幕間(03)















 このシーンに辿り着くまで当シリーズを続けられたこと、誇らしく思うと共に、皆様に感謝を。


 当シリーズはこれを描くために構想されました。

 相当長いお話になりますが、どうぞ夜長の肴としてお楽しみください。






























 

 ――柔らかな眠気のこびりついた瞼に、スモーキーな色の照明が掛かった。


 それで俺は、自分がカウンターに突っ伏したまま寝てしまっていたらしいことに気が付いた。




「……、……」




 腰には、椅子のクッションの感触。

 カウンターの高さは、座った位置から肘を置くのがちょうどいいくらい。


 肘を立てて管を巻く客への配慮らしく、どちらも柔らかな材質である。


 少しずつ意識が覚醒する。

 昼寝から、風に撫でられて目を覚ました時のように身体が軽い。身体の芯は少し冷えていて、伸びをすると熱が戻る。その伸びで耳も、ようやく機能を復帰したらしい。


 聞こえるのはグラスをシルクで撫でる音と、それからごく微かなジャズであった。

 音質を聞くに、相当酔狂な値段のレコードでも使っているらしいが、耳を澄まさねば主旋律さえ判然としない。


 それから、目前。

 そこには夜の星々のように、キラキラと輝く瓶達が棚で整列をしていた。



「……、……」



 周囲に客はいない。

 カウンターの向こうにはマスターらしき人物がいるが、彼は長寿の樹のようにして、ただ静かにグラスを磨いている。



 これなら、無作法になることもあるまい。

 俺は改めて伸びを一つ。


 遠慮なく両手を伸ばし、上げて、広げる。



 と、すぅっと頭のぼやけたような熱が引いていく。腰を回せば、それだけで俺の身体は本調子を取り戻す。



 ……30分は寝てはいまい。15分程度か。

 これなら今宵は、もう少し長く飲めそうだ――。



 なんてことを思いながら、俺が深く息を吐き出すと、

 ――カラン、コロンと、ドアベルが鳴った。




「ごめんください」


「ようこそ、いらっしゃいませ。おひとりですか?」




 来訪者の声。まだ若そうな女性の声だ。

 応えたのは、熟年のブランデーのような歓待である。



「いいえ。約束をしているんです」


「かしこまりました。お好きなお席にどうぞ。本日のチャームは岩塩を振ったオランジェットをご用意しております。お出ししても?」


「おいしそう。いただきます」



 こういった場所なりに落ち着いた返答だが、好奇心を隠さない好印象な声であった。

 彼女のような女性がいるテーブルなら、きっと華やぐことだろう。


 約束を取り付けた人物は幸運だ。俺もせっかくなら、その幸運のおこぼれにあずかるとしよう。


 ――このような場所における作法というのは、高度なようで、実は当たり前のマナーばかりである。


 うるさくしてはいけない。

 だけれど会話を、楽しむのが良い。


 分からぬことを知ったかぶるのは格好よくないが、分からぬことを分からぬと認める潔さは格好いい。


 酒には誠意をもって飲み、それが旨ければ作り手に、会釈一つ分の感謝を。


 選ぶ酒に迷ったらマスターを頼るのが良い。財布の事情が不安なら、予算を伝える際にはスマートに。


 煙草を吸う際には周囲への配慮を。可能なら、来店時にそれとなく伝えておくのが良い。

 携帯電話を使うのは良いが、光量は落として、別の客が眩しくならないように。


 会話がしたければ、マスターに目配せを。会話がしたくないならば、ただ静かに酒を飲めばよい。楽しみ方は幾通りもあるし、人に迷惑を掛けぬのであればそれら全ては正しい行いである。


 それから、――隣のテーブルのトークが気になったとしても、耳を傾けるときはあくまでさりげなく。

 その際には、面白いジョークが飛んだなら内心で拍手を送るとなお良い。



 そして、今日はそんなふうに酒が飲みたい気分なら、

 ……そのためのカクテルは、さて、何を選ぶべきだろうか。



「……、……」



 脳内で幾つかカクテルを思い浮かべて、しかしふと思考を止める。


 棚に並ぶ色とりどりのリキュールは見事だが、俺の知る銘柄は殆どないようであった。それに、そもそも俺は、果たしてこの店に来たことがあっただろうか。


 この店が得意なスピリッツに明るくないままカクテルを決めるよりは、ここは素直にマスターに相談するべきなのでは?



 ――はてと。

 そういえば、ここはそもそもどこだっただろうか。



「……、……」




 なんて風に、俺が思考に埋没していると。

 ――すぐ傍でふわりと、花のような香り。


 それに俺が目線を配ると、美しい金糸の髪がスモーキーな明りを照り返しているのが見えた。


 小柄で、酒の入るスペースなどなさそうなほどに可憐なシルエット。

 だけれど俺は、その少女が、……驚くほどの酒豪であることを知っていた。




「おとなり、良いですか?」


「――シアン・・・か?」


「ええ。ご無沙汰しております。あれから街に来て下さらないんですから」



 お久しぶりですと彼女、シアン・ムーンは、

 コップに注いだヴァイオレットボルスのような淡い笑みで、俺に言った。











 /break..











「こちらをお先に。お酒もすぐにお出しします」



 と言って、マスターが俺たちの前にそれぞれチャームを置く。


 ――岩塩を振ったオランジェット。

 見た目はそのまま、名前のとおりである。オランジェットと言えばドライオレンジをチョコレートにくぐらせたお菓子だが、それに塩を振っているというのは珍しい気がする。



「早く食べたいですねえ」



 おすまし顔の奥の好奇心を隠そうとしない彼女に、俺は曖昧に笑いながら、別の話題を提供する。



「カクテルは、おすすめを頼んでたよな? ここには来たことが?」


「いえ。ですので分からないので丸投げです。きっとオランジェットもお酒も相互に引き立てる最高のアペタイザーが来ることでしょうねぇ……!」



 ――シアン・ムーン。

 俺が彼女と会ったのは、彼女が看板娘として働く宿の近くでのこと。


 この世界に来て、右も左も分からぬままウォルガン・アキンソン部隊の壊滅という悲劇に巻き込まれた俺が、当時、それでも「とりあえずこの世界の飯が旨いことは分かった」と気持ちを新たにした切っ掛けこそが、彼女との出会いである。


 それから彼女は、そのウォルガン・アキンソン部隊に所属するバルク・ムーンという父を持っていた。


 バルクは、……その壊滅に巻き込まれ、今は亡い。



「……、……」


「お待たせいたしました。こちらは『赤林檎』というカクテルです」



 俺が少しだけ沈痛としたころ、マスターがそのように言って、まずは空っぽのままでグラスを俺たちの前に置いた。


 ――グラスは、オーソドックスな逆三角形のショートグラスである。そこにマスターは、二つ同時にステアグラスから赤い液体を注ぐ。


 拡散する冷気に、微かに果実の酸味が乗っている。

 それから、香りの奥にはブーケのニュアンスが感じられた。


『赤林檎』という名前らしいが、そのレシピの源流は、――シアンが言った通りというわけではあるまいが『アペタイザー』であるらしい。


 食前酒アペタイザーの名にふさわしく胃の腑に助走をつけるようなそのカクテルは、……そう言えば、ユイと共に大立ち回りを繰り広げたあの飛空艇でも飲んだカクテルだったか。



