02.
さて。
――問題は、ここからだ。
「……、……」
今になって思えば、僕の先ほどの行動は感情的だった。
大人と比べて僕と言う子どもに出来ることは少ない、
ただし、――そもそものことを言ってしまえば、前世も含めれば僕はジェフより年上である。
正直なところ、ジェフと僕の間に出来ることの差は殆どない。これは体格の差や、彼の冒険者としての経歴を考慮したうえでの話だ。
……この世界は、僕の住んでいた世界と比べてしまうとあまりにも「効率性に欠けている」。個人間の能力差が「魔法と言う外部リソース」によって僕の世界よりもずっと絶大となった「ここの社会」においても、あくまで「個人の精神性」には世界間に代り映えがないためだ。
例えば、この世界において「強い個人」は正義だが、その個人は僕の世界の個人とも大して変わらない間違え方をする。
感情で部下を叱り、空腹で食事を取りすぎて、時には肉欲のみでもって策略に嵌ることもある。なんなら、この世界の個人は僕の世界の個人よりも精神性が大雑把でさえある。……或いは、「強い個人が正義となり弱い個人がその下に回ることが
……とかく、考えてもみれば、この世界には「個人性」が育てられるような下地が存在しないのだ。
この世界においては、大人は未熟で、子供はさらに未熟である。しかし翻って僕の世界は、「個人の能力に生殺与奪レベルの差」がないからこそ『個人性の育成』が成立する。或いは『魔法』の代わりに『資本』でもって勝ち負けを決める僕らは、だからこそ「脳」を育てざるを得ない。
ゆえに、この「弱肉強食の世界」で生きたジェフらと「弱者競争の世界」で生きた僕では、先見、マクロな視点、『不快感を自覚する能力』において克明な差があった。
だからこそ、敢えて断言する。僕とジェフには、「出来ることを全て足した絶対値」に大きな差はない。『魔法と言う外部リソース』なんてものを数えてなお、僕の持つ「魔法などなくとも効率性を上げる方法論」は強い価値を持っている。
ゆえに僕は、「出来ることがある」と確信して、こうしてジェフらを早足で追いかけていて。
そして、――問題はここからだ。
「(そう、トリアージの問題だ。リスクを切り捨ててジェフにこの場を任せるか、リスクを買ってでも僕はジェフを追いかけるのか。……結局選んだのは後者だけど、さてと)」
僕はふと、先ほどトーリーに言われたことを思い出す。
曰く、「僕の母は決して、絶対的に強い人であるわけではないのだ」と。
……母さんは、僕に「重大な秘密」を隠していた。そこにあるのは論理的な整合性や効率、利益の問題ではなく、率直な感情の問題だ。それも、文字に起こせるような明瞭な感情ではなく、取捨選択と誠実さと甘えと優しさと弱さが綯い交ぜになった混沌とした感情である。僕には、その感情を否定することが不可能であった。
そう。感情を否定することは不可能である。
そして、感情を肯定することならば可能であった。
母さんの弱さ、今まで僕に隠し切りだった「ヒトとしての部分」をこうして初めて突き付けられて、……ゆえに僕は、いてもたってもいられなくなったのだろう。
「――――。」
トリアージの話で言えば、確かに客観的に考えればジェフの命は僕のそれよりも軽い。もっと正確に表現するなら、ジェフの死によって遁減する「最大多数の最大幸福の絶対値」と、僕の死で減る「それ」を計算したとき、より幸福の減少量が多い方、つまりは争いの数が多くなる方、……翻って言えば、「命の価値」が重いのは僕である。
その計算を、僕と言う領主家の世継ぎは決して軽んじてはならない。「命の価値は平等である」という哲学派閥はあくまで僕には許されず、僕は、調整者としての見地のみでもって機械的に取捨選択をする必要がある。それは分かる。
だけど、
――なら、こういうのはどうだろう。
『誰も死なずに帰る』というのは。
これが、案外、最も「最大多数の最大幸福」の損減が少ない奇跡の回答ではないだろうか。ゆえに、
「――。」
それを探求するのもまた、血税で血肉を成す僕の仕事である。
この先に「危険があるのか」すら不明であって、しかしながら「危険があったとすればそれは致命的である」ことが確定した一路。ここにおいて、
――僕の持つ『
/break..
