04.

 





 ――光。






 それが僕の網膜を灼いた。


 次いで思う。

「光」とは何のことで、「網膜」とは何のことだ?




「    。」





 光、光、光。


 火が放つもの。日が放つもの。海が照り返すキラキラのこと。

 光とは、視界が捉える視覚情報のことだ。



「視覚情報」?

 視覚とは、目に映る景色のことであったはずだ。それを思い出して、僕は、






「  ――リア・・! レオリア・・・・! 無事かレオリア・・・・・・・!?」


「  、  ? 」






 ――希薄になった自我を「思い出した」。



「レオリア! ああ、すまないレオリア!」


「あ、あ。――ぁああア!?」



 唐突な酩酊感に、僕は胃の腑を裏返される。胎内の全てが勝手に喉から込み上げて、動脈が断裂したような勢いの嘔吐に変わる。


 ……指が動く。腕が動く。呼吸が出来る。その全ての生命反応が違和感となって僕を襲う。指など動かないはずのモノであるし、呼吸など、出来ないはずの「魔法」であったはずなのに、それが出来るという感覚がたまらなく苦痛であった。だけれど――、




! !?」


「!」




 僕はそれでも、声を吐き出す。

 ジェフは、――僕の問いに、





「――……

「……、……」





 泣きそうな顔で、そう答えた。






/break..






「……、……」


 目前の景色から、僕は状況を逆算する。

 周囲には、ストラトス領中の兵力をかき集めたような隊列がある。それらがこの洞窟の地下空洞内で一様に最奥を睨んでいる。


 ――そしてその先には、「蛇の影」がある。それと、幾重の兵どもの咆哮も。

 影が、声が、はっきりと「ここが戦場である」と告げていた。


 今はいつか。その問いに、ジェフは「あのように答えた」。

 間違いない。――ならば今が、三日後タイムリミットだ。



「ジェフ! この場の戦力と戦闘状況を伝えろ! それから今の時間だ、加えて、何がどうなってこんな風に『決戦じみた状況』になっているのかも教えろ!」


「わ、分かった!」



 焦りながらも彼は、即座に説明すべきことを文脈上に繋ぎ直し語り始める。



「この場にはおよそ三十人いる。脅威度B級個体相手に数十分食らい付ける程度の戦力がそろってるが、戦闘状況は芳しくない。こちらの損害は軽微だが、オルム、……バジリスク=オルムの魔眼に未だ対処が出来ていない。兵隊の配備はストラトス領標準装備程度で、全員が身体をすっぽり覆えるだけの盾を備えている。それから洞窟外には、『前衛』の交代要員を六十人程度備えている。それから『後衛』がおよそ二十人だ」


「続けて聞く! 石化解呪の手段と、それ以上の毒・・・・・・の対処の準備は!?」


「石化解呪に即効性のある薬品を五十回分、それから解呪スキル持ちの人材を一人通路に待機させている。上位毒への対応は、はっきり言えば不可能だ。現段階ではそれを大前提に話を進めている。それから時間について、今は朝四時だ。この決戦状態については、と言う理由だ。君を助けるために集めた人材を、そのまま討伐班に転用している」


「分かった。じゃあ、最後に一つ」


「ああ、なんだ?」



「……母さんは、まだ無事か?」



 それを聞いてジェフは、一度瞑目をする。

 そして――、




「無事だ」


「分かった。それだけ聞ければ良い」




 僕はそう答えて、そして、




「――僕が出る」


「な、なに!?」




 彼の眼を見て、僕は、強くそう言った。







 〈/break..