「いただきます」



 音頭は彼女が取ってくれたため、俺はセリフを引っ込めて、マスターに小さな会釈をした。


 それから乾杯は、……すべきシーンであるかが分からなかったため、音は鳴らさずグラスで虚空を掻く。



「……、」



 まずは、ふくよかな苦みが頬に張りつめる。

 柑橘の皮を磨り潰したような鮮烈な苦みが舌の根を絞り、そして消えた。


 成程これは、……どうやらアペタイザーが源流のカクテルではなかったらしい。

 と、俺が視線を持ち上げると、バーテンダーは楽譜でも読み上げるような調子で視線に答えた。



「アペタイザーのカクテルのことを、女性的なアレンジと表現するバーテンダーもおります。歴史で見れば、アペタイザーにはさらに大本のレシピがある。……食前酒アペリティフ・ワインとドライジン、それにオレンジビターズというリキュールをステアした、ザザというカクテルです」



 俺の知らぬカクテルの名前を彼は告げ、そしてまた樹のように存在感を消去した。


 確かに、この前味の苦みには石を噛むようなイメージがある。俺の知るアペタイザーと比べれば、あの女性的な丸み、ふくよかさのある味とはまた別種だ。

 しかし……、



「では、この生花のような香りは? 草の青臭さや蜜の香りまで新鮮です。ワインに花弁を漬け込んだり、花のシロップを入れてもこうはならない。まるで花束を飲んでいるような香りだ」


「魔力香です。そちらのカクテルに使われているリキュールには一般的なオレンジの代わりに、平均気温が10度前後の高原に咲くハーブ、蜜柑花を使ったものを選びました。希少なリキュールですが、その香りでなければ『赤林檎』の名前はふさわしくない」



「林檎なのに、蜜柑ですか?」


「その深い色、そして香りの奥行きにある強い蜜の香り。少し待てば、面白い感覚が鼻を抜けていくはずです」



 その言葉で俺は、再びカクテルを口に含む。


 まずは、よくステアされた冷度が唇を伝い口内へ流れる。舌先の温度でカクテルが解けてると、その香りは、



 ……ワインでも蜜柑でもない。

 それはまるで、――林檎の種を噛んだような、切れ味のある苦み。



「『赤林檎』と言えば、私の街に来たあの大きな蜘蛛ですよね?」


 シアンの言葉に首肯を返す。


「ああ、岩の身体を赤熱させた歩く爆弾だよ。排熱機構がないもんだから代謝熱で自壊を、……なんて難しい話は止しとこうか。確かにこのカクテルにふさわしい名前だ。『赤林檎』なんて名前だったけど、確かにアレは苦そうだ」



 食べるとしたらだけど、なんて軽く言うと、彼女は息を抜くように小さく笑った。



「あの戦いは、私も聞いていますよ。結局あれは、『赤林檎』の暴走が原因だったんです?」


「いや、アイツはあの熱を吐き出せない身体で2000年だったか生きてたんだ。よほどのことがない限り、思わず走り出すほど熱を溜め込みすぎるなんてことがないのはアイツの長寿が証明してる。……結局あれは、誰かがアイツに細工をしたんだろうな。結局その辺は有耶無耶だけど」



「誰かの意図に巻き込まれた、と。……気の毒な話です」


「ああ。そういえば俺も、アイツには同情したんだよな。、なんて。……俺がこの世界で抱えてる宿命は、どれもこれも敵討ちばっかだ」



「……なにか、やりたいことはなかったんですか?」


「そうだなあ。……そうだな」



 少し考えて、



「そう思うと、生きてるだけで楽しかったな。エイルをおちょくったりリベットをおちょくったり、途中で出会ったユイってガキとかレオリアっておっさん娘とかとも楽しくやってた。……今夜、話すことがなくなったら付き合ってくれ。なかなか俺も、ちょっとした旅をしてきたつもりなんだ。『旅のはじまり』は君と出会ったところからでさ、『英雄の国』に行ったり、『英雄誕生前夜』に立ち会ったり……」


「……、……」


「ああ、あれは傑作だったな。『夏の夜の飛空艇殺人事件』、副題を付けるとしたら、『豪華客艇に秘められたフルフェイスアーマー死体の謎』ってとこかな。アレは我ながら大立ち回りだった。それからその後は、そうそう、大雪合戦大会だ。……そういえばあの掛け金、エイルはちゃんと回収したんだろうな」


「掛け金?」


「ああ。雪合戦で国家レベルの賭け試合があったんだ。それに賭けてきたんだが、受け取るのはエイルに任せといたんだよな。あのすぐ後に例の戦争があったから、あの国の通貨価値がどうなってるかはちょっと想像したくないが……」


「バスコ共和国の事ですよね? その辺のお話、実は仕入れたりしてますよ私」


「あ、そうなの? ……じゃあかるーく、酒の味が落ちない程度にさわりだけ経済状況を聞かせて欲しいかもしれない」


「ビビりすぎでしょ。まあ、私はお金のお話に詳しくはないんですけど、今も問題なくジェフ大統領が統治してますよ。怖い話は聞かないですね」


「あ、そっかあの国じゃレオリアってあくまで黒幕だもんな。消えてもすぐには影響ないのか。……今すぐ帰って外貨に換えないと。シアン、今一番キてる国ってどこかな?」


「キてる、……? あ、まあお金の価値が安定しているのはエルシアトル帝国じゃないですかね?」


「あー、あの強そうな名前の国な、エルシアトル・ダニー・カリフォルニア帝国だっけ? 絶対ラスボス住んでる国の名前だよな。それかレッチリ」


「ラスボスもレッチリも良く分かんないですね。まあ、食べ物がおいしいですよ。文化も混沌としてるので遊びに行ったら面白いかもですね」


「へえ、行ったことは?」


「……どう答えましょうか」


「?」


「まあ、ないということで。それより、そのリベットさんとかユイさんとかレオリアさんのお話も、よかったら聞いてみたいです」


「あ、そう? ――あ、大変だ。酒がなくなった」


「そ、それは大変なことです……! マスター! マスターッ!」


「いやそんな焦らなくていいよ。……あ、あと一口分になりそうだ逆さにしたら」


「飲み意地がやばすぎますね。将来絶対碌な大人になりませんね」


「そもそもガキのつもりで生きてないかな俺は……。というかほら、せっかくのオランジェットとの食べ合わせを確認してなかったんだよ」


「あ、それはぜひ。抹茶文化のお菓子みたいな感じで、苦いお酒に甘みが引き立てられておいしいですよ。カカオオレンジの香りと岩塩の塩みとカクテルの果物っぽさが口の中で混ざって混沌としますよ」


「混沌とすんの? 美味しいですよってプレゼンとどっちを信じたらいいの?」


「食レポがめんどくさかっただけでおいしいのは間違いないのでぜひ」


「あ、そう。……あ、確かに名状しがたいけど旨い。んで、おかわりしようと思うんだけどそっちは?」


「いただきます。せっかくだし、このままおすすめで行ってみません?」


「そうだなぁ。まあ、思いつくカクテルもないしな。――マスター、注文です。俺はー、そうだな。じゃあ甘くて癖のあるやつをロングカクテルで。シアンは?」


「同じものを」


「いいの? 癖のあるやつだよ?」


「じゃあ、そこはかとなく程度に癖のあるやつを二つで」


「いや勝手にオーダー変えんなよ、まあいいけどさ……」



 ――しばし待つと、バーテンダーはロンググラスにシェークした酒を注ぎ入れて、そこに更に炭酸水を追加。その後、スプーンで撫でるように炭酸を攪拌し、二つのグラスを俺たちの前に差し出した。



