第2話 第一の精霊

 スクルージが目を覚ました時には、ベッドから外の方を見ても、その部屋の不透明な壁と透明な窓ガラスとの見分けがほとんどつかないぐらいに暗かった。その時、近郊の教会の鐘が十五分を告げる時の音を四回鳴らした。


 スクルージがすごく驚いたのは、重い鐘が六つから七つと続けて鳴り、七つから八つと続けて鳴ると、正確に十二まで続けて鳴って、そこでピタリと止んだことだ。


 夜中の十二時! 

 スクルージがベッドについた時には夜中の二時を過ぎていた。

 時計が狂ってるんだ。

 機械の中にツララが入り込んだのに違いない。

 夜中の十二時とは!


 スクルージは、このでたらめな時計に惑わされまいと、自分の懐中時計の時報スプリングに手を触れた。その急速な小さな鼓動は十二回鳴り、そして止まった。


「何だって」と、スクルージは言った。

「まる一日寝過ごして、次の日の夜中まで眠っていたなんて! そんなことはあるはずがない。だけど、何か太陽に異変でも起って、これが昼の十二時だということもないだろう!」

 そうだとすれば大変なことなので、スクルージはベッドから飛び起きて、探り探り窓のところまで行った。ところが、窓ガラスに霜がつき、何も見えないので、やむを得ずガウンの袖で霜をはらい落した。すると、ほんの少しだけ外を見ることが出来た。


 スクルージがやっと見分けることの出来たのは、まだ非常に霧が深く、耐えられないほど寒い光景だけで、大騒ぎをしながらあちらこちらへと走り回っている人々の物音などは少しもなかったということだった。


 スクルージは、またベッドに入った。そして、この状況を考えた。考えて考えて、いくら考えてもさっぱり訳が分らなかった。

 考えれば考えるほど、いよいよ混乱してしまった。

 忘れようとすればするほど、ますます考えざるを得なかった。

 マーレーの亡霊はいちいちスクルージを悩ませた。

 スクルージは、よくよく考えたあげく、それはまったくの夢だったと思い込もうとするたびに、心は強いバネが放たれたように、また元の位置に飛び返って「夢だったのか? それとも夢じゃなかったのか?」と、始めからやり直すように同じ悩みがよみがえった。


 鐘がさらに十五分の時の音を三回鳴らすまで、スクルージはなすすべもなくベッドで横になっていた。そして、突然、鐘が夜中の一時を鳴らした時には、マーレーの亡霊が「最初の精霊が来るから覚悟するように」と、忠告していったことを思い出した。彼はその時間が過ぎてしまうまで、目を開けたまま横になっていようと決心した。


 それからの十五分は非常に長くて、スクルージは一度ならず、思わず、うとうととして、時計の音を聞きもらしたに違いないと思ったくらいだった。とうとうそれが彼の用心深くなっていた耳に突然、鳴り響いてきた。


「ディン、ドン!」


「十五分過ぎ!」と、スクルージは数えながら言った。


「ディン、ドン!」


「三十分過ぎ!」と、スクルージは言った。


「ディン、ドン!」


「もうあと十五分」と、スクルージは言った。


「ディン、ドン!」


「いよいよだ!」と、スクルージは身構えて言った。

「しかし何事もない!」


 スクルージは、時の音が鳴らないうちにそう言った。だけど、その鐘は今や深く鈍い、うつろで陰うつな、夜中の一時を告げた。

 たちまち部屋中に光が点滅して、ベッドのカーテンが引き開けられた。


 スクルージのベッドのカーテンはわきへ引き寄せられた。そして、彼は、飛び起きてベッドに座った状態で、カーテンを引いたその人間ならぬ訪問客と対面した。


 それは不思議な得体だった。

 子供のような体で、しかも子供に似てるというよりは老人に似てるといった方がいいかもしれない。一種の超自然的なフィルターを通して見ているようで、だんだん視界から遠のいていって、子供の身長にまで縮小された姿をしているといったような、そういう老人に似ているのである。そして、その得体の首のまわりや背中の方に垂れ下がっていた髪の毛は、年齢のせいでもあるかのように白くなっていた。しかし、その顔には一筋のしわもなく、皮膚はみずみずしい子供のつやを持っていた。腕は非常に長くて筋肉がたくましかった。手も同様で、並々ならぬ握力を持っているように見えた。きわめて繊細に造られたその脚も足先も、腕と同じく露出していた。

 得体は純白のガウンを身に着けていた。そして、その腰の周りには光沢のあるベルトを締めていたが、その光沢はとても美しいものだった。また、得体は手に生々した緑色の柊(ヒイラギ)の一枝を持っていた。その冬らしい装いとは妙に矛盾した夏の花で、その姿を飾っていた。しかし、その得体の身のまわりで一番不思議なものといえば、その頭のてっぺんからまばゆい光りが噴出していることだった。その光りのために暗い部屋でも細かい部分まですべて見えたのである。そして、その光りを得体が、もっと鈍くしたい時には、絶対に今はその脇の下にはさんで持っている大きなランプシェードのような物を帽子のように使用するのだ。


 やがてスクルージが、落ち着いてその得体を見た時、そのベルトの今ここがピカリと光ったかと思うと、次には他の所がピカリと輝いたり、また今明るかったと思う所が次の瞬間にはもう暗くなったりするにつれて、同じように得体の姿それ自体も、今一本腕の化物になったかと思うと、今度は一本脚になり、また二十本脚になり、また頭のない二本脚になり、また胴体のない頭だけになるというように、そのはっきりした部分が始終揺れ動いていた。そして、それらの消えていく部分は濃い暗闇の