 ――さて。


 どうやら、僕のいるこの位置は戦線の三歩後ろ辺りにあたるらしい。悲鳴や怒号や威勢の声は、ここに届くまでに半ば反響に変わっている。蛇の姿かげさえ彼方で滲んで判然とはしない状況だ。



「レ、レオリア! 君はここにいなさい! ふざけたことを考えるな!」


「……、……」



 僕の周囲には、まずは魔力で焚いたらしい明かりがそこかしこにあった。それが、負傷し退いてきた兵士たちを照らしている。

 彼らは一様に地面に横たわり、傷の痛みに耐えていたり、或いは『後衛』の治癒でもってそれを癒しているらしい。



「ふざけているつもりはない、ジェフ・・・。僕は切実に、この状況を今すぐ打開する必要があるんだ」


「ならそれを俺たちに任せてくれ! 頼りなくても、それでも頼むから俺たちに任せてくれないか!? レオリアっ、本当にやめてくれ!」



やめないよ・・・・・。僕は、ここに全力を尽くすべきだ。――逆に頼むよ、力を貸してくれないか?」


「――――っ!」



 ジェフの言うことが、今なら分かる。空想上の物語ではなく「実際に死と狂気を間際に感じた」からこそ、僕はこの身柄の儚さを正しく理解できた。


 人は、死ぬのだろう。この戦場の拮抗が僅かにでも崩れればその時点で誰かが死ぬし、戦線に穴が開けばきっと更に人が死ぬ。

 出来ることなら、僕は他者の命に見切りをつけてでもこの場から逃げ出してしまいたい。或いはいっそ、「自分は領主家の娘だから」と実際に逃げることもありえただろう。、僕は本当に尻尾を撒いて逃げていた。

 だけれど、



「ジェフ」


「駄目だ、許可できない……っ。そんな目・・・・になってしまって、髪だって白髪が混じってしまってるじゃないか。身体にだってまだ異常があるはずだ。俺は、これ以上君から何を失わせることもできない。兄さんに、顔向けできなくなる……っ!」



「ジェフ。ジェフ、聞いてくれ――。



 ――!」


「――――。」




 そう。この戦いには『理由』がある。


 僕が負けては、或いは逃げても、母さんにはきっと憂いを残す。ゆえに僕はここで全力を尽くし、「どう考えたって最も最良で最善で最高で一番に幸福なオチ」をつける必要があるはずだ。



「レオリア、……俺、は 」



「無理でもいい。ならせめて僕を止めないでくれ。でも余力があればついでに盾と薬もくれるとホントは嬉しい。どうかな、実は手持ちで子供用の盾が余ってたりしない?」


「ああ、……――そうだな、分かった」



 彼は、

 一度強く瞑目して、そして、ただ一瞬で「冒険者の目」に立ち返る。



「君の石化を解呪したときに、逃げるまでに装備させるつもりだった盾がある。君の膂力でも問題なく取りまわせる重量だ。それから、これが石化解呪の薬品だ。身体に振りまくか、経口摂取でも効果を発揮する」


「なるほど、じゃあ薬について聞きたい。石化の解呪はどのように効果を発揮する? 振りかけた瞬間に全身が即座に生身に戻るのか、或いは振りかけた部分から広がるように石化が治るのかだ」


「後者だ。じわじわと治る性質のものだ。経口摂取した場合は比較的前者の効果発揮に近しい体裁になる。……それからその薬品は、渡したそのガラス瓶に入っている分で成人男性の全身石化一回分の量だ。君は、それを三度に分けて使えるはずだ」


「分かった。質問は以上だ」



 視線を切って、地下空洞の奥を見る。

 負傷した戦士たちの頭越しには、未だ悲鳴じみた絶叫が幾重に木霊し、その最奥には蛇の影が見えた。僕は、



「じゃあ、行こう」



 そう言って、地底の先へと踏み出した。











 /break..