「こちらは『スターゲイザー』というカクテルです」



 スターゲイザー。

 ――星の観測者。


 それで思い出すのは、英雄の国の亡骸の上で会ったあの男であった。


 カクテルの見た目は、まずは深い青。或いは藍とさえ言ってもいいかもしれない。

 香りからは透き通ったラムと、ライムとブルーキュラソーが感じられる。この材料であれば、元ネタのカクテルはスカイ・ダイビング辺りではなかろうか。


 ……当然、それのアレンジというよりは『スカイ・ダイビングっぽい異世界カクテル』というべきなのだろうが。



「スターゲイザー。……シェークした液を夜空に見立てて、そこに立つ炭酸の気泡を星に見立てるわけか。見事なインディゴだ。魔法で夜を抽出したリキュールがあるって言われても信じられる」


「……あ、グラスの底にスターゲイザー君がいる」


「スターゲイザー君? あ、ほんとだ星見てる奴がいる」



 グラスの底、というよりは底側の側面だが、そこには夜空を眺める棒人間のようなイラストの刻印がある。

 それはちょうど俺たちの向こう側の側面に刻まれたもので、酒の炭酸に揺れ動く姿は、確かにグラスの中に小人が住んでいるようであった。



「外国旅行の際に一目ぼれしたグラスでして。このカクテルの主役は、あくまでも『彼』ということで楽しんでみてください」



 マスターがそんなことを言い、俺は肩の力を抜きながらふにゃふにゃと笑う。

 彼の、貫禄さえ漂う静けさからそんなジョークが飛んでくるとは、思いもよらぬことであった。



「いただきます。…………ん、旨いが、確かに癖はそこはか程度だな。いや旨いが」


「でもほらスターゲイザー君も可愛いですよ」


「もうその名前で決定なのかよこいつ……。というか、ラムとライムとブルーキュラソーのわりに落ち着いた味だ。癖もあるけど、酸味だ甘味だとごちゃごちゃしてないんだな。むしろ湿った香りというか、それこそ夜の味がする気がする」


「夜の味とは」


「なんかニュアンスで言っちゃったんだよ。あー、なんだろこの香り」


「おそらくは、割りものに使ったトニックの香りかと。そのカクテルのためにオリジナルでブレンドしたものです。香りを落ち着けるためにハーブを多く使いましたので、そのままでは飲めたものではない薬香の強いトニックウォーターです」


「逆に気になる……。なあシアン飲んでみてくれよ」


「ウソでしょ女の子にそんな無茶ぶりを? コンプライアンスに引っ掛かりますよこのご時世」


「どの偉い人がここを見てるんだよ……。まあでも、俺は薬っぽいスピリッツは結構好きだけどな。ウィスキーとか」


「私は分かりやすい味の方が好みですね。ビールよりもバーボンハイボール派です」


「バーボン。……それどこの国の酒なの?」


「え? エルシアトルですけど」


「あ、そうなんだ。いやごめん、俺の言語翻訳スキルが融通利かないってこと忘れてたわ」


「何がどうなってどういった結論に至ったのか何も伝わってきません。街のアイドルシアンちゃんが隣にいるのに一人でしこしこ飲んでて楽しいんですか」


「しこしこって……。いや俺の持ってる言語理解のスキルがな、人名とか地名由来の食べ物飲み物をそのまま翻訳しやがるから、たまにわけわかんない意訳があるんだよ」


「へえ、例えばどんな?」


「説明しろって言われると難しいが、そうだな……。例えばさっきのバーボンも、俺の世界じゃ地名由来の酒だったんだ。多分、『癖が少なめで割りやすいウイスキー』って言葉の翻訳でバーボンってことになったんだろうけどな」


「ほぅ! とするとこの世界とカズミさんの前世では、お酒文化も似てるのかもしれませんね」


「というか殆ど一緒だな。酒棚のラインナップと名前とラベルが違うくらいだ。案外、どっかでお互いの世界の文化の混入でもあったのかもしれないと思うとロマンがあるよな」


「そうですねえ」


「ロマンない時の顔してるよね。うそでしょそんなに興味ないの? 考古学的な世界の神秘じゃん!」


「いや、じゃんと言われましても……。あれですよね、既に失われた古代超文明がドウシタ的なやつですよね。近所のベック君が14歳くらいの時にハマってましたねそれ」


「ベック君だけじゃない。世の男子は一旦全員そのくらいの歳の頃にハマるんだ。そして場合によってはそのままズルズルと引きずるんだ。あとベック君の過去をそんな煙たそうな目で語ってあげるのもよせ」


「はいごめんなさいベック君。……でも、興味が本当にないワケではないですけどね」


「お、そうなの?」


「ええ、私的にはカズミさんがいた世界にも興味はありますし。前の世界のカズミさんにも興味があります」


「あー、……なるほど」


「……いえ、すみません。止しておきましょうか? この話は」


「いや、別に。……、――なあ、シアン」


「はい?」











ここはどこなんだ・・・・・・・・?」


「……、……」










 そこで、回り続けっていた会話の歯車がこくり・・・と止まる。


 答えあぐねているのか、本当に分からないのかが掴めぬ顔で、彼女はしばし押し黙る。


 しかし、

 ……俺視点で言えば、この問いは別に答えを返されなくてもよいモノであった。




「せっかくだ。俺の愚痴に付き合うつもりで、聞いてみるか?」 




 なにせ、この世界バーには酒がある。

 ジャズがあり、上等なカウンター席があり、そして彼女という話相手もいる。


 ここがどこかは不明であっても、少なくとも俺にとってのここは天国らくえんで間違いない。

 だから俺は、片付けるべきことを全て片付けて、そして今度こそ乾杯をするために、



 ――ひとつ成仏でもするつもりで、俺の過去を、吐き出すことを決めて、






 言う。






「下らない話なんだ。だけど、もしかしたら長くなるかもしれない。いいかな?」


「ええ」




「……話のオチは二流のバッドエンドになるって約束できるし、君は俺に、失望をするかもしれない」


「そんなことはありませんよ。私は」




「……そう言ってくれると嬉しいけど、どうかな。不快になったら言って欲しい。話を変えるから」


「ずっと聞いていますよ。大丈夫」







「そうか、…………はぁ。じゃあ言うけど、この物語はなしは――



 ――死に場所を間違えた男の、下らない後悔を煮詰めたアフタートークだ。でも、聞いてくれると少しだけ嬉しい」






















『幕間


 宿命の清算_路地【裏】で一人死ぬべきだった男に、グラス一杯の労いを』





















「俺が生まれた世界には、魔法ってものがなかった。


 ……ああ、俺も未だにこの世界には慣れないな。俺にとって世界のベースは科学だった。科学。まあ、ざっくり言うと例えば、高いところから低いところに水が零れるのは道理だろ? その、零れた時に水が地面を叩く力、なんかを動力とする考え方だ。


 ああ、この世界でも科学は成立するだろうな。というかもうしてる。木の枝で肉を叩いても切れないから、この世界には包丁がある。これも科学だ。

 自然を観察して、自分たちのために使えそうな『自然の摂理』を見つけた都度メモっておいた人類共有の便利ノートが科学だよ。火は熱いから触るなとか、雷の夜に平たいところを出歩くなとか、缶を開けるなら缶切りをつかえとかな。