中に溶け込んでしまって、その中にあると、輪郭すら見えなくなるのだ。また、それを不思議だと思っているうちに、得体は再び元の姿になるのだ。元のようにはっきりとした姿にだ。それは霊的なものというよりも異星人のほうがイメージしやすいかもしれない。


「貴方が、あの来られると言われた精霊様でいらっしゃいますか?」と、スクルージは聞いてみた。


「そう!」と、精霊は応えた。


 その声は静かで優しかった。

 精霊が耳元でささやいたという感じではく、かなり離れた場所から高い声で喋っているように聞こえた。


「貴方は誰で、またどんな方でいらっしゃいますか?」と、スクルージは聞いた。


「私は過去のクリスマスの精霊だよ」と、精霊は応えた。


「ずっと昔の過去ですか?」と、スクルージはその小人のような身長を観察しながら聞いた。


「いや、あんたの過去だよ」と、精霊は応えた。


 スクルージは、その精霊に帽子を被せて見たいものだという特別な望みを抱いた。それで、精霊が持っていた大きなランプシェードのような物を被るように精霊に頼んだ。


「何だと!」と、精霊は叫んだ。

「あんたはもう、なれなれしくなり、せっかく私があんたらを暗闇から開放してやっている灯火を消そうと言うのか。私が持っているこのキャップは多くの者の欲望で出来ている。そして、長い年月の間、ずっと私の重荷となり、邪魔をしていたものだ。あんたもその一人だが、いい加減にしてもらいたいね」


 スクルージは、けっして精霊を怒らせるつもりはなかった。また、自分は生涯、いつ何時も、わざと精霊を侮辱したりはしないと、恐縮して言い訳をした。それから彼は、話題を変えて、どういう理由でここへやって来たのか聞いてみた。


「あんたの幸せのためにだよ」と、精霊は応えた。


 スクルージは感謝の気持ちをあらわした。しかし、一夜を邪魔されずに休息した方が、もっと幸せだったろうと考えずにはいられなかった。

 精霊はスクルージがそう考えているのが分かっているらしかった。というのは、すぐにこう言ったからである。

「じゃ、あんたの改心のためだよ。さあいいか!」

 こう言いながら、精霊はその頑丈な片手を前に上げ、スクルージの腕をそっとつかんだ。

「さあ立て! 一緒に歩くんだよ」


 天気が悪く、こんな夜中に歩くのは困難だと言い訳したり、ベッドが暖かく、温度計が氷点下以下になっていると説明したり、自分はスリッパとガウンとナイトキャップしか着けていないと訴えたり、それに自分は今、風邪をひいていると反抗しても、それらはスクルージを助けるのに、なんの役にも立たなかっただろう。


 スクルージをつかんだ精霊の手は、女性の手のように優しかったが、その握力には抵抗できそうもなかった。

 スクルージは立ち上がった。しかし、精霊が窓の方へ歩み寄ったので、彼は精霊のガウンにすがりついて泣き出しそうに言った。

「私は生身の人間でございます」と、スクルージはもっともなことを言った。

「ですから落ちてしまいますよ」


「そこへちょっと私の手を当てさせろ」と、精霊はスクルージの胸に手をのせながら言った。

「こうすれば、あんたはこんなことくらいなんでもない。もっと危険な場合にも対処できるのさ」


 こう言ったと思ったら、精霊とスクルージは壁を突き抜けて、左右に畑の広々とした田舎道に立っていた。

 ロンドンの街はすっかり消えてなくなっていた。その痕跡すら見当たらなかった。

 暗闇も霧もそれと共に消えてしまった。それは地上に雪の積っている晴れた冷い冬の日だった。


「これは驚いた!」と、スクルージは自分の周囲を見渡して、両手を固く握り合せながら言った。

「私はここで生れたんだ。子供の頃にはここで育ったんだ!」


 精霊は穏かにスクルージを見つめていた。

 精霊がスクルージの胸に優しく触ったのは、軽くてほんの瞬間的なものだったが、彼の感覚にはいまだに残っているように思われた。

 スクルージは、空中に漂っているさまざまな香りに気がついた。そして、その香りの一つ一つが、長い長い間、忘れられていたさまざまな考えや希望や喜びや心配と結びついていた。


「あんた、この道を覚えているかい?」と、精霊は聞いた。


「覚えていますとも!」と、スクルージは勢い込んで叫んだ。

「目隠をしていても歩けますよ」


「こんなに長い年月それを忘れていたというのは、どうも不思議だね!」と、精霊は言った。

「さあ行こう」


 精霊とスクルージは、懐かしい道を歩いて行った。

 スクルージには、目に映る門も柱も木もいちいち見覚えがあった。

 こうして歩いて行くうちに、はるか彼方に橋や教会や曲りくねった河などのある小さな田舎町が見えてきた。

 ちょうど二、三頭の毛むくじゃらの小馬が、その背に男の子達を乗せて、こちらの方へ駆けて来るのが見えた。

 その子供達は、農民が操作する田舎馬車や荷馬車に乗っている他の子供達に声をかけていた。

 これらの子供達は皆、上機嫌で、たがいにキャッキャッと声を立てて騒いでいた。


 陽気な旅人達が近づいて来た。そして、彼らが近づいて来た時、スクルージは皆のことを覚えていて、その名前を呼んだ。


「これはただ昔あったものの残像に過ぎないのだ」と、精霊は言った。

「だから彼らには私達のことは分らないよ」


 一人一人がそれぞれの家に帰るため、十字路や分かれ道にさしかかった時、彼らが口々に「クリスマスおめでとう!」と、言い交わすのを聞いて、なぜスクルージの胸に嬉しさが込み上げてきたのだろうか?