「……、……」
洞窟を進んでしばらく、
遠く向こうに、足音が聞こえた気がした。
がしゃん、がしゃんと金属質の音。それが、暗い洞窟のずっと向こうから聞こえてくる
不思議と、最初にここに来た時よりも昏い道中に思える。向こうの闇で、
だけれどいつまでたっても金属音の主にも僕を見る誰かにも出会えぬまま、僕は、耳鳴りばかりが
……そのまま「例の落とし穴跡」の間際にまで辿り着く。
「……、……」
ジェフらはもっと先にいるらしい。向こうは大人で、その分歩幅も大きいはずであるからして、彼らの方が進行速度が速いのは当然のことである。
なんなら彼らはもう既に卵の見聞を済ませて、こちらに折り返してきている、なんて可能性さえあるかもしれない。
そう思うと、この「不用意な行動」が僕の胸中で焦げ付いていく。
ジェフに聞きたいことがあってここまで追いかけてきた、なんてつもりは毛頭ない。しかし、ならばどうして僕はここにきているのか。存在するかもしれぬリスクを追いかけてここまで迷い込んだ、
「――――。」
そう。
僕には、
この「未補修の穴」。これがあまりにも不明であった。洞窟は一本道で、隠された脇道などもない。この道に僕は、「食虫植物が用意する蜜」のような感覚を思った。
つまりは、ストレスフリーな「捕食対象のための道」という感覚だ。平坦で代り映えのない道に、ここで敢えて唐突に「穴」が現れる意図が分からない。穴を埋めるのが遅くなったなんて「わざとらしい理由」で納得したくなるほどに、その穴は「
だけど、
「……。ふん」
分からないなら、多分、ジェフらと合流するのが先だ。
そう考えて僕は、通路の壁間際まで迫るその亀裂を、初見でそうしたように壁伝いに歩いて回避する。……ふと、そのすがらに僕は「幻聴ではない足音」を聞いた気がした。
「……、……」
『――――。』
『――――。』
『――――。』
「……、……」
続くそれは、話し声であった。
あくまで声量は落とし、耳を澄ましてもなお服の擦れる音と判然が付きづらいほどの些細なやり取り。僕はそれに気付いて、音の方向に視線を投げた。
『――――。』
『――、 な た』
『――ああ、 でも 』
「……、……」
声が接近をする。間違いない、これはジェフらの声である。
しかし、その声色に僕は「奇妙な感覚」を覚えた。
……未だ距離は遠く、言葉のすべては判然としない。
だけど、それでもわかる。彼らの声には、妙に「コトが終わったよう」なニュアンスがあった。
『 てき いずれは』
『ああ 、はやく、この情報を 』
『急いで、屋敷に戻 ぞ』
「……、……」
『 状況が、 』
『ああ 予断は 警戒を怠るな』
「……、……」
『、――
「 」
――僕は気付く。本当に、たった一瞬でだ。
アレはすでに生まれ落ちた。災禍は、ここに始まった。そして僕はふと、再三の疑問をもう一度噴出させる。つまりは、――
「 」
目前の穴だ。
この、「敢えて残されたような穴」は何であるのか。それを僕は、「洞窟の奥から聞こえてくる、危機感の薄い声」でようやく気付く。
「 、――。」
バジリスク。
僕の世界のその名は、瞳に石化の魔眼を持つ空想の蛇を指す。この世界のバジリスク=オルムも、確かにそのような能力を持つらしい。
『目を合わせたものを石化させる力』
つまりは、
――それに気付いたのは、
「 」
『
「
僕は叫び……、
――そして、
『!?』
蛇の鱗の堅い感触が僕の全身を叩く。それでも構わず、僕は暴れる蛇に全力でしがみつく。視界がぶれて、何もかもがモザイク調になる。僕のうなじに、悲鳴のような声がいくつも突き刺さる。
僕を呼ぶ声であった。僕の名を叫ぶ声だ。だから僕は確信をする。
「
後頭部にはなおも悲鳴が届く。了承か否かも分からぬヒトの絶叫だ。だけれど僕には彼らを信じるほかにない。
『ッ!!』
「(――起動! 図書館結界!)」
