話す少女

睦月紅葉

花と少女

 荒涼とした大地に吹く風は、砕けた地面のかけらを少し持ち上げるだけですぐにどこかに吹き抜けていく。それと同時にあたしのくすんだ髪も揺らされたけれど、髪についたすすの匂いを鼻先にくすぐらせて終わった。ここで吹く風は、それくらいの価値しかなかった。




 日没を迎える国との戦争は膠着状態に陥っていた。

 互いに兵をぶつけ合い、互いにスパイを送り込み、互いに破壊兵器を行使したけれども、壊滅的なダメージを与えるには至らない。新たな戦況の変化が訪れるまで、互いに攻めあぐねている。

 敵兵の侵攻とそれに対応する迎撃作戦の数は日に日にその数を減らしてゆき、今となってはほとんど行われていないのが現状だった。

 斥候や見張り以外のあらかたの兵士には緊張の弛緩が見て取れ、キャンプ内だというのに大隊長は戦場で出すよりももっと大きな声で兵士達を叱りつけていた。

 そんな時期である。

「見張りのトムです!交代時間です!」

 キャンプの外側から若い男の声が響いたのは、ちょうどあたしがライフルを分解し終えた時だった。隊長に促され、トムはキビキビとした動作でテントへ入ってくると口早に隊長へ見張りの結果を伝える。

 『異常なし』という一言で済む報告は、大袈裟な身振りと迫真の語り口でもって五分間にも及んだ。

 隊長への報告を終えたアレックスがその勢いのままあたしに見張りの交代を告げに来る。

「エリー。次の見張りは君だ。今のところ相手に動きはありませんが……」

 あたしが横にいたのも知っていたろうに、隊長にしたのと同じ報告をしようとしてくるトム。同じ話を聞かされるのは個人的にも億劫だし純粋に時間の無駄だ。適当に話を遮り用意を進める。テントをくぐる際にちらりと彼を振り返り、憮然としている表情をみてあたしはほんの少しの罪悪感を抱いたが、結局見張り台へと急いだ。

 見張り台、とはいっても立派なものではまるでなく、キャンプ地近くにある小高い丘と、そこに露出している大きな岩々のことをあたしたちは便宜上そう呼んでいた。岩の陰に伏していたもう一人の見張りに戻るよう伝えると、あたしもまた彼と同じように岩陰に伏せた。陽はすでに傾いており、オレンジの光は濃い影を生み出す。今日の不寝番ねずばんはあたしだ。

 持ってきた荷物の中から分解された状態のライフルを組み立て、身を隠せる岩のすぐ横に設置し、望遠スコープを取り付ける。これで朝までのあたしの仕事は八割終わり。後の一割は寝ないこと。もう一割は寝なかったこととついでにだれも怪しいものはいなかったと隊長に報告すること。正直、今の状況では敵がこちらのキャンプまで来ることはまず無いだろう。戦況が膠着している今、斥候が来れば逆に目立つ。そのリスクを互いに分かっているからこそ、こちらからも斥候を送ってはいない。動きがあるとしても、せいぜい前線の様子見といった程度だろう。そちらの見張りは別の人がやっているから、あたしの仕事はあくまでキャンプに近づくものが無いか見張るだけ。あくびをかみ殺しながら、スコープをのぞき込んでは周囲を見渡し、周囲を見渡してはスコープをのぞいた。時間の経過と同じスピードで自身が作り出す影は次第にその濃さを増し、とうとう太陽は遠くの山脈に突かれる。

 そろそろかがり火を焚こうかとマッチを擦ったその時、ごうと強い風が吹いた。生まれたばかりの小さな火は身をよじるも抵抗むなしく消えてしまい、近くの枯れ木はその枝をぶつけ合い風の強さを主張する。あわや設置したライフルをも吹き飛ばしかねない強風にあたしは荷物とライフルを抑え込んだ。

 風は瞬く間に過ぎ去り、自国の方角へとあらゆる砂利やちり、折れたマッチのカスなんかを運びながらうなり去って行った。

 風によって乱された荷物、食料、髪を適当にまとめ、今度こそ岩場にかがり火を掲げた。この地域に強風はほとんど吹かない。どうせ話すことも無いだろうから、翌朝の隊長への報告はこの突風のことでも話そうか。なんてことをぼんやりと考える。