 戦線にて。



 ――まずは、ジェフが先陣を切った。

 戦線後尾に散らばる兵士を追い越し、彼は、前衛の隊列さえも割って一人蛇に奔る。




『――ッ!』




 蛇の咆哮が聞こえた。ジェフの構える盾が揺れるような密度の大音量だ。しかし、彼は突進を緩めない。




「おォオオオオオオオオッ!!」




 右手には盾を、左手に剣を。

 その視線は盾越しに、それでもなお強く蛇のいるはずの位置を射抜く。



「(音だ。音を聞け。風切り音、石の転がる音、蛇の声の位置の些細な変化。なんでもいい、音に変化はあるかッ!?)」



 蛇は、その空洞の最奥にて彼を待ち構えている。ゆえに焚火の影はアテにならない。しかし、影を見ようと視線を挙げれば、影より先に蛇と目が合う。


 或いは、だからこそあの蛇は、洞窟の最奥を守ることで「影の角度を調整している」可能性すらあるだろう。


 ゆえに、彼は音を聞く。ただすら彼は音を検分する。

 自分の足甲が鳴らす音と、それ以外の全ての環境音を耳に入る端から精査する。



 ――蛇の位置は、ここより後十二歩駆け抜けた先にあるはずだ。攻撃は、もう来たっておかしくない。今か、今か、いつだ、どこからくる? 彼は「その瞬間」を待って、





『シャァアアアアアアアア!!』

「(ッ!!!)」





 ――風を切る音。


 。それに彼は全力で横方向に跳ねる。


 遅れて、破砕音が響いた。彼はそちらに「盾を向ける」。蛇は、その頭部をこちらに打ち込むことで攻撃をしているはずである・・・・・。ゆえに「その攻撃の軌道」さえ目視するべきではない。それよりも……、



「ッだあアアアアアアアアアア!!」


『ッ!?』



 身体を反転、回避の為に行った跳躍の勢いは、。暴れ馬のような慣性を彼はその身の内で完璧に制御して前方向への推進力に変え、体当たりじみた挙動で蛇に盾を叩きこむ!




「(手ごたえありッ!)」




 硬質な何かがような手応え。それに蛇が悲鳴を上げた。……ただし、盾の下に感触があったのは一瞬のこと、蛇は半瞬で以ってシールドバッシュの衝撃から身をひるがえした。――



「――――。」



 彼、ジェフが、盾を捨てる・・・・・

 それに周囲は息をのみ、対峙する蛇は「好機を見た」。


 この人間を殺すのは今だ。目視での石化と、頭部による突貫。それでこの矮小たる人間は即座に破砕し砂礫に変わる。

 そして、




「――、 ……、  。」




 瞑目。


 盾を手放した掌で、左手の剣を両手に持ち直す。




 ――集中。




 脳裏に蛇を描く。その輪郭を「空想」し、その奥の空間を、配置した兵士たちを、石の一つさえもを思考で以って再現する。



 蛇がこれを好機と見たなら、蛇は、最大最高の一撃をここに用意するはずであった。ゆえにこそ、その野生の一撃は読みやすい。



 彼は今、





「    。」





 この三日間の決戦で一度として目視できなかった蛇の姿が、

 ――今だけは、目を瞑ってでも見える!






『ガァアアアアアアアアアアッ!!!』


「――――ッッッ!!!!!!!」






 衝突音。そこに、火花が散った。

 ただ一瞬だけ、篝火を灼くほどの光が空窟を染め上げたように見えた。しかしそれは、幻のように即座に消失する。光景を思わず「目視」してしまった兵士たちは、その網膜に焼け焦げたスパークのような風景を一拍遅れて「見て」、そして、


 ――を、二拍遅れて理解した。



「ジェフさんッ!?」


「冷静に! クソッ! 俺は無事だ! 盾がやられたため退避する、諸君は陣形を取り直s、――ッ!?」



 ――ヒトの恐慌を、その蛇は見逃しはしなかった。半ば絡まるように巻いたその身体を一瞬で以って解いて、蛇は頭部の突進そのままの勢いで地下空間を「奔り回る」。



「ッ!?」



 ヒトの悲鳴。それと同時に、戦線後方の焚火が四つ、倒れて消えた。それだけではない、悲鳴のたびに明かりが消える。暗闇が濃度を増し、あちこちに散らばる「透明な卵の殻」が仄暗い発光を取り戻す。



