新解釈・クリスマス・キャロル
ヒロシマン
第1話 マーレーの亡霊
そもそもの発端は、ユダヤ人のマーレーが死んだことにある。
年老いたマーレーはドアのクギのように痩せこけて死に果てた。
葬儀の喪主となった友人で、仕事仲間でもあるユダヤ人のスクルージは、マーレーが死んだことを理解していたのだろうか?
スクルージとマーレーとはそんなに歳も離れておらず、何年とも分らない長い歳月の間、商会の共同経営者だった。
スクルージは、不景気な世の中にもかかわらず、荘厳な葬式をしたものの、その費用はとてつもない値引き交渉をして安くすませたからだ。だから「マーレーが死んだことを理解しているのだろうか?」と、疑いたくなるほど、普通なら信じられない神経の持ち主だと誰もが思ったのだ。
スクルージはその後何年も、社名を「スクルージ・エンド・マーレー」としていた。
この商会はスクルージ・エンド・マーレーで知られていた。
何も知らずこの商会へ入って来た人は、スクルージのことをスクルージと呼んだり、時にはマーレーと呼んだりした。しかし、彼は両方の名前に返事をした。
スクルージにはどちらでも同じことだったのだ。だから、この商会に出入りする人たちの間では、マーレーはまるで生きているかのように思われていた。
この商会の仕事、今となってはスクルージただ一人の仕事だが、まるでハイエナのように弱っている者を見つけては、その足元を見て、値打ちのある物を担保に、少しのお金を貸し、高い利息で追い詰めて破綻させては、担保にした物を奪い取った。
このことは誰もがよく知っていたのだが、不景気でどこからも支援がない者は、ほんの少しの期間ならと、ついお金を借りてしまうのだ。誰でもまさか自分が破綻するとは思わないものだ。
スクルージは、小額の貸し金で手に入れた担保品を高く売って、さらに儲け、富を独り占めにしたが、生活は質素で、買う物は少なく、買う時でも必ず値切って、決して無駄遣いはしなかった。
このような人物だから富を得る方法など他人に話すことはなく、人付き合いも悪く、孤独な男となっていた。そのせいか、姿も老いた顔つきを凍らせ、とがった鼻をがさつかせ、そのほほをしわくちゃにして、歩き方をぎこちなくさせた。また、目を血走らせ、薄い唇を青ざめさせた。その上、彼の耳触りの悪いしわがれ声にも冷酷にあらわれていた。
夏でさえスクルージの事務所を冷くした。そして、クリスマスにも一度としてそれを打ち解けさせなかった。
それもそのはずで、スクルージはユダヤ人だから、キリスト教のクリスマスを祝う必要はなく、キリスト教徒の社会には一定の距離をおいていた。
誰かが道端でスクルージを呼びとめて、嬉しそうに微笑んで、「スクルージさん、お元気ですか? どうか私のところへ寄って行ってくれませんか?」などと声をかける者はなかった。
ホームレスでさえスクルージに「お恵みを」と小銭をせがむことはなく、子供たちも「今何時ですか?」と彼に聞くことなどなかった。
だが、そんなことを気にするようなスクルージではない。それこそ彼の望むところだった。
人情などは大きなお世話と突き放すように、人生の人ごみの中を押し分けて進んで行くことが、老いてもなお元気なスクルージにとっては快感だった。
そうした状況にあって、奇跡を目撃する日、クリスマスイブのことだ。
スクルージは事務所のイスに座って忙しそうに仕事をしていた。
霜枯れた、寒さが噛みつくような日だった。おまけに霧も多かった。
スクルージは外の路地で、人々がフウフウと息を吐いたり、胸に手を叩きつけたり、暖かくなるようにと思って敷石に足をばたばた踏みつけたりしながら、あちらこちらに右往左往している足音を耳にした。
街の時計は方々でさっき三時の鐘を打ったばかりだったのに、もうすっかり暗くなっていた。もっとも、一日中明るくはなかったのだ。
隣近所の事務所の窓からは、深く青ざめた空気の中に、手をかざしたくなるような、ロウソクの暖かい光がハタハタと揺れながら燃えていた。
霧はどんな隙間からも、鍵穴からも流れ込んで来た。そして、この路地はごくごく狭い方だったのに、向う側の家並はただぼんやり幻影の様に見えるぐらいに、外は霧が濃密だった。
スクルージの事務所内にあるドアは、その向こうの牢獄のように陰気な小部屋で、沢山の手紙を写している書記のボブ・クラチェットを見張るために開け放しになっていた。
スクルージのそばにある暖炉にはほんのわずかな火が燃えていた。それに比べ、ボブのそばにあるストーブの火は、もっともっと小さく、燃えカスの炭かと思えるくらいだった。しかし、ボブは、スクルージが石炭箱を始終、自分の部屋にしまって置いていたので、その石炭をいただくという勇気はなかった。
そのためボブは、首に白い毛糸のマフラーを巻きつけて、ロウソクで暖まろうとした。
「メリークリスマスおめでとう、伯父さん!」と、ひときわ快活な声が響いた。
それはスクルージの妹の子で、りりしい青年に成長した甥の声だった。彼は大急ぎで不意にスクルージのもとへやって来たので、スクルージはこの声で始めて彼が来たことに気がついたぐらいだった。
「何を、バカバカしい!」と、スクルージは言った。
甥は霧と霜の中を駆け出して来たので体が暖まり、顔や手など外から見える肌は真赤になっていた。
スクルージの甥とは思えないぐらい、青年の顔は赤く美しく、目は輝いて、ホウホウと白い息を吐いていた。
「クリスマスがバカバカしいですって、伯父さん!」と、スクルージの甥は言った。
