或る独白_(01)







 ――或る時代。

 そこに一人の科学者がいた。






 かのじょは良き仲間に囲まれ、人類への奉仕に尽くしていた。かのじょの成果は人類の水準を高める佳きモノであり、またかのじょとその仲間たちも、人類から正しき評価を得ていた。


 戦なき時代に、かのじょはそれでも英雄と呼ばれた。

 やまいを討ち、不遇まちがいを咎め、ふこうを払うあかりを残す。


 かのじょの作り上げたモノ、コト、概念は、人世を更に先へと進めた。


 そんなかのじょが唯一逃避したのは、――滅びであった。






 ヒトが滅ぶ。文明が滅ぶ。世界が滅び、形而上下の全てが揺らぐ。


 否、或いはそれを滅びと捉えたのはヒトのみであったのかもしれない。生命は輪廻し、かのじょはそれを拒んだ。それだけの話であった。


 かのじょはヒトであった。信仰が薄れ夜闇が暴かれ、自然に抗った時代のヒト。だからこそヒトは知らぬものへの恐怖、『死』への恐怖に過敏であった。


 輪廻を否定する。死後の世界を夢想と断じる。少なくともそれらを、手放しに信じることは出来ぬ。せめて証明を、観測を、根拠を求む。世界から闇を払った時代のヒトは、明かりでは払えぬ不明瞭たる闇を恐れた。



 そしてかのじょは、人世の英雄と呼ばれうる程度には有能であった。

 かのじょは死からの逃避を選んだ。






 幸い、その方法にはアテがあった。その年、或るヒトがゼロを暴いたのだ。

 。それが世界にありとあらゆる夢想を産み落とした。或いはきっと、いずれ世界には死後たましいの証明さえも成立したのだろう。問題は、ヒトの死滅がそれよりも近くにあったことだけだ。


 かのじょには、死後の証明よりも死の否定を行う必要があった。


 文献むそうを探る。創作むそうを探る。哲学むそうを探る。夢想むそうを探る。


 それを誰もが否定しない。いつかの時代なら恐れられた禁忌を暴く冒涜を、その世に限っては誰もが肯定する。死を否定する英雄は、英雄たるべき精神性を維持したままで領域を犯せた。子を慈しみ、悪を絆し、老人に花を手向けるその手でかのじょは神を解剖した。ヒトは、かのじょとその友人ではなく、倫理の方を間違いだと断じた。これを矯正した。






 人の世は変わる。殺人を戒め、不倫理を戒め、裏切りを戒め、その次に「死を受け止めること」を戒める。

 これは、人世の自然淘汰、洗練化の一途である。少なくとも、


 そう解し、英雄たちはその願いに挑む。そして、その果てに、

 ――かのじょは、『決して死なぬモノ』を見つけた。かのじょは死を克服した。




 間違いだったのは、かのじょが死の定義を見誤ったことであった。


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