 気づけば陽は完全に沈み、先ほど掲げたかがり火と空に瞬きだした月と星が光源となっていた。先ほどの風ですべて飛ばされたのか、満天の星空には覆い隠す雲一つ見当たらない。物心着いた頃にはすでに戦争状態でずっと戦火と土煙にまみれて生きてきたあたしにとって、生きてきてほとんど見たことのないクリアな景色だった。ここから見える地平のほとんどはもう荒れ果てているか、今まさに荒れつつある真っ只中であるかのどちらかでしかなかったけれど、それでもこの景色を美しいと思う。深く息を吸って入ってきたのは相変わらず乾いた空気だったが、肺にため込んだ空気と一緒に吐き出したのは新鮮な感動だった。

「綺麗」

「そんなことないでしょ」

 思わず漏れた独り言に答える声。

「誰だ?」

 見張りをすり抜けてここまで誰かが近づいてきたのか? それとも自陣キャンプからこっそり来た仲間が冷やかしに? 姿は見えない。あたしは怪訝に思いながらも腰の拳銃を抜き、低い声で見えざる相手を威嚇する。

「そんな物騒なもの構えるの、やめてよ。おっかないじゃんか」

 警戒するあたしに対し、声の主は極めて軽い調子だった。おっかないなどと言いながら、恐怖しているような声色には聞こえない。

「誰だ」

 再び同じといを投げかけながら、素早く周囲を見渡す。かがり火に照らされ揺らめく影はあたしのもの一つだ。相当に小柄なやつなのか。先ほどから聞こえる声も成人男性のようには聞こえない。どちらかというと、変声期を迎える前の少年のような声だ。

「んー。誰だ、って質問には答えられないなぁ。何だ、って質問には答えられるけど」

 声は相変わらず緊張感を欠いており、何やらとんちめいたことを言い出した。あたしは軽い頭痛を感じながらも、彼──厳密には人かどうかも分からないのだが──に言われたとおりに尋ねる。

「あんたは、何?」

「君の近くの岩影を見てごらん」

 拳銃をホルスターにしまいつつも警戒だけは崩さぬまま、マッチを擦って岩陰をのぞき込む。特に不審な者も、物も、見当たらない。声の主はふざけているのだろうか。あたしはにわかにいらつきを感じ始める。

「何も無い。からかってるの?」

「いや、見えてるって。もっと下。もうちょっと。少し右。あー行き過ぎ、ちょっと戻して、そう。そうそこ。今、君、見てるよ」

「これは……」

 声の誘導通りに視線を動かして視界に映ったのは、地面から一輪だけ顔をのぞかせている小さな花だった。

「花?」

 思わず口に出す。声は自明だと言わんばかりに答えた。

「そう。花」

 本格的に頭が痛い。花と話しているだなんて、洒落にもならない。おかしくなっているのは目ではなくて頭かもしれない。救護にセラピーを頼むべきか、真剣に考えた方が良さそうだ。

「黙りこくってどうしたのさ」

「うるさい」

 反射的に返してしまい、答えた後にどっと後悔の念が押し寄せた。駄目だ。これは幻聴だ。返事しちゃいけない。あたしは疲れているんだ。そう言い聞かせながら自分を納得させるように眉間を押さえ目を強く瞑る。なんだか、拳銃を握る気分にはなれなかった。

 黙りこくるあたしに、花はいつまでも話しかけてくる。あたしは徹頭徹尾無視を決め込んでいたが、どれだけ塞ぎ込もうとも頭の中に入り込んでくる声に我慢が出来ず、とうとうあたしは口と目を開いてしまう。

「あんたは……何なの?」

 結局、開いた口から漏れたのは先ほどと同じ問だった。こんな聞き方しか出来ないのも我ながら間抜けだと思うのだが、他に何を聞いていいのか分からない。正直、あたしの理解の範疇を超えている。返ってきた答えも訳が分からなかった。

「何か、と言われたら花だけど、何なの、と聞かれてもわからないな」

「馬鹿にしてるの?」

 頬の筋肉が微かに痙攣するのを感じながら、すでに火の消えたマッチをへし折り、腰から再び拳銃を抜く。

「わ、やめてよ。本当にわからないんだってば。ここには君と同じ腕章をしている人が何人も来たけど、だれも話そうとはしてくれなかったよ」

「普通は、花と話さないし、そもそも話しかけてきたのはそっちでしょ」

「人と話せるって知ったのも今だよ」

「はぁ」

 気の抜けた声しか出ない。話を聞けばこの状況に何かしらの納得がいくと期待していたが、疑問の渦は加速するばかりである。花はあたしの混乱を置いてきぼりにして脳天気に話す。