 ああ、でも、俺の世界にも魔法っていう概念はあったんだ。人間の想像物としてな。……ん? いや、不思議なコトじゃないよ。君らだって思うだろ、働かずに生きていけたらいい、喉が渇いた時にちょうどよく手元に水を生み出したい、重いモノを持ちたくないからサイコキネシスを使いたい、なんて願望だ。この世界にも俺の世界にも、こういう怠け者な願いはあったんだ。だけどそれを叶える術がないから、『魔法』っていう、俺の世界には存在しないモノの名前でこの益体の無い願望を呼んだ。


 羨ましい限りだよ。この世界では場合によって、この願いは叶うだろ? 俺の生きた世界と比べればここは楽園だ。俺の世界は、――まあ、願いは叶わない世界だったんだ。


 分かってるんだぜ? この世界にだって苦悩はある。だけど嫉妬くらいさせてくれ。魔法は、俺の世界の負け犬全員の最期の夢なんだ。俺も含めてな。

 上手くいかないことだらけだし、どうしたら上手くいくのかも分からない。俺の世界には魔法がないから、それに平和だったから、この世界よりもちょっと複雑だったんだ。ああいや、この世界を馬鹿にするつもりはないんだ。気楽に聞いて欲しい。


 ああ、俺の世界には魔法がないし、俺の世界には魔物がいない。戦争なんてなくなって久しいよ。君らからすれば俺の世界の方がよっぽど楽園に見えるかもしれないけど、そんなのは隣の芝生が青いって感情だ。俺の世界じゃ、本気で魔物と戦って迷宮に挑んで、死力を尽くせるんだったら死んでもいいと思ってるヤツの方が大多数だった。いや、死にたいと思ってるわけじゃないかもしれないけど、死んでもいいと思いたいと思ってる奴は多かった。

 ……分からないか? ええと、


 まあ、改めて言うと俺の世界は平和で、魔法っていう分かりやすい『個人のレベル差』がなかったんだ。俺の世界における個人のパラメータは、金と頭、次いで体力と、……そのついで・・・に運だな。平和だから殴り合うってわけにもいかないから、俺の世界はカネで人を競ったんだ。マネーゲーム。稼いだ奴が勝ちで、幸せになれるってルールだ。これさ、ちょっとめんどくさいルールなんだよな。


 ああ、人の幸せなんて人それぞれだろ? なのにひとまず、カネを持ってないと人は幸せじゃないと定義されることになってる。というか実際にそうなんだよな、貧者はパンだけを食らい、勝者はそこにステーキを付けられる。誰がどう考えてもステーキがあった方が幸せだろ? ……いや魚のソテーでもサラダでもデザートでもコーヒーでもなんでもいいんだけどさ、とにかく。このルールのせいで、ヒトの幸せが分裂したんだ。満たされていて、かつカネも持っているべきである。これが勝利だ、って具合に。


 いや、俺はそんなロックンロールな人間じゃないよ。カネの本質は『物々交換の円滑化』だ。カネは、人類にとって必要な制度だ。依存し切っちゃうくらいにな。いらないなんて、思えない。だから問題は、個人の差だ。パラメータなんて可視化できないだろ? ああいや、この世界じゃ出来るんだろうが、俺の世界じゃ出来なかった。だから、可視化できるカネが個人のパラメータになる。それで、ここで問題が生まれる――幸せの分裂。ヒトは、満たされなければならない。ヒトは、稼がねばならない。この二つのタスクが人類に課せられたことで、ヒトの一日も分裂する。満たされるために費やす時間と、稼ぐために費やす時間に。


 さっきも言ったが、この世界ほど俺の世界はシンプルじゃなかった。魔法っていうストレートな手段がないから、俺たちは科学で願いを叶えた。

 楽に生きたい。炊事洗濯の作業効率化を。遠くの世界を同時に視聴したい。世界の裏側まで半日で移動したい。……この辺は、実は叶ったんだ。しかし問題は、魔法がないこと。


 魔法がないなら、それをするのは人力だ。俺の世界じゃヒトは、ヒトの事を社会の歯車って呼んでたんだ。魔法なき世界で願望を叶えるための歯車ってね。


 ……いや、願いは叶ったんだ。ヒトが思い描いた夢は実現した。しかしだ、それをするのもまた人間だから、そこが歪になる。誰かが願いを叶えている間、別の誰かは願いを叶える歯車になる。一人の願いを叶えるのに10人が尽くす。そんな、リソースの消費社会だ。当然だけど、歯車になんてなりたくないだろ? ヒトが目指すのは型番で呼ばれる部品じゃなくて、アイデンティティの確立した『何者か』だった。

 ここで、最初の話に戻るんだ。俺の世界からすれば、この世界は楽園だって話。

 俺の世界において、『目的』には価値がなかった。俺の世界の住人は歯車部品だから、各自設定される『目的』も基本的に奉仕なんだ。お前らは歯車なんだから、誰か何かのために在れってな。……でもおかしいだろ? 自分の人生は、自分のモンだ。


 目的に価値がない。だからさ、俺の世界は、死にはしないが腐敗していた。

 代謝が止まって、ぐずぐずになってたんだ。だって目的の基本が『誰かのために在れ』だぜ? そりゃやる気も出ない。そういう意味じゃ俺の世界には、魔法もなかったが希望もなかった。ひとまずカネを稼げば選択肢は増えるが、増えた選択肢のほうに価値を感じないんだからな。

 十分に、旨い飯を食える世界だ。日々の、炊事洗濯のために日が暮れるまで動き通しってわけじゃない。平和で、基本的には死ぬ心配もない。生まれてからこのかたずっとな。だから、そう言うのはもう充分だって羽目になった。


 旨い飯を失ってもいいとは言わないし、日々の仕事を敢えて大変にこなしたいわけでもない。そうじゃなくて、俺たちはその辺は、もう十分に満たされた。だから次だ。次の、もっと別の幸福を、目的を。


 ……そう思ってはいたんだが、『次の目的』の方は、なかなか見つからなかった。だから俺たちは、目新しくもない『旨い飯や便利なサービス』のために今日も働く。人類が今日まで依存してきた『カネという幸福の目印』のためだけに働く。だけどさ、俺たちはそれに飽きたんだ。我儘かもしれないが、もうそこにモチベーションを感じられない。


 だけど。……生きるためにも、カネは必要だろ? だから結局は、そのカネという目的に向かって、俺たちはモチベーションを失ったまま今日も時間を費やす。人生足掛け80年。働く意味を、自分の貴重な時間の多くを割く意味も分からないまま、死なないためにカネを稼ぐ。この世界と違って、俺の世界は少し頑張れば生きていくためのカネは稼げるんだ。だから、殆どのやつは死を選ばない。死なないために、今日も働く。


 ああ、……みんな気付いてる。分裂した幸福のうち、俺たちが追いかけていたのは片方の一つだけだ。満たされるための努力をしてはいない。



 でも、だって仕方ないだろ? 飯はもう十分に旨いんだ。日常は十分に快適だ。世界の隅々までを見ることもできる。もう俺たちは、そんなんじゃ満たされない。



 ……少し、愚痴っぽかったな。いや、申し訳ない。少しなんてものじゃないか。

 どうしよう、話を変えるか?


 まだ、聞いてくれるか? そうか。でも、俺も君もお酒が減ってきてる。何か、飲みたいお酒は?


 分かった。俺もそれでいいよ。……マスター、二つお願いします。



 ――ああ、俺の世界への愚痴はこんなもんで良いや。とかく俺は、そんな世界で生まれた。


 それで俺、実は前世じゃ教師の見習いでな。この世界に在るかは分からないけど、教育実習的な制度……、なんとなく分かる? ああ、それをやってたのが俺の前世来歴のスタートかな?


