閑話 お嬢様のお見舞い(1)

 小旅行の最終日、高速バスは地元の駅——最初に待ち合わせした駅——に到着した。



「二日間、とても楽しく過ごせました。楽器もいいものが買えましたし、竹居君には感謝しています」

「ううん、頼ってもらえて嬉しかった」

「はい。また、楽器教えてくださいね、竹居君。じゃあまたね」

「うん、また」



 朝宮さんはとても嬉しそうに笑って、俺に一礼すると雨の中を駆けていった。

 夕凪さんが迎えに来ていたようだ。


 雨の中をぴょんぴょんと跳ねるように走って行く後ろ姿を見て気がつく。

 朝宮さん……俺の上着着たままなんだけど——。

 


 ——その雨の夜、上着も無しで姉さんの車を待ったのがいけなかったのか。

 俺は、風邪を引いて寝込んでしまった。

 せっかくのゴールデンウィークなのに!




 そして連休最終日のお昼過ぎのこと。


 ピンコン!


 メッセージアプリの通知の音がした。

 なんだ……?

 と思ってスマホを見ると、朝宮さんからだった。



【竹居君、こんにちは。お元気ですか?】



 微妙に可愛くない無料のスタンプが続いている。

 あまり慣れていない感じがする?



【こんにちは。風邪を引いたけど元気だよ】



 とりあえず、当たり障りのないメッセージを返しておく。



【えっ!! 大丈夫ですか?】

【うん。もう殆ど治った】

【よかった。この前の竹居君の上着ですが、着たまま帰ってしまいまして申し訳ありません。すぐお返ししたいです】

【いつでもいいよ】



 ここまでやり取りしたところで、朝宮さんからの返事が止まってしまった。

 【いつでもいいよ】には、もう既読と表示されている。

 ちょっと突き放した感じになったか?

 ぐぬぬ……しまった。

 痛恨のミスをしたと思い布団にスマホを投げ捨てようとしたその時——。


 ピンコン!


 俺は光の速さでスマホのロックを解除しメッセージを読む。



【上着を持ってお見舞いに竹居君の家に行きたいと思いますが、よろしいでしょうか?】



 勝手に指が動く。



【うん。いいよ】



 すると、朝宮さんからはピースサインの絵文字が送られてきた。

 すごく喜んでいるように見える。


 住所が知りたいというので、送ってみたけど大丈夫だろうか。

 少し不安があるものの道に迷ったら、メッセージ送ってくるだろうと考え、俺は家の中を掃除し始めたのだった。



 ピンポーン。

 朝宮さんが来たみたいだ。

 予想より早く着いた。


 俺はインターフォンを無視して、玄関に向かいドアを開けた。

 すると、俺の顔を見て笑顔になる朝宮さんがいる。


「こんにちは、竹居君」

「いらっしゃい。どうぞ、上がって?」

「おじゃまします」



 そう言って丁寧に靴を揃え、うちに上がる朝宮さん。




「お元気そうです。こちら、お借りしていた上着です」

「うん。もう殆ど良くなったよ」



 ビニールに包まれた上着は妙に綺麗になっているような気がした。

 そしてもう片手には、スーパーの袋を持っている。

 ネギと……たまごと?



「それは?」

「雑炊の材料です。もし食事がまだでしたら、作って差し上げようと」



 そういえば、何も食べてなかった。

 姉は仕事でおらず、こういう日は食事が適当になる。

 食事の話をされて、ぐぅーっと腹が鳴った。



「お作りしますね」



 俺の腹の音が大きすぎたのか、朝宮さんがくすっと笑った。

 うちに上がるのに少し緊張していたみたいだけど、一気に緊張が溶けたみたいだ。



「キッチンはこっちだよ。鍋や食器はこのへんに。調味料とかは適当に——」



 と言いつつ、俺は気になることがあった。



「——朝宮さん、料理したことって?」

「……がんばります!」



 ぞい! と言わんばかりに両手のひらを握りしめ気合いを入れる朝宮さん。

 なんか手伝って欲しく無さそうな圧を感じた。



「竹居君は、そちらでゆっくりしていてください」



 若干不安だけど、あまりに真剣な顔に気圧されて、俺はソファに座るしかなかった。

 幸いご飯は炊いてあって、手際さえよければ、ものの十分もあればできそうでだ。


 たまご雑炊なら多分あまり酷いことにはならないだろう。

 俺はとんなものが出ても全部食べる決意をする。




「できました」



 スマホを弄りながら、ぼーっとしていると、いつのまにか真新しいエプロンを身につけた朝宮さんが、土鍋や茶碗を持ってやってきた。

 かすかに美味しそうな香りがする。

 結構いけそうだ?


 早速、朝宮さんは茶碗に雑炊を入れて俺に渡してくる。



「いただきます」



 手にスプーンを取り、掬おうとする。



「竹居君、熱いと思いますので、貸して頂いてもいいですか?」



 そう言って、彼女はスプーンを俺から奪うと、雑炊を掬いふぅふぅと息をかけた。

 これって、既視感があるな。


 俺はその正体をすぐに思い出す。

 初めて音楽室で朝宮さんがマウスピースを吹いたとき、似たような風景だった。

 朝宮さんって許可を求めつつも怖いものなしで突っ込むよな……。

 その勢い、俺も見習った方がいいのかも。


 スプーンを、俺の口に近づける朝宮さん。

 ぱくっとスプーンをくわえる俺。

 熱さはほどよく、口に優しい味が広がった。

 すごく美味しいぞ。


 でも、こうしてると俺って子供みたいだ。



「……!」



 ふと朝宮さんと目が合う。

 すると、真っ赤になって朝宮さんは目を逸らした。

 多分、同じような事を考えていそう。



「すごく美味しい! 朝宮さん、料理得意?」

「ほんとうですか!?」



 朝宮さんの顔がぱっと明るくなった。



「うん。優しい感じの味がおいしい」



 不格好だけど少し大きく刻まれたネギも悪くなかった。

 基本に忠実に、レシピ通りにしたのだろう。



「ほんとおいしいい」



 ふわっと笑顔の朝宮さん。

 俺は、朝宮さんが作ってくれた雑炊をあっと言う間に平らげてしまう。



「ごちそうさまでした」



 食べ終えて、これからどうしようかと考えようとしたら、「さて」と言って真剣な顔になった朝宮さん。

 彼女は何かをつまんで、俺の目の前までやって来た。



「竹居君。コレなんですけど……」



 朝宮さんの右手には、長い髪の毛が一本つままれている。

 掃除が甘かったみたい。

 この長い髪の毛は、もちろん俺のものじゃなく、女性——どう考えても姉さんのものだ。

 んん? ……朝宮さん、なんか微妙に怒ってる?


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