「まさかそうおっしゃってるんじゃないでしょうねえ?」
「そう言ったよ」と、スクルージは応え、続けた。
「メリークリスマスおめでとうだって! ユダヤの血が流れているお前が、めでたがる必要がどこにある? たいした金もないくせに、めでたがる理由がどこにあるんだよ?」
甥は世間的にはそうとう裕福なほうだが、スクルージと比べれば、たいした金持ちには見えないらしい。
「おや、だったら」と、甥は快活に言葉を返した。
「キリスト教徒の社会で商売をさせてもらっている貴方が、陰気臭くしていらっしゃる必要がどこにあるんです? たいそうなお金をお持ちなのに、機嫌を悪くしていらっしゃる理由がどこにあるんですよ」
スクルージはとっさに良い返事もできなかったので、また「何を!」と言った。そして、その後から「バカバカしい」とつけたした。
「伯父さん、そうプリプリしないで下さい」と、甥は言った。
「プリプリせずにいられるかい」と、スクルージは言い返した。
「こんなバカ者どもの世の中にいては。メリークリスマスおめでとうだって! だがな、私はクリスマスそのものをバカバカしいと言っているんじゃない。異教徒の祭りだ。勝手にやればいい。私が言いたいのは、粗末なクリスマスに満足して、メリークリスマスおめでとうがちゃんちゃらおかしいということだ! お前達にとってクリスマスとは一体何だ! 金もないのに出費をかさねる時じゃないか。一つ余計に歳を取りながら、一つだって余計に金持にはなれない時じゃないか。お前は商売の決算をして、その中のどの口座を見ても丸一年の間、ずっと損ばかりしていることを知る時じゃないか。そんなにクリスマスを祝いたいなら、一年我慢して金を貯めて二年目に倍の金で祝えばいい。それでもたりなきゃ三年、四年我慢すればいい。そうせず少し貯まればすぐに使う。そんなことをしているからいつまでたっても貧乏から抜けられないんだよ。そのくせ、貧乏なのを金持ちのせいにし、わしらをねたんで、隙あらば財産を奪おうとする。わしの思い通りにすることが出来れば・・・」と、スクルージは憤然として言った。
「メリークリスマスおめでとうなんて言って回っているバカ者どもはどいつもこいつも、プディングの中へ一緒に煮込んで、心臓に柊(ひいらぎ)の棒を突き通して、地面に埋めてやるんだがね。是非そうしてやるとも!」
「伯父さん!言い過ぎだよ。私は伯父さんの財産なんて欲しいと思いません」と、甥は反論しようとした。
「甥よ!」と、スクルージは厳格に言葉を続けた。
「お前はお前の流儀でクリスマスを祝えばいい。わしはわしの流儀でこの日をすごさせてもらうよ」
「すごすですって!」と、甥は言葉を繰り返した。
「孤独になっていく一方じゃありませんか」
「ああ、それでいいさ。わしのことはほっといてもらいたいね」と、スクルージは言った。
「クリスマスはすごくお前の役に立つだろうよ! これまでもすごくお前の役に立ったからねえ!」
甥は心穏やかに言った。
「世の中には、私がそれから利益を得ようと思えば、得るチャンスはあったでしょう。あえてそれをしなかったことがいくらもありますよ。ユダヤの血が流れている私が、あえて言わせてもらいますが」と、甥は続けた。
「クリスマスもその一つですよ。だけど、私はいつもクリスマスが来ると、その宗教的な名前や由来に対する異教徒の祭りとは離れて、いや、クリスマスが意味することがどうだろうと、その宗教的な意味あいから切り離せないとしてもですよ。そもそも、ユダヤ教の神もキリスト教の神もイスラム教の神も同一じゃありませんか。まあ、宗教から切り離せなくても、クリスマスの時期というものはすばらしい時期だと思っているんですよ。誰もが親切になり、人を許す気持ちになり、慈悲の心があふれ、楽しい時期だと。男性も女性も一緒になって、閉じ切っていた心を自由に開いて、自分達より年下の者も実際は一緒に墓場に旅行している道づれで、けっして他の旅路を目指して出かける別の人種ではないというように考えます。一年という長い暦の中でも、私の知っている唯一の時期だと思っているんですよ。ですから、ねえ伯父さん。このクリスマスというものは私のポケットの中へ金貨や銀貨の切れっぱし一つだって入れてくれたことがなくても、私をよくしてくれました。また、これから先もよくしてくれるものだと、私は信じているんですよ。だから私は言うのです。ユダヤの神もクリスマスを祝福し給え! と」
牢獄のような小部屋の中で、甥の話を聞いていた書記のボブ・クラチェットは、無意識に拍手喝采をしていた。しかし、すぐに我にかえって、気まずい空気になると思い、とっさに聞いていないフリをするため、ストーブの火を突っついて、最後に残った火種を掻き消してしまった。
「もう一度、拍手したらどうかね。君はその仕事さえ失って、クリスマスを祝うことになるだろうよ」と、スクルージはボブに向かって言った。
「貴方様は、中々たいした雄弁家でいらっしゃるね。貴方様なら」と、スクルージは甥の方へ振り向いて続けた。
「貴方様が政治家になり議会へお出にならないのは不思議だよ」
「そう八つ当たりしないで下さい、伯父さん。ぜひ来て見て下さい。私達の家で、皆と一緒に食事をしましょうよ」と、甥は言った。
スクルージは、甥に向かって「ユダヤの神に背くお前が地獄に落ちたのを見たいものだ」とつぶやいた。実際に彼はそう言ってしまった。
「そんな。何故です?」と、スクルージの甥は寂しそうな顔で聞いた。