 それよりも前は、胡蝶の夢みたいなさ。いや、その頃に大きな転機があったんだ。それ以前の事なんて、言って聞かせても面白くなんかないよ。


 ……ええと、とにかく俺は教育実習生としてとある高校に来たんだ。実はその高校には俺の妹も通っていてな。……高校の話? 貴族が通っていたのか? いや、俺が貴族に見えるか? この世界の学校の制度は良く知らないけど、庶民の学校だよ。学食にフルコースが出てくるなんてこともなく、俺の昼食は妹のと同じ献立の、母さん謹製の茶色い弁当だよ。ハンバーグだの唐揚げだのばっかのヤツ。いや、それが旨いし、気合も入るんだけどさ。


 ああ、ここからは、……ちょっと愚痴っぽくなるよ。湿っぽくもなる。

 覚悟は……、酒があれば十分? そりゃ心強いけどさ。じゃあ、いただきます、マスター。


 ええと、それでどこまで……、ああ、学校に仮配属されたって話か。じゃあそこからだ。

 最初は楽しくやれたんだよ。尖った子供も何人かいたんだけど、そう言うやつとは上手くなだめすかして付き合いながら、へらへらと楽しく過ごしてた。こう言っちゃなんだけど、俺は自分で、物事を面白おかしく分かりやすく伝えることは得意だと思ってて、生徒との関係は良好だった。あの頃の俺は素直だったから、先生連中との仲もな。それなりに人気教師でやれてた気がする。それが、素直に嬉しくもあったしな。なんだけど、


 ……ある日のことだったんだけどな。


 素行不良の生徒グループが、一人の女生徒に対して一線を越えそうになってたのを見た。あ、いや、俺の妹じゃない。あんなイジメなんて状況がなけりゃ普通に友達を作って幸せに青春を謳歌できただろう、何の変哲も俺との合縁もない、普通の女の子だ。


 ああ。イジメがさ、俺の学校にはあったんだ。教育実習生だった俺は、それにどう向かい合えばいいのか分からないままで、それまでは放置気味だった。なにせ連中は、分かりやすい危害なんかを加えていたわけじゃない、過激なコミュニケーションの延長線上みたいな現場しかみてこなかったからさ。


 まあ、認めるよ、言い訳だ。……助けたいと思ってはいたんだが、それだけだ。

 当時の俺の思いなんて分からないけど、今の俺が思い返す分には、あれはただの保身だな。


 まあ、だけどその日は事情が違う。気付いたら俺は、ヘラヘラと笑いながら、クソガキどもの前に立ち塞がっていた。

 やめときなよ、とか、さすがにやばいんじゃない、とか。情けないことを思いつく限り並べながらだ。それで一応、彼女を守ることは出来た。

 そんで、次が俺の番だ。


 驚いたね、半周り歳上の相手にもガキってのは考え無しに突っかかる。だけど、残念ながら俺は大人だ。適切な手続きを以って即座に連中に報復をした。それが、教育実習最終日の事だ。……あの時の俺はヒーロー扱いだったよ。人気の教師が学校の悪者を成敗。連中は自宅謹慎中で、鬱憤を溜め込んでた他の生徒の天下だったらしい。その天下は、――ひとまず、二週間は続いたらしい。


 二週間後。停学の解けたその餓鬼どもが帰ってきた。

 って言っても当時は、俺はもう実習を終わらせていなくなってたんで、その辺の話は又聞きなんだがな、その後の連中の跳ね返りっぷりたるや地獄だったとか。……ありがちなんだが、その不良グループの頭のヤツの親が、その地域の有力者だったとかで。レイプ未遂が停学って処置で済んだのもその忖度だったんだが、そのせいで親も本気になっちまった。

 ……ありゃ、自分の非を認められない子供の真似だな。あのモンスターペアレンツども、もういっそ開き直ってお山の悪大将気取りだったよ。そのせいで餓鬼どもの悪行は、学校一つ、地域一つレベルで黙認されつつあって、――そんで、そいつらが次の標的に選んだのが、……俺のせいなのかもしれないけど、俺の妹へのイジメだった。


 その内容は、……別にいいだろ?

 結論だけ言えば、俺はまた、完璧な報復をした。それでおしまいだ。


 非の打ちどころのない報復で以って餓鬼は退学。モンスターペアレンツも失墜だ。そこのオチだけ切り取ればそうなる。それで、



 ……。


 ああ、それからは報復合戦だった。そこからが真っ黒の地獄だ。



 地元の有力者ってことは、そいつに近づいて美味しい思いをしていた連中も当然いるわけだ。俺の次の敵は地域一つ丸ごとだ。それにも、俺は完璧に報復をした。んで、その次はそのタカリ連中のアガリで潤ってた反社会的な勢力だが、それにも俺は報復をした。で、その辺りから世間ってのが、俺の敵に回った。


 親父は職を追われて、妹は訳の分からない理由で退学になった。

 それにも俺は完膚なき報復を行って、――その日の夜、母さんが首を吊ってるのを見た。


 遺書があったが、俺は読ませてもらえなかったよ。父さんは優しかったけど、多分あれは感情が混沌としてただけだ。俺が反社会的だと手配された日に、父さんは、俺が見てる前で、俺を恨みがましそうに睨みつけながら線路に身を投げて死んだ。妹は、……ずっと、俺を信じてくれた。


 ああ、俺に妥協はあり得なかった。

 どこかで諦めて、世間に土下座でもするべきだった。或いはどこかで、俺の実力不足で誰かに身柄を掴まれて殺されるべきだったんだが、どうにも、俺は幸運だった。敵対者、裏切り者には一人残らず報復をした。殺した。一度でも俺に刃物を、民意を、殺意を込めて向けたやつは全員が敵だ。俺は、計算を、残念ながら間違えることがなかった。適切なタイミングで俺は法律に見切りをつけて、倫理にも見切りをつけた。ああ、いや、ただの一度も間違えなかったわけじゃない。一度、妹が捕まって拷問を受けたことがあったんだ。アイツは俺のことを結局吐かなかったらしいが、その代わりアイツは身体中の至るモノを失った。四肢と、髪と、目と胸を片方ずつ。それから生殖機能と排便機能だ。当時の法律で言えば俺は最悪の魔王だから、妹に手を出した連中はまさしく英雄ってわけだ。恐ろしいと思ったね。正義の名の元のリンチなら、人間は人間の身体を素手でちぎっても後悔しないらしい。同じことを俺は報復でやったが、あの感触の気色悪さは今でも忘れられないよ。……ああ、忘れられないんだよな、そういえばこんなことがあったんだけどさ。アイツと、中東のテロ組織にかくまわれて、テントで一晩明かした時の顔がさ。アイツ、高校生の頃のまんまなんだ。根っこは優しいけど生意気で、どうしても人の上に立ちたがる厄介な性格。それが、ヒトのシルエットをしていない身体で、何事もないように俺にジョークを飛ばすんだ。アレはもう、強がりや空元気でさえない。ぶっ壊れたまま俺に気を使ってたんだ。自分で自分の精神のどこに異常をきたしているかも分からないまま、それでも俺に笑顔を作る。怖気が走ったね。それでも、俺は当初の目的を妥協しなかった。敵には報復を、殲滅を。根絶やしに。一人残らず。法律が裏切ったなら法律は敵だし、昼のワイドショーが俺を口汚く罵ったのならそいつも敵だし、そのショーを見てパーソナリティに同調して俺に殺意を向けたやつも殺す。まあ、悪あがきなんだよな。それで最後まで勝ち抜けてどうするつもりだったんだか。……でもさ、当時はほら、俺が諦めたら俺が死んじまうからさ。計算をやめた瞬間に、どこぞの世界の叡智の結集って名目らしい全世界統括の捜査局だの、国連が総力を挙げて作り上げた対テロ犯罪シンクタンクだのが俺に追いついてくる。ひとまずは、死なぬためには報復を。案外、当時の俺は本気で、最後まで勝ち残れば死なずに済むとでも思ってたのかもしれないな。ああ当然、その時点じゃもう義憤なんてないよ。正義なんてどうでもよかった。報復はすること自体に意味がある、だろ? ただ、まあ、


 ――ある日、妹が死んだ。なんの珍しさもない感染症だ。なにせ爪楊枝で突かれただけで死ぬほど弱ってたからな。

 分かり切ってたことだ。覚悟を決めておけばよかったんだが、当時の俺の脳みそは全部計算に使われていたからさ、本当に寝耳に水だったよ。残念ながら、死に顔は拝めなかった。


 さて、そうして俺は天涯孤独。そうすると、生きることに意味があるとも思えなくなった。

 多分、妹が俺にとっては最後の生きる理由だったんだろうな。アイツの汗を拭いて、オムツを取り換えて、泥みたいな栄養食を与えるのは全部俺の仕事だったんだから。

 で、それがなくなったらやることもないだろ? 残り人生いくらかは知らないが、ずっと暇なんじゃ苦痛すぎる。だから死ぬことにしたんだが、一人で死ぬのも業腹だ。なんで俺は、



 ――ああ、



 それは、良く晴れた春の日の事だった。


 どこの国の草っぱらだったかな、風が強くてさ、忙しっきりで伸ばしっぱなしだった前髪が、風で暴れるんだ。


 遠くから、風が来る。そして俺の後ろの遥か彼方へと流れていく。少し、冬の気配の残った風だった。冷たくて、うなじが刺されるようで、自死の決意にクラクラとしていた俺は、風が吹く都度その冷たさに目を覚ました。


 雲が高くて、空が広かった。日差しが白くて、俺の瞼を灼くつもりかってくらいだったよ。

 そんな日に俺は、



 ――60機だったかの核ミサイルの同時発射ボタンを押して、世界と一緒に死んでやった。ご清聴ありがとう。これが、俺の半生だ」






 言って、俺はどこか虚空に頭を下げて、


 そして、

 静けさが戻った。






 俺の呟くような声が壁に吸い取られて消えて、その表面をスモーキーな照明が、蓋をするように照らしている。


 微かなジャズがまた耳に届き始めて、グラスをシルクで拭う音がいっそう際立つ。


 彼女がグラスを唇に傾けたのを見て、誘われるように、俺もそのように。

 話の途中で、彼女が選んだ酒である。



 凍りきって感覚の無くなった舌を、赤い雫がとろりと解す。



「大変な、半生だったんですね」



「俺の世界の連中からしたらいい迷惑だろうな。俺みたいな奴に恨まれたせいで惑星ごと絶滅だ。冥途の土産話にしたら物珍しいかもしれないけどな」


「……、……」



 何も言わず、彼女はまたグラスを傾けた。


 ロックグラスに注がれた赤い液体。アルコール感が強く、そこに果実の皮の風味と、ドライベルモットのニュアンスがある。たしか、作る際にはステアで用意していたはずだ。



「実はのお話。……私、本当はここに何度かお邪魔しておりまして」


「? ああ、そうなんだ。……なんでわざわざ、隠すようなことを」


「そちらのカクテルも、私のお気に入りの一つです」



 ――オールドパル。

 それが、このカクテルの大本になったであろうレシピの名前だ。



 カクテル言葉は、『旧知の友に』。



「ウイスキーの比率を増やして、カンパリとベルモットは香りづけ程度に。それをカクテルグラスではなくロックでいただく。――そのカクテルの名前は、『はじまりの街の英雄に捧ぐ』」


「ウォルガン・アキンソン部隊か……?」


「ええ。私の父を思いながら、いつもここで、私はこのお酒を飲むんです。気に入ってくださいました?」


「……ああ、おいしいよ」



 視線でマスターに礼を告げると、彼は小さなお辞儀を一つ返してくれた。



「あの時は、すまなかった。……俺の力不足だ」


「あなたのせいじゃない。あの事件は悲劇だけど、……あなたは、自分を責めないで」


「……、……」


「これまでのことだって、ずっとそうです。あなたは、自分を責めるべきじゃありません」


「……、」



 ……そんなはずがあるまい。


 認めよう。俺の報復は過激すぎた。

 どこかで俺は、淘汰されるべきだったんだ。



「……それはおかしな話です。あなたが妥協するというのならともかく、淘汰というのでは。あなたが勝って、あなた以外が負けてしまった。それだけの話です」



 いいや、違う。

 それなら妥協でもいいんだ。俺は妥協すべきだった。


 俺は、どこか汚い路地裏の隅で、腹から血を流しながら凍えて死んでおくべきだったんだ。その機会は、何度だってあった。



「敗北を、敢えて受け入れるというのですか? ええ、そんな選択肢もあったでしょうね。だけれど、それを拒んだことが間違いでしょうか? あなたは、一生懸命戦ってきただけなのに」



 一生懸命だったさ。ああ。

 だけどさ、動機が不純だろ? 俺の目的は最初から最後まで報復だったんだ。



 良く言うだろ? 復讐は何も生まないって。

 諸先輩方のありがたいお言葉を無視したりしなきゃ、こんなことにはならなかったんだ。



「――本当に、そう思っているんですか?」



 ……、


 ああ。



「うそです。分かりますもの。……あなたが、あなたにとって大切な人を傷付けられた怒りを、その大切な人の尊厳を尊重したことに何の間違いもあるはずがない。泣き寝入りをするべきだっただなんて言わないでください。あなたは、あなたの生涯を、一つも妥協せずあなた自身のために使い切ったんです。それだけのことだ」



 ……責めてるのか? それならもっと分かりやすく言って欲しい。


 ああ、俺は君の言う通り、一つも妥協せず俺のために生きたんだ。他人を蹴落として、殺して、全滅させてでもな。



「そんなつもりはありません。私は、あなたが全力を尽くしたことに敬意を払っているだけです」



 ……悪かった。

 あの頃を思い出すと、少し、言葉が棘っぽくなるんだ。



 でも本当に、敬意なんてやめて欲しい。俺は、

 ……少しだけだけど、後悔しているんだ。



「もう、全て終わってしまったコトなのに? あなたは、もうあの世界にはいないのに」



 ……、



「少しだけ強い言葉を使います、ハルさん。……自分を罰したいなら、そうするべきだ。うじうじと悩んでいる暇はないでしょう? 私には分からないけれど、もしかしたらあなたは、自分が罰せられるべきだとまでは思っていないんじゃないですか?」



 ……、



「だからあなたは、ただ悪役に徹している。悪者っぽく振舞って、あなたのしてきたことの清算を先延ばしにしている。悪役は、自分で自分を罰したりしないから。あなた自身が悪役でいるうちは、あなたは自分を罰しなくても構わない」