「あいつ! !?」



 誰かのその怒声も今、悲鳴に変わった。

 それがなおも続く。


 明かりが四つになり、三つになり、二つになり、昏く光る蛇の動向が、空窟の最中に浮かび上がり――、






「――点火イグニッション!」






 幾つかの「ガラスの割れる音」と、「液体が撒き切らされた音」とともに、少女の声が地底に響いた。



「!!?」


『ッ!!』



 次いで。それは、地割れから業火が沸いたような「蜘蛛の巣上の炎の線」であった。


 しかし、それが灼くのはヒトではなく……、


『キシャァアアアアアアアアア!?』


燃油ガソリンを撒いて火をつけた! 中衛3班以下は今すぐ煙中毒の対処をしろ! やり方は君だ、ガーフが指揮を取れ! それから前衛諸運に朗報だ! !」


「レオリアかっ!」



 蛇の絶叫に上回る威勢で、ジェフは、少女の名前を呼んだ。



「そうだレオリアだ全員命令だ! まずは前衛! 絶対に後ろを守り切れ、ついでに怪我もするな! 蛇の位置は確認出来てるな!? その地点でいいからこのまま釘付けにしろ! それと中衛1、2班! 君らは今すぐこの辺りにありったけの水を撒け! ナイフ越しに見れるなら水越しでも鏡越しでも同じなはずだ!」



 ――了解! と、洞窟の端から端までを揺らすような威勢が返った。即座にガーフが後方に指示を飛ばし、彼よりも前にいる中衛班は「水を作る魔法」をありったけ弾く。



「視界は確保したか!? ガーフ! 君の判断で中衛3班以下の役割を復帰させろ! ジェフ! ジェフはいるかッ!?」


「ここに! ここにいる!」



 呼びかけに応じ、彼はそう答える。するとその、少女の声のした方向。


 ――その先の暗闇から、「昼の月色を織って紡いだような色彩の少女」がふわりと現れる。その姿に彼は、どうしようもなく声を上げた。



「ああ、レオリア!」


「ああ、ジェフ。……ありがとう。さあ、こんな見てくれじゃ頼りないかもしれないけど、それでも聞いてくれ」



「ああ、ああ!」


。根拠はないけど、でも、――なんだか、上手くいくって気がするんだ」



 ジェフの返答を、彼女は待たない。そのまま少女、レオリアは、

 ……泥臭く、華やかさなどなく、そして「英雄のように笑って」、



 燃え盛る蛇に向かって奔り出した!








 〈/break..〉








「石にとらわれた暗闇の中」で、

 僕、レオリア・ストラトスは、幾つもの思考に囚われていた。



「――――。」



 最初に僕は、絶望をした。

 暗闇に抗い、静寂に抗い、それでもなお噴出する「不安」に心を塗りつぶされ、そのループの先に待っていたのは諦観だった。僕は、いつの間にやらそれを許容していた。



 そして、諦観に僕は「描く」。



 四肢を諦め、生を諦め、母さんをさえ諦めた。きっと、僕の四肢はもう千切れている。僕の頭蓋は噛み砕かれている。タイムリミットは、きっと既に過ぎている。そう思うと気が楽で、僕は、しばらくその心地よい「最低」に身を浸した。



 ……そうしていると直ぐに、僕の精神性は荒廃した。最初の一つを諦めてから最後の一つを諦めるまでに時間はかからなかった。そして、最後の一つを諦めて、捨てて、その向こうで僕の精神は頽廃を選ぶ。自分には何の価値もないと、そう思えるのは「ヒトの解脱」だと、そう思った。それが正解で救いだとさえ思った。ヒトの誇りを捨て、暗闇と思考の無限空間にふとあるささやかな快楽もうそうで身を浸し、その果てヒトでなくなった僕は自由になった。自由になった僕は、次に、もっと別の快楽もうそうを求めた。


 神のごとき異能を手にしたら、僕はどうするか。


 跳躍一つで空を飛べたら、僕は何を見に行くか。天上の光景に包まれて眠りたい。その向こうの星のさらに奥には、何があるのか。じゃあもっと先にある宇宙の果ては? ヒトの生まれた意味はなんだ? 誰が僕らをデザインした? 世界の「上」には誰がいる? ゼロを定義するにはどうしたらいい? クオリアをどうやって否定する? なぜ人は生き返れない? 生命とは、そもそもなんだ?



