03.

 


 グランの実家である『シルクハット家』とパブロの『リザベル家』は、共にストラトス領家の近侍として爵位を受けた貴族家系である。シルクハット家は武力で、リザベル家は技術の発展開拓で以ってストラトス領の発展を長く支えてきた。


 そんな両家は、かような事情からストラトス家宅のごく近くに居を据えている。

 具体的に言えば、――子どもの足で、およそ十数分ほど。




「……いー天気だぁ」




 そんな道すがらを、レオリアは敢えてゆっくりと歩いていた。


 先ほどはアズサの叱咤に尻を叩かれて焦り家を出た彼女であったが、……しかし冷静になってくるとこの用事は、ぶっちゃけやたらと気が重い。




「おぉ、おはようございますレオリア様!」


「あ、どもー!」



「今日もお美しい! おはようございます!」


「褒めても何にも出ないっすー」



「今度ウチに! ウチに来ませんかっ! なんでもしますから!」


「しねー」




 げんなりとした表情を作りながらも、内心、レオリアにとってそのコミュニケーションは割に心地いいものであった。

 ストラトス領自体は、バスコ王国においても下から数えた方が早い程度の弱小領であるが、しかしそれでも領内の空気は健全そのもの。ストラトス家を信頼してくれている領民とのやり取りも、そんなわけで非常に砕けたものだ。


 ということで、果たして……。



「(いっぱい貰った。……重い)」



 ストラトス家からシルクハット家までの短い往路の間だけでも、レオリアの腕の中は領民からのおすそ分け・・・・・でいっぱいになっていた。


 齢十そこらの小さな体躯では、抱えるので精いっぱい。前も見えないものだから足元もおぼつかない。更に言えば、そんなