-End.
――静寂。
耳にはまだ、さっきまでの音の洪水が残っている。
それが、静かに、耳鳴りの音に変わっていく。
直上は夜の景色。
ただ黒く塗りつぶされていて、星と距離感は共に喪失していた。
それでも今が夜だと思ったのは、風が、少し湿って冷たかったからである。
『お疲れさまでした』
「――それで、お前は誰なんだ」
言葉は返らず、
俺はその手持無沙汰を癒すつもりで周囲を改めた。
――あれほど騒がしかったはずの『雲』
3000機ものドローンの群れは、書き置き通りに行動を停止している。その光景はさながら、時間が止まったかのよう。
全てのドローンが、一流の漫画家が書いたイラストのように、慣性さえ感じさせる格好のままで虚空に捉えられている。
……いや、よく見れば滞空していたドローンは、木の葉が堕ちるような速度で地面へ通りているが、大した違いはあるまい。あの軍勢には今や、何の脅威もありはしない。
「……、……」
そして、
全空中ドローンの着地を待ってのち、ドローンの『雲』が静かに解れ始める。
雲が千切れ、小さくなっていくように。
或いは大きな雲が拡散し、広い空へと溶けていくように。それは静謐とした解散であった。
生き物を模した連中があんなにも無機質に踵を返す光景は、いっそ自然の営みのように淀みない。それこそ寄せた波が帰るよう。
そして、
――そして、
「
『
代わりの俺からの沈黙は、『アイテム』の無機質さとはまったく別種の『電子的な沈黙』で以って返された。
俺がこの世界に来た日から、ずっと追い求める
彼、或いは彼女は、
――夜が産み落とした卵のように、この地下空洞に現れた。
『楽園の王に告ぐ。第六章
宿命の清算_【裏】』
――何がしたかったのかと問われれば、返す言葉もない。
「――じゃあ、やるか。パーソナリティ」
『脅威度更新個体_鹿住ハル、接敵シマシタ。警告行動ハ在リマセン。殲滅ヲ開始シマス』
……パーソナリティの、黒い繭のような胴体を支える細い四肢が流麗に動く。
過日にも二度見た動きだ。三度目ともなれば流石に慣れも得る。
改めて見ればパーソナリティは、あの犬型ドローンよりは初速が遅いようだ。
さて、
何がしたかったかと問われれば、俺には、返す言葉などない。
……真正面からの接近。無意味であると学習したらしいレーザーの類いは使わないようだ。
他方の俺も身を翻し距離を取ろうとするが、あの『雲』を翻弄し切ったはずの俺の脚は、今になってパーソナリティを振り切れない。
当然だ。先ほどとは状況が違う。
どこに行けばいいのかが分からぬまま、全霊で走れと言われたって無理な話だろう。
そもそも、それはこのダンジョンに来た時からそうだし、考えても見れば来る前からだってそうなのだ。
前世という物語を全身全霊で完結させて、そうして俺はここに来た。俺は既に一度、目指すものに到達したのだ。今更もう一度目的を見つけろと言われたって難しい。
やることがないから、敵討ちに固執した。俺の胸中ではもう、怒りはただの懐かしさに変わっているというのに。
それなのに、
「――ッ!」
パーソナリティの四肢の不規則な動きは、この地下空間の特徴的な足場を見事に掴み、そして踏み抜く。
……俺がパーソナリティに追いつかれ、覆いかぶさられ、その歪な前腕で持ち上げられるまでには、結局、そう時間はかからなかった。
「……、」
『確保完了。コレヨリ、「カズミハルレポート」デノ検証結果ヲ実行シマス』
「……、」
『
……なんの悪趣味だ? と俺は胸中で思わず吹き出す。
ゆえにこそ俺は胸を張り、パーソナリティの頭部に視線を合わせて、こう答えた。
「やれよ」
『――。――。』
ただ一言。
恐らくは、これで以って俺の敗北はすみやかに確定した。
パーソナリティが目下で、視線を伏せ、身体を伏せるように重心を低くする。
その次の行動を、俺は、――ただ、肩の力を抜いて待つ。
そこへ、
『――ここで終わりですか、鹿住ハル?』
「……、……」
アイテム、と名を呼びそうになって、俺は言葉を引っ込める。
彼女は、少なくとも『アイテム』ではない。
故に、ただ次の言葉を待った。
『……ここまでは長かったくせに、嗚呼、あっけない。拍子抜けですね。僕はあなたの戦いを眺めるためにポップコーンを用意したのに。それに溶かしたバターも垂らしてしまったから、仕舞っておくわけにもいかないのですが』
「……、」
『拘束を振りほどく努力をするべきでは? ここまでの道のりじゃああんなに足掻いていたのに、どうして今だけはこんなに潔いのです。つまらないな、つまらない』
「……お前、誰だよ」
『名乗ったでしょう、「アイテム」と。