「お前は、またなんでキリスト教徒の娘などと結婚なんぞしたのだ?」と、スクルージは話題をかえた。
「彼女を愛したからです」と、甥は応えた。
「愛したからだと!」と、世の中におめでたいクリスマスよりも、もっとバカバカしいものはこれ一つだと言わんばかりに、スクルージはうなった。
「では、さようなら!」
「でも、伯父さん。貴方は結婚しない前だって一度も私の家に来て下さったことはないじゃありませんか。何故今になってそれを来て下さらない理由にするんですか?」と、甥は聞いた。
「さようなら」と、スクルージは言った。
「私は伯父さんに何もしてもらおうと思っていませんよ。彼女も何も望んでいないのに、どうして二人は仲良く出来ないんですか?」と、甥は聞いた。
「さようなら」と、スクルージは言った。
「伯父さんがそんなに頑固なのを見ると、私は心から悲しくなりますよ。私達はこれまでケンカをしたことは、少なくとも私が相手になってしたことは一度だってありません。ですが、今度はクリスマスをいい口実にして、仲直りをしてみようと思ったんです。私は最後までクリスマス気分で陽気にやるつもりです。ですから、メリークリスマスおめでとう、伯父さん!」と、甥はにこやかに言った。
「さようなら」と、スクルージは言った。
「そして、新年おめでとう!」と、甥は言った。
「さようなら」と、スクルージは言った。
スクルージの甥はこう言われても、一言も声を荒げるような言葉は返さないでその部屋を出て行った。そして、彼は出入口のドアの前で立ち止まって、小部屋にいるボブに「メリークリスマスおめでとう! そして、新年おめでとう!」と、言って会釈した。
ボブの体は冷えていたが、スクルージより暖かい心を持っていた。というのは、彼も微笑んで「メリークリスマスおめでとうございます! そして、新年おめでとうございます!」と、返事をしたからである。
「まだ一人いるわい」と、スクルージはボブの声を聞きつけてつぶやいた。
「一週間に十五シリングもらって、女房と子供を養っている書記の分際で、メリークリスマスおめでとうございますだなんて言ってやがる。わしは精神病院へでも退きこもりたいよ」
この寒々とした商会の出入口は、スクルージの甥を送り出しながら、二人の他の男性を導き入れた。彼らは見るからに楽しそうにした。そのどちらも、かっぷくのいい紳士だった。そして、今は帽子を脱いで、スクルージの部屋に立っていた。
二人の紳士は、それぞれが手に帳簿とメモ帳とを持って、スクルージに挨拶をした。
「こちらはスクルージ・エンド・マーレー商会でございますね?」と、そのうちの一人が手に持った帳簿に照し合わせながら聞いた。
「失礼ながら貴方はスクルージさんでいらっしゃいますか、それともマーレーさんでいらっしゃいますか?」
「マーレー君は死んでから七年になりますよ」と、スクルージは応えた。
「七年前のちょうど今夜、亡くなったのです」
「それは失礼しました。もちろんマーレーさんの寛容なところは、お仲間にも引き継がれているのでございましょうな」と、紳士は紹介状を差出しながら言った。
確かにその通りだった。というのは、スクルージとマーレーの二人は似たような性格だったからである。
寛容なところという気味の悪い言葉を聞いて、スクルージは眉をひそめた。そして、首を横に振って紹介状を返した。
「今年のこのお祝いの季節に当たりまして、スクルージさん」と、もう一人の紳士はペンを取り出しながら言った。
「今でも非常に苦しんでいる貧しい者達のために、多少なりとも施しをするということは、常日頃よりもはるかに尊いことでございますよ。何千人もが必需品に事欠いているのです。何十万人もが、ありふれた生活の快適を欠いているのでございますよ、ご主人様」
「公的な施設はないのですかね?」と、スクルージは聞いた。
「施設はいくらもありますよ」と、紳士は持っていたペンをメモ帳に置きながら言った。
「それに共立救貧院は?」と、スクルージはたたみかけて質問した。
「あれは今でもやっていますか?」
「やっております。今でも」と、紳士は返答した。
「やっていないと申上げられるとよいのですがね」
「公共事業や救貧法も十分に活用されていますか?」と、スクルージは質問した。
「両方とも盛に活動していますよ」と、紳士は返答した。
「おお! 私はまた貴方達が最初に言われた言葉からして、何かそういうものの有益な運用を阻害するようなことが起こったのではないかと心配しましたよ」と、スクルージは言った。
「それを聞いてすっかり安心しました」
「そういうものではとてもこの多数の人に対してキリスト教徒らしい心身への救済を供給することが出来ていないという印象でございます」と、紳士は話した。
「私達、数人の者が貧民のために肉なり、飲料なり、燃料なりを買えるように資金を募集しようと努力しているのでございます。私達がこの時期を選んだのは、それが特に、貧乏が痛感されているとともに、裕福な方々が喜び楽しんでおいでの時だからでございます。ご寄付はいくらといたしましょうか?」
「ない」と、スクルージは言った。
「匿名がお望みで?」と、紳士は聞いた。
「いや、私はほっといてもらいたいのだ」と、スクルージは応えた。
「何が望みだとお聞きになるから、こう応えたのです。私は自分でもクリスマスを愉快にすごしてはいない。ですから、堕落した者を愉快にしてやる義理はない。そもそも、私は多額の税金を払って、今挙げたような公的な施設の維持を助けている。それだけでも随分かかりますよ。生活がやっていけない者は政府が面倒をみればいいのさ」