 そもそも、スクルージにとってクリスマスは何なのだろう? 

(メリークリスマスおめでとうがちゃんちゃらおかしいわい! お前にとっちゃクリスマスの時は一体何だ!)


「学校にはまだ人の気配があるよ」と、精霊は言った。

「友達に置いて行かれた、独りぼっちの子がまだそこに残っているよ」


 スクルージはその子を知っていると言った。そして、彼はすすり泣きを始めた。


 精霊とスクルージは、懐かしさの残る小路に入り、大通りを離れた。すると間もなく、屋根の上に小さな風見鶏が見えた。そして、鐘の下がっているキューポラを設けた鈍く赤いレンガの館へ近づいて行った。それは大きな家だった。しかし、破産した家でもあった。

 広々とした台所もほとんど使われないで、そのホコリは湿って苔むしていた。

 窓ガラスも割れていた。

 門も立ち腐れになっていた。

 置き去りにされた鶏はクックッと鳴いて、厩舎の中を威張ってでもいるように歩いていた。

 馬車を入れる小屋にも物置小屋にも草が一面にはびこっていた。

 室内も同じように昔の堂々たる面影をとどめてはいなかった。

 陰気なホールに入って、いくつも開け放しになった部屋の出入り口から覗いて見ると、どの部屋にも古ぼけた家具しか置いてなく、冷えきって、広々としていた。

 空気は土臭い匂いがして、いたる所が寒々として何もなかった。


 精霊とスクルージは、ホールを横切って、その家の裏にある出入り口の所まで行った。

 その出入り口のドアはスクルージが押すと簡単に開いて、彼らの前に長く何もない陰気な部屋が広がって見えた。

 荒削りの樅(モミ)の板のイスとテーブルとが何列にもならんでいるのが、いっそうそれをがらんがらんにして見せた。その一つのイスに座って、一人の寂しそうな少年が暖炉のとろ火の前で本を読んでいた。

 スクルージも一つのイスにゆっくりと座って、長く忘れていたありし日のあわれな自分を見て泣いた。


 家中に潜んでいる反響や天井裏のネズミがチュウチュウと鳴いてじゃれあう物音や裏のうす暗い庭にあるツララの融けかけた雨ドイのしたたりや元気のないポプラの落葉した枝の中に聞えるため息や何も入っていない倉庫のドアの時々思い出したようにバタバタする音や暖炉の中で火のはねる音も、すべてがスクルージの胸を厚くさせ、心を揺さぶり、涙を潤ませた。また、懐かしさのあまり、彼は自然に涙を流していた。


「ここがあんたの生まれた家なんだね」と、精霊が聞くと、スクルージは言葉にならず、ただうなずくだけだった。

「しかし、もう住めそうにはないね。その少年はこれからどこに連れて行かれるのか不安でしょうがないみたいだ」と、精霊が言った。


「本当に、そのとおりです」と、スクルージは少し落ち着いて言った。


 精霊は、スクルージの腕をつかんで、別の場所に連れて行った。そこは、小さな寄宿舎のような建物の門を入った所だった。


「ここは・・・」と、スクルージは戸惑いながら言った。


「忘れたのかい?」と、精霊が聞いた。


「いいえ、忘れるわけがありません。私の連れてこられた児童養護園です」と、懐かしそうにスクルージは応えた。


 児童養護園は、貧しい家庭の子供を一時的に預かる施設だったが、スクルージは少年の頃、預けられたままになっていた。


「ここは共立救貧院という公的な施設なのかい?」と、精霊は聞いた。


 スクルージは精霊が、あの時、商会にやって来た二人の紳士との会話を知っていて、いやみで聞いていると感じた。

「いいえ、違います。民間の施設です」と、心苦しそうにスクルージは応えた。


 精霊は表情一つ変えず、スクルージに児童養護園の中へ入るようにうながした。


 精霊は、一つの部屋にスクルージを招きいれ、ひとりぼっちで読書に夢中になっている若い頃の彼の姿を指さして見せた。


 スクルージは、いつもの性格とはまるで別人のように急激な気の変りようで、昔の自分をあわれみながら「かわいそうな子だな!」と、言った。そして、また涙があふれた。


「ああ、ああしてやればよかったな」と、スクルージはガウンの袖で涙をふいてから、ポケットに手を突込んでどこを見るでもなくつぶやいた。

「だが、もう遅いな」


「一体どうしたというんだね?」と、精霊が聞いた。


「何でもないんです」と、スクルージは言った。

「何でもないんです。昨日の夜、私の事務所の出入り口で、クリスマスキャロルを唄っていた子供がいたんです。何かやればよかったと思ったんですよ。それだけのことです」


 精霊は意味ありげに微笑した。そして「さあ、もっと他のクリスマスを見ようじゃないか」と、言いながら、その手を振った。


 その言葉で一瞬に、昔のスクルージ少年の姿は成長していた。そして、児童養護園の部屋は少し暗く、そして、とても汚くなっていた。

 床板は縮み上がって、窓のそばの壁には亀裂が入っていた。

 他の子供達が皆、楽しいクリスマスの休日をすごすために家へ帰って行ったのに、ここでもまたスクルージ少年は一人残っていた。


 今、スクルージ少年は読書をしていなかった。なぜかがっかりしたように落ち着きがなかった。

 スクルージは精霊の方を見た。そして、悲しげに頭を振りながら、心配そうに出入り口の方をじろりと見た。


 その出入り口のドアが開いた。それから、スクルージ少年よりもずっと年下の少女が矢のように飛び込んで来た。そして、彼の首のまわりに両腕を巻きつけて、何度も何度もキスしながら「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、呼びかけた。