……そうですね。では、せっかくです。ポップコーンのおいしいところがなくなるまでは話でもしましょうか。あなたも、あなたが何に巻き込まれたかを聞かずに死ぬのでは成仏も出来ないでしょうし、いわゆる冥途の土産ということで……、
――
あなたには興味がないことかもしれませんが。僕もあなたにはさして興味がない。丁度いいでしょう?」
『音声』が、そこで
布越しの『スピーカー音』が、ヒトの、湿り気を帯びた「声」に変わる。
それが、――俺の胸元の、小さな筐体から流暢に流れ出す。
「そう。そもそもの話から聞いて欲しい。僕は、あなた方には興味がない。だというのに神サマは無慈悲だ。いや、誰に無慈悲なのかといわれたら、キミタチになんだけどね?」
声の質感が変わり、言葉のニュアンスも変容する。
見下したような、分かりやすい悪意。或いは嗜虐。言葉尻すべてに嘲笑を付したような不愉快な口調。
ぱし、と音がして、『アイテム』を繋ぐ首紐が切れ、黒い筐体が地面に転がり落ちる。
ころころ、ころころと、
「――いや本当に、興味はないが同情は覚えるよねぇ。生物という種族にはさ。
この世界が辛いから天国なんて言葉を作って、憎たらしいやつも死んで楽になるのが許せないから地獄なんて言葉を作ったんだろ? そんな遠回りな現実逃避をしないで、直視すればいいのに。キミタチが生まれたこの世界こそが地獄なんだって。……認めるのが嫌だって言うのなら、それもまた一つの地獄の罰なんじゃないの? 自分が生物として恵まれぬ機能を持ち、日々に不満を持ち、一生の内で得る幸福よりもずっと多い不幸に見舞われながら生き続けなきゃならない。だけれど、不幸だと認めるわけにはいかない。いつまで生きてたって結局不幸なんだって認めたら死ぬ他になくなるけど、そもそもキミタチは死が何よりも怖い。ああ、そうだ、教えといてあげるけどキミタチが死を恐れるその感情の根拠は、どうやら『罰』らしいよ。死んだほうが楽だってわかってる世界で、それでも生きなきゃいけないのは辛いだろ? 僕は知らないけど何かの罪を犯した存在にはお似合いの末路なんじゃない?」
パーソナリティの傍らで、その小さな黒い箱は喋り続ける。
俺の目に映るのはその箱と、そして俺を掴み持ち上げるパーソナリティだけであった。
箱が、――
「ああ、同情はするけどキミタチを気持ち悪いとは思ってるよ。だから近づかないで欲しい。汚い息をこちらに向けて吐くな。……あれだろ、キミタチ。恋だの愛だのって感情で言い訳して、肉と肉で交尾をするんだよな。汚らわしい体液をまき散らしながら相手の体液を啜って、快楽に触れて気色の悪い顔になりながらグチャグチャと腰を振るんだろ? 生きていて違和感は覚えなかったのかな? そんな行為で、体液が混ざり合って生まれたのがキミタチなんだぜ? 僕なら生物なんてものに生まれた瞬間に死を選ぶね。……ああそうか、君らは死が怖いんだもんね。死ねないのか。……しかし、そこも納得できないんだよな。死への忌避は君たちに生来存在する機能とはいえ、睡眠の摂取は許容出来て死を許容できないのはどうしてなんだ? どちらせよ無じゃないか。そこに区別でもあるのか? 自己保存本能? 目覚められない睡眠は睡眠ではないから区別が出来ている? おかしな話だ。目覚めたいと思って寝る生物がどこにいる。一生寝てられるんだぞ? 死ねよ」
箱が、そのシルエットを肥大化させる。
まずは歪に、しかしながら、徐々にそれは影を作る。
ヒトガタの影。
退廃的な、魔女のような風貌。
その姿を、俺はどこかで見たことがあったはずだ。
「話しづらくてね、格好を変えさせてもらったよ。このアバターは確か、タミア・オルコットって名前だったかな。覚えてるよね、君が爆竜を討伐した日にも会ったはずの、あの作戦の司令部の子だよ」
「。」
「あ、そうなんだよ。身体と生涯がたった一つじゃ不便だろ? だからいくつか借りて持ってるんだ。リベット・アルソンがポーラの巫女だったのと同じでね、そんなに珍しいわけでもないだろ?」
更に彼女は、姿を変える。
少女未満といった小柄な体躯。愛嬌のある顔で、人好きのする笑み。
……あの姿は、はじまりの街で会った、あの街のギルド長だったはずだ。
「この子も、僕の持つ500万機だったかの
彼女の姿が、変わり、変わり、変わる。
その異様な光景を、……しかし、パーソナリティは見向きもせず、俺を掴み上げたまま伏せるようにして頭を地に向けている。
あれは、――
「ああ、彼女? そうか僕が
こちらを見上げながら、彼女は地の底まで見下して言う。
そして彼女は、パンパンとパーソナリティの身体を叩いた。