 ……だけれど、次第に、それは薄味に思えた。僕の暗闇に、ヒトの倫理とヒトを害する嫌悪感は不要であった。僕の妄想は加速する。



 気に食わない何かを殺す妄想。手当たり次第に物を壊す妄想。男であったという「歴史」を捨てる妄想。そうして身体の快楽に身を任せる妄想。前世の知り合いを試しに殺してみる妄想。気に食わないわけでもない通りすがりの誰かを突発的に殺してみる妄想。何かに成功する妄想。蛇を殺す妄想。母が迎えに来てくれる妄想。誰かを殺す妄想。母と話す妄想。蛇を殺す妄想。蛇を殺す妄想。蛇を殺す妄想。蛇を殺す妄想。蛇を殺す妄想。


 不思議と、


 ……気付けば僕は、蛇を殺すことを考え続けていた。

 世界の神秘も、退廃とした生活も、暴力衝動も、古く幼く柔らかな情景も、不思議と薄味に思えたためだ。僕は脳裏にあの蛇を描き、その暴威を描き、それを殺して殺して殺し続けた。そうしているうちに、




「――――。さて」




 僕は、


 僕が仮にまだ生きているのだとしたら、――この妄想は、或いは実現が出来るんじゃあないのか? と気付いたのだ。




「    。」




 ……僕が実際に「五体満足」で目覚めたのは、そのすぐ後だったことのように思う。







「――――試してみようかッ、端から全部!!!」







 こちらを振り返るジェフを追い越して、僕は、燃える蛇の方へと向かう。


 視線は落とし、足元を見る。亀裂上に「ガソリン」を燃やす明かりが足元を照らし、鏡の色彩に色づく水たまりが万華鏡じみて蛇の姿を映している。


 だけれど、――そんな静謐はあと三歩と続くまい。

 水たまり越しに、僕は、



「    。」

『――――ッ!!』



 蛇の両眼と視線を交錯させ、――ちょうどいい機会なので思いっきり睨みつけておいた。




「ああ! もう数万回は殺した顔な気がするよ! ――さあ行くぞクサレクソ蛇!!!」


『シャアアアアアアアアアアアアア!!』




 ジェフから貰った盾は、木を継ぎ接ぎにした粗製品だが十分に僕の全体を隠している。ゆえに僕は、防御の一切を任せて蛇との距離を全力で詰める。そのすがら、『これ』を咥えておく・・・・・のも忘れずに。



『キシャァ!!』


「ぅぐッ!!」



 盾の端を蛇が叩いた。それが僕の身体を体幹ごとブレさせる。……速度は失したが、不格好でも構わない。僕はそのまま更に地面を蹴る!



「――――っ!」



 ふと、後ろから誰かの悲鳴が聞こえた。断末魔ではなく、僕の名を叫ぶ声だ。どうやらそれほどまでに、卑小この身体では背中が頼りないらしい。或いは率直に、僕と言う身分の人物が失われるのが恐れられたか、もしかしたら僕個人を心配してくれているのかもしれない。


 だけれど、足を止めることは出来ない。僕にはあの蛇を殺す必要があった。なんなら僕があの暗闇で育てた「妄想かちかん」は、きっと、あの蛇を殺すことでしか拭い去れないのだ。