「ねえ、お兄ちゃん。私、お兄ちゃんのお迎いに来たのよ」と、その小さな手を叩いたり、小首を傾けておじぎをするようにして笑ったりしながら、その少女は言った。

「一緒に自宅(うち)へ帰るのよ。自宅へ! 自宅へ!」


「自宅へだって? ファン」と、スクルージ少年は聞いた。


「そうよ!」と、その少女は飛び跳ねて言った。

「自宅にいていいのよ。ずっと自宅へよ。お父さんもこれまでよりはずっとやさしくしてくれるの。それで、本当にもう自宅は天国のようよ! この間の夜も、寝ようと思ったら、それはそれはやさしくお話をしてくれたんだから。私も勇気を出して、もう一度、お兄ちゃんが自宅へ帰って来てもいいかって聞いてみたのよ。そしたら、お父さんは、ああ、帰って来させよう、だって。そして、お兄ちゃんのお迎いに来るように私を馬車へ乗せてくれたのよ。」と、少女は目を大きく見開きながら言った。

「そして、もう二度と、ここへ帰って来ないのよ。でも、その前に私達はクリスマス中、一緒にいるのね。そうよ、世界中で一番楽しいクリスマスをするのね」


 少女は手を叩いて笑った。そして、一生懸命に彼を出入り口の方へ引っ張って行った。

 スクルージ少年もウキウキしながら少女といっしょに出て行った。


 二人が広間に行くと児童養護園の園長が立っていた。

 園長は、今まで見せたことのない恩着せがましい態度でスクルージ少年を迎え入れた。そして、かたい握手をしてきたので、彼は気味が悪く、寒気がした。

 それから園長は、スクルージ少年とその妹とを、まるで古井戸の底かと思うほど寒々しい客間へ連れて行った。そこには壁に地図がかけてあり、窓のそばには天体儀と地球儀とが置いてあった。その両方とも寒さで青白くなっていた。


 スクルージ少年の荷物はその時にはもう馬車の上にくくりつけられていたので、スクルージ少年と妹はただもう心から悦んで園長に別れを告げた。そして、いそいそと馬車に乗り込んで、菜園の中の曲がり道を笑い声をまき散らせながら走り去った。


「彼女はいつもひ弱な、ひと吹きの風にも枯れてしまいそうな子だった」と、精霊は言った。

「だが、心は大きな子だよ!」


「そうでした」と、スクルージは肩を落とした。

「そのとおりです。私のただひとりの理解者でした精霊様。かけがえのない妹よ!」


「彼女は大人になって死んだ」と、精霊は言った。

「ただ、子供を残したんじゃないかい?」


「そう、一人の子を」と、スクルージは応えた。


「それが・・・」と、精霊は言った。

「お前の甥だ!」


 甥が「伯父さん。ぜひ来て見て下さい。私達の家で、皆と一緒に食事をしましょうよ」と言ったことを思い出した。

 スクルージは、甥に向かって「ユダヤの神に背くお前が地獄に落ちたのを見たいものだ」とつぶやいたことも思い出していた。


 スクルージは顔をくもらせた。そして、そっけなく「そうです」と、応えた。


 精霊とスクルージが、児童養護園の門を出て来たその瞬間に、ある都会のにぎやかな大通りに立っていた。

 そこには大勢の人影がしきりに行き来していた。また、荷車や馬車の物影も道を争っているようで、あらゆるリアルな都市の争いと騒ぎがあった。

 店の飾りつけで、ここもまたクリスマスの季節であることは、あきらかに分っていた。

 もう夕方なので、街路には外灯がともっていた。


 精霊は、ある商店の出入り口に立ち止まった。そして、スクルージにそれを知っているかと聞いた。


「知っているかですって!」と、スクルージは言った。

「私はここで見習い仕事をしていたことがあるんですよ」


 精霊とスクルージは、その商店の中に入って行った。

 ウェールズ人特有のカツラ(ウエリッシュウィッグ)を被ったかっぷくのいい紳士が、あと2インチほど自分の身長が高かたら、きっと天井に頭をぶつけただろうと思われるような、高さのある事務机の向うに座っていた。その姿を一目見ると、スクルージは非常に興奮して叫んだ。

「まあ、これはフェジウィッグ親方じゃないか! ああ! フェジウィッグさんがよみがえった!」


 フェジウィッグ親方はペンを下に置いて、時計を見上げた。

 その時計は夜の七時を指していた。

 フェジウィッグ親方は両手をこすった。そして、たっぷんたっぷんしたお腹を隠すチョッキをきちんと整えた。

 彼は靴の先から頭のてっぺんまで、貫禄のある体を揺さぶって笑った。それから、気分よく、滑らかなはばのある声で愉快に呼びかけた。

「おい、ほら! エベネーザー! ディック!」


 今は立派な青年の体つきになっていたスクルージ青年は、仲間の見習いと一緒に、てきぱきと入って来た。


「ディック・ウィルキンスです、確に!」と、スクルージは精霊に向いて言った。

「なるほどそうだ。あそこにいたんだ。彼はいつも私と一緒だった。彼だ! 親愛なる友!」


「おい、息子達よ」と、フェジウィッグ親方は言った。

「今夜はもう仕事なんかおしまいだ。クリスマスだよ、ディック! クリスマスだよ、エベネーザー! さあシャッターを閉めてくれ」と、フェジウィッグ親方は両手を一つピシャリと鳴らしながら叫んだ。