「多くの者がそこへ行こうと思っても行かれません。また多くの者は、そんな所へ行く位ならいっそ死んだ方がましだと思っておりましょう」と、紳士は言った。
「いっそ死んだ方がましなら」と、スクルージは言った。
「そうした方がいい。そして、過剰な人口を減らす方がいいですよ。だけど、そういう事実は見たことも聞いたこともありませんね」
「しかし、ご存知のはずですが」と、紳士は言った。
「いや、知らないし、そんなことは政府に任せればいいさ」と、スクルージは応えた。
「人間は自分の仕事さえそつなくこなしてればいいんです。他人の仕事に干渉することはない。私は自分の仕事で年中暇なしですよ。さようなら、お二人さん!」
二人の紳士は、自分達の主張を押して説明したところで、時間の無駄だと思えたので、部屋を後にした。
スクルージは急に自分が偉くなったように感じながら、いつもの彼よりはずっと気軽な気持で、再び仕事にとりかかった。
寒さはいよいよ厳しくなった。
大通りでは、路地の隅で、二、三人の労働者がガス管の修理をしていた。そして、火鉢の中に火を沢山燃やしていて、その周囲にぼろを着た男達と子供達の一団が夢中になって手を暖めたり、炎の前で目を煙たそうに細めながら群がっていた。
柊(ヒイラギ)の小枝や果物がぶら下げられた店々。その窓からもれるランプの熱に、パチパチと弾けている明るさは、通りがかりの人々の蒼い顔を赤く染めた。
鶏肉屋だの食料品屋だのの商売は、華やかなクリスマスのデコレーションをしていた。
いよいよ霧は深く、寒さも加わってきた。
突き刺すような、身にしみるような、厳しい寒さの中、一人の貧しい少年が、スクルージの事務所にたどりつき、出入り口のドアの鍵穴から覗き込んで、クリスマスキャロルをスクルージに唄って聞かせた。
「神は貴方がたを祝福する。愉快そうな紳士方よ、貴方がたを不安にさせる者は一つとしてない!」と、少年が最初の歌詞を唄いだしたとたんに、スクルージは非常に猛烈な勢いで定規を取り上げた。そのため、少年は恐れて、霧の中へ、そのまた向うの霜の中へと逃げ出した。
とうとう事務所を閉じる時間がやって来た。
いやいやながらスクルージは、そのイスから降りて、牢獄の中で待ち構えていたボブ・クラチェットに、黙ってその事実を認めた。
ボブはすぐにロウソクを消して帽子をかぶった。
「明日は丸一日休みが欲しいんだろうね?」と、スクルージは聞いた。
「ご都合がよろしければ、ご主人様」と、ボブは応えた。
「都合はよろしくないさ」と、スクルージは言った。
「また公平なことでもないさ。で、そのために半クラウンを報酬から差引こうと言い出したら、君はひどいめに遭ったと思うだろうね。きっとそうだろうな!」
ボブはひきつった顔で笑った。
「しかもだ」と、スクルージは言った。
「君の方じゃ仕事もしないのに、一日分の報酬を払わせられるわしをひどいめに遭わせたとは考えないんだ」
「一年にたった一度のことです」と、ボブは言った。
「毎年十二月二十五日に、人のポケットの物をかすめ取るにしちゃ、まずい言い訳だ」と、スクルージは立派なコートの襟までボタンをかけながら言った。
「だが、どうしたって丸一日休まずにはおかないのだろう。次の日の朝はその代りに、よけいに早く出て来るんだぞ」
ボブはそうすることを約束した。
スクルージは、まだブツブツ言いながら出て行った。
事務所は瞬く間に閉じられてしまった。そして、ボブは白い毛糸のマフラーの長い両端を腰の下でブラブラさせながら、(彼はコートを持っていなかった)外にいた子供達の列の端に加わり、コーンヒルの大通りの氷った滑りやすい道の上を何度も往復する遊びを楽しんだ。それからクリスマスイブのうちに、自分の家族と目隠し遊びをしようと思って、全速力でカムデン・タウンの自宅へ駆け出して行った。
スクルージは、行きつけの陰気な居酒屋で、陰気な食事を済ませた。
そこにあった新聞をすっかり読んでしまって、あとは退屈しのぎに銀行の通帳をいじくっていたが、やがて眠るために自宅に帰った。
スクルージは、七年前に死んだ仲間のマーレーが所有していたビルの部屋に住んでいた。それは、中庭の突き当りの陰気な一棟のビルの中にある。その二階の薄暗い一つのフロアを独占して自宅としていた。
ビルの他の部屋は全部、事務所に貸してあって、クリスマスで皆帰り、スクルージの他には誰も住んでいない。
ところで、出入り口のドアにあるノッカーは、それは非常に大きなものだったというほかに、さして特徴はなかった。
スクルージが、出入り口のドアの鍵穴に鍵を押し込んでふと見ると、そのノッカーがマーレーの顔に変わっていた。
マーレーの顔。
それは怒ってもいなければ、恐ろしい顔でもない。
その昔、マーレーが物を見る時のしぐさとそっくりの顔つきをして、深いしわのある額に古びたメガネをおし上げて、じっとスクルージを見ていた。
髪の毛は息か、熱した空気でも吹きかけられているように、奇妙に動いていた。そして、目はパッチリと開いていたが、まるで動かなかった。
その目と、どす黒い顔の色とは、その顔をぞっとさせるような気味の悪いものにした。しかし、その顔の気味悪さは顔とは全然無関係で、顔の表情の一部分というよりも、むしろ全体の雰囲気がかもしだしているように思われた。
スクルージがこの現象を目をこらして見ると、それはまた一つのノッカーに戻っていた。