「なんで君と話せるかなんてどうでも良いよ。それより何を話そう?ここにずっと咲いているだけなのは退屈なんだ」

「……花も退屈とか感じるの?」

 まるで数年来の知り合いであるかのように語る花のペースに乗せられ、ついぽろりと疑問を口にしてしまう。花は楽しそうな声色で答える。

「そりゃぁね。時間は万物に平等なんだから」

 なんだかさっきから妙に回りくどいというか、哲学的な花し方、いや話し方をする花だ。それに、僕とか私とかいった一人称を一切使わない。花だからそこのところは曖昧なのかもしれない。

「君はどこから来たの?」

 花が尋ねてくる。どこから? あたしはずっと戦場を転々としてきたから、故郷と言えるような場所は無い。もしあったとしても覚えていない。そういうことではないと分かっていても、

「麓のキャンプ」

 と答えるしかなかった。案の定、花にとっても期待した答えではなかったようで、そういうことじゃない、と笑われる。

「自分が生まれて、育ったところさ」

「知らない。ずっと戦争してたから」

 あたしはちょっと気恥ずかしくなりながら、なるべくそれを悟られまいと言い返す。

「花だってずっとここに生えてるんでしょ」

「そうだよ。でもね、ここに咲く前は土の中で過ごしてたし、そのさらに前は西を飛び回ってたよ」

「ふうん」

「そして、さらにその前は大きな町の花壇で仲間と一緒に咲いてた」

「前の花の時から?」

「うん。記憶はあるよ。ずっとずっと、思い出せないくらい昔から花として咲いてきたんだ」

「いろんな景色を見たんだろうね」

「そりゃぁね。いろんな景色を見たよ」

 そうなんだ、とこぼしたあたりでいつの間にか花と普通に話しているということを思い返し、複雑な気持ちになる。花と話し始めてからどれくらい時間が経っただろうか。いい加減、見張りに集中しなくては。あたしは花から視線を外し、設置したライフルの横に伏せる。

「どうしたの?」

 花が尋ねてくる。

「どうもこうもない。あたしがここに来たのは見張りのため。あんたと話すためじゃない」

「ひどいなぁ」

「ひどくない。まあ、あんたが敵軍のスパイだったりあたし達を害したりする……なんてことはなさそうだから、引っこ抜いたりはしないよ」

「洒落にならないからやめてよ」

「やらないって。見張りに集中させて。……何か話したいなら、返事はするから」

「やった」

 その後、花とあたしは時折他愛の無い会話をしながら数時間過ごした。あたしは見張りの仕事をきちんとこなし、花はのんびりゆらゆら揺れていた。地平から白い陽が昇り、かがり火の仕事が無くなってくる頃には、花との会話をそれほど苦にしていない事に気づいた。感覚が麻痺してるな、と言う自覚はある。

 あたしは仕事を終えたかがり火を消して、見張りの交代が来るのを待つ。昼、夕の見張りは二人だが、あたしは一人だ。見張り台を空けるわけにはいかない。

そう時間が経たないうちに、見張り台の下からあたしと同じ腕章をつけた男たちが歩いてきた。あたしと男達は敬礼を交わす。

「夜間の見張り、ご苦労だった。エリー。何か異常はあったか?」

 背の高い方の男、クリスが尋ねてくる。あたしは花のことを伝えようかとしばし逡巡するも、結局やめた。異常なし、と伝える。背の低いほうの男、ロバートは荷物を広げながら、

「ま、そうだよな。後は任せな」

と笑った。

 言葉通り、後の見張りは彼らに任せよう。あたしは見張り台を下っていきながら、背中に成人男性二人と少年一人の声を聞きながらキャンプへと戻った。

隊長には『異常なし』の一言で報告を終え、そのまま寝床に入って眠った。




 膠着状態にあった戦争はその均衡を崩す気配の無いまま一月ひとつきが経とうとしていた。

 前線に常駐する兵の数は次第に減っていき、あたしのいたキャンプも半分ほどの兵がいったん国に帰された。残ったのは隊長や救護班のような欠かすことの出来無い役職、仕事のあるものや、あたしのような国に帰っても身寄りのないものばかりだった。