 ……、



「そのまま死んで、地獄でも目指してみますか、ハルさん?」



 ……、



「残念ながら、――……ハルさん。この世界には天国も地獄もありませんよ。あなた方が死んでしまったなら、あなた方の自我はそこでおしまいです」



「……、」



「どうしてそんなことを知ってるのかって? いいえ、そんなことは重要ではないでしょう? ……問題は、あなたが、自分で自分を罰することが出来ないから、地獄にあなた自身を罰してもらおうとしていることだ。そんなの、私は見ていたくありません」



「……見ていたくないって。そんなこと、言われたって」



「あなたはさっき、あの悪魔に何と言われたか知りませんが。この世界は別に地獄なんかじゃない。少なくとも、この世界を作った神さまにとってはね。……そりゃあ、会ったこともない神さまを信じろというのは難しいでしょう。この世界で生きるのも難しいから、神さまの人格を疑うのだってわかります。だけど、どうか、腐らないで欲しい。


 この世界は、どうしてもモノが減ってしまうように出来てるんです。火を熾せば一晩は暖かくても、燃やすための樹が育つのには膨大な時間がかかる。それでも神さまは、あなた方にこの世界で、幸せに生きて欲しいと思っています。ヒトにも、動物にも、それ以外の魂ある全てにも同様に。

 だけれど、あなたたちは魂あるモノを食べることでしか生きられない。そういうふうに作ってしまったのは神さまだけど、それでも幸せに生きて欲しいと思っています。あなた方が魂を持つ存在と競争して、精肉して食べていて、食べられるモノの悲鳴を聞きながら、それでもずっとそう思っている。


 あなた方を助けられたら、どんなによかったか。悲鳴を挙げるモノに手を差し伸べられたらどんなに良かったか。……いいえ、実際にそうしてしまったコトも何でだってあります。そして、そのたびに後悔した。あなた方は魂を殺さないと生きられないから、神さまが救ってしまった分だけ、他の誰かが死んでしまうんです。どれだけ悲劇的に、世間に存在も知られないまま、赤ん坊のままひっそりと死んでしまうはずだった誰かを救ったとしても、その代わりに必ず、別の誰かがいずれどこかで死ぬ。それは、神さまがあなた方を殺したと言っても過言ではないでしょう?」



「……じゃあ、なんだ? 神さまは、殺人が怖いから手を差し伸べてくれないのか? 巡り巡ってどうせどこかで誰かが代わりに割を食うことになるから、自分の手を汚すことは嫌だって?」



「……そうです」



「その代わり、俺達には勝手に殺しあえって? 自分は手を汚したくないから、お前らが勝手に汚れちまえって?」



「……。そう、です」



「ふざけんな、腑抜けめ」



「……、……」



 彼女は、まるで自分の事のように沈痛な表情を作った。

 俺は、その様子に次の言葉を失って、カクテルで唇を潤す。


 ウイスキーの甘みと、そこに香るくすんだような華やかさ。

 それらが、溶けた氷の冷たさと共に、俺の喉へと滑り落ちた。



「返す言葉もありません。神さまは、自分のせいで誰かが何かを失うのが怖い」


「……、」


「こんなふうになるなんて、思っていなかったんです。神さまは、あなた方が成長できるように劣等感を作った。それに、押しつぶされてしまう人がいるなんて考えもせずに」


「……、」


「神さまは、力の弱い個人が集団となって自らの身を守るために、その中で過ごすあなた方が健全に生きられるように排他性を作った。それで、自分の価値観に会わない人は集団を抜けて、抜けてしまった人たちも自分にとって最良の集団を見つけていって、小さくても楽しい居場所が誰にでも出来ますようにと。それが、あなた方の世界におけるイジメを生み出した。あなた方が自分を大切に出来ることを祈って、そのために知らないことへの恐怖を作った。それが、あなた方を狭い自室に閉じこもりっきりにするなんて思いもよらなかった。未熟な子どもを守り続けられるように、親の愛情を作った。それが、子どもの成長の機会を失わせるなんて思わなかった。怒りを作ったのは、あなた方があなた方自身の身を守ってほしかったからです。本当にどうしようもなければ暴力を使ってでもその場から逃げ出せるように、感情を振り切ってしまえるようにした。嫉妬を怒りに変えて無辜の人々を傷付けるなんて考えもしなかった。神さまが嫉妬を作ったのは、自分よりも強い人がいるところから逃げ出すという選択肢を、あなた方に教えてあげるためです。だけどあなた方は逃げたりしない。自分を誇れるように成長するきっかけになればと作った自尊心は、他のどんな暴力よりも嫉妬を過激にした。それに――」


「もういいよ」


「……、……。」



 俺が言うと、彼女はそれ以上何も言わなくなった。


 ただ鎮痛に、顔を下げて、罰を待つ子どものように小さく震える。

 俺はそれを見て、……どうしようもなく、酒精をすする。



「……別に」


「……、」


「神さまだけのせいじゃないだろ。俺たちだってそれなりに悪い。もっと上手くやれたことだってそれなりにあった」


「あなた方が大変そうなのを、神さまはずっと見ていました。それでも助けてあげられなかったのは、自分のせいで誰かが何かを失うのが怖かったからです。あなたの言う通り、神さまは、あなた方が自分で傷付けばいいと思っていた。自分が手を下すくらいなら、勝手にと」


「そんなモン、誰だってそうだ。手を出そうが出すまいが結果何かが失われるのが変わらないなら、俺だって見て見ぬふりをする。世界全体の生まれる幸せと減る幸せで考えるなら、俺の罪悪感がない分そっちの方が赤字は少ない」


「でも、だったら。……見て見ぬふりをする罪悪感の方はどうしますか? あなた方は、次こそ正しい行いが出来るように、罪悪感という感情を持っている。それをどうするんです?」


「知るか、で済ますさ。一度閉まっておいて、本当に将来そんな機会が来たら、その時に改めて引っ張り出す。ずっと持ってても荷物が重くなるだけだ」


「でも、じゃあ。……どうやったら、閉まっておけるんでしょう」


「簡単な話じゃないか、なあ。……――そのための酒だろ? 何のために人類が、心を砕いて人類史上ずっと酒と友達だったんだと思う? 付き合いが長いから、こいつ・・・はどんなに下らない愚痴でも呆れながら受け入れてくれるんだよ。ああ、そうだな――」




 やるなら、今だ。と、

 俺は彼女に向けて、グラスを持ち上げた。




「……?」


「してなかっただろ? ほら、――遅くなったけど、偶然の再会に・・・・・・




 かりん・・・、と。

 ――静かなバーに、乾杯の音。




「飲み込み切れないなら酒で流し込むんだ。俺も、ずっとそうしてきた。この世界に来てからも、俺は酒がなければ眠れも出来なかった。一度たりともな。だけど、眠れないよりは眠れる方が良い、そうだろ? その悩みがどれほど大切なもので、本人にとって誠実なものであっても、四六時中ずっと悩み続けなけりゃいけないわけではないはずだ」


「……、」


「君の言う通り、俺は確かに逃げてたよ。だって、俺がしたのは復讐で、しかも成就してるんだ。……正直なハナシ、この後どうしたらいいのかが俺にはわからない。罰を待てばいいのか、胸を張って余生を楽しめばいいのか」


「……、」


「悪役のフリ、確かにしてなくはなかったよ。生来のモノでもあるけどな。……だけど、この世界に来て、この世界がやたらと楽しいもんだから毒気が抜けてきちまった。それで俺は、メッキがはがれて罪と目が合った。殺した人間の数も分からない。名前も知らない。下手をすると殺すほどの事は無かった人間も何人かくらいはいたかもしれない、ってさ。だけど」