スクルージはドキッともしなかった。しかし、今もその恐怖を意識しなかったなどと言えば、それは嘘になる。彼はいったん放した鍵に手をかけ、鍵穴に押し込んで、しっかりとドアノブを回して開けた。それから先ず、そのドアの背後を用心深く見回した。しかし、そのドアの裏には、ノッカーを留めてあったネジとナットとの他には何もなかった。
拍子抜けしたスクルージは、ブツブツ言いながら、そのドアをバタンと閉めた。
その音は雷鳴のようにビルの中に響き渡った。
階上のどの部屋も、ワイン商の借りている地下の穴ぐらの中のどの樽も、それぞれ特有の反響を立てて高鳴りをしたように思われた。
スクルージは、反響などにおびえるような男ではなかった。彼は平然とロウソクに火をともした。そして、しっかり戸締りをして、廊下を横切って、階段に向かった。
スクルージが階段を上がろうとすると、目の前を六頭立ての霊柩馬車が上って行くのを見たように思った。
スクルージは、そんなことには少しもかまわずに、階段を上って行った。
暗闇だって心地良い。そして、スクルージはそれが好きだった。ただし、彼は自分の部屋の重いドアを閉める前に、何事もなかったか確かめようとして、他の各部屋を通り抜けた。彼もそうしたくなるくらいには、ノッカーがマーレーの顔に見えり、六頭立ての霊柩馬車が階段を上がったことは、十分に影響していた。
居間、寝室、物置。
すべてでどこも変わった様子はなかった。
テーブルの下にも、ソファの下にも、誰もいなかった。
時々、やって来る家政婦がそのままにしていたのか、暖炉には少しばかりの火が残っていた。
スプーンも皿も用意してあった。
家政婦が作ったお粥(スクルージは鼻風邪をひいていた)の小鍋は暖炉の横の棚の上にあった。
もう一人、たまに掃除や洗濯物を洗ってくれる女性が出入りしているのだが、その姿もなかった。
ベッドの下にも、誰もいなかった。
クローゼットの中にも誰もいなかった。
パジャマはだらしなく壁にかかっていたが、そちらにも誰もいなかった。
別の物置も普段の通りだった。そこには、古い暖炉のフタと、古靴と、二個のカゴと、三脚の洗面台と、火かき棒があるだけだった。
すっかり安心して、スクルージはドアを閉めて、上の鍵をかけた。それに下の鍵もかけた。それは彼の習慣ではなかった。というのも、彼は、無駄遣いをすることがないので、部屋に盗まれて困るような貴重な物は何一つなかったからだ。
こうして先ず、何者かに不意打ちをくう恐れをなくしておいて、スクルージはネクタイを外した。それから、パジャマを着てスリッパをはいて、ナイトキャップをかぶった。そして、お粥を食べようとして暖炉の前にあるイスに座った。
暖炉の火はとても小さくなっていた。
こんな厳寒の晩では、ないのと同じようなものだった。
スクルージは、無意識にその火の近くへイスを近づけて座り、長い間、その火でなんとか体を暖めようとした。そうしなければ、こんなわずかな火では、暖かいというほんのわずかな感じでも引き出すことは出来なかったのだ。
暖炉はずっと以前に、オランダのある商人が造らせた古い物で、周囲には聖書の中の物語を絵柄にした風変りなオランダのタイルが敷き詰めてあった。
カインやアベルやパロの娘達やシバの女王、羽布団のような雲に乗って空から降ってくる天の使者やアブラハムやベルシャザアや舟に乗って海に出て行こうとしている使者達や何百人というキリスト教徒の心をひきつける人物がそこに描かれていた。
スクルージのようなユダヤ教徒は偶像崇拝をしないのだが、彼は改修するお金を惜しんでそのままにしていた。
その絵柄の中に、七年前に死んだマーレーのあの顔が古えの予言者のように現れてきて、総ての人物を丸呑みにしてしまった。
「バカな!」と、スクルージは言った。そして、部屋の中をあちらこちらと歩いた。
五、六回、往ったり来たりした後で、スクルージはまたイスに座った。彼がイスの背に頭をもたれかけた時、ふと一つの呼び鈴が目にとまった。それは、この部屋の天井近くの隅にかかっていて、今は忘れられたある目的のために、このビルの最上階にある一つの部屋からロープを引けば鳴るようになっていた。
この頃は使われなくなった呼び鈴だった。その呼び鈴をスクルージが見て間もなく、ゆらゆらと揺れだしたので、彼は非常に驚いた。それどころか、不思議な何ともいえない恐怖に襲われた。
最初は、ほとんど音も立てないほど、とてもゆっくりと揺れていた。しかし、次第に高く鳴り出した。そして、他の部屋にあるどの鈴も皆同じように鳴り出した。
これが続いたのは三十秒か一分位のものだったろう。だけど、スクルージには一時間も続いたように思われた。
呼び鈴は鳴り出した時と同じく、一斉に鳴り止んだ。その後、階下のずっと下の方で、チャラン、チャランという、ちょうど誰かがワイン商の穴ぐらの中にある酒樽の上を重い鎖でもひきづっているような音が続いた。
その時、スクルージは「亡霊に取り付かれた屋敷では、亡霊が鎖をひきづっているものだ」と、誰かに言われたのを思い出した。
ワイン商の穴ぐらのドアは、ブンとうなって開いた。
その後、スクルージには、前よりも高くなったその物音が階下の床で鳴っているように聴こえた。それから階段を上がり、まっすぐに、この部屋のドアの前の方へやって来るのを聴いた。
「またバカな真似をしてやがる!」と、スクルージは言った。彼は家政婦か洗濯をしに来る女性がいたずらをしているぐらいに思いたかった。しかし、それと同時にマーレーの顔が頭をよぎった。
