Flower_##.



 、と、

 奇妙に存在感のある音が、地下空洞内に反響した。それを兵士皆が一様に聞いていた。



「  。」



 最戦線には今、打って変わったような静寂が残響している。今はもう、誰の悲鳴の響いてはいない。聞こえるのは、「それに似た耳鳴り」だけであった。


 唐突な静寂。それに兵士たちは、

 ……勝鬨ではなく、まずは吐息を吐き出して、





「――頼む、誰か! 今すぐ馬車を出してくれっ!」





 積みあがった本棚の上で叫ぶレオリアの声が、「まだ何も終わっていないという事実」をその場の全員に叩きつけた。










 /break..









「……、……」


 ――来た時とは比べ物にならない馬車だ、と。

 僕はふと、そんなことを思う。


 微かなフレグランスにも、清潔感のある壁の白色生地にも、僕はどうしようもなく焦燥感ばかりを思う。この呑気な内装に腹が立ちさえする。しかしながら僕には、その焦げ付いていく感情を膝をゆすることでしか発散出来なかった。


 吐き出す苛立ちに倍する焦燥が胸中にどこまでも堆積し、貧乏ゆすりと溜息が、幾らだって酷くなり続けた。



「――レオリア」


「なんだ。どうしたの、ジェフ」



 私の体面に座る彼、ジェフが、



「…………いや、よかったら、窓でも開けようか?」


「………………ごめん。落ち着く。…………少なくとも努力はするからさ」



 こちらに笑いかけ、僕も、殆ど前世に根付く「慣習クセ」でそれに笑顔を返した。






……………………

………………

…………






 蛇の生死確認は、あの場の人間に任せることにした。

 戦いの終わりの安寧も、高揚も、その手の魅力的なモノ全てを置き去りにして僕はジェフと共にこの馬車に乗り込んだ。


 ……ジェフの方も、そのつもりでいたらしい、洞窟とその周囲の森を抜けた先には、即座に発車出来るだけの用意をした馬車が待っていた。



「……、……」


「レオリア、今連絡があったよ。蛇は間違いなく討伐した。後日屋敷に首が届くそうだ」


「首、ね」



 この馬車は、行商人のそれと比べればずっとスペックが上のものだ。馬力も違うし、構造にもある程度の「流動物理学的な概念」が取り入れられている。何ならそもそも「荷包み」の総量からして違うわけで、来るときには一時間半程度かかった道のりは、この馬車であればその三分の一で事足りるらしい。


 だけれど、それでも気が焦がれた。時刻は午前四時と少し。次第に白む外の様子が、僕の感情を火で炙る。



「ジェフ」


「なんだい? どうしたレオリア。そうだ、よかったら紅茶でも飲むかい?」



「……、……」



 気を遣われている、と、そう僕は自覚をする。

 それも当然だろう、何せ彼からしたら、僕は「母の危篤を見舞いに行く子ども・・・」である。僕が同じ立場でも次ぐ言葉に迷うだろうし、きっと、なにもおかしいことはない。


 ……おかしいのは、僕なのだ。この小さな身体に「大人の精神性」を詰めて生まれた僕が間違いだった。そう思うと、この沈黙があまりにもいたたまれない。


 ジェフだって、同じ気持ちでいるはずなのに、僕だけが気遣われる通りなどないはずであった。


 ゆえに、僕が沈黙を厭い、



「ジェフ、……叔父さんは、もしかして領主業務の引継ぎに、ここに来てたの?」


「……、まいったな」



 聞くと、正解だ、と彼が答えた。



「そうだよ。君が三日前さっき部屋に来た時にも、その資料を見てたんだ。『義姉さんに仕事の話はするなって言われた』って言ったろ? あれは、別にウソじゃないんだ」


「……、……」



 訝しんでいたことはバレていたらしい。僕は、……半ば以上はポーズだと自覚しながらも、そこで敢えて脱力をした。



「どーりで」


「ああ、本当はね?」



「……、」


「本当は、君にホントのことを話すつもりだったんだ」



「――――。」



 僕の所作に引っ張られたようにして、彼も脱力し背もたれに身体を預けた。それで僕たち・・・は気付く。


 僕たちは今、先ほどの戦場など比べものにならないくらいに身体を強張らせていたらしい、と。


 彼が、




「……はぁ」




 肩の痛みを思い出した、と言うように、片手を肩に回して息をついた。



「日和ってたんだ。君の言うとおりね」


「……悪かったと思ってる。ごめんなさい。ひどいことを言ったよ、僕は」



「いや。そんなことはない。俺は日和ったんだレオリア。――なあ、レオリア」


「……、……」



「昔、兄さんと一緒に戦場に立ったアズサさんは、本当に勇敢だった」



 首を二、三回して、

 彼は、馬車の窓から外を見た。


 ――空が白んで、霞が日差しに追いやられる。その間際が窓からよく見て取れた。



「強い人だった。腕っぷしもそうだけど、心がね。特に強かった。あの人が折れたところを見たことがない。兄さんもすっかりアズサさんに尻に敷かれててさ。見てて楽しい、にぎやかな二人だったんだ」


