03.



 レオリアが「蛇」と共に穴に落ちてすぐ後のこと。

 彼、ジェフ・ウィルウォードは、部下を伴って洞窟の外に走っていた。



「はぁ、はァ! おいお前ら! 損害は!?」


「ありません! この場にいる人間は全員無事です!」



 普段の温厚な様子は消え去っていた。

 彼は、どこまでも「冒険者然」とした態度で乱暴に吐き捨てる。



「クソ! どうなってる!? どうせ誰も、レオリアの命令いうことを真面目に聞いて何が起きてるのか見れてねえよな!? 畜生すっかり全員忠誠が身に染みてやがる、おい! 誰か、何が起きたか説明できるか!?」


「おそらくお嬢様が、あの落とし穴から顔を出したバジリスク=オルムに飛び掛かって一緒に穴に落ちたのだと思われます! オルムの魔眼は、効果対象者と目を合わせることで発動する! お嬢様が、身を挺してそれを回避させたのかと!」



「ああクソッタレ! 救いようがねえ! そもそもどうしてレオリアはあそこにいたんだ!? いや、と言うか本当に状況がつかめないぞ! あの子が言ってた『俺らにも秘密の身を守るスキル』に心当たりがあるヤツは!?」


「誰も知らないと、お嬢様は言っておられましたね……」



「なら誰も知らないか! あァクソ! 本当にあの子は!」



 そこで、彼らの行く先に光が見えた。洞窟の切れ目だ。それを見た彼らは、噴出する恐慌をひとまず押さえつけて光の袂へ向かう。



「とにかく今はこのチャンスを活かす! お前ら、あの子のおかげで拾った命をここで捨てる覚悟をしろ! 死んでもレオリアを守るぞ!」


「「「「了解!」」」」



 光に一歩、彼らは踏み出し、そしてその先の光景を見る。そこには……、






「おいやめろ! 服の裾をかじるんじゃない! やめろ! うぉおくすぐったい!?」


「「「「「……………………。」」」」」






 森中のモフモフを身体にたからせ奇声を上げるトーリーが、まずはいた。






……………………

………………

…………






 ……トーリーにたかる魔獣をまずは追い払って、

 彼らは、洞窟を目前としたその場所で改めて状況を分析する。



「まずは確認したい」



 ジェフが、周囲にそう切り出した。



「改めての確認だ。今は、どういう状況だ?」


「……お嬢様が『あの落とし穴』の真意に気付かれました。バジリスク=オルムの潜伏襲撃を無効化し、現在は『身を守るスキル』なる不明スキルで交戦中と思われます」



 答えた部下に、彼は、



「オルムで良い。あいつをひとまずは、オルムと呼称する」



 そう答え、言葉を続けた。



身を守るスキル・・・・・・・。あの子のことだ、それはひとまず信用してもいいんだろう。しかしながら過信は出来ない。俺たちの最大目的はあの子の身の安全だ。――これ以降は二班に分かれる。一方はあの子を救出するために再度洞窟に突入する。もう一方は領に戻り、各位準備を進める。……諸君のうち、オルムに対応する自信・・のある者はいるか?」



 一拍遅れて、一人が挙手をして答える。



「知識なら、私どもの全てが備えております。……そのうえで申し上げますが、対応は不可能です。あれはザックさんとアズサ様にも苦戦を強いる敵です」


「なるほど。……一応、レオリアが言うにはあれはまだ本質的に不活性だ。脅威度はBにあたる。それでも難しいか?」


「オルムの魔眼は、対象者と目を合わせることで発動します。言い換えれば『対象者が視線を自覚する』のが効果発動のキーである可能性も否定できない。場合によっては、目が合ってなかったとしても効果が発動する可能性もある。……ギルド認定のB級定義は、『事前準備の難易度』も考慮に入れた尺度です。魔眼への準備が出来ない現状では、オルムの魔眼はB級という尺度では測れないものだと思われます」


「それでも、攻略をする。……その前提ならお前はどう答える?」


「ありあわせの準備で交戦をし、領の配備が完了するのを待ちます。視線を遮るために、ひとまずはここの木を継ぎ接ぎにした壁を作るのが妥当でしょう。我々の身体をすっぽりと覆える盾を作りオルムの魔眼を遮断、無効化する。……問題は、オルムの戦闘性能ですが」


「蛇の頭突きで盾を割られたらその時点で目は合っちまうわけだ。場合によっては、視線を遮りながらでも敵の攻撃は察知して、回避或いは受け流す必要がある。問題はオルムの膂力。誰か意見はあるか?」