「誰がそれを本気にするものか」
スクルージはそう言ったものの、突然、それが重いドアを通り抜けて部屋の中へ、しかも、彼の目の前まで入り込んで来た時には、彼も顔色が変った。
それが入って来た瞬間に、消えかかっていたロウソクの炎が、あたかも「私は彼を知っている! マーレーの亡霊だ!」とでも叫ぶように、ボッと燃え上がって、また暗くなった。
同じ顔、紛れもない同じ顔だった。
長い後ろ髪を束ねてまとめ、いつものチョッキ、タイツ、それにブーツをはいたマーレーだった。
ブーツに付いたふさは、後ろ髪や上着のすそや髪の毛と同じように逆立っていた。
亡霊の引きずって来た鎖は、腰の周りに巻きつけられていた。それは長く、ちょうどシッポのように、彼の足元にも垂れ下がっていた。
スクルージは詳細に亡霊を観察した。
鉄の鎖には金庫や鍵や南京錠や台帳や証券などが鉄で細工してあり、重い財布も取り付けてあった。
亡霊の体は透き通っていた。そのため、スクルージは、亡霊を観察して、チョッキが透すけて上着の背後についている二つのボタンを見ることができたぐらいだった。
スクルージは、亡霊をしげしげと見て、それが自分の前に立っているのだと受け入れてはいた。また、その死のように冷い目が、人をゾッとさせるような影響を感じてはいた。そして、頭からあごへかけて巻きつけていた折りたたんだハンカチの布目に気がついていた。まあ、こんな物を生前にマーレーが巻きつけているのを彼は見たことがなかったのだが。それらが目の前にあるとしても、まだ彼は認めることができなくて、自分と自分の感覚を疑おうとした。
亡霊は、頭からあごへかけて巻きつけていたハンカチが、口を動かせなくしていたので、結び目をほどいた。すると、ほどきすぎて、その下の皮膚が腐敗していたのか、あごがだらりと胸のあたりまで落ちた。
その時のスクルージを襲った恐怖はどんなに大きかったことだろう。
亡霊は、あごをつかむと、あるべき場所にはめて、ハンカチを調節して結び、口を動かしてみた。
「どうしたね!」と、スクルージは平常心をよそおい、皮肉をこめて冷淡に言った。
「何か私に用があるのかね?」
「沢山あるよ」と、言った声は、間違いなくマーレーの声だった。
「貴方は誰ですか?」と、スクルージは聞いた。
「誰だったか? と聞いてほしいね」と、亡霊は言い返した。
「じゃ、貴方は誰だったのですか?」と、スクルージは声を高めて言った。そして、彼は「亡霊にしては、いやにこまかいね」と、言った。
「生存中、私は貴方の仲間、ジェイコブ・マーレーだったよ」と、マーレーの亡霊は応えた。
「貴方は・・・。貴方はイスに座れるかね?」と、スクルージはどうかなと思うように相手を見ながら聞いた。
「出来るよ」と、マーレーの亡霊は応えた。
「じゃ、座ろうじゃないか」と、スクルージは言って、恐る恐るイスに座った。
マーレーの亡霊は、暖炉近くにあったイスを触ることもなく移動させて、スクルージのイスに対面する
位置に止めると、平然とそのイスに座った。
「お前は私を信じていないね」と、マーレーの亡霊は言った。
「信じないさ」と、スクルージは言い返した。
「私の存在については、お前の感覚以上にどんな証拠があると思っているのかね?」と、マーレーの亡霊は聞いた。
「私には分らないよ」と、スクルージは応えた。
「じゃ、何だって自分の感覚を疑うんだい?」と、マーレーの亡霊は聞いた。
「それは」と、スクルージは言って続けた。
「些細な事が感覚には影響するものだからね。胃の調子が少し狂っても感覚を詐欺師にしてしまうよ。お前さんは消化しきれなかった牛肉の残りかも知れない。カラシの一粒か、チーズの残りか、生煮えのイモの砕片ぐらいの物かも知れないね」
マーレーの亡霊はぜんぜん身動きもしないでイスに座っていたけれど、その髪の毛や衣服のすそやブーツの紐が、オーブンから昇る熱気にでも吹かれているように、フワフワと浮いて始終動いていた。
「このつま楊枝は見えているかい?」と、スクルージは言って、手に持ったつま楊枝を自分から遠ざけ、ただの一秒でもよいから、マーレーの亡霊の石のような凝視を他へそらそうとした。
「見えるよ」と、スクルージを見たままマーレーの亡霊が応えた。
「つま楊枝の方を見ていないじゃないか」と、スクルージは言った。
「でも、見えるんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。
「見ていなくてもね」
「なるほど!」と、スクルージはあることをひらめいた。
「私はただこれを丸呑みにしさえすればいいんだ。そして、一生の間、自分で作りだした化物の群れに始終いじめられてりゃ世話はないや。バカバカしい、本当にバカバカしいわい!」
これを聞いたマーレーの亡霊は、怖ろしい叫び声をあげた。そして、ものすごくゾッとするような物音を立てて、体中の鎖をゆさぶった。
スクルージは気絶しそうになり、しっかりとイスにしがみついた。そして、彼は無意識にひざまづいて、顔の前に両手を合せた。
「助けてくだい!」と、スクルージは言った。
「恐ろしい亡霊様、どうして貴方は私をお苦しめになるのですか?」
「世の中を見ようともしない、欲深い奴だ」と、マーレーの亡霊は怒鳴った。
「お前は私を信じるか? どうだ!」
「信じます」と、スクルージは言った。
「信じないではいられません。ですが、どうして亡霊が出るのですか? それに、何だって私のもとへやって来るのですか?」