 自然、人員が減れば残った者が多く仕事を行うことになる。そのためあたしは以前よりも見張り台に上ることが多くなった。今では日中も見張りは一人だ。前線の見張りは夜間のみになった。もはや膠着、というよりは冷戦と言った方が適当かもしれない。今日の報告も一言で終わる予感を感じながら、あたしは見張り台へと上った。

「やぁ、エリー」

 見張り台の頂上、大きな岩陰から声が聞こえてくるのにも、最早慣れっこであった。

「やあ、フィオ」

 吹いてきた風で顔にかかる髪を耳にかけながらあたしは姿無き声に応える。フィオ、というのはこの花の名前だ。この花と二回目に話したとき、花は何故かあたしの名前を知っていた。別の見張りの会話を聞きでもしたのだろう。その時ふと疑問に思いあたしが花に名を尋ねると、花は自分に名は無いと答えた。こちらだけが名前を知られているのもなんだか癪だったので勝手に名付けた名がフィオである。前に来たのはいつだっけ。一昨日の昼かな。どうでも良い会話を交わしながらテキパキと見張りの準備を進める。広げた荷物からライフルを組み立てて、設置。仕事の五割が終了。あとは交代時間までしっかりと気を張って、ついでにフィオと話していればあたしの任は終了だ。いつの間にか、フィオとの会話に対するリソースが増えてきていた。慣れというのは恐ろしい。この花にも、この戦況にも言えることだが。

 フィオは不意にこんなことを聞いてきた。

「はじめて話した時のこと、覚えてる?」

「いいや、余り良く覚えてない」

 正直に答えた。

「あの強い風が吹いた日。君が綺麗だと言った景色を否定したんだ」

「ああ」

 そういえばそうだったかもしれない。しかし、何故唐突にそのような話を切り出してきたのか分からず、あたしは訝しんだ。

「どうしていきなり?」

「ごめんよ。嘘をついたんだ」

「嘘?」

「そう。半分は本当だけど、もう半分は嘘なんだ」

 またフィオお得意の回りくどい問答か。こういうときのフィオは面倒くさい。

「また妙にとんちじみた事言うなら……」

「そうじゃない、そうじゃないんだ」

 あたしの声を遮ってフィオは否定する。その声には普段の軽さというか、会話そのものを楽しんでいるような空気は無かった。

「君はまだ二十にもならないだろ、僕は君の何倍も生きて、君の何倍も多くの景色を見た」

「うん」

 真剣な声に、あたしも向き合って次の言葉を待つ。フィオが自身を「僕」と表すのは覚えている限り初めてだった。

「ここは僕が咲いてきたどんなところよりも色彩に欠けていて、ただただ見渡す限り乾燥している地平と人工物の排出した重たい煙がいつも立ちこめていた。町ゆく人も無く、風に揺れる木々も無く、変化もまるで無かった」

「そうだね」

「ここに咲いてからの記憶の多くはそれだけ。エリー。君と話すようになるまでは」

 フィオはいったんここで言葉を切った。あたしはフィオの言葉の真意を掴み兼ねながらも、できる限り柔らかい声色で聞いた。

「寂しかった?」

「そりゃぁね。本当に、ここには何も無いんだ。君の仲間はここに来て代わる代わる見張りをしていたけれど、誰も僕に気づかなかった。早く枯れて、風に乗って別のところで咲きたいと何度も思った」

花は咲く場所を選べない。語る術も持たない。あたしが特例イレギュラーだというだけで、フィオの思いは花という生命である以上避け得ないものなのだろう。自分自身ではどうしようもない、という理不尽を思うと、少なからずフィオへは憐憫の念を覚える。しかし、いくら同情したところで花ではないあたしにはフィオの心情を完全に汲み取ることは出来ない。それでも、あたしは必死にフィオへの言葉を探ししていたが、フィオはその思考を遮るように「でもね」と続けた。

「あの夜は本当に星が綺麗だった。けれど、その空を支えるにはこの大地はあまりにも貧相すぎたんだ。荒れ果てすぎていた。遠くを見たとき、綺麗な空と枯れた大地の境界線を見て、僕はちょっとがっかりしたんだ。だから僕は君のつぶやきを否定した。だって、生きているのならこの高台から見える星空よりももっと綺麗なものはいくらでも見つけられるはずなんだ。僕がそうだったから、歩ける人間なら、なおさら」