 人を殺すことに躊躇がなくなった。前世が男であるという誇りを捨てることに躊躇がなくなった。想像しうる限り全ての倫理を捨てて退廃に身を浸した。その「自覚」が、今もまだ僕の心を「綺麗に」彩っていた。ヒトをやめて、ヒトを捨てて、気持ちいいことだけをすべきであると。それら全てを僕は、あの闇の中に置き去りになどしていない。気付いたこと、気付けたことの全てが成長だとさえ思えている。

 

――ああ、そう思ってしまったという「こと」が、


 




「……、――。」




 不倫理を禁じる。誇りなき精神性を禁ずる。素晴らしくあれ。正しくあれ。他者と自分を幸福にしろ。それら全ての母さんが教えてくれたことは、。ソレを一度でも捨ててしまった自分に腹が立つ。正気を失ってソレを嗤った自分が許せない。……何よりも、一度捨てて、そうしてもう一度拾い直してなおこの胸中に燦然と輝く「ソレ」が誇らしい。僕は、「ソレ」の輝きに、応えたいと切に思う。



 ――ゆえに。

 ゆえにこそだッ!





「――おおォオオぁあアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」





 恐怖を声に変えろ! 逃げ腰と臆病風の全てを込めて力強く! ああどうせ、ネガティブな感情を全部否定することなんて不可能なんだろうさ! そいつらはどう足掻いたって無限に湧き出てくるものだし、ちっぽけな人間に出来るのはそれを自覚し受け入れて「それでもなお剣を握る自分」を誇らしく感じることだけだ! 正しくない自分のままで、「それでも正しくあれ」と背筋を正してみることこそがカッコいいんだ! 暗闇で快楽した全ての「妄言」を、一つずつ否定してその数だけ自分を強く誇れ!





『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』





 蛇が嘶き、そしてひときわ強い一撃で僕の盾を叩く。。僕は「咥えたビン」を一度強く歯噛んでから、――ただ一撃で盾を割った蛇の頭部に全身で組み付いた!




『っ!?? ッ!!!!』




 組み付かれた蛇の驚愕は、しかしたった一瞬のことだ。僕はそのままなす術なく、胴体の膂力に持ち上げられて虚空に投げ出される。



「レオリア!? レオリアっ!!」



 ジェフの声が聞こえた。だけれど僕は彼ではなく、蛇の両眼・・・・をまっすぐに射止める。






『――――。』


「――ははは、オイオイ。よくよく見たらチンケなツラだ」






 虚空にて、僕の身体が重力に捕まる。弧を描いて落下を始める。それでもって僕は、眼下蛇の方へと身体を翻した。当然、即座に魔眼が僕を射すくめ、僕の身体は四肢の端から石に変わる。

 ――けれど、




「(ああ、……絶対痛いよなぁ・・・・・・・)」




 などと思いつつも、僕は咥えたその『ビン』、そのを思いっきり噛み砕いて容器の欠片ごと飲み込んだ!




「ッ!!!」




 激痛。が、不思議と曖昧だった。

 来るべき痛みがないのはドバドバのアドレナリンのせいか。それならばちょうどいい。血みどろになっているであろう口のままで奥歯を噛みしめて、僕は拳を殊更握りしめる。眼下の蛇はしかし、そんな僕の異変には気付いていないらしい。「石化し無力化されたはずの僕」に向かって、ここまで散々見た例の突貫を狙っている。


 イメージで言えば、きっと、これは蛇からしたらフライボールをキャッチする程度の簡単な作業であったのだろう。

 その瞳には爬虫類的な獰猛さが滲んでいて、――率直に言えば、どう見ても「石化が不発に終わった」ことを想像さえしてはいない。




「(――さあ)」




 蛇が僕を見ている。その顎が、こちらに標準を引き絞る。唾液の滴る口腔がガバリと開く。僕は、――その喉の更に奥に狙いをつけて、空中にて片手を差し出し、

 そして、






『シャアァアアアアアアア!!』


。――!!!」




 




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