「……、」



「だけど、本当は折れてたんだと思う。俺の見ていないところでね。……君が生まれて、みんなが幸せそうで、出来のいい君をアズサさんはわざわざ冒険者ギルドに出張ってまで自慢しに来たりしてさ。――顔が違うんだ。折れなかった頃のあの人と、君が生まれてからのあの人は全然顔が違った。『初めて心の底から幸せになった』みたいな、そんな顔なんだ。……子煩悩は多少厄介だったけどね」



 ……何せ兄さんもそっち側に回るもんだから手が付けられなくて。と彼。

 望郷の色をした彼の瞳に、僕は「見もしなかった光景」が、妙に懐かしい物語に思えた。



「君が生まれてからの二人は、前よりずっと強くなった。……そんな時に現れたのがバジリスク=オルムだった。忘れもしない、出現の知らせを聞いた時、俺はあの人にケーキの作り方を教えてたんだ」


「……ケーキ?」


「ああ、あの戦いは君の一歳の誕生日を控えてた頃だったからね。参ったよ、一歳児にも食べさせられるケーキのレシピを考えるところから始めたんだから」


「そっか……」


「ああ。……この戦いのことを、君は知ってる?」



 僕はそれに、曖昧に答える。



「……あれはね、レオリア。凄い戦いだった。酷い戦いだったけど、それ以上に『凄い』と思った。だけど」


「だけど……?」


「だけど、結局は酷い戦いだったんだろうね。二人が蛇の血を浴びて、呪いを受けた。兄さんは、『誰も守れない呪い』。アズサさんの方は『娘が大きくなるのを見届けられない呪い』だ。それが、定命の呪いと言う形で発揮された。……そのあとすぐに兄さんが蛇の首を切り落としたんだけど、でも、兄さんはそのまま……」


「……、……」


「……解呪は出来なかった。俺も、せめて義姉さんだけでも助けたいと思って、今日まで十年間打つ手を探し続けた。でも駄目だったんだ。みんな、今だって諦めてはいないはずだ。……だけど、義姉さんは違った。義姉さんは、使


「――――。」



 それがジェフに任せられた用事なのか、と、


 ……声が出せない。僕はそのことに、今さら気付いた。声を出そうとすれば、きっと、そのまま全部嗚咽に変わるだろう、と。

 だけど・・・



「――ひとつ、……愚痴ってもいいかな。叔父さん」


「……ああ」



 嗚咽を耐えては、感情の方が零れだす。だから僕は、震える言葉で、それでも何とか平静を繕う。



「僕はさ」

「……、……」



「……あまり、自分を良い子どもだとは思っていないんだ」




 そう。

 ――それがずっと、心にあった。




「僕はほら、わんぱくだろう? それで母さんにはたくさん心配をかけてきた。それにさ、みんな僕のことを有能だって言ってくれるけど、きっとそれは、早熟なだけだ。僕は母さんに、子どもらしいことを何もしていないんじゃないかって思うんだ」


「……、」


「子どもらしいことは、きっとできなかった。甘えたりしなかったし、迷惑もかけるべきじゃないと思って生きてきた。だけど本当は、親っていうのは、子どもの子どもっぽい部分を見たかったはずなんだ。……ああ、適度に甘えて、ある程度の我儘だって言うべきだったんだよ。無知で要領の悪いところを見せて、その代わり純粋なところもあって、世界の汚いところなんて想像もせずに、僕は母さんに花を織ったティアラでも贈っておくべきだった。なのに僕は、何もしなかった。――これから愚痴を言うよ。もし不快だったら聞かなかったことにしてほしい。子どもの癇癪だと思って、忘れてくれても構わない。僕は……」