「それで言えば彼女は及第点だ。性能もいいし、何よりキミタチみたいに体液まみれで腰を打ち付け合うような無様な真似もしない。実に理想的な生産構造だよ。実は彼女ね、君が腑抜けっぽかったから僕が手づからこの世界に呼んだんだよ。見立ては正しかった。彼女はこの世界でもう10万は人を殺してくれた。褒めてあげてよ。……あ! そうか、そうか! 君はそもそも人間種だから、もしかして同族を殺すのは嫌だったのか!? だったら申し訳ないことをしたなぁ。まあ来世では周りが敵まみれになることを祈ると良い。そうすれば君の持つ性能はフルに活用できるはずだ」
「」
「……そうだな、うん。せっかくだ。僕は君に機会を挙げよう。申し訳ないことをしてしまった償いだ。
『少女』がそう言った瞬間に、俺は、
ゆえに、唐突に復帰した当然の
喋れと言われて、何を喋れと言うのか。
あまりにも状況が掴めず、ただひとつわかるのは、目前の『童女』がこの世界の
聞くべきことが多すぎて、追及すべきことが多すぎて、その思考の塊は白い巨岩のように喉に詰まる。
ゆえに、その言葉を吐き出せたのは、――それがあまりにも当然の疑問だったからだろう。
「お前は」
「うん?」
「――
「……、……」
一度目のその問いには、彼女ははぐらかすように答えた。しかし此度は、反応が劇的に違った。
彼女は、
うぞうぞ、うぞうぞと姿を変えた。
――
小柄で、女性的で、手指だけで手折れそうなほどに華奢な
纏う
そして、――その貌には、決して飲み下せぬ鈍重たる悪意が一つ。
そして、嗤って言った。
「
――僕の名前は、カスタード・シフォン・ストロベリィチョコレート。
キミタチの言葉、
――
最高のジョークを言うような表情で、彼女はそう、俺に言った。
「ついでに言うと僕の目的は、君ら異邦者の一定数の除去だ。分かりやすいでしょ? それだけだ。この世界にはちょっとばかり異邦者が増えすぎたからね、それは僕らの側にとって都合が悪いんだ。ああ、心配しなくていい。キミタチ生物が関われる
「。」
「それと、当然だけど救援は来ないよ。だって呼んでないからね。それじゃあ、――僕はそこで見てるから、あとは二人でよろしく。最後に彼女、君に伝えたいことがあるらしいんだ」
そして、――なにか水っぽいものが弾けるような幻聴と共に、世界の事象は再び回り出す。
パーソナリティには彼女が見えてはいないのだろう。先ほどの、感情を置いていくような口上など一片も知らぬと、ただただその身を地に伏せている。
彼女はアレを、「祈り」だと言った。
「 。」
出来ることなら、状況の整理がしたかったが、難しい。
既に俺の手元に主導権などないこの盤面で、彼女曰く、次はパーソナリティからの用が俺を待っているという。
……それでも傍らで思考は回すが、その速度はやたらと緩慢だ。
理由は分かる。俺は、疲れていたのだ。
このダンジョンで本能を摩耗させられ、もう暫く外の空気も吸えていない。並み一通りの人間なら餓死して然るべき期間を俺は、食事も休息もなく動き詰めだったのだ。
思考を手放す我儘くらい、許されて然る。
だって、どうせ俺は、ここで終わりなのだろう?
『――脅威度更新個体_鹿住ハルヘ勧告』
「。」
『最後ノ指示ヲ提示シマス。コレヲ達成シタ場合、コノダンジョンハ 攻略完了ト ナリマス。達成サレナイ場合、ダンジョンノ攻略ハ ナサレマセン』
次にくる言葉など、簡単に想像できる。
ああ、もう疲れた。
いや、これはきっと疲労などではなく、諦観だ。絶望などという感情では人は止まらぬ。それは、ヒトに最後の、猫を噛む窮鼠じみた悪あがきをさせる燃料にしかなり得ない。だからこそパーソナリティは、俺のモチベーションを砕いたのだ。
分かり切った弱点を破れかぶれで隠し通さなければいけないストレスと、それがいつ看破されるか分からぬ不安と、そしてあまりにも長い時間。
俺に隠し通すことを諦めさせる要素は全て整っていた。やはりこの迷宮は、検証施設であると同時に、俺のための絞首台に続く階段でもあった。
かくして予定通り、絞首の恐怖に耐えかねた俺は諦観を選ぶ。どうせいずれ看破される弱点を、それでも隠し通す努力ではなく、いずれバレた時のための覚悟を育てることに、俺はここまでの時間を使っていた。諦めてからの道中は、思えば割かし気楽なものであった。
ゆえに、
俺は磔にされたまま、伏せたままのパーソナリティにへらへらと哂う。
本当に、いつから俺は酒を断っていたんだか。
『【自殺シテクダサイ。
自殺シナイ場合、アナタハ永遠ニ解放サレマセン】』
ああ、
――本当に、喉が渇いた。
――鹿住ハルが実績を解除しました。
――スキル『結界・酒〈EX〉』が
スキル『(名称未取得)〈EX〉』に昇華しました。
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