「さっさと店じまいしよう!」


 二人はシャッターの板を持って店の出入り口へ突進した。

 一枚、二枚、三枚と、それらをはめるべき所へはめた。

 四枚、五枚、六枚と、それらをはめて釘で止めた。

 七枚、八枚、九枚。そして、競馬の馬のように息を切らしながら、店の中へ戻って来た。


「さあ来た!」と、フェジウィッグ親方は驚くほど軽快に、高さのある事務机から跳ね降りながら叫んだ。

「ほら片づけた。息子達よ。ここに広々としたスペースを作るんだよ。さあ来た、ディック! 元気を出せ、エベネーザー!」


 フェジウィッグ親方は、まるでサーカス団の団長のように指図し、それは一分間で出来てしまった。

 移動することの出来る物は、ことごとく包んで片づけられてしまった。

 フロアの床はホウキで掃いて水拭きされた。

 ランプは芯を整えられた。

 薪は暖炉の上に積み上げられた。

 こうして商店は、冬の夜に誰もがこうしたいと望むような、こざっぱりした暖かく、からっとした明るいダンスルームへと変った。


 一人のフィドル奏者が、手に楽譜の本を持って入って来た。そして、あの高さのある事務机の所へ上って、その前に演奏者を集めた。

 五十人も集った全員が、胃を悪くした患者かのように、ゲエゲエという音を立てて楽器の調子を合せ、オーケストラの準備をした。

 フェジウィッグ親方の夫人らしい、かなり太った愛嬌のある女性が入って来た。

 三人のニコニコした可愛らしいフェジウィッグ親方の娘達が入って来た。その三人に心を悩まされている六人の若者が続いて入って来た。

 この商店で働いている若い男性や女性もことごとく入って来た。

 下働きをしている女性は、彼女のいとこのパン焼きの職人と一緒に入って来た。

 料理番の女性は、彼女の兄の特別の親友だという牛乳配達をしている男性と一緒に入って来た。


 一人また一人と、次から次へと皆が入って来た。

 中にはきまり悪そうに入って来る者もいれば、威張って入って来る者もいた。また、すんなりと入って来る者もいれば、不器用に入って来る者もいた。それから、人を押して入って来る者もいれば、人の手を引張って入って来る者もいた。

 とにかくどうにかこうにかしてことごとく皆、入って来た。

 たちまち彼らは二十組に分れてダンスを始めた。

 部屋を半分回って、また他の通路から戻って来る。

 部屋の真中を降りて行くかと思えばまた上って来る。

 仲がよさそうなペアがたたみかけるようにぐるぐる回って行く。

 先頭のペアはいつも間違った所でぐるりと曲って行った。

 新たに先頭になったペアもそこへ到着すると、再び横へそれて行った。

 最後には先頭のペアばかりになって、彼らを助けるはずの最後のペアが誰も後に続かないという始末だ。

 こんな結果になった時、フェジウィッグ親方はダンスを終了させるように両手を叩きながら、大きな声で「上出来!」と叫んだ。すると、フィドル奏者は、特別に用意された冷や水のポットの中へ暑くなった顔を突込んだ。しかし、そのポットから顔を出すと、休んでなどいられるものかと言わんばかりに、まだダンスを誰もしようとしていないのに、すぐにまた演奏を始めだした。


 なおもダンスは続いた。また、罰のある遊びもあった。そして、再びダンスが始まった。その合間にケーキ、ニーガス酒、素晴らしいコールドローストの焼肉、素晴らしいコールドボイルの煮物、ミンチパイ、そして、ビールが沢山出された。しかし、この夜で一番の注目を集めたのは、焼肉や煮物の出た後で、フィドル奏者が「サー・ロージャー・ド・カヴァリー」を弾き始めた時に出たのだ。

 その演奏にのってフェッジウィッグ親方は夫人と手をつないで踊り始めた。しかも、二人にとってはおあつらえむきのそうとうテクニックのいるダンス曲で、先頭のペアをつとめようというのだ。

 二十三、四組のペアがその後に続いた。

 いずれも踊りなれた者たちばかりだった。


 フェッジウィッグ夫婦がダンスのすべてを踊りきった時、進んだり退いたり、両方の手を相手にかけたままおじぎをしたり、手を取り合ってその下をくぐったり、男性の腕の下を女性がくぐったり、そして、再びその位置に戻ったりして、ダンスのすべてを踊りきった時、フェッジウィッグ親方は飛び上った。彼は足で羽ばたいたかと思われたほど器用に飛び上った。そして、よろめきもせずに再び着地した。


 時計が十一時を知らせた時、この親しい仲間達のダンスパーティは終了した。


 フェッジウィッグ夫婦は出入り口の両側にそれぞれ立ち、身分のわけへだてなく、男性が出て行けば男性に、女性が出て行けば女性にというように、一人一人と握手を交して、クリスマスを喜び合った。