「成熟個体であれば、突貫一度で木製家屋程度なら貫通すると思われます」


「じゃあ木の盾で攻撃を受け切ろうってのは難しいな。分かった、これより班分けを行う。まずは前提として、レオリアの『身を守るスキル』がオルムに突破されたという前提で話を進めるぞ。その場合レオリアは、すでに石化している可能性も考えられる。可能であればこれを回収、当然レオリアが生身であった場合も同様だ。まずはレオリアを回収する。デイブ、アルティオ、フーガ。お前らが救出にあたれ。諸君らの呼称は『前衛班』とする。諸君ら『前衛班A』は今から周囲の材料で妥当な盾を作れ」


「「「了解!」」」



 指された三名がジェフに背を向ける。

 彼は、その三人の背中に更に声を飛ばす。



「言うまでもないが、回収が難しければせめてオルムの注目を全力でレオリアから引き剥がせ。応援は随時向かわせる。最初の応援は、今よりおよそ一時間三十分後に六人程度を予定する。『前衛班』は、自分の判断でレオリアの回収より蛇の釘付けを優先しても構わない。とにかくレオリアを五体満足で生還させることが『前衛班』の最大目標だ。それから、残りの二人は俺とともに領に戻る。これ以降レオリアの救出作戦を後方支援する部分を『後衛班』と呼称する。『後衛班A』諸君、以降の作戦詳細は馬車の中で話す」


「了解しました」


「デイブ、アルティオ、フーガ。君らには難しい任務を任せることになる。本当は俺が先陣を切るべきだが、俺には俺の持つ全パイプを後方で活用する必要がある。分かってくれ」


「分かっております。どうかジェフさんは、ご自分の仕事を」


「感謝する。……『後衛班A』、まずは手持ちの遠話スクロールを全て提出しろ。それからそのうち一つを使ってアズサに連絡してくれ。俺は、残りの遠話スクロールで必要な人材にアクセスを試みる」


「自分が行います。アズサ様にはなんと?」


「まずは状況を伝えろ。それから『ジェフがすでに関係先に当たっている』と言え。俺は俺の持つパイプからまずは解呪薬をかき集める。彼女にはストラトス領兵をまとめ上げてほしい。近隣に駐屯する人手から随時で構わない。人を回すように伝えろ。それと人数分の『視線を切れるサイズの盾』だ。これも欲しい」


「かしこまりました」


「では始めろ。『前衛班A』、盾の制作進捗は?」


「取り回しには問題ない程度の重量の、我々の身体を全て視線から守れる大きさの盾を、現段階で五枚用意いたしました。祖製品ですから攻撃を受けるのは難しいですが、受け流す分には数回分の強度を用意できたはずです」


「およそ一人二枚か。それで、どの程度オルムの注意を引き付けられる?」


「一般的なB級個体であれば一時間程度と思われます」


「悪いが、その程度枚数で一時間三十分持ちこたえてくれ。現段階で製作に着手しているものを完成させた時点で諸君らは洞窟に突入しろ。――では、作戦開始!」






 〈/break.〉.











「    」



 ――光がない。

 嗅覚も、味覚も、触覚も、この「世界」には何もなかった。



「    」



 それに僕は自覚をする。





「(――ああ、気が狂いそうだッ!)」





 人はたった二日間五感を遮断されるだけで正気を失うらしい。それを僕は、実感的に理解する。これならば人は、確かに、滞りなく気が狂う。



 何もないのだ。ここには何もない。寒いも暑いも感じない。地面に設置しているはずの足の裏がどこまでも曖昧だ。「触る」と言う感覚を、もうすでに僕は失いつつある。顔の場所がわからないし、四肢の置き場も喪失している。僕には、腕と足があるのかさえもすでに判然としない。



 ……いや、待て。

 四肢など、或いは、もうないのではないのか?



「    」



 触角がないということは、つまり痛覚も喪失しているということだ。ならば僕は、自分の手足がなくなっても、頭部を失っても、身体を全て粉微塵にされても分からないのではないのか? 僕を「蛇」が丸のみにしても、それを僕は、察することが出来ない?




「    」




 ……いいや。待つべきだ。「それ」を考えるべきではない。そもそも石化の呪いが何のためにあるのかを考えれば、蛇が即座に僕を丸のみにした可能性は非常に低いはずである。石化とは、「対象を石にすることで無効化する」ものである。それはそもそも生物学上何のための生体機能だ? 答えは簡単だ。「食料の保存」である。魔物は、食糧の貯蔵のために生物を石化させるのだ。ならばこそ、僕は決してすぐに食われたりするはずがない。……待て、「すぐ」とはなんだ?


