第18話 大阪の酔い倒れ

神戸に住んでいた頃、通勤で西九条駅に乗り換えのため降りると、JRゆめ咲線に向かう人を眺めながら僅かに羨望を覚えたものである。

就職とゴールデンウィークとが相俟って妙な気分であったのだが、否が応でも周りの声というのは聞こえてきてしまう。

「ねえ、行ったらさ」

「そう、乗るの楽しみだよねぇ」

そうしたやり取りを耳に、私の中に浮かんでいたのは通天閣の威容と串カツの香りであった。


大阪といえば食い倒れの街として有名であるが、その出会いは第6話であったようにタコ無したこ焼きを頼んでやっつけられたことに始まる。

そして、強烈な記憶として残っているのは、二夜連続でぼったくりに遭ったことである。

前職を辞めた私は長崎へと戻る前に大阪へと向かった。

同期に挨拶をするためであったのだが、その前夜に呼び込みの男性に誘われるまま入ったキャバクラで見事にやられたものである。

一時間ほどの利用で二十五万という金額には、目玉が飛び出したという表現を用いてもいいように思う。

警察に電話を繋いだうえで交渉したものの、結局は八万の出費となった。

中学受験の夏期講習費用として以前ツイッターで目にした十五万を思えば半値であるが、それにしても高い「授業料」となった。

これで懲りた、となるのが普通の酒飲みであるが、懲りないのが呑兵衛である。

翌日、同期と合流して立ち寄ったガールズバーで、飲み放題の安価に比したキャストドリンクの高さが再び牙を剥いた。

この時は泥酔の猿芝居をしてうのていで逃げ出したのであ

るが、半時間ほどでの二万の出費は同期との苦い惜別せきべつとなった。


高いと言えば、友人の結婚式の二次会に伺ったのであるが、その費用もまた地元や熊本に比べれば倍を超えるものであった。

確かに出てくる料理を思えば悪いものではない。

ただ、既に式場でそれなりの量をいただいての二次会であり、そうそう入るものではない。

友人たる新郎から、

「お前、少しでもいいやつを見つけとけよ」

という話をもらっていたが、その新郎の大学時代の友人や職場の方と話してばかりとなり、結局は何事もなく終わることとなった。

新婦のご友人の話に耳を傾けてみることもあったが、高根の花というものを感じながら飲む酒というのは長続きしない。

翌日、話の種にと当時話題となっていたリフレクソロジーを利用し、連れ出した成年女性と飲みに出たのであるが、そこでいただいた酒の味は何とも甘美に思われた。

なお、酒後の私に色の話はない。

そして、帰りの新幹線で新郎の御父君からいただいた「お車代」を見て愕然とした。

事前にご祝儀として包める金額が交通費のため少なくなる、と新郎には伝えていたのであるが、いただいた「お車代」の方が多かったのである。

顔から火の出る思いをしながら新幹線に乗り、うのていで熊本へと帰る私の顔は酒に因らず真っ赤であった。

再び酒の席を共にするまでに二年かかるほどには、私の悔恨は大きなものであった。

その再会の宴は酷く賑やかなものであった。


こうした顔を持つ大阪は、しかし同時に陽気な顔を持つ街でもある。

特に、新天地などは昼間から存分に酒を楽しんだところで何一つ違和感のないという顔をした一角である。

通天閣へと向かい人々を尻目に串カツ屋へと入り、麦酒ではなくレモンサワーでやる。

長崎にも広島にも熊本にも串カツ屋はあり、また「二度漬け禁止」というシールも目にすることができる。

それこそ油さえあればどのようにでもなると言われかねない料理である。

それでも、やはり大阪のそれは一味違った。

周りから聞こえてくる生きた喧騒は、大都市でありながらどこか懐かしい思いがして心地よい。

それは肉に魚介に野菜にと、いずれも串を打って褐色の衣をまとわせれば皆同じ在り方を見せながらその奥に等しく我を持った串カツの在り方と相似を成す。

就職してから紅しょうがの串カツの存在を知ったが、その強烈な個性もまた衣を纏えばどこか和やかなものに変わるのにはくすりとさせられた。


関西圏にいるとその地方にある方言が私の身体の中に入ってくるのをまざまざと感じさせられる。

ただ、就職して大阪で研修を受けていた頃は、どこかにそれを恐れる自分がいた。

というのも、関西人はわざとらしい関西弁を嫌がるという話を伺っており、余所者の私から出る言葉が気分を害さないか気がかりでなかったのである。

ある日、昼食の際に研修先の方から、

「なあ兄ちゃん、どこの出身なん?」

と尋ねられ、

「長崎です」

「そうなん。で、長崎って大阪のどこにあるん?」

このやり取りに日々いただいていた小さな辛口のカレーがどこかうまみを増したような感じがした。


この大阪での研修の最終日、責任者の方がささやかなお別れ会を開いてくださった。

小洒落たバルでの夢見心地は今でも鮮明に思い出すことができる。

好きなように食べてよいと促された私は、新入社員らしいいじらしさを見せかけつつ、密やかに盃を重ねていた。

その中に生の黒麦酒もあった。

黒麦酒についてはそれより前にも長崎でいただいたことがあったのだが、

「みたらし団子の風味がする」

として少し違和感を持ったように記憶している。

無論、不味いというわけではなったのであるが、味と風味の間にある谷間に感じた違和感は進んで飲むという思いを制していた。

それが、この時から感じられる風味から「みたらし団子」の姿が消え、旨味と香りが一致して見事に進むようになった。

失礼なことにこれを素直にお伝えしたのであるが、責任者の方は、それはよかったと笑っておごって下さった。


人生で唯一煙草を吸ったのはこの日の夜である。

一次会を終えた私は他の先輩に誘われて、その隠れ家へと伺った。

シャンティガフをいただきながら煙草の話となり、一度も吸ったことがないということで勧められた。

ただ、一本いただいてみたのではあるが、咽るばかりでそれより先は酒に没頭した。

大阪の街でも受け入れられぬものがあるのかと思うと、私はどこか可笑おかしく感じられた。


賑わいも 酔いもかたりも 横道も 甘いもいも 大阪の味


私のぎこちない喫煙の所作に笑われた先輩の笑みはいまだに脳裏から離れない。

シャンティガフのを飲むたびに、自分が呑兵衛でしかないことを痛感させられるのである。

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