03.



「はぁ……」



 風景は変わって、この街の導線に当たる大通りの一つにて。

 私は、少年のスニーキングを一旦やめて、お昼ご飯探しの散策に出ていた。


 ……ただし、これで彼を見失ったというわけでは全くない。

 魔術と言うのは万能じみた便利さで、やりたいと思ったことなら大抵はどんなニッチな事でも叶う手段が既に確立されているのだ。



「(……、……)」



 魔術:ペイントボール。

 基本位四元と上位三元から逸脱した体系を持つ魔術である。


 魔術とはそもそも、地水火風の基本位を発展させる形で体系化する。

 例えば火を、熾して、薪をくべて、大きくして、燃え盛るようにするように、まずは一つの道筋を立てる。そこから発展して、熾した火を青くしたり、くべる薪を少なくしたり、大きさや形を変えたり、燃え盛るのではなく別の形をとるようにするのが魔術体系の発展の歴史だ。つまりは、ニーズよりも先に「出来るかもしれない事」が主軸に来る。出来るかもしれないと考えられ、そして実際にできた事が、順番に体系に魔術として組み込まれるのだ。

 これが一般的な魔術体系の発展として、当然、一般的ではない例も存在する。


 その一例がペイントボールと言う魔術である。この魔術は曰く、「やりたいこと」が先に在って、それを為すために手段が確立されたらしい。こういった場合、その魔術は体系道筋を経ずに直通で『解答』にたどり着いていることから、体系魔術とは呼ばれない。


 ……まあ、あくまでも分類の話だ。先駆者の轍を踏み先人の知恵に感謝するだけの使用者からすれば、その分類に大した意味はない。

 とかくこの魔術は、魔術対象者の所在を、魔術使用者が用意した任意の地図上に映し出す。それで言うと追跡対象の少年は、今もまだあの店の裏で残飯を漁っているところらしい。



「(ああ。……だなんて、思いたくなかったなぁ)」



 思いたくはなかったけど、思ってしまったのだ。

 だから私は追跡をやめて、一息つくために大通りに出た。


 時間はお昼の少し前。店が混むのを考えたら、今のうちに食事屋に入るのも悪くはない。

 だけど、……あれを見た後にのうのうと椅子に座っての食事はできない。私は、その倫理観と飢餓本能の折衷案として、テイクアウトできるような軽食ケバブサンドを頂いているところであった。



「……、……」



 この街について、考察をする。

 ナッシュローリ区と言えば、ここダニー・エルシアトル・カリフォルニア帝国においても非常に安定した治政が敷かれた領州である。


 ここで言う安定とは、安定した経済成長を指す。この国の人間の多くは、この領が、今日よりも明日もっと素晴らしい場所になると信じて疑わない。衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、この領の住民が持つスタンスはその言葉に近い。


 つまりは、衣食足りて、希望を見出せている。

 今日食うものに困らないから、明日を見据えられる。或いは、明日も明後日もとりあえず食べるものに困ることはないと分かっているからこそ、明後日よりも先のことに自分の体力と時間を投資できる。この領の人間は衣食住と、それと同じくらいに『成功体験』に十分にありつけているからこそ「今日を生きるだけで良い」とその場で立ち止まることはしない。


 翻って言えば、この領には『成功』が草木のごとくそこら中に落ちているのだ。そんな『領』を作り出せた要は、……私の友人曰く、行政の有能さと誇り高さらしい。


 たとえば、この領には奇跡的なほどに「中抜き」が存在しない。

 いや、「中抜き」という聞こえの悪い言葉で表現したのではストレートではないだろう。この領、あるいはこの国そのものには、「仲介業者」というものがほとんど存在しないのである。



「(物流における生産と販売の間にあるパーツ、『卸』は、生産者と販売者にとって都合がいいだけの、購入者からすればコストを増やすだけの厄介者だ。……なんて話を聞いた時は、何の講義を聞かせられているのかと思ったけれど)」



 その卸がいないから、この国の物価はその分だけ下がる。物価が下がればモノは買いやすくなり、市場は活性化し、そのサイクルの中で生み出される『経済が回ることそのものによる利益』が増大し、ヒトの懐にカネが入る。


 一見してこのサイクルは、「物が安くなった分、利益も減るのでは?」とも疑えるが、この講義を私に酒の肴として提供してくれた友人、――レオリア・ストラトス曰く。



『利益が減るのは、身を削って無茶な値引きをした時だけなんです。この場合の物価低下は卸に掛かるはずだったコストが消滅した分価格にもボーナスが入っただけのことで、これに抗って「本当はもっと安く売れるのに値段を据え置きにしたバカな会社」の利益がどうなるのかは、想像に難くないでしょう?』



 とのこと。


 ……まあ、難しい話を割愛すると、この領州、この国の政治は、ありとあらゆる政治の失敗例を踏まえて100回転生やりなおしてきたかのように理想的な選択肢を選び続けてきたということらしい。


 その一例が上記だ。元来の卸は、店頭に置ききれない商品在庫の置き場所などと言ったビジネスサイド向けのサービスとして、特に生産から販売までのルートが整いきっていない段階の『まだ未熟な一本の物流』の成長を助けるモノである。