 二人の見習いを除いて、すべての人が帰ってしてしまった時、フェッジウィッグ夫婦は、残った二人にも同じように喜びを分け与えた。

 こうして歓声が消え去ってしまった。そこで、二人の青年は自分達のベッドに向かった。

 ベッドは店の奥のカウンターの下にあった。


 この間、今のスクルージはずっと心を奪われた人のように立ちつくしていた。その彼の心と魂とは、その光景の中に入り込んで、過去の自分と一体になっていた。

 スクルージは、なにもかも体験したとおりだと感じていた。なにもかも思い出した。なにもかも満喫した。そして、何ともいえない不思議な心の興奮を経験した。

 スクルージ青年の姿とディックとの嬉しそうな顔が見えなくなった時、はじめて今のスクルージは精霊のことを思い出した。そして、精霊が、その間ずっと頭上の光を非常に赤々と燃え立たせながら、じっと自分を見つめているのに気がついた。


「たいしたことじゃないね」と、精霊は言った。

「あんなバカ者どもをあんなにありがたがらせるのは」


「たいしたことじゃないですって!」と、スクルージは聞き返した。


 精霊は、二人の見習いの話し合いを聞いてみろと手招きして指示した。

 スクルージ青年とディックは、心のそこをうちあけてフェッジウィッグ親方を褒めたたえていた。そして、スクルージ青年がそういう話をした時、精霊は言った。

「だってねぇ! そうじゃないかい。あの男は、お前達人間の金をほんの数ポンド費やしただけじゃないか。たかだか三ポンドか四ポンドだろうね。それが、これほど称賛されるだけの金額かい」


「そんなことじゃありませんよ」と、スクルージは、精霊の言葉に不満をもらした。

 今のスクルージではなく、昔の彼がしゃべってでもいるように、無意識にしゃべり始めた。

「精霊様、そんなことを言っているんじゃありませんよ。あの人は私達を幸福にもまた不幸にもする力を持っています。私達の仕事を軽くも、また重荷にも出来ます。楽しみにも、また苦しい仕事にもする力を持っています。まあ、あの人の力が言葉づかいとか態度だけだったとしてもです。ようするに、お金のやり繰りには値しない、小額の質素なことだったとしても、これだけ私達を愉快な気分にしてくれるのです。精霊様にはたいしたことじゃないように思われるかもしれませんが、だからどうだというのですか? あの人の与える幸福は、そのために全財産を費やしたほど尊いものなのですよ」


 スクルージは、精霊がちらとこちらを見たような気がして、口を閉ざした。


「どうしたんだい?」と、精霊は聞いた。


「なに、特に何でもありませんよ」と、スクルージは応えた。


「でも、何かあったように思うけどね」と、精霊はしつこく聞いた。


「いいえ」と、スクルージは言った。

「いいえ、私の商会の書記に、今、ちょっと一言か二言を言ってやることが出来たらと、そう思ったので、それだけですよ」


 スクルージがこの希望を口にした時、昔のスクルージ青年がランプの芯を引っ込ませて眠りについた。そして、スクルージと精霊は、また並んで外に立っていた。


「私の時間はだんだん残り少なくなる」と、精霊は言った。

「さあ急ぐんだ!」


 この言葉はスクルージに話しかけられたのでもなければ、また外にいる誰かに言われたものでもなかった。しかし、たちまちその効果を生じ、場所を移動した。そこには、別の時代のスクルージの姿があった。


 公園にいた昔のスクルージは前よりも歳をとっていた。彼は中年の働き盛りの男性になっていたのだ。その彼の顔には、まだ今のスクルージような、厳しく頑固な面影はなかったが、世の中で生きてきた気苦労と貪欲な性格の兆しはすでにもう現われかけていた。その目には、何か獲物を狙っているような貪欲で、警戒心の強い輝きがあった。そして、それは彼の心に根を張った欲情をあらわにしていて、だんだん成長する欲情の木の影がやがて落ちそうな場所を示していた。


 昔のスクルージは一人ではなく、公園のベンチにドレスを着た美しい娘が座り、彼はその側に座っていた。

 娘はスクルージ青年が、まだ貧しかった時、同じように貧しく女中をしていて、知り合い恋人になった。


 その娘の目には涙があふれていた。その涙は過去のクリスマスの精霊から発する光の中にきらめいていた。


「それは何でもないことですわ」と、彼女は静かに言った。

「貴方にとっては本当に何でもないことですわ。他の可愛いモノが私にとって代っただけですもの。これから先、それがもし、私が貴方のそばにいたら、私がしてあげようとしていたことと同じように、貴方を励ましたり、なぐさめたりしてくれることが出来れば、私が口をはさむ理由などありませんものね」


「私にどんな可愛いモノが君にとって代ったと言うんだ?」と、

昔のスクルージは問いただした。


「金色のモノ」と、彼女はそっけなく応えた。


「それは世の中で生きていくうえで、正当に評価されるものだよ」と、昔のスクルージは言った。

「貧乏ほど世の中でバカにされることは他にない。それでいて、お金を得ようとする者ほど世の中から攻撃されることも他にはないんだよ」


「貴方はあまりに世の中というものを怖がり過ぎよ」と、彼女は優しくたしなめた。

「貴方に以前あった希望は、そういう世の中で耐え抜いていこうとするあまりに、どこかに消え去ったのね。私は、貴方のかけがえのない希望が打ち砕かれて、とうとう最後に拝金だけが貴方の心を占領してしまうのをみてきました。そうじゃありませんか?」


