intro.2



 ――この世界における『冒険者』は、冒険者ギルドの威信に陰りが見えてなお、職業における一つの花形である。




 ナッシュローリ・ジャクスモント・アドリア州領の最中央区。

 朝。



「……、……」



 その女性冒険者は、依頼掲示のド真ん中に盛大に張り出されたを、その一等席にて見分していた。


 すなわち、依頼掲示ボードの目の前。

 その後ろ姿は、……周囲の掲示を確認しに来た冒険者からすれば、遠回しに言っても邪魔でしかない。


 ――冒険者らには、彼らなりのルールがある。

 例えば、「私闘と私刑の容認」。これは、冒険者同士のコミュニケーションによる逐次の裁判を、つまりはケンカを認めるという暗黙の了解である。弱いヤツ、卑怯なヤツは出る杭になるな。その代わり、強いヤツ、本当に卑怯なヤツは、ある程度の悪事は許されるし裁かれない。このルールはある意味で、実力主義の窮極と言ってもいい。


 また、別の暗黙のルールとしてあるのが、「依頼掲示ボードの前に立つな」というもの。

 この掲示は、たくさんの人間が同時に確認できるように、一つのボードに大きなフォントで依頼の見出しのみが表記されたものである。仮に冒険者が依頼掲示ボードの前に立つとすれば、それは「掲示を剝ぎ取って自分のモノにする場合」のみだ。


 冒険者依頼というのは、大きく分けて二種類存在する。

 一つが、たくさんの人間が同時に受けて構わないもの。そしてもう一つが、たくさんの人間が同時に一つの成果を奪い合うものである。


 例えば、『当該種魔物を5匹討伐しろ』という依頼があったとすればそれは前者だ。この場合、依頼主は恐らく騎士堂の関係者であり、当該種の魔物の大量発生が確認されたなどの理由が想像できるだろう。そして、こういった依頼は同時に複数人の冒険者が「別の依頼と並行して」受注し、参加者人数が依頼者の規定数に達した時点で掲示を剥がされる。


 そして後者のケースが、「一つの獲物を、誰でもいいから仕留めろ」といった依頼である。また、『冒険者が無作法をしてでも掲示を剥がして自分のモノにする』のもまたこの例の依頼だ。


 ただし、この場合、

 掲示を剥がす権利があるのは、衆目が認める強者のみだ。




「……、……」




 さて、それでは『彼女』はどうか。


 まずは、少女らしい背丈と、華奢な身体。

 目深にかぶったフード越しに見える銀の長髪と、かすかなコロン。


 武装の一つも下げてはおらず、防具の一つもない。驚くべきことに、下半身の服装に関しては防御性を完全に度外視したミニスカートとブーツだけである。露出した太ももは白磁の色のたおやかさで、冒険者であればその辺の二流でも両足を同時に切断できるだろう。


 と、そんな、来る場所を完全に間違えたとしか思えない「貴族令嬢風の少女」は、

 ――衆目が通り、今朝一番のデカい依頼証を剥がして、そのまま受付窓口へ踏み出した。



 さて、

 ……そんな、彼女のその一歩目のことである。



「おい、嬢ちゃん?」


「はい?」



 悪目立ちをしている、という自覚はあったらしい少女。

 彼女は、声を掛けられると分かっていたというような態度で、素っ気なく返す。


 依頼掲示ボードを一つのステージと見立てれば、そこに、その人物は登壇したとも言い換えられるだろう。

 ギルド内の、ありとあらゆる視線がその二人に集まる。


 少女の感情は見て取れない。フードの奥の表情は影に隠れて見えない。

 しかし、ピンと伸びた背筋一つとっても、まず間違いなく委縮はしていなかった。目前にいる男が、彼女に倍する長身であったにも関わらず。


 男は、名をコールズ・バインという。

 一般的な成人男性の平均を大きく凌駕する上背と肩幅が、嫌が応にも彼の名をこの街に、広めてきた。


 巨躯と、それに対して痩せぎすな印象が強い胴体や四肢。爬虫類の骸骨の様な、陰湿そうな顔つき。

 彼はこの街において、「無茶が許される冒険者」の一人である。




「剥がしたのか? その依頼」


「ええ。そう言った作法があると、聞き及びましたが」




 その言葉にコールズは、

 ……なんだ、勘違いしていたのか。と返した。


 失笑するでもなく、表情を曖昧にして、――悪意を隠して、彼女に近づく。

 彼がそのようにするものだから、周囲の(ギルド職員を含めた)観客らも、彼の選んだ作法に則って沈黙を貫く。


 