「誰しも人間というものは」と、マーレーの亡霊は話し始めた。
「人と交流して心を通い合わせなければいけない。前世でそれをしなかった者は、死んでからそれを目撃するように定められている。そして、困っている人を助けられたはずなのにそうしなかったことを後悔するように、世界中をさまよわなければならない。幸い、私はお前が、お前にしては荘厳な葬儀をしてくれたので、お前に会う最後のチャンスをいただいたのさ」
マーレーの亡霊は再び叫び声をあげた。そしてまた、体中の鎖をゆさぶって、その幻影のような両手を振るわせた。
「貴方は縛られていらっしゃいますね」と、スクルージは震えながら言った。
「どういう訳ですか?」
「私が生存中に鍛えた鎖を身に着けているのさ」と、マーレーの亡霊は応えた。
「これは自分自身で巻きつけたんだ。自分自身で縛りつけたんだ。お前はこの鎖の型に見覚えがないかね?」
スクルージは思いをめぐらしながら、ますます震えた。
「お金は道具だ。使わなければ価値がない。私がせっせと集めて貯めこんだお金は、ただの金属と紙だ。それほど金属と紙が欲しいのならと、神がこうして鉄の鎖を作るように命じたのだ。もっとも、最初はこんなに長くなかったのに、お前が私の残した財産を増やしたものだから、こんなに重く、長くなってしまったのだよ。そうそう・・・」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。
「お前は自分の背負っているその頑丈な鎖の重さと長さを知りたいかね? それは七年前のクリスマスイブでも、これに負けないくらい重くて長かったよ。その後もお前は一生懸命稼いで殖やしていったからね。今は素晴らしく重く長い鎖になっているよ」
スクルージは、もしか自分もあんな五、六十フィートもあるような鉄の鎖で縛られているんじゃないかと、体や周囲の床の上を見まわした。しかし、何も見ることは出来なかった。
「ジェイコブ」と、スクルージは心底願うように言った。
「ジェイコブ・マーレーよ。もっと話しをしておくれ。気が楽になるようなことを言っておくれ、ジェイコブよ」
「何もしてやれないね」と、マーレーの亡霊は応えた。
「そういうことは他の世界をのぞいてみることだ。エベネーザー・スクルージよ。そして、自分の信仰とは違う使者や質の違う人間の習慣も受け入れてみることだよ。そうしたことは私が自分の言葉で話すわけにはいかない。それに、あともうほんの少しの時間しか許されていないんだ。私は休むことも停まってることも出来ない。どこかでぐずぐずしてることも出来ない。私の魂は私達の事務所より外へ出たことがなかった。よく聞いておくんだ。生きている間、私の魂は私達の社内の狭い天地より一歩も出なかった。そして、今や飽き飽きするような長たらしい旅路が私の前に横わっているんだよ」
スクルージは必死に、マーレーの亡霊が言った話のつじつまが合うのか考えた。そしてしばらく、彼は、目もあげなければ、立ち上がりもしなかった。
「すごくゆっくりとやって来たのでしょうか?」と、スクルージはねぎらいの気持ちはあったが、事務的な口調で質問した。
「ゆっくりだ!」と、マーレーの亡霊はスクルージの言葉を繰り返した。
「死んでから七年」と、スクルージは時を振り返るように言った。
「その間、始終歩き続けたのでしょうか?」
「始終だとも」と、マーレーの亡霊は応えた。
「休息もなければ、安心もない。絶え間なく後悔に苦しめられているんだよ」
「では、よほど速く歩いてるのですか?」と、スクルージは聞いた。
「風の翼に乗ってね」と、マーレーの亡霊は応えた。
「それじゃ、七年の間には、すごく沢山の世界を歩かれたでしょう」と、スクルージは言った。
マーレーの亡霊は、それを聞いてもう一度、叫び声をあげた。そして、怖ろしい物音を真夜中に響かせて、鎖をガチャガチャと鳴らした。
「おお! 縛られた。二重に足かせをはめられた捕虜よ」と、マーレーの亡霊は叫んだ。
「私は多くの人々が苦しんでいるのを見た。その人達を救える財力がありながら目を背けていた。手を差し伸べるのは簡単なことだと気づこうともせず。こんなに短い人生だとは思ってもみなかった。一生のチャンスを無駄遣いしたことに対しては、いくら長い間、後悔を続けてもそれを償えないと知りもしなかった! そうだ、私はそういう人間だった! ああ、私はそういう人間だったんだ!」
「だがしかし、貴方はいつも立派な商売人でしたよ」と、スクルージはなぐさめるように言った。彼は、マーレーの亡霊の語った言葉が、自分のことのように思えたのだ。
「商売人だって!」と、マーレーの亡霊はまたもやその手を振るわせながら叫んだ。
「私がやっていたのは、ただの金集めだよ。それも姑息なやり方でね。まともな仕事など一度もしたことはない。本当にやらなければいけない仕事は人の役に立つことだ。ビジネスは慈善事業ではないというのは嘘だ。慈善事業だからこそ存在価値があり、人に迷惑をかけず続けられるのだ。利益は大海原の水の一滴をすくう程度のことでいいんだ」
スクルージは、非常に落胆した。そして、非常にガタガタと動揺し始めた。
「よく聞いておくんだ!」と、マーレーの亡霊は叫んだ。
「私の時間はもう尽きかけているんだからね」
「はい、聞いています」と、スクルージは言った。
「ですが、どうかお手柔らかにお願いいたします。あまり言葉を大げさにしないでください。ミスター・ジェイコブ、お願いします」