 店頭にいくつの商品を置いていいかわからない段階の小売り店は、売れ残りを減らすために陳列数を減らすだろう。その結果、消費者は場合によって欲しかった商品が売り切れになっていることがあるだろうし、売り手からしても「本当は売れたはずの商品が欠品していた」という形で、チャンスをふいにすることになる。

 以上の、物流が未熟で「店頭に必要な商品数」がはっきりとしていない様な段階であれば、卸の仲介料が商品に値段として乗ることは消費者にとってもあながち損ではないことになる。消費者は卸に、間接的に「目当ての商品が手に入らないということがないように」という担保金として支払っているのだから。


 なので、問題は物流が未熟ではないケース。

 昨日もそうだったからと言う理由で、今日も明日もカネが支払われるのがビジネスの世界だ。これが個人の財布なら、よく考えてみればほとんど使っていなかったサブスクのサービスをふとした思い付きで解約することは容易だろうが、ビジネスにおける組織、『集団』はそうはいかない。慣習を打破するには、全てのケースで合議が必要となる。


 こうして、未熟な段階の『物流』の助けとなる要素である卸が、……子供を巣立たせた親が、やがてその息子に介護をしてもらうようにして、未だ物流のパーツとして居座る。


 これを、――こうなることを、この国は回避したのである。

 だからこそこの国には卸がいないのだと、レオリアは言っていた。



「……、……」



 それはつまり、



「(店舗小売りが、抱える商品の数をちょうどよくするって言う勉強を経ずに、勉強コストもかけずにで最初からいた。だからこの国は、100回やり直したみたいだって言われている)」



 或いは、――この国の帝王は、少なくとも一回はやり直したのかもしれない、と。

 一度別の世界のダメな例を見て、それをこの国の治世に生かしているのかもしれない、などと。



「(だけど……)」



 だからこそ、

 そんなにも煌びやかな統治の支配下に置ける


 これは、本当に目も当てられない様な目を見ることになるわけだ。



「(……、……)」



 如何に理想的な政治をしていたとしても、汚れ仕事はどうしても発生する。一つの家屋の掃除を家族で分担したときに、誰か一人は必ずトイレ掃除をしなければいけないのと一緒だ。


 それを踏まえて、『社会におけるトイレ掃除』とは、社会が美しければ美しいほど、ニッチで、汚らわしく、誰もが本当にやりたくないと心から思うような仕事になる。社会が洗練されればされるほど、残る仕事は「ヒトが本気で嫌がった結果余った仕事」しかなくなるゆえに。


 それを、私は先ほど直視したのだ。

 手元のケバブサンドが、味もせず気付けば無くなっていたというのも、これを踏まえれば仕方ないことのはずである。



「……、……」



 例えば、私がこのケバブサンドを二つ買って、その内一つを彼にあげたとしよう。

 この『例えば』が、もうこの時点で私の胸中に鉛を落とすのだ。


 たった一度の気まぐれでたった一度だけ彼の空腹を紛らわせてやるとすれば、それは偽善だ。ペットに餌をやる行為とも変わらない。だけど、私がこのたった一度の気の迷いに覚悟を決めて、彼を生涯養うことは出来ない。いや、


 そう。しないのだ。出来なくはないだろうが、掛かるであろう相当の労力と天秤にかけて、彼の不遇は私の苦労より軽い。そう思ってしまう。救えたらどんなに素敵な事だろうと思っているのにも関わらずだ。


 だから、……ああいうのを見てしまったら、あとはもう死ぬほど落ち込んで切り替えるしかない。一度自分を限界まで批判して、最後に「まあ仕方ないけどね」で済ますほかにない。


 社会というのは、

 ……やっぱり、相当難しい。



「……、……」



 と、私が意気消沈している傍らにて。


 ……不思議なもので、気が滅入れば滅入るほど、ヒトは外部情報から自らを遮断する。

 考え事が自分の精神衛生上に差し障りそうならそんなのやめてしまえばいいのに、それを許さないのが人間の性である。或いは、「一旦悩みまくってさっさと結論を出して先に行け」という神様の設計コンセプト通りの構造なのかもしれないが、なんにせよ意気消沈する本人からすれば参った話だ。


 こういう時、悩みに悩んで自分の内側に思考が落ちて落ちていくのを止めるのは、割と身体に悪い気がする。ゆえに私も経験則に則って、一旦は思考の海に埋没する。初めは冷たい湖面の様なそれは、身体に纏ってなじんでいくごとに、毛布のように暖かくなる。


 そうして、そうして、そうしていって、


 ……毛布から出ても構わないと思えるほどに心が回復して、社会のゴチャゴチャなんかを「そういうこともあるのさ」で片付けられて、ようやく私の身体が、外部情報のシャットダウンを切り上げた時のことだ。


 何せ、それは曇天の夜にベットに就いたみたいな暗澹たる感情に一区切りがついた、晴れた翌朝の目覚めのような一瞬である。

 その『言葉』は、寝起きのコップ一杯の水のように身体に浸透するのであった。







「――聞いたか? ゴールド・クエストの発表を祝って、さっそく今夜、ギルド通りで祭りがあるらしい」


「へえ?」






「(へえ?)」



 決めた。

 気分が落ち込んだ分、今夜はちょっと楽しむことにしよう。


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