。」







 近づくごとに、少女とコールズの身長差が強調されていく。

 コールズと言う男をよく知る何人かの観客は、その光景に悪趣味な笑いをこらえ切れなくなる。


 コールズの接近は、それだけですでに立派な『威圧』である。

 凶兆じみた、死神じみたシルエットの男が、殆ど無表情にこちらに歩み寄ってくるのだ。その緊張感、危機感はナイフの切っ先を向けられたのとも変わらない。


 一歩、二歩、三歩。

 衆目からすればそれは、少女の凌辱劇までのカウントダウンに見えた事だろう。


 だから、、一瞬本気で理解できなかった。



「(おい――)」



 その、実にゆるやかな異常事態に、どこかの冒険者が口を開いた。




「(ここでやっちまわないのか? コールズのやつ、何のつもりだ?)」


「(そもそも、なんでコールズが出張ってきてるんだ? こんな、新参の教育なんて仕事をわざわざ? アイツ、ロリコンだったのか?)」


「(いや、向こうで金を受け取ってるのを見たぞ)」


「(――)」




 のその一言が、にわかに立ち始めた冒険者同士の考察に一区切りをつける。


 とかく、舞台がどうやら変わるらしい。

 コールズに5歩先んじて出口に向かう少女の後姿に、ある冒険者は手元のグラスを空にして、またある事務職員は手を付けていた資料を適当に一まとめにして、舞台の移動に備えた。


 そうしなかったのは、――この場では、ただ一人であった。



「(おい、コールズをみろ)」


「(ああ。……)」



 一人が気付く。

 どこかの時点でコールズの目が、弱者に対するそれではなくなっていたことに。

 そうではなく、――闇夜に紛れてパイソンを狩る矮小な人間のそれに代わっていたことに。



「起動:黒靴スニーカー



 詠唱。

 コールズのその行動を以って、観客の内でふつふつと生まれていた疑念が、確信に変わった。

 つまりは、あの少女が『何者か』である可能性。


 ……元来、冒険者ギルドにおいてこういった諍いは、は容認されている節がある。

 これは、冒険という「素人からすれば華々しい光景ばかりが目に付くだろう命がけの仕事」に対する危機感の喚起や、或いはこの程度の荒事を怖がるような人間は、そもそも冒険者ギルドに近づかないようにという、一種の親切と言ってしまってもいいだろう。


 故にこういった新人の歓迎は、手加減が可能な程度の実力差の人間が暗黙の了解として任される。仮に、この例を漏れて圧倒的強者が新人歓迎をするとすれば、それは暇つぶしの暴力あそびをその人物が欲しがった場合がほとんどである。


 この際に、被害者の多くは女性だ。

 そして、その暇つぶしのメインディッシュは必ず、圧倒的な暴力のあとにあるものだ。


 つまり、――最初にボコボコにしてしまってはショーの質が下がる。スキルの使用など以っての他だ。

 それを誰もが経験則で理解しているからこそ、観客の全員が即座に、そして静かに、己の内面のみで恐慌に陥った。


 この場において恐慌に見舞われていないのは、恐らくは、コールズの「目」を見ていないあの少女ただ一人だっただろう。


 或いは、






「――――。」





 少女の、視線がはっきりと動いたわけではない。

 彼女はほんの少し首を振るのみで、背後の気配を探ったらしい。


 コールズの使った術式は。一つの術式を以って二つの魔術を成立させる、乙種多重詠唱ロー・デュアルと呼ばれる技術である。

 一つは、『黒靴スニーカー』と呼ばれる移動補助魔術。属性は風と土の混合。第一層練度の術式だが、汎用性の面においてこの術式は大抵の第二層魔術式を凌駕する。

 その効果は、ありとあらゆる方法での『足運び』の誤認誘発。足元を、闇を帯びたように不明瞭にし、足音をぼかし、下半身全体に初速からトップスピードに至るまでに対する膂力強化を行う。それが一つ目の術式だ。


 そして二つ目は、『黒靴スニーカー』の術式を成立させる音を乗せた『発音術式』。

 コールズの発声を完璧にリピートした『音魔術』で以ってコールズは、少女に対して「詠唱音を出した位置の誤認」を誘いながら別筋の魔術をまったく同時に展開したのである。


 さて、

 以上のことから衆目は即座に理解しただろう。コールズが奇襲のための魔術を、しかもロー・デュアルなどという高等技術を用いて詠唱したということは、つまりあの少女には、それだけのことが必要だったのだ、と。