穴直下の地面に叩きつけられる間際に、僕はスキルを起動する。即座に視界がマーブルを描き、身体が質量を喪失する。――直後、
……聞こえるのは高密度の雨音であった。
「 」
――暗転。
魔力製の明かりを喪失した視界は暗闇に消失して、途端に、音ばかりが存在感を主張する。
「――――。」
身体の下にあるのは、岩ではなく木材であった。
それに気付いた私は、ようやく上体を持ち上げ、呟く。
「……、図書館、だよな?」
そう、図書館で間違いない。僕のスキルは、滞りなく僕の身柄を異世界図書館へと転移させたはずだ。
しかしあまりにも、
……まず、司書さんがいない。明かりも全て落ちていた。窓から差す雨天越しのか細い明りが、辛うじて周囲の輪郭を映している。希薄な視界を、濃密に過ぎる雨音が端から端まで塗りつぶすようだ。
「……、……」
様子がおかしい。だけれど、
この図書館は今、奇妙に、「僕の心の風景と同じ光景」であるように思えた。
「……、」
ゆえに、……今ばかりはこの異常事態が都合がいい。
人がいないおかげで、僕は遠慮なく息を荒くすることができた。雨が体感温度を下げなければ、発火しそうなほどの体温が僕の脳を溶かしたに違いない。雨音がうるさくなかったら、きっと僕は気が狂ったように叫びだしていた。
「………………………………………………………………。」
だけれど、今の僕はただ静かに「出口扉を見る」。
……この図書館にいる限り、僕は間違いなく身の安全を保障された状態である。しかし、いつまでもこのままここにいることはできない。そのうえで「この結界は入った座標からしか出ることができない」ものである。向こうの世界のどこからでもこの図書館に来ることは出来るが、この図書館のエントランスの先につながるのは、必ず元の地点だ。――つまり、僕はいずれ「あの落とし穴直下の地下空洞地点」にもう一度復帰する必要がある。
それが、僕の正気を焦がす。
「…………。」
はっきり言えば、手が震えている。まともな判断はきっとできない。いつもの僕ならきっと、この「いつ終わらせればいいのかも不明な待機時間」を適当に読書でもして費やすことが出来ただろう。だけれど今の僕には無理だ。正直な話、指が震えて本を持つどころの話ではない。扉の向こうはどうなっている? 蛇は今どうしている? ジェフらは問題なく通路を抜けることが出来たのか? 逃げ遅れて石化の魔眼に捕捉されたり、或いはこちらの言葉が通じず僕を救出しに来ていたりはしていないか? 考えれば考えるほど、ああ。不安要素ばかりが目前をちらつく。新たな不安要素を、もっと上手く出来たのかもしれなかったことを思いつく。ああ、ああ! いつ出ればいい!? 蛇は今どうしている!? 誰か答えろ! 頭がおかしくなりそうだ!
「――――ッ!!」
だけれど、
……駄目だ。ここで最も悪いのは、気を焦らせて半端なタイミングでここから顔を出すことである。雨を聞いて、僕は深呼吸を二つ、三つと虚空に並べる。
四つ、五つ。
六つ、七つと、丁寧に呼吸を並べる。
八つ、九つ、まだ続ける。
十、十一、十二、十三、
十四、十五、十六、十七、
十八、十九、二十、二十一、……………………。
「………………………………………………………………。」
――百を数えて、二百を数えて、
千を数えて、数が分からなくなるまでそれを続ける。
そして、――最後に、
「……はぁ、ぁぁ」
図書館扉の取っ手に手を掛け、これを押す。
「……、……。」
押戸の隙間から石の香りが舞い込んで、
地下の冷涼が流れ込む。僕はさらに扉を押して、重い感触が掌に返る。向こうの景色が、少し見えて、
「……、……。」
――一歩踏み出して、取っ手を押しのけて、掌の離れた取っ手が
そして、
「 。」
『
その向こう、
――暗がりの真ん中でとぐろを巻いて僕を待っていた『蛇』と、僕はどうしようもなく目を合わせた。
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