第41話 蕎麦

 長崎にしては珍しく更科さらしな蕎麦を出す店が昔は存在した。

 長崎駅の近くに構え、やがて浜町はまのまちアーケードの外れへと移転したその店は「晴流せいりゅう」といい、今は跡形もない。

 癇癪持ちの店主の打つ蕎麦は、九州に在っては数少ない関東風の汁で味わうことができ、一時期はそれなりの賑わいを見せた。

 それが私の原風景であり、蕎麦屋のせがれ晴流せいりゅうの息子というのが私の呼び名であり拠り所であった。


 私の最大の好物が蕎麦であることは既に触れてきたとおりであるが、それは単なる好物として片付けられるものではない。

 私とは切っても切れぬものであり、そも父が蕎麦屋を始めたのも老いて生まれた私が成人するまでの生業なりわいを確保するためであった。

 しかし、癇癪かんしゃく持ちで不機嫌がすぐに顔に出る父は接客に向いておらず、第二話で登場すれば悪い例として出さざるを得なかった。

 やがて私が成長して父と姉が店の中で大喧嘩を起こしたのであるが、怒鳴り散らす父と荒れ狂う姉を眺めながら、私は父が再婚したことやその過程を知った。

 それでも、私は傷ついたその卓で蕎麦をいただくことを止めなかった。

 蕎麦の甘みも、それを愛した私も変わることはなかったのである。

 今でも蕎麦を愛し続けるのも仕方のないことではなかろうか。


「蕎麦屋の息子のくせに」

 こうした揶揄やゆが飛び出したのは中学生の頃ではなかったか。

 小学校の頃は様々な理由で下手に見られていた私は、やがて、中学生となって成績が出るようになり人からの見られ方が少々変わったようである。

 そうした中で保護者会に参加した母が、噂されていたのを耳にしたということであり、母と二人で笑ってしまった。

 それ以降、私には蕎麦屋という値札があるのだと知り、それを矜持にして生きていた節がある。

 それが最も首をもたげたのは高校時代、友人と二人で対馬から来た友人の家を訪ねた時であった。

 蕎麦が好きと知っていた対馬の友人は、私を対馬に在るそば道場へと連れて行ってくれたのであるが、そこを出て感想を求められてこう答えた。

「粉はいいけど、打ち方や汁がもう少し……」

 これに対して一緒に来た友人が、

「おまえ、そんな言い方があるかよ!」

と、私を怒鳴ってくれた。

 天狗となっていた当時はその一言が持つ意味が分からなかったが、今はあの時叱ってくれた友人への感謝が尽きない。

 益荒男のごとき原種の蕎麦を、再び味わいと思うようになったのは大人になってからである。


 天狗の鼻をへし折ったのは、何も私を愛してくれた友人だけではない。

 高田馬場に在った「傘亭」もまた、若い私を確りと窘めて下さった。

 学生時代の私は江戸の蕎麦きりを至上とし、それを如何に意気に味わうかという野暮の極みに達していた。

 今思えば恥ずかしいこと限りないのであるが、そのような小童を見た店主の一言は当時としても鮮烈なものであった。

「本当に蕎麦の味を単純に味わいたければ、蕎麦掻きがよい」

 そして、本物の味を知れと言って出してくださったのは、桐の箱に詰められた海苔であり、その解けていその広がっていく様には目を白黒させたものである。

 こうして少しずつ変化していった蕎麦への対し方は、やがて柔軟なものとなっていった。

 私が武勇伝として語る、関東に出て蕎麦を一日七食頂いたのも、この次に旅して回ったときではなかったか。


 ただ、私はあまり蕎麦掻き店では頼まない。

 それは蕎麦搔きが嫌いだからという訳ではなく、その作り手の苦労を思うと中々に手が出せぬからである。

 幼少の頃、店の奥で鍋を前に必死で棒を掻き回し、鬼のように顔を赤くする父の様を眺めていたのだが、それを思い出すとどうしても気が引けてしまう。

 それでも、時にいただくことがあるのであるが、そうする度に、

「申し訳ねぇ、いただきます」

と小声で呟くようにしている。

 そして、その苦しさが想像できるだけに中々自ら作るようなことをしなかったのであるが、山都町で八朔はっさくの蕎麦粉を求めた際に、初めて掻いてみた。

 右手が崩れるかの如き思いの中で、必死に掻き回した私の額にはあせが浮かび、上気し紅潮して父と同じような表情になったことが容易に察せられた。

 それを鍋に放って汁をつけていただいたのであるが、確かにその味は堪らぬものであった。

 とはいえ、やはり申し訳ないとしつつも店で頂きたいと強く思うようになった。


 熊本でよい蕎麦をいただこうと思った際には,「雪花山房」さんへと伺うようにしている。

 心配りや持て成しが心地よく、店主の気合が開かれた厨房からひしひしと伝わってくるのが良い。

 こうしたお店との出会いも原理主義的な天狗であった頃には叶わぬものであり、肥後の味としていただけるようになった今を感動と共に噛みしめている。

 そう、様態の如何に関わりなく、旨いもの、情熱のこもったものは美味しいのである。


 その一方で、下手に十割を押し出した蕎麦には閉口してしまうことがある。

 「つなぎ」を入れぬという在り方が何をもたらすのかも知らずに打たれてしまった蕎麦は、悲しそうに千々となってしまうことが多い。

 そうした蕎麦をいただく時、私は鏡を見せられるように感じてしまい、どうにもたまれなくなってしまう。

 そして、そうした蕎麦を長い時をかけて写真に収める様を見るのもまた、居た堪れない。


 浅草に伺った際に、三日連続で「並木藪蕎麦」さんに伺ったことがある。

 黄金週間とはいえ、そのような若い客は珍しかったのか、二日目にして連日ありがとうございます、三日目にして毎度ありがとうございますという温かなお言葉をいただいた。

 江戸の香りを残したこの店は、たっぷりつけると稲妻が走るかのような辛い汁が特徴である。

 これを、座敷で背中合わせになった外国人アベックが目を白黒させながら召し上がっていたが、少しだけつけて下さいとお伝えしたところ、その表情が和らいだ。

 このような藪蕎麦の在り方は、しかし、元はと言えば忙しい職人衆が手早く手繰れるように思って作られたものである。

 それは、私のためにと心血を削った父母の思いに通じるような気がし、ひどく懐かしいもののように感じられる。

 私は蕎麦を手繰る時、その淡い味の彼方にあるものを愛し、継がれ続ける心をどこかで楽しんでいる。


 思い出に 蕎麦の花咲く 悲しみも 喜びも皆 我を救う手


(徒然なるままに~三十路男と生きた食卓 完)

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