「うん」

 相槌を打つ。

「でも君は違った。ずっと戦争をしていると言った。故郷が無いと言った。君のような女の子が、土と銃と人の死ばかり見ているなんて、あんまりだ。人間の生命は長くない。花のように記憶を連綿と受け継ぐことも出来ない。なのに、今まで生きてきて戦争しか知らないのは、本当にかわいそうなんだ」

「かわいそう? あたしが?」

 そんなこと、考えたことも無かった。だって、あたしにとっては戦争していることが普通で、故郷が無いことが普通だったから。かわいそう、というならフィオの方だ。

「なら、フィオだってそうだよ。花は咲くところを選べないのに、こんなところにひとりぼっちで、動くことも出来ないなんて……」

「それは違うよ、エリー」

 あたしの言葉を、しかしフィオは否定する。まるで諭すようにフィオは続けた。

「僕は感謝してるんだよ。本当に。ここは本当に寂しい場所だけれど、君と出会えた。君と出会えて、初めて人と話すことが出来た。会話がこんなに楽しいなんてここに咲かなければ知らなかった。それに、君は僕に名前をつけてくれた。自分の存在が認識されて、他の何でも無い自分だけを表す言葉で呼んでくれるのは、とても幸せなことなんだ」

ごうと強い風が吹いた。あたしはライフルや荷物を抑えるのも忘れ、フィオの話に聞き入っていた。風でフィオがちぎれ飛んでしまわぬよう、体が盾になるように座る位置をずらす。勢いは強いのに不思議と心地の良い風だった。

 風が弱まってきた頃、フィオは再び話し始めた。

「花は咲くところを選べない、とエリーは言ったね。でも、それは花としての当たり前なんだ。僕が花である以上、もうそういうものなんだ」

 風によって強く揺らされているフィオの姿は、おおげさな手振りをして話をする人間のようにも見える。

「けれど、君は人間だ。歩いて好きなところに行けるし、いろんな人と語り合う事だって出来る。当たり前なんだ。人としての、当たり前。僕に当たり前じゃ無い幸せをくれたエリーがそれを十分に出来ていないのが、僕はとても悲しい」

 風はいつしか止んでいた。茎が倒れかけ、うつむくフィオ。あたしは茎を撫でてフィオをピンと立たせる。

「……風の噂はここにも届くんだよ」

「え?」

 急な話の転調にあたしは思わず聞き返す。

「僕は西の町から咲いていたって言ったよね」

「うん」

「そこは今君達が戦争している国にある町なんだ。だから、そこの噂話は風に乗ってここまで届く」

「まじか」

 風の噂、と言う言葉が比喩でも何でも無く使われるのを聞いたのは初めてだ。思わず馬鹿みたいな反応を返してしまう。

「西の国は、空飛ぶ巨大な制圧兵器を完成させたらしいよ。このところ大きな動きが無かったのは開発の着手に専念していたかららしい。すぐにでもここに来るかもしれない」

「なんだって?」

 信じがたいことだ。すぐにでも隊長に知らせねば。しかし、あたしの進言が受け入れられるだろうか。花から聞きました、なんて到底信じてはもらえないだろう。兎も角、荷物の中から通信機を探すあたしを横に、

「本当はこんなこと伝えたくなかったんだ」

 ぽつりと漏らすフィオ。

「どうして」

 焦るあたしは自然と語調も荒くなる。

「だって、これを伝えたら君はきっと更なる戦いの中へ踏み込んでしまう。もしかしたら死んでしまうかもしれない」

「そうだね。あたしは……兵士だから」

「僕は君に兵士でなんていて欲しくなかったんだ。一人の人間で、一人の女の子でいて欲しかった」

「フィオ」

「僕は君と離れたくない。話していたい。でも、ここにいては間違いなく君は死んでしまう」

 荷物の中から通信機を見つけ出したが、ダイヤルは回せなかった。フィオの言葉には、それを押しとどめる何かがあった。

「間違いなく、ともしかして、なら僕は君との別れを選ぶよ。君と離れるのは本当に辛いけれど、君が死ぬのはもっと辛い」

 あたしが何かを言い返す前に、微弱な空気の揺らめきと共に微かな音が聞こえる。その方向──西の方角だ──を振り返る。いつも陽が沈む方向から、なにかが空を飛んできていた。山々の向こう側から、豆粒のような飛行物体が見て取れる。距離が遠いのでゆっくりと飛んでいるように見えるが、実際は相当なスピードだろう。進路は当然のようにあたし達の国の方向だ。報告しなくては。握りしめる通信機は、しかしダイヤルを回す前に音声を発し始める。隊長からの通信を受信したのだ。