 この時点で、観客が少女を見る目は完全に更新されている。

 凄惨な劇を待望するものは、その時点で一人も存在せず、代わりに彼らが熱望したのが、この街の強者であるコールズとそれに最低でも比肩するのだろうニュービーの決闘。


 ただし、




「外で、と言ったはずですね?」


「――――ばォ!!?」




 期待した決闘は、たった3秒で決着することになる。

 音もなく忍び寄り、その刃の圏内にほとんど届いていた時点で成立した『音魔術』。これを以って少女は滞りなくコールズの位置を誤認したはずだった。振り返った彼女は、思ったよりもずっと近くにいたコールズに、まずは瞠目をするべきだった。しかしながら、振り返った彼女がしたのは驚愕や瞠目ではなく、空中を翻ってのハイキックであった。


 そしてそれは、綺麗にコールズのこめかみを撃ち抜き、――コールズの巨体をも砲丸のように弾き飛ばす。気付けばコールズは、少女が目指していた出口の向こうまですでに吹き飛ばされ、墜落をしていた。






「――――。」





 少女の、涼しげな横顔。

 桁違いの高機動を行った代償として、彼女の顔を隠していたフードがはらりと落ちた。


 それを見た冒険者の内で、騎士堂の心得を知っている者は、恐らくは即座に理解したはずだ。

 つまりは、アレは『残心』であると。


 或いは、騎士堂に心得がある者なら、彼女の『残心』の美しさよりも先に、その貌に驚いたかもしれない。

 いや、『この時代』においていえば、騎士堂など知らぬ者であっても、彼女の横顔に驚かぬわけにはいかないだろう。


 しかしながら、今は未だ決闘の最中。

 誰も、彼女の『名』を叫ばない。



 そして、続くコンマ二秒目。

『残心』とは、心を残すこと。残すかと言えば、それは当然、直前まで心を置いていた場所。つまりは敵の懐である。


 ただし、当然ながらその行為は弔いのような感傷ではない。置いた心をそのまま残すというのは、闘争をそのままの形で残すということだ。敵は、場合によっては再び立ち上がるかもしれないし、或いは死んだふりをして、今度こそ奇襲を成功させるつもりかもしれない。その可能性を摘み取り、敵へのトドメを適切に差す。そのためにあるのが『残心』であり――、







 その甲斐あって少女は、向こうに無様に転がっている男の闘志が、まだ微かにも陰ってはいないことを理解した。


 故に、

 ――彼女は、『今や彼女の名の代名詞となっている術式』を、敢えて最大出力で使用した。






「――


「ぉ ォォ ォォォォオ嘘だろぉおおおおおおおおおおおおおお!!!?」






 気絶したふりをするつもりだったらしいコールズが耐え切れず悲鳴を上げる。或いは、外にいてコールズが吹き飛んできたことに目を白黒させていた往来の人々も同様の悲鳴を上げていたかもしれない。


 季節は冬。

 時刻は昼食を少し先に控えたころのこと。


 からりと空は晴れ、港湾区らしい風などもなく、日差しが心地よい凪いだ空。


 ――そこに突如として発生して地面へと射出された、地上五階建てのビルの様な大きさの神剣。


 それはズガンッッッ!! と豪快に、

 しかしながら実に繊細に、その巨大な刃筋は、倒れ伏して大股を開いていたコールズの股間数ミリのところに突き刺さった。

 ……或いは、その規模を思えば突き刺さったというより、着陸したとか着弾したとか言った方が適切かもしれないが。






「……、ふう」





 一息。

 そして彼女は、残心を解く。


 巨大な剣の向こうにいるコールズは未だ意識も健在だが、気配を探るに闘争心は吹き飛んでいるようである。改めて戦闘終了を確信した彼女は、フードを直そうとしたのか額の位置を探って、




「?」




 フードが脱げていたことに、ようやく気付く。


 ……気付いた彼女は、まずは周囲を改めた。

 周りにいるのは冒険者と、そしてギルド関係者らである。その誰もが彼女のその「貌」に釘付けになっており、さらに言えばギルドの外でも、相当人数いたはずの往来の人々がしっかり端から端までどよめいているらしい声が聞こえる。


 それを確認した彼女は、あきらめたようにして首を振って、


 そして、

 ギルド受付へ歩き、その手に持った依頼掲示を差し出し、言った。





















「――滞在申告の提出に伺いました。冒険者エイルと申します。それと、この依頼を承ります。と言うやつです」











「……申し訳ないのですが」











「はい?」


「その依頼は禁止です。先ほどコールズさんがお伝えしようとしていた通り」











「……………………。――だ、大丈夫でしたか親切なお兄さァァん!!!!!!」






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