「それがどうしたというんだ!」と、昔のスクルージは言い返した。

「仮に私が希望を失い、お金に支配されたとして、それがどうだというんだ? 君に対しては何も変わらないよ」


 彼女は顔を横に振った。


「変っているとでも言うのかい?」と、昔のスクルージは聞いた。


「私達二人の約束はもう古いものです。二人とも貧しくて、それで、お互いに我慢して働いて、いつか二人の暮らしが良くなる日が実現するまではと、それに満足していた時に、その約束は出来たものです。それが貴方を変えました。その約束をした時は、貴方は全然別の人でしたもの」と、彼女は応えた。


「私は成長したんだよ」と、昔のスクルージはじれったそうに言った。


「貴方も心のどこかで、以前の貴方でないことは気づいているはずですわ」と、彼女は言い返した。

「私は変わらないし、そんな成長はしたくはありません。二人の心がかよいあっていた時に、貴方は将来の幸福を約束してくれました。しかし、心がはなればなれになった今では、不幸が重荷になるばかりですわ。私はこれまで何度、またどんなに熱心にこのことを考えたか、それはもう言っても仕方のないこと。私はもう疲れ果てたのです。だからもう私にできることは、貴方との縁を切ってあげることぐらいです。貴方もそれがお望みでしょ?」


「私がこれまで一度でも、君との別れを求めたことがあるかい?」と、昔のスクルージは聞いた。


「口ではね。いいえ、それはありませんわ」と、彼女は応えた。


「じゃ、どうして求めたというんだ?」と、昔のスクルージは聞いた。


「貴方は性格が変わり、気持ちが変わり、生活の雰囲気がまるで違ってきましたわ。貴方のその大きな目的のために希望まですべて変わってしまいました。貴方が感じていた私の愛情や共通の価値観のすべてが変わったのです。この約束が二人の間にかつてなかったとしたら」と、彼女は穏やかに、しかしじっくりと昔のスクルージを見つめながら言った。

「貴方は今、私を探し出して、私の手を求めようとなさいますか? ああ、そんなこと、絶対ないわ!」


 昔のスクルージは、この推測の正しさに自分も納得して、一瞬、動揺した。しかし、あえてその感情を抑えながら言った。

「君の考えは間違っているよ」


「私も出来ることなら、そんな風に考えたくはないわ」と、彼女は言った。

「それはもう神様だけがご存知です! 私が悟った時には、それがどんなに強く、そして抵抗できないか、そうに違いないかということを知ったのです。でも今日にしろ、明日にしろ、また昨日にしても、貴方が仮りに自由の身になったとして、財産もない家柄の娘を貴方がお選びになるということが、私に信じられますか? 他の女性と接する時も、貴方は、その人の家柄や財産を気にするようになっているのに。それとも、ほんの気まぐれで、貴方がその唯一、支配されている拝金主義に背いて、その貧しい娘をお選びになったとして、あとできっと悔やんだり、恥じたりするに違いないのを、私が分からないとでもおっしゃるのですか? 私にはちゃんと分かります。だから、貴方との縁を切ってあげます。それはもう心から喜んで、以前の貴方に対する愛のために」


 昔のスクルージは何かを言おうとした。しかし、彼女は彼に顔をそむけたまま、なおも言葉を続けた。

「貴方にもこれは多少の苦痛かもしれませんね。これまでのことを思うと、私は本当にそうあって欲しいような気もします。しかし、それもほんのわずかの間ですわ。わずかの間がすぎれば、貴方はすぐにそんな思い出は、価値のない夢として、喜んで捨てておしまいになるでしょう。まあ、あんな悪夢から覚めてよかったというように思って。どうか貴方のお選びになった生活で幸せに暮して下さい!」


 彼女は昔のスクルージの前を去った。こうして、二人は別れてしまった。


「あんたはそうとう裕福になったみたいだね」と、精霊が言った。


「精霊様!」と、スクルージは言った。

「もう見せないで下さい! 自宅(うち)へ連れ戻して下さい。そんなに精霊様は私を苦しめるのが面白いのですか?」


「なぜだね。あんたは裕福になって望みが叶ったんだろ。愛なんてバカバカしいものはない。あんな貧しい娘と縁が切れてよかったんじゃないのかね」と、精霊は言い返した。


「彼女は私のもとを去ったんです。こんなみじめな話はありませんよ」と、スクルージはうなだれて言った。


「裕福になったあんたに叶えられない望みはないだろう。あの娘はわがままを言って去っていったんじゃないのか? それとも、あんたにも叶えられない望みがあるのかい?」


「そりゃあ、いくらだってありますよ。お金はそんなに万能じゃありませんから」と、スクルージは応えた。


「それじゃあ、あんたでも叶えられない娘の望みとやらはなんだったのかね? もう一つ、残像を見せてやろう!」と、精霊は叫んだ。


「もう沢山です!」と、スクルージは叫んだ。

「もう沢山です。もう見たくありません。もう見せないで下さい!」


 しかし、少しも容赦のない精霊は、スクルージを無理矢理に別の時空間に連れて行った。


 それは別の光景でもあれば別の場所でもあった。

 そんなに広くもなく、きれいでもないが、住心地がよさそうな部屋だった。

 冬の暖炉のそばに一人の美しい若い婦人がイスに座っていた。

 婦人の向かい側に彼女の娘が同じようにイスに座っていた。その娘は、スクルージも同一人物だと思ったくらいに、前の場面に出てきたあの娘とよく似ていた。

 部屋の中の物音はすごく騒々しかった。というのは、スクルージの目の前には、落ち着きのない、数えきれないほど大勢の子供達がいたからだ。


「これがあの娘が望んでいたことなのかい?」と、精霊が言った。

「たしかにお金では買えそうにないが、それほどの価値があるのかね」と、精霊は首をかしげた。


 突然、出入り口のドアを叩く音が聞えた。すると、たちまち子供達の突進がそれに続いて起こった。

 娘はニコニコ笑いながら、めちゃくちゃにされたドレスを整えることもできず、活気のある騒々しい群れの真中に挟まれて、やっと父親の出迎えに間に合うように、出入り口の方へ連れられて行った。


