第一章『ゴールド・エッグⅠ / you(haven't)lost(yet)』

intro.1

 


 ダニー・シアトル・カリフォルニアは南東。

 港湾区、ナッシュローリ・ジャクスモント・アドリア州領。


 海岸線から内陸3万キロまでを領地とする巨大な自治区である。

 港湾区の名を冠してこそいるが、これだけ広大となれば領内の東端と西端でも文化は大いに違う。


 西端、内陸部は領境を牧歌的な原野風景に隔てられた、いわゆる『地方』である。

 この辺りに来ると言葉の訛りも各地域ごとにはっきりとした違いがある。元来の言葉の訛りというのは、コミュニティごとのやり取りが難しくなるほどに「それぞれが僻地である」ことが発生条件になるが、それをこの自治体では「魔物という驚異」で以って成立させた。


 グローバルなやり取りが発生しないから、『ローカルルール』が多くなる。

 これが言葉の訛りの発生原因である。


 ヒトの文化・言語を変容させるほど、……或いは変容させずガラパゴス化させるほどの魔物の脅威にさらされたこの領区は、地方に行けば行くほど要塞化が進む。

 一つ一つの村落は魔物という自然淘汰に抗い損ねた順番に消滅し、生き残った箇所はさらに防備を強めていく。


 その結果、ナッシュローリ・ジャクスモント・アドリア州領を東西に結ぶ領道の防衛の80%を担うまでの、軍事的発展、――言い換えて、冒険者文化の成長を成し遂げたのが、この領の西部である。


 さて、

 この領は当然、概念として東部と西部に分かれるが、その領地的な比率は大いに歪だ。この領の西の、実に9割が西部と呼ばれる『地方』にあたり、東部と呼ばれる『都会』は残る1割。


 この領の資本力は海岸線に沿うようにして展開されている。

 東端を海とする歪なJの字・・・の『都会部分』。


 ボストマン・ジャクスモント・アドリア領主が直接収めるこの領地は、


 ――そもそもの港湾区の在り方をなぞるようにして、都会でありながら『暴力』に自治力の一部を依存して成立している。




「――うぁッ!?」


「小汚ねぇクソガキが! さっさと消えろ!」



 ナッシュローリ・ジャクスモント・アドリア州領の最中央区。


 港湾区における「自治的な暴力」とは、因習的な『組合』の持つパワーに発端がある。

 例えば漁業。獲物を捕る際には当然、漁師同士の縄張りが発生する。そして、『その縄張りを争って取り合う』という原始的なコミュニケーションも同時にあって然るが、ヒト種の文化というのは不思議と、次世代になればなるほど暴力を忌避する。


 この領がまだナッシュローリ・ジャクスモント・アドリア州領という名前ではなかった程度の中世ごろに、この地域にも『縄張り争い』を現代的に解決しようとする運動は発生した。洗練を続けるヒト文化は暴力を無際限に排斥し、恫喝による縄張り争いは果たして終着を得る。これが、表から見た歴史だ。


 では、さてと。

 暴力で縄張りを争った荒くれものどもは、清廉潔白なる「話し合い」という武器に敗北したのだろうか?

 答えは、――清廉潔白な連中の武器である「話し合い」に、更に「大衆圧力」や「時代の変化」を重ねてなお、否である。


 言葉という剣が野蛮な刃に打ち勝ったのではない。

 ただ単に、暴力の持ち主が身を引いた。それだけのことだ。


 何せ世界には、中世を脱出しつつある時点で、更に巨大なる「暴力」が発生する兆しがあったのだ。

 剣と槍で殺し合う時代に銃器が登場したような技術的特異点。つまりは、ガタイがデカいヤツが勝つはずだったはずのただの喧嘩に、資金力を持った行政コンキスタドールが本気で台頭するという兆しだ。


 結果、――死なず、「もっと強い奴らが来る前に退散する」という非常に理想的な身の引き方に成功した『暴力の使い手』は、今も根強く、この街に生き残っている。




「ま、待ってください……! お金、お金をください……!!」


「今は払えねえって言ってんだろ分かんねえかなァ! 殺すぞオイ! 消えろっつってんだろォ!!」



 今もこの街に、人目のあるような「光の当たる場所」を逃れて、彼らは闇の最中を生き残っている。

 そして、そんな彼らの捕食対象は、それもまた「影から這い出ることのできない弱者」ということになる。




「ハッ! ! 物乞いでそんなに名前が売れてるならこんな端した金要らねえだろ! ケツ売って来いよホモ野郎!」


「……ッ!!」




 港湾都市の、とある一角。

 あたたかな橙色灯を吐き出す扉の向こうから盛大に唾を飛ばす巨漢と、その人物に、返す言葉を失いながらも、せめて誇りを込めた抵抗の視線を返す少年。


 手入れを欠いて艶一つないネイビーの長髪と、それと同じ色の瞳。

 使い捨ての紙袋の方がまだマシといった、ゴミ箱から拾ってきたような服を着た痩躯。


 冬の枯れ枝じみた肢体。

 そこに、力任せの蹴りをぶち込まれて、少年は夜の石畳を盛大に転げた。




「くせぇんだよ! 消えろ!」


「――――。」




 少年、オルハはそこで、

 しかしながら、指を指をかけてそれを引き抜くことまではしない。


 代わりに彼は、伸ばしっぱなしの前髪で視線を隠すようにしながら、その視線に大いに感情を篭める。

 つまりは、――いつでも殺せるし、殺してやると。




「気分悪ィんだよクソガキが……」




 今夜も、あの巨漢は少年の視線の真意に気づくことはなかった。そのまま男は、力任せに扉を閉める。


 そうすれば、――代わりに、静寂。

 都市部の威信で以って、こんなスラムじみた地区でも石畳は敷かれている。だからこそこの辺りの夜は寒々しいし、空を見上げれば、埃一つない夜空が見える。




「……、……」




 ただし少年は、夜空の瞬きに気付くことはない。

 ただ、帰巣本能に従って、彼は殆ど無意識に立ち上がり、帰るための道を歩き出した。



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