「……。」











「――決めたよ。飲んで忘れる」











「……いいんでしょうか、それでも」


「いいに決まってる。だってこの世界は俺が滅ぼした世界じゃない。アンタも、適当な言い訳見繕ってさっさとおいしく酒を飲もう。このままじゃ味も分からないんじゃないのか?」



 その言葉で、彼女はようやく笑みを作った。



「ったく。自分の事のように沈痛に話すよな、アンタ」


「……、……」


「なあちなみにさ、……神さまって君だったりする?」


「……内緒ですっ」


「こわ。先に言ってくれよ失礼があっちゃいけない。あ、でも天国も地獄もないんだっけ? じゃあ神さまに忖度して敬意を払う必要もないのか?」


「あなたの目の前にいるのは神さまではなくてもあくまでも街のアイドル看板娘シアンちゃんですので敬意は必要かと」


「自分で言うんだなそういうの。……確かに、君はそんな感じだったな。それで俺も、元気を貰ったんだった。改めて、しばらく挨拶もしに行ってなくて申し訳なかったね。いろいろと片付いたら、気ままな歩き旅がてらで顔を出すつもりだったんだ」


「いろいろ?」


「ああ、宿命の清算をちょっとな。世界の表舞台じゃとんでもない事件が起こってたけど、その裏で俺も自分のケジメのためにいろいろやってたんだ。まあ、……負けちまったのかもしれない、けどな」


「負けた、とは?」


「言葉の通り、敵と戦って負けたんだよ。……なあシアン、ここまでなんとなくなぁなぁにしてはいたんだが、もう一度聞きたいことがある。今度は濁さずに答えて欲しい」


「ええ? 答えられることであれば」


「――ここはどこなんだ。俺はさっきまでパーソナリティと戦ってて、甘ったるい名前の自称悪魔に見守られながらアイツに拘束されて動けなくなってたはずなんだ。正直言うと、俺の無敵の弱点は『拘束』だ。何をされても死にはしないが、身体を縄で縛られただけで俺自体は完全に無力化される。ホントはそのためのローブなんかをお偉いさんから賜っていたんだがそれも人に貸してて手詰まりだった。だからさ、俺はここが死後の世界だって言われても信じなくはない」


「……、おかしなことを言います。あなたは無敵でしょう? それとも、自殺をした覚えでもあるんですか?」


「いや、ないけど」



 そこで、

 ――彼女が、軽やかに笑った。



「ならあなたは死んではいない。それに、死んでいないなら負けてもいない。そうでしょう? あなたは前世でだって、そうしてきたはずだ」


「前、世……」


「宿命の清算と言いましたね、鹿住ハル。ここは世界の裏側でも、自分にとってはケジメの正念場だとも。だったらあなたは諦めてはいけない。あなたは、歩き続けないと。――あなたのスキルは、そのためにあるはずだ」


「なあシアン。……君は一体、何を知っている?」


「そんなの、そう多くはありません。


「……、……」



 そのいたずらっぽい笑みがあまりにも可憐で、俺は、彼女の言葉を待つ他になかった。



 彼女らしい、素敵な表情だ。


 ――酒を飲むなら、ああ、こんな顔で飲みたいものだ。




「その、店の名前ってのは?」


「そりゃ、ハルさん。聞く相手が間違っていますよ」



「それもそうか。マスターに聞いておくべきだったか」


いいえ、ハルさん・・・・・・・・。それも間違いです」



「……?」


「一つ、あなたが店の名前を聞くべき相手は、マスターではない。。……それからもう一つ、そもそも彼は、実はマスターではありません」


「えっ? あ、そうなんだ! すげえ貫禄だからてっきり!」


「ええ、マスターは……」



 本当に楽し気に、彼女は話す。

 彼女がそんな様子だから、俺も、身を乗り出すようにして彼女の次の言葉を誘い、







「――あなたです、ハルさん」


「え? ……あ、いや。心当たりないよ。勘違いしてるんじゃない?」







 ……しょーもなめの俺の返事に、彼女は半眼で俺を睨んだ。



「(こほん。)――結界・酒〈EX〉」


「な、なぜその名を……?」


「あなたがこの世界で得たスキルですね。あなたたち異邦者は、この世界に来た時に持っていた願いを三つのスキルに変える。しかし、――願いは、往々にして変わる」


「……、……」


「あなたは、強い願いを覚えたのではないですか? 異邦者の持つ三つ目のスキルは、この世界で得た願いによって形を変える」



 思い出したのはパーソナリティから【最後の指示】を受けた瞬間だ。

 あの時俺が思ったのは、強い疲れと、それを癒したいという渇望。



「あなたは、ええ。――

 ――それにより『結界・酒〈EX〉』が昇華。……この空間は、あなたの願いによるものです」


「……、」



 ――俺の願い。


 世界のありとあらゆる場所を目指し、気ままに散歩がしたい。

 労働に追われず、常に十分なカネを持ち、そのカネで知らぬ街の逸品を食べてみたい。


 そして、……疲れた時には、いつでも休める俺の居場所が欲しい。

 



「――。それが、この店の名前です。あなたは三つ目のスキルで以って、あなた自身の願いをこう叶えた」



「……。それが、ここだと? いつでも来ることが出来る、俺だけのバー?」







「…………いいえ。あなたの願いは、そうではないでしょう?」


「……、」







 ――ああ、そうだ。

 その通りだ、と俺は呟く。


 酒というのは、ただ飲むのでは味気ない。

 労働に疲れたならばビールを飲むべきで、休日の昼食なら選ぶべきはワインである。

 和酒が旨ければ、その時に俺は魚を頼む。空腹でないのならバーへ行くだろうし、今すぐにモノが食べたいのなら、ファストフードに即席のハイボールを合わせたっていい。


 俺は決して、バーばかりが好きなわけではない。

 例えば――




「静かな夜には、静かにカクテルを。だけど寂しさを感じたなら、そこには友人がいるべきだ。――あなたは、その願いを叶えた」




 その言葉を待ったように、


 ――俺の背後で、ドアベルが鳴る・・・・・・・




「――――。」


。――さあ、挨拶は後にしませんか。バーテンダーさん、お願いします」




 彼が視線で応え、タクトを振るように片手を挙げた。すると、――世界が明転する。



 否。

 その光景は・・・・・






あれ、は・・・・……!?」


「あなたは願ったでしょう。バーで飲むようなカクテルを、雄大な自然に囲まれて頂く贅沢を。……この能力は、あなたが、炎の中でも深海の底でも霊峰の頂でも心地よく酒を飲むための力です」






 そう、それは正しくは明転ではなく、バーを囲う六法の壁が、ここよりも明るい外の光景・・・・を素通しにしただけの事。



 そこに映っていたのは、――くり抜かれた山の内部。その壁面を舗装するコンクリート色と、その迷宮の首魁たるパーソナリティらの姿。

 そして……、







「……、……」


「忙しいらしい友人は、当然、呼べないことだってある。あなたの願いに則せば、それもまたお酒の楽しみ方なのでしょう? ――そういう時には、友人が抱え込んだ厄介を共に片付けて、達成感と共に酒を飲みたいとあなたは望んだ。ならば、そうするべきです。



 ――。さぁ、彼ら・・と共に、彼女を捕まえて戻ってきてください!」







 その、彼女の強い言葉には、



 呆気にとられていた俺の代わりに、

 ――もう会えることはないと思っていた彼らが、更に強く答えてくれた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る