「姿は見せなかったが、私は何日も何日もお前のそばに座っていたんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。
それは聞いてあまり気持のよい話ではなかった。
スクルージは身震いがした。そして、額から汗をふきとった。
「私は今晩ここへ、お前にはまだ私のような運命を逃れるチャンスも望みもあるということを教えてやるためにやって来たんだ。つまり、私の手で調べてあげたチャンスと望みがあるんだよ。ミスター・エベネーザー」
「貴方は、いつも私には親切な友人でしたからね」と、スクルージは言った。
「本当に有難う!」
「お前のもとに訪れるよ」と、マーレーの亡霊は言った。
「三体の精霊が」
スクルージの顔が、ちょうどマーレーの亡霊のあごが垂れ下がった時と同じぐらいに恐怖でこわばった。
「それが、貴方の言ったチャンスと望みのことなのですか? ミスター・ジェイコブ」と、スクルージはおどおどした声で聞いた。
「そうだよ」と、マーレーの亡霊は応えた。
「私は・・・。私はできれば来てほしくないのですが」と、スクルージは言った。
「三体の精霊の訪問を受け入れなければ」と、マーレーの亡霊は言った。
「絶対に私の歩んでいる苦痛の道を避けることは出来ないよ。明日、夜中の一時の鐘が鳴ったら、最初の精霊が来るから覚悟しておくんだね」
「皆さん一緒に来て頂いて、一度に済ましてしまうわけにはいきませんかね、ミスター・ジェイコブ」と、スクルージは彼の機嫌をうかがいながら言った。
「その次の夜中の同じ時刻には、次の精霊が来るから覚悟しておくんだ。そして、その次ぎの夜中の十二時に最後の時を告げる鐘が鳴り止んだら、最後の精霊が来るから覚悟しておくんだよ。それから、私の残した私の財産をすべて使いきり、この鎖の苦しみから解放してくれ。そして、もうこれ以上、私と会おうと思うな。今夜、こうして二人が会い、語り合ったことをお前自身のために忘れるんじゃないぞ!」
この言葉を言い終わった時、マーレーの亡霊は、頭からあごのまわりに巻きつけたハンカチの結び目を再びほどき、あごを上に押し上げ、骨にガチリという音をさせながらしっかりと固定して結んだ。
スクルージは、骨の鳴る音で気づき、思いきってマーレーの亡霊の方を見た。すると、この超自然の来客は、腕に抱えた鎖をグルグルと巻きつけたまま、直立不動の姿勢で彼と向い合って立っていた。
マーレーの亡霊は、スクルージの前からだんだんと後退りして行った。そして、それが一歩退くたびに、窓は自然に少しずつ開いて、マーレーの亡霊が窓に達した時には、すっかり開いていた。
マーレーの亡霊は、スクルージにそばへ来るようにと手招きした。それにスクルージは従った。
マーレーの亡霊は、スクルージとの距離があと二歩のところで、手をあげて、これよりそばへ近づかないように指示した。それで、スクルージは立ち止まった。これは、マーレーの亡霊の指示で立ち止まったというよりも、むしろ驚いて恐れて立ち止まったのだ。というのは、マーレーの亡霊が手をあげた瞬間に、空中の雑然とした物音が、混乱した悲嘆と後悔の響きが、何ともいえないほど悲しげな、自らを責めるような悲しみ叫ぶ声が、スクルージの耳に聞えて来たからだ。
マーレーの亡霊は、ちょっと耳を澄まして聞いた後で、自分もその悲しげな哀歌に、表情をゆがめ、体を震わせた。そして、窓から物寂しい暗夜の中へ吸い込まれるように出て行った。
スクルージは、自分の好奇心から無意識に、窓のそばまで近づいて行った。そして、彼は外を眺めた。
空中には、落着きがなく、急いであちらこちらをさまよい、そして、進みながらうめき声をだしている魔物達で満たされていた。そのどれもこれもが、マーレーの亡霊と同じような鎖を身につけていた。その中には、二、三の者が一緒に繋がれていた。(これは共謀者かもしれない)
鎖で縛られていない者は、一人としていなかった。
生きていた時には、スクルージと親しくしていた商売仲間も沢山いた。その中でも、白いチョッキを着て、くるぶしに素晴らしく大きな鉄製の金庫を引きずっている一人の老いた亡霊は、生前にスクルージと特に親しくしていた。その亡霊は、ビルの出入り口のステップにいる、赤ちゃんを抱いた貧しい女性を助けてやることが出来ないと、痛々しげに泣き叫んでいた。
彼らのすべての不幸は、あきらかに彼らが人助けをしたいと望んでいても、永久にその力を失ったというところにあった。
これらの亡霊が霧の中に消え去ったのか、それとも霧が彼らを包んでしまったのか、スクルージには分らなかった。しかし、彼らもその声も共に消えてしまった。そして、夜は、スクルージがこのビルまで歩いて帰って来た時と同じようにひっそりとなった。
スクルージは窓を閉めた。そして、マーレーの亡霊の入って来たドアを確かめた。それは彼が、自分の手で鍵をかけた時と同じように、ちゃんと二重に鍵がかかっていた。ボルトにも異常はなかった。
スクルージは「バカバカしい!」と言いかけたが、口ごもったままやめた。そして、自分の受けた感動からか、それとも昼間の疲れやあの世をちょっと垣間見て、マーレーの亡霊と交わした不吉な会話や深夜だったからか分からないが、すごい睡魔に襲われたので、ガウンも脱がないで、そのままベッドへ入って、すぐにぐっすりと寝入ってしまった。
続く
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