さよなら風たちの日々 第1章ー1 (連載1)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第1章-1


 時代が昭和の頃、京成電鉄お花茶駅のそばに『ポール』という名前の喫茶店がありました。その喫茶店は商店街の人間や地元葛飾野高校の生徒なら誰でも知っている喫茶店でしたが、実はその喫茶店には、誰も知らない物語があったのです。

 ぼくと、ヒロミ。以外には・・・


            【1】


 いつもの街並みが水銀灯に照らされ、静かに後方に流れていく。

 国道6号線水戸街道。シングルエンジンの鼓動と風のハーモニーを楽しみながら、ぼくはその国道をオートバイでを走っていた。

 荒川を跨ぐ四ツ木橋を下ると、水戸街道は新四ツ木橋と合流する。その先の本田広小路は立体交差になっていて、直進すれば松戸方面、右に曲がれば新小岩方面、左折すれば堀切方面に出る。ぼくはその広小路の手前を左に折れ、さらにフラッシャーを点滅させながらさらに細い路地に入った。

 オートバイのヘッドライトが舐めるようにブロック塀を照らしていくと、道は小さな十字路に出る。ぼくはその道をさらに直進し、何度かの右折、左折を繰り返して、

小さな二階建て住宅の前にオートバイを停めた。

 ヘッドライトを消してエンジンを切ると、周辺はたちまち静寂に包まれる。白銀色の街路灯に照らされたアスファルトが、人々の眠りを妨げないよう、そこに静かに横たわっている。

 葛飾区堀切一丁目。小さな町工場と住宅が密集した一画に、ぼくの家があった。


             【2】


 ぼくはオートバイを降りた。そしてそのオートバイを家の前のわずかなスペースに動かすと、メインスタンドを掛け、それからハンドルロックを確認し、グローブとヘルメットを脱ぎ、夜空を仰いだ。

 するとツーリング帰りの心地よい疲労感がぼくを包む。スポーツをしたあとの充実感。ひとつの仕事を終えたあとの満足感。それに似た感覚に包まれながら、ぼくは軽く首を左右に動かし、肩をぐるぐる回しながら、玄関のドアを開いた。

「ただいま・・・」

 小さな声でそう言ってブーツを脱いでいると、居間から父親が出てきて声をかけた。

駿しゅん。さっきまでヒロミって女の子が来て、お前の帰り、待ってたぞ」

 ぼくは少し考えてから答えた。

「・・・ヒロミって、もしかして織原ヒロミ」

「そう、たぶんそのヒロミって女の子だ。何でもお前に大事な話があるって、ずいぶん待ってたんだぞ」

 ぼくはややあってから訊ねた。

「・・・で、何の話だって」

  父親は言葉を続けた。

「それは訊いてない。でも、お前、あの子に何かしたのか。ずいぶん暗い顔してたぞ」

「あんまりいい話じゃないって雰囲気だった」

 ぼくは黙っていた。それはある記憶をたどっていたからだ。

 沈黙するぼくに、父親が言った。

「その女の子、これから板橋に行くって話してた」

「オヤジ、板橋のどこだって言ってた」

 父親は考えこむようにして答えた。

「・・・確か、高島平の団地とか言ってたかな」

 ぼくの頭の中であることが突然浮かび上がってきて、それが目まぐるしく回り始めた。

「オヤジ。オレ。ちょっと出かけてくる」

「おい、駿。待て。今、いったい何時だと思ってるんだ」

 その声を背中で訊き、ぼくはいったん脱いだブーツを履き直して外に出た。

 そこにはたった今、エンジンを切ったばかりのオートバイがある。

 ロックを解除して外に出し、ぼくはオートバイのシートを跨いだ。そうしてヘルメットとグローブをもどかしく着け、イグニッションスイッチをオンにする。

 緑色のニュートラルランプを確認して、キックペダルを出すした。それから間合いを計りながらペダルを踏み下ろすと、オートバイはいとも簡単に目を覚ました。


  【3】


 静まり返った夜の住宅街に、単気筒エンジンの音が無遠慮に響き渡る。

 気がひけそうなその音に首をすくめながら、ぼくは腕時計を見た。

 時計の針はもうすぐ午前0時。

 それでもぼくは構わないと思った。

 今、あいつに会いに行かなければ、ぼくは一生後悔すると思った。

 クラッチを握り、シフトペダルを踏み下ろす。そしてクラッチを静かにリリースすると、オートバイはゆっくり動き出した。


 狭い路地を制限速度で走っていると、ヘッドライトに照らされた道路標識が、ぼうっと浮かび上がってくる。その下でうずくまっていたネコの目が光った。

 悪いな。今はかまってやれないんだ。

 ぼくはそう心の中でつぶやき、視線を前方に戻した。

 コンクリート塀に、ヘッドライトの光が走る。

 一時停止。左折。右折。

 やがてオートバイは平和橋通りに出た。クルマは流れてない。

 ぼくはそれを確認すると少し乱暴にアクセルを開き、オートバイを勢いよくダッシュさせた。

綾瀬のガード下をくぐり、加平から環状七号線に出る。このまま環状七号線をまっすぐ走り、大和陸橋を右折すれば高島平に出るはずだ。

 シフトアップを小気味よく繰り返し、ぼくは少しスピードオーバー気味で環状七号線を走った。

 行けども行けども、信号は青のままだ。その信号はぼくを応援するかのように、

ぼくの走りを妨げようとはしない。 

 るオートバイの座席の下で、エンジンが小さく身震いしている。小さく咆哮している。

ヘルメットをよぎる風は、しばらく雨が降らないことを告げている。

 けれどもそのときのぼくはエンジンの鼓動も、風も、ましてやエクゾーストノートを味わう余裕はなかった。

「ばかやろう。ダメになったらおれんとこ来いや、なんて言葉、信じやがって」

「どこにいたって、迎えにいくよ、なんて戯れざれごと、真に受けやがって」

 その言葉を呪詛のように繰り返し、ぼくは深夜の環状七号線を走った。

 その脳裏に、織原ヒロミとのたくさんの出来事、記憶が、ぽっかりと浮かんでは消えていく。


 はじめてヒロミと会ったのは、いつのことだっただろう。

 ・・・そうだ。あれはぼくが高校三年になった四月、あいつが新入生として入学してきたんだ


 




              《この項 続きます》

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