「……。」


「僕は……、




 ――母さんの子に生まれるべきなんかじゃなかったと、おもってる……っ」




 そう、そうだ。

 ――それがずっと、心にあったのだ。




「母さんは素晴らしい人だ……っ。当たり前の人間で、弱くて、でも、……それでも懸命に僕を守ってくれてっ、疲れた時には僕を感情的に怒鳴ったりもしたけど、あとになってそれを謝ってくれるような、こんな僕のために自分を責めてくれるような素敵な人だったッ! それなのに僕は子どもらしい親孝行なんて一つもできてない! やったのなんて精々、迷惑を掛けず、子どもっぽい面倒も掛けず、小奇麗に生きて母さんの負担にならないことだけだった! きっとそんなの求めてなかった! 母さんの元にはさ、もっと無知で、無邪気で、迷惑もかけて子どもらしくて厄介で面倒で、そんなところが愛おしいっていうヤツが来るべきだった! 僕を授かるべきじゃなかった! あんなに素敵なヒトのところに僕なんかが来るべきじゃなかった! ああ、そうなんだ! 僕はきっとあの人の一生に紛れ込んでしまった悪魔だ! 僕が関わりさえしなければあの人は普通に生きて普通に幸せでッ、僕じゃない子どもからもっとたくさんの幸せをもらったはずだったのに! 僕はっ、悪魔であることさえ自覚せずこんなところまでのうのうと生きてしまったんだ! 最低だ! 救いようもない! 僕みたいな最悪の悪魔なんかが関わったりしなければ! ああッ、母さんはもっと幸せになれた! そのはずなのにっ!」 


「レオリア……」


「最低だ。……どうしようもない害悪なんだよ僕は。叔父さん。ごめん。こんな話をしてしまって。忘れてくれ、忘れてくれ……」


「――レオリア」


「……、……」



「君の母さんは、君が来てくれて最高だったって言ってたけどなぁ」


「……、」



 そう、言うだろう。

 そうとも。あれだけ素敵なヒトだ。訪れもしなかった更なる幸運など、きっとあの人の眼中にはない。それだけだ。


 ……だけど僕は違うのだ。僕には、「この事情のウラ」が分かってる。母さんは普通の子どもを授かるべきだった。普通の子どもを授かって、育てて、それと一緒に自分も成長して、そうやって生きていくべきだった。大人を養って道化を演じさせるような人では絶対にない。皮を剥がせばこんな汚らわしい魂が詰まっているような悪魔ではなく、ちゃんと、普通の、普通の家庭を持つべきだった。僕は母さんから、「普通の幸せ」を奪ってしまったのだ。これが悪魔でなくてなんだ。



「レオリア――」


「なに、かな……」



 顔は、もうぐちゃぐちゃだ。涙と脂汗が服の裾までを濡らしてしまっていて、それが恥ずかしくて僕は彼の顔を見られない。いや、そもそも彼だって僕の被害者なのだ。彼の眼をまっすぐに見る資格など、僕が生まれた瞬間からすでにない。

 それなのに――、



「レオリア」

「……、……」





「――そんな恰好で義姉さんのところに行かせられないよ。顔を洗って、服も綺麗にして、ちゃんと、義姉さんに会わないと」


「――――。」





 彼は、優しく僕の顔を持ち上げた。


「……、」


「今日が、最後の別れになる。……だから君は言ったんだろ?」




 その質問に、僕は答えの心当たりがなかった。

 今ばかりは、むき出しの子供のような声色で、僕は彼に問う。




「何を、僕が言ったって?」

ちゃんと送る・・・・・・、そういってただろ」




「……、……」


「君が、そんなことを思ってるとは思わなかったけど、だけど君なら、それを今ここで飲み込んで、身支度を整えられるはずだ。俺が見てきた君ならそうだ。君は、義姉さんのために、しゃんと立っていられるヒトだろ?」


「……、ああ、 ――そう、かもね」



 彼の顔の向こう側に、

 ――僕は、朝日が輝いたのが見えた。



 それが強引に涙を乾かして、僕は、視界がすっと晴れたように感じる。

 それから、……瞼の、ヒリヒリとした痛みも。




「――そうだね。うん、……とにかく見てくれだけでも綺麗にしないと」


「そうとも。君は、綺麗なんだから」


「ははっ、ありがとジェフ。……そうだ、もしよければ濡れたタオルと着替えが欲しいんだ。こんなに汗臭い格好で母さんには会えない。あるかな?」


「あるよ、ほら。……待った、脱ぐなら言ってから脱いでくれ」


「うん? こんなちんちくりん見ても大したことないでしょ」


「分かった後ろを向く。だから君も躊躇なく上半身すっぽんぽんのなるのはよせ、そういうところだ義姉さんが言ってたのは……!」


「ロリコンなの?」


「違うが男ならひとまずみんな見るんだよ! 君は自分の魅力に無頓着すぎる!」



「ははは、……なあジェフ」


「? どうしたの? パンツ無い?」



「あるよ。そうじゃなくて――」





 母さんと、何の話をしたらいいかな。

 僕は、彼にそう聞いて、





「そんなの、――親子なら、好きなことを話すべきだ」


 ……彼はそう、「誰にでもわかるようなこと」を答えた。




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