 そもそも、どれほどの時間がたった? いや、大した時間は経過していないはずである。僕はほんの先ほど石化したばかりである。そうしてすぐに、光がないことを思った。「光がない」と思ってからは大した時間は経過していない。そう、きっと、ほんの三十秒程度のことだ。五分と経っていないはずである。五分と経っていないのだ。これだけ長く闇に身を浸して、まだ、きっと五分と経っていない。






「    」






 いいや、そんなはずはない。きっともうそれなりの時間が経っているはずであった。きっともうすでにジェフらは逃げ果せて、領に帰って作戦立案を行っている。そのはずだ。それだけ時間が経っているとしたら、僕は、四肢をまだ残していると断言できるか? 食われていないと言い切れるか? ……やめろ。やめろ、やめろ! 考えたくない。考えるべきではないことだ。四肢を失っているだなどと、この身体はすでに生命を保ててはいないなどと、消して考えるべきではないことだ。だけれど、そうだ。

 僕が仮に「石のままで頭や心臓を失えば、僕は死ぬのか?」






「    」






 痛みを自覚できない。滴る汗もなく、飢餓も、睡眠欲求も、ここにはない。そんな僕が「死だけは自覚できる」のか? 出来ないとすれば、その場合僕の死はどう扱われる? 石の身体が致命的に損傷したとき、僕の意識はスイッチを切ったように消失するのか、或いは「自死」に気付かず永遠にこの闇を揺蕩うのか。それが不明であった。どちらにせよ恐ろしい。今はどこにいるかもわからぬあの蛇が、仮に今僕の頬を舐めているとしたら、それは、無いはずの肌が逆立つような恐怖だ。だけれど逆に、あの蛇が僕を丸呑み咀嚼して消化されるのを自覚できないとしたらどうだ? この暗黒は文字通り永遠に続く。

 ……永遠? そもそも、「時間」とはなんだ? 


 今は何時だ。どれほどの時間が経った?








「    」








 きっとまだ、大した時間は経っていないはずだ。

 五感のない世界で自我だけが確立しているのだ。外部刺激のない状況で適切に時間を捉えられるとは思えない。何もないから、思考が加速するのだ。闇に空想が拡大していく。退屈な会議がやたらと長いのと同じ道理だ。まだ、それほどの時間を消費できているはずはない。


 ……消費? それは、どういう意味か。

 僕はそれをふと考える。


 時間の消費。しかし僕には、「時間がない」はずではなかったか?

 そう、――母さんが三日後、死ぬかもしれないのだ。消費すべき時間などはない。だけれど僕は、どうしようもなく助けを待つほかに選択肢がない。

 ジェフは、助けに来てくれる。それを信じるしかないと分かっているからこそ、僕は、「それ以外から目を背けること」が出来るはずだ。そう、そうとも。どうせ他に出来ることはないはずなのだ。どうせこの腕は動かない。外部から石化を解消してもらうのを待つほかにない。だから今は何も考えず、思考を空にして、ジェフを待つ。それだけをしていればいいし、それ以外をするのは無意味だ。あとしばらく。彼が解呪の方法を持って僕を救いに来るまでのもうしばらくを、僕は、ただすら待っていればいい。あと数時間。あと数日。あと幾何かかもしれない、その残り時間を、しかし、

 ならばその「ゴール」は、どれだけ先だ? 僕はどれほど、この闇に揺蕩っていた?









「    」









 数秒か? 数十秒か? 数時間か? 数日か?

 否。数日と言うことはないはずだ。数時間と言うのも間違いだろう。大した時間は経っていない。きっとまだ、経っていたとしても三十分程度のことだ。先は長いが、仕方ない。待つ他にないのだ。いや、だけど、そもそも僕はまだ生きているのか?












「    」












 四肢はまだあるか? かぶりつかれて頭部を失ってはいないか? 生きているのか? それとも僕は自覚なく死んでいるのか? 生きている証拠はないか!? 生きている証拠を探せ! 生きているはずだ! どこかにあるはずだ! ジェフはまだなのか!? どこをほっつき歩いている!? 早く僕を助けてくれ! ああ、くそ――、



















「    」



















 これは、駄目だ。

 ……僕はそう気づく。


 これは駄目だ。僕はきっと、気が狂う。


 どれだけ時間を失ったか分からない。一日か、一年か、十年か、百年か。


 ジェフを助けたのは間違いだった。僕は、全てを投げ出してでも逃げてしまうべきだった。無理だ。もう、自分が生きていることを確信できない。この永劫の闇が、どこまでも続くという確信がある。


 ああ、



「    」


 ――これ以上、時間を失いたくない。



 母さんに、もう一度会わなくてはいけないのに。



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