「見張り台!こちら前線キャンプ隊長サミュエル!見張り台、応答せよ!」

 あたしはとっさにフィオを振り返る。この通信に出たら、あたしはここを離れなければならないだろう。

「出て」

 フィオは毅然とした声で言い放つ。一瞬の迷いを振り払い、ライフルを担いで応答する。

「こちら見張り台!敵国からの飛行物体を確認!進路は本国方面であります!」

「こちらからも確認している!早急にキャンプを放棄し本国での迎撃作戦に移る!大至急キャンプへ帰還せよ!」

「了解!」

 通信は途切れた。あたしは全速力で見張り台を駆け下りた。背中に変声期前の少年があたしの名を呼ぶ声を聞きながら。




 戦争は終結した。


 あたしが産まれる前から続いていた戦争は、その幕引きまでに二十五年もの時を要していた。人も、金も、そして時間も。すべてを破壊する戦争はこれからも戦後復興という形であたし達の意識に深く刻まれていくのだろう。

 あたしは、風の強い丘の上に立っていた。あの時見下ろした大地は荒涼としており、星空を支えるには余りに貧相だったけれど、今は大地のひび割れから所々草木が芽生え、豊かな自然を取り戻そうとしている。ここは空とぶ破壊兵器が使われた最初の土地にして、かつての前線基地であったキャンプの見張り台だ。ここに常駐していたのはもう六年も前になるのか。あたしも、二十歳になるわけだ。

 ここに来た目的を果たすため、あたしは呼びかけた。

「フィオ」

 返事は無い。あたしは突き出している岩の一つに腰掛けた。

「なぁ、フィオ」

 帰ってくるはずの無い独り言を、誰にともなく呟く。

「種を持ってきたんだ」

「あたしは植物に詳しくないけど」

「この子は強い種だ」

「ここよりももっとひどい戦場の中で立派に顔を出してた」

「あたしはもう行くけど」

「これで君も話相手が出来るだろ」

「もう寂しくないだろ」

「会話相手がいないことを嘆くことも無い」

「乾いた大地ばかりを見てなくてもいい」

「この子が君と同じ色に咲くかは分からないけど」

「きっと楽しく話せるはずだ」

「だから、ここに種を撒いていくよ」

「君が寂しくないように」

「フィオ」

「あたしの手は汚れてたろ」

「あたしの肌は乾いてたろ」

「あたしの髪はくすんでたろ」

「でも」

「あたしの心は荒まなかった」

「君の話はたまに回りくどかったけど」

「けど楽しかった」

「もし生まれ変わりってものがあるのなら」

「君と同じ時を過ごせる生き物が良いなって」

「君が人なら手を繋いで」

「あたしが花なら同じ陽光ひかりを浴びる」

「そんなことばかりを考えていた」

「あたしは枯れた土の中に埋もれてしまうかもしれないけど、そうなったときに寂しくないように、って」

「こうやってきちんとお別れを言いたかった」

「仲間を連れてきて、またあたしを探さなくてもいいように。そんな必要がないように。」

「遅くなってごめんよ、フィオ」

「願わくば、君の心が緑豊かな青空の下で、安らかにありますように」

 芽吹きかけた命を優しく撫でていく風は、それらを優しく包み込みながら別の場所へと生命の息吹を運んでいく。それと同時に、結い上げたあたしの髪が静かに揺れる。幾分か明るさを増したあたしの髪色は、記憶の中にある岩陰の花と同じだ。

 あたしはもう大人だけれど、ここで誰にともなく語りかけるその瞬間だけは、少女になるのだと思う。兵士でも何でも無く、ただ、可憐な花を友人として、楽しげに話す少女に。あたしの声は、きっとこの風が届けてくれるだろう。


 爽やかに吹く風はごうとその勢いを増した。

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話す少女 睦月紅葉 @mutukikureha

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