第37話 日本酒

 私の父は生前、晩酌に日本酒をやることが多かった。

 ただ、慎ましい生活を送っていた我が家にとって、銘酒などを毎晩飲むことなど叶わず、紙パックの純米酒ではない米だけの酒を飲んでいた。

 それを見て、

(やはり、一升瓶に入った酒を飲む大人にならねば……)

などと思っていた小僧は、今や同じように紙パックの酒をやり、四リットルのウィスキーをソーダで割って楽しんでいる。


 基本的にはどのような酒でもいただく私は、しかし、その中でも日本酒を最も好む。

 昔は焼酎党であったのだが、どうやら私の身体には最も日本酒が合ったようで、今や私の生活に欠かせぬものとなった。

 この大きな変化は以前に紹介した「緑川」の影響が大きく、長崎にいた頃には何本空けたであろうか。

 何より辛口の純米酒や本醸造は多くの肴を受けることができ、安心して味わうことができるのがよい。

 また、同じ日本酒でありながら全く違う顔を見せるという変幻自在な在り方もまた私を魅了して止まない。

 ただ、普段は吟醸酒や大吟醸をいただかない。

 値段の問題もあるのだが、何より、

「特別な酒」

としての印象が強いからである。


 贈り物にも私は日本酒を用いることが多いが、学生時代にバイト先の同期の大学院合格祝いに「獺祭」を贈ったことがある。

 確か、当時は名前が広まり始めた頃ではなかったかと思うが、華やいだ香りと味を持ちながらすっきりとした飲み終わりに感動し、特別なもの、としていた。

 これを贈るに十分な恩義のある相手でもあった。

 受け取った友人は喜んで飲んでくれたのだが、

「以前に飲んだ『雨後の月』の大吟醸も旨かった」

という話で持ち切りとなった。

 数年後、再会して酒を酌み交わした際に、

「あの酒、今にして思えば貴重なものだったんだな」

という話になったが、私としては味の感動を分かち合いたかっただけである。

 「雨後の月」もまた旨い酒であり、その感動を分かち合いたいと思う一本である。

 なお、昨年誕生日祝いなどとして酒を贈ろうとした際に、久方振りに「獺祭」を目にしたのであるが、

(うへぇ、少し高くなったな……)

と思ったのだが、消費税を引くと記憶と差のないことに気付かされる。

 良心的な在り方もまた嬉しい酒である。

 なお、大吟醸を渡した祝いの席に持ち込んだ、獺祭スパークリングは見事にその半分を床に吸われてしまった。

 これもまた楽しい思い出である。


 私の中には幻の酒がある。

 その名は「厚徳」と言うのであるが、ご存じない方も多いのではなかろうか。

 それもそのはずで、十年以上前に生産を終了しており、今は手に入れることができない。

 これは蔵元である新政酒造さんが方針を変えられたのか、銘酒「新政」に注力されたことに起因するようである。

 「新政」も華やかな味わいで非常に美味しい酒である。

 しかし、実家の家業で供されていた「厚徳」はいわく、

「堂々たる重みのある酒」

であったというからおそらく私の好む酒であったことだろう。

 これを知ったのは中学生の時で、しかし、そのような酒をまだ飲む年ではないとして実に真面目に成人するのを待っていたのである。

 それが、高校生の時に終売となり、ほぞを噛む思いがしたものだ。

 以来、気になった酒は可能な限り飲むようにしている。

 出会いと別れは突然起こるものであるという事実を、酒の席ではなく酒そのもので知ったというのは稀有な例ではなかろうか。


 通潤酒造さんのお酒はこれまでに何度か触れてきたが、それというのも私の今の身体に最も合うと感じるからである。

 同じ熊本県の酒として有名な「霊山」や「香露」も好きなのであるが、酒屋の店主をして、

「昔ながらの良い酒」

と評される「通潤」はその堂々たる味によって山都町の豊かさを思い起こされる一本である。

 ただ、時代に合わせた酒造りもされており、吟醸酒の「ソワニエ」などの洗練されて味わいには驚かされる。

 これからも良い酒と良い人付き合いを醸してくれるものと、考えただけで胸が躍るのも仕方ないことだろう。


 地元の長崎では日本酒よりも焼酎の方が主流であったように思うが、長崎にもの川酒造さんの「杵の川」や山里酒造さんの「六十余州」といった酒がある。

 学生時代に大学の講義の一環として、大規模な発酵管理を行う現場を見るために見学に伺ったことがあるのは杵の川酒造さんの方である。

 それから、長崎にいる間は目にするたびにいただいたものであるが、これもまた地の料理には受け入れられやすいものであった。

 ただ、いかんせん長崎の居酒屋でも取り扱わぬことがあり、そうした時に出される他県の銘酒に飛びついていた成人したての私もまた、まだまだ幼かったのだなと今にして思わされることがある。


 日本酒の飲み方として、最近は冷蔵庫などで冷やして供される「冷酒れいしゅ」も多いが、純米酒や本醸造をいただくことの多い私は常温の「冷や」や燗酒の方を好む。

 ただ、以前のように「冷酒」を毛嫌いするということは少なくなり、わざわざ早めに頼んで常温に戻すといったことはあまりせぬようになった。

 これは、

「元々日本酒は常温や温めて飲むものであったのだから、冷やして飲むなど野暮ったいではないか」

という思いに因ったのであるが、今にして思えば時代の進歩に対応できていない在り方であった。

 そも、江戸時代などは今よりも酒の度数も抑えられており、そうしたものをいただく際に燗をつけるというのは衛生的な面もあったのかもしれない。

 それに加えて、吟醸酒をいただく時には無理に温めて香りの暴力を受けるようなことになっては堪らない。

 以前、試みにやってみたことがあるのだが、香りの強いものであればあるほど、繊細さが欠落して暴れ馬のようになってしまった。

 これが電子レンジで作るホットウィスキーを断罪していた男の正体である。

 逆に、私が好む「菊正宗」の樽酒などは少し燗をつけてからいただくことで、杉の香りに奥行きが出てこの国に在ることの愉しさを教えられる。

 昔ながらのものは昔ながらの飲み方で、今様のものは今に合わせて飲み方でという思いに至ったのは、度重なる脱毛によって少し頭が冷やされたためなのかもしれない。


 夜も更けて 卓袱台ちゃぶだいに咲く 燗冷まし 滲む灯りに 沈む独り身


 なお、つけ過ぎた燗を持てずに、おしぼりを手にするのもまた愉し。

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