 父親は、クリスマスのおもちゃやプレゼントを背負った男性のポーターを連れて戻って来たのである。


 プレゼントの包装紙が開かれるたびに、驚きと喜びの叫び声でそれが迎えられた。


 喜びと感謝と幸福につつまれた。


 子供達もようやく落ち着きをとりもどし、全員が力尽きたようだった。

 次々に子供達は、その感動を残したまま客間を出て、ゆっくりと階段を一段ずつ上がり、やっと家の最上階までたどり着いて、それぞれのベッドに入ると、そのまま静まりかえった。


 まだ起きている娘は、暖炉のそばのイスに座った父親に、甘えるように寄り添い、その横には母親も一緒にいた。

 三人の幸せそうな姿をスクルージはうらやましそうに眺めていた。そして、あの時、別れた娘の希望を叶え、自分にも父親と慕ってくれる娘ができていたとしたら、一生のやつれ果てた冬の時代に春の季節をもたらしてくれたかも知れないと思った時、彼の瞳は本当にぼんやりとうるんできた。


「ベル」と、夫は微笑んで母親の方へ振り向きながら言った。

「今日の午後、お前の昔馴染に出会ったよ」


「誰ですか?」と、母親は聞いた。


「当ててごらん!」と、夫はじらした。


「そんなこと当てられるものですか。ああ、あなたったら、もう、分りましたよ」と、夫が笑った時に母親も一緒になって笑いながら、ひときわ高い声で言った。

「スクルージさんでしょう!」


「そう、スクルージさんだよ。私はあの人の事務所の前を通ったんだ。窓が少し開いてたからなにげなく見たら、部屋の中にロウソクがともっていて、あの人が見えたんだよ。以前よりも、もっと裕福になっているようだった。君は私のような貧乏人と一緒になって後悔していないかい?」と、夫は少し意地悪に聞いた。


「後悔なんてしていませんわ。あの人と一緒になっていたら、こんなに幸せな家庭はできなかったでしょうね。貴方が貧乏人ですって? なに不自由なく生活させていただいているのに。貴方はお金の使い方をよくご存知なのよ。この無理のないちょうどいい生活をするのが私の望みでしたもの」と、母親は娘をみつめて幸せそうに言った。


「そうだったね。そうそう、あの人と共同経営者になっている人が病気で死にそうになっていると聞いたよ。でも、あの人は平気そうで、一人で部屋にいたけど、本当に独りぼっちになってしまうんじゃないかな?」と、夫は心配そうにつぶやいた。


「精霊様!」と、スクルージはかすれた声で言った。

「どうか他の所へ連れて行って下さい」


「どうしたんだね?」と、精霊は不思議そうに聞いた。


「みじめなんです。たまらなくみじめで見ていられません」と、スクルージは前で腕組みして、寒そうに体をすくめて言った。


「これはただ昔あったものの残像にすぎないと、私からあんたに言っておいたじゃないか」と、精霊は言った。

「これがあんたの選んだ道だろ。あんたより彼らのほうがみじめな生活をしているんじゃないのかい?」


「どこかへ連れて行って下さい!」と、スクルージは叫んだ。

「私にはもう見ていられません!」


 スクルージは精霊の方へ振り向いた。そして、精霊の周りに、それまで彼が出会った、色々な人たちの顔が現れては消えているように見えた。

 精霊はなにくわぬ顔をして、じっとスクルージを見つめていた。そして、しばらくにらみ合った。


「そろそろ時間だ。あんたがどんなに後悔したって、過去は変えられない。だけど、過去からしか学ぶことはできないよ。過去を良くも悪くもするのはあんた自身なんだよ」と、精霊は言って、スクルージに近づいた。


「もう説教は沢山だ!」と、スクルージは叫んだ。


 その瞬間、精霊の頭の光が高く明るく輝き始めた。その光のまぶしさに耐えきれなくなったスクルージは、とっさに精霊の持っていた「多くの者の欲望で出来ている」とされるキャップをつかんだ。


 精霊はそれを取り戻そうとしたのだが、スクルージは自分が襲われると思い、精霊の頭にキャップを被せた。すると、精霊はその下にヘラヘラと倒れた。そして、精霊はその中に吸い込まれるように体がすべて収まってしまった。

 スクルージは全身の力をこめてそれを押さえつけていたけれども、光はそのまぶしさを失うことはなく、地面に洪水のように流れ出していた。


「私を連れ戻して下さい。そして、精霊様はどこかへ行って下さい! もう二度と私の所へ出ないで下さい!」と、スクルージは目を閉じて叫び続けた。


 ふと気づくと、スクルージは元いた自分の部屋の寝室に戻っていた。彼は自分の体が疲れ果てていることを意識していた。そして、睡魔に抵抗して打ち勝つこともできなかった。彼は、やっとのことでベッドにたどりつき、同時にぐっすりと寝込んでしまった。


続く

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