その間、火の上にかかった栗はジュウジュウと汁を出したり、パチパチと音を立てて割れた。
それから、ボブは家族全員に促した。
「さあ皆、私達にクリスマスおめでとう。神様、私達を祝福して下さいませ」
家族全員でそれを復唱した。
「神様、私達の一人一人に祝福を」と、皆の一番最後に病弱なティムが言った。その彼は、ボブのそばにくっついて自分の小さなイスに座っていた。
ボブは、ティムのやつれた小さい手を自分の手で握っていた。それは、あたかもこの子がかわいくて、しっかり自分のそばに引きつけておきたい。もし誰かが自分の手許から引き離しはしないかと気にかけているようだった。
「精霊様!」と、スクルージは今までに思ってもみない興味を感じながら聞いた。
「あの病弱なティムは生きていけるか教えてください」
「私には空いた席が見えるよ」と、精霊は応えた。
「あの貧しい暖炉のそばで、これらの幻影が未来の手で消されることがなく、このまま残っているものとすれば、その松葉杖は主を失い、それを大切に使い続けていたあの子は死ぬだろうね」
「ダメです。ダメですよ」と、スクルージは言った。
「ああ、お願いです、親切な精霊様。あの子は助かると言ってください」
「ああいう幻影は、未来の手で消されないと、そのまま残ってしまうんだよ」と、精霊は断言した。
「いずれあの子の姿は、ここで見つけられないだろうよ。で、それがどうしたというのだい? あの子が死にそうなら、いっそ死んだ方がいい。そして、過剰な人口を減らした方がいい」
スクルージは、精霊が、以前、商会にやって来た二人の紳士との会話で言った自分の言葉を引用したのを聞いて、頭をうな垂れた。そして、後悔と悲嘆の気持ちで胸が締めつけられた。
「旦那」と、精霊は言った。
「旦那の心が石なら仕方ないが、少しでも人間らしい心を持っているのなら、過剰とは何か、またどこにその過剰があるのかを自分でみきわめないうちは、あんなよくない口の利き方はつつしんだほうがいいぞ。どんな人間が生きるべきで、どんな人間が死ぬべきか、それを旦那が決定しようというのかい? 天の眼から見れば、この病弱で力のない子供のような何百万人よりも、まだ旦那の方がもっとくだらない、もっと生きる値打ちのない者かも知れないのだぞ! この家族をよく見ろ。旦那には、お金もない貧乏人の家族にしか見えないかもしれないが、ここには暖かい心を持った家族が力を合わせて暮らしている。それに比べて、旦那の家はどうだい。お金はあっても心を通わせる者は誰もいない。そのほうがよっぽど貧しいと思わないかい?」
スクルージは、精霊の非難の前に言葉がなく、顔を上げることができなかった。ただただ、震えながら地面の上に目を落としていた。しかし、自分の名前が呼ばれるのを聞くと、急いでその目を上げた。
「スクルージさん!」と、ボブは言った。
「今日のごちそうの提供者であるスクルージさん。私は貴方のために祝盃を捧げます」
「ごちそうの提供者ですって! 本当にねえ」と、クラチェット夫人は真っ赤になりながら怒りをあらわにした。
「本当に、この辺りにでもあの人がおいでになって、よくご覧になればいい。そしたら、腕によりをかけた『ごちそう』を作って、おもてなししてあげるのにねえ! まあ、あの人のことだから、何も気にせず、美味しがってムシャムシャ食べることでしょうよ」
「ねえ、お前」と、ボブは言った。
「子供達がいるんだよ! それにクリスマスだよ」
「たしかにクリスマスに違いありませんわね。スクルージさんのように、人を遠ざけ、そのくせお金だけとは仲良しで、禁欲で、分け与えることをしらない人のために祝盃を捧げてあげるんですから」と、クラチェット夫人は言って、涙声になった。
「私達は貴方がどんな辛い思いをして仕事をしているか知っているわ。私達は貴方にこそ祝杯を捧げたいのよ」
「ねえ、お前」と、ボブは穏かに話した。
「今は不景気だから、どこも大変なんだよ。私のような者が仕事をさせてもらえるだけでもありがたいことなんだよ」
「それは貴方にその能力があるからよ。あのスクルージさんが、なんの能力もない人に報酬を払って、長い間、雇うわけがないじゃありませんか」と、クラチェット夫人は涙ぐんで言った。
「クリスマスだよ」と、ボブはなぐさめた。
「私は、皆のためならどんなに辛いことでも耐えられる。だけどね、そんなに辛いことはないんだよ。たしかに、スクルージさんは人には理解されないことがあるけど、それは、このティムと同じなんだよ。この子の体の辛さはこの子にしか分からないように、スクルージさんの心がティムの体と同じ状態なんだ。だから、誰かが手をさしのべてあげないといけないんだよ。そうだったよね、ティム」
ティムは、ニコッと笑いながらうなづいた。
「私も貴方のために、また今日のよい日のためにスクルージさんの健康を祝います」と、クラチェット夫人は言った。
「あの人の心を手助けするために。彼の寿命永かれ! クリスマスおめでとう、新年おめでとう! あの人の心に貴方の気持ちが届きますように! こうして、皆が愉快で幸福でいられるのもあの人のおかけですものね。たぶん」
子供達は母親にならって祝盃を捧げた。彼らには納得のできないこともあったが、悪い気はしなかった。
病弱なティムも一番最後に祝盃を捧げた。それは心のこもった祝盃だった。
スクルージは実際、この家族にとっては厄介者だったのだろう。それは、彼の名前が口にされてからというもの、部屋中に暗い影が漂ったからだ。そして、それはまる五分間も消えずに残ってい
た。
ボブ・クラチェットは、ピーターのために一つの仕事先の心当りがあることや、それが叶ったら、毎週5シリング半の報酬が得られることなどを全員に話して聞かせた。
弟の二人のクラチェット少年達はピーターが実業家になるんだと言って、大変な喜びようだった。そして、ピーター自身は、その幻惑させるような報酬を受取ったら、何かに投資しようと考え込んででもいるように、シャツの襟に首をすくめて暖炉の火を考え深く見つめていた。
続いて、婦人用帽子店の貧しい見習い店員だったマーサは、自分がどんな種類の仕事をしなければならないかとか、何時間働かなければならないかとか、明日は休日で一日自宅にいるから、明日の朝はゆっくり休息をするために朝寝坊をするつもりだなどということを話した。また、彼女は数日前、一人の伯爵夫人と一人の華族様とを見たが、その貴公子は「ちょうどピーターと同じぐらいの背の高さだった」と、話した。
その間、栗とポットとは、たえずグルグルと回されていた。
やがて家族全員は、ティムが、雪の中を旅して歩く迷子のことを詩にした歌を唄うのを聞いた。それを唄う彼は、悲しげな小さい声を持っていた。だけど、それをとても上手に唄った。
ボブのような家族のことは、一般的で特にとりたてて言うほどのことは何もなかった。
彼らは立派な家族ではなかった。
彼らはよい服を着てはいなかった。
彼らの靴は防水からはほど遠かった。
彼らの服はつぎはぎだらけだった。
けれども、彼らは幸福であった。
感謝の気持ちに満ちていた。
お互に仲がよかった。そして、今日に満足していた。
それで、彼らの姿がぼんやりと淡くなって、しかも別れぎわに精霊が、いつものようにトーチから振りかけてやった少量のしづくで、もっと幸せに見えた時、スクルージは目をそらさずそれらを見ていた。特に病弱なティムを最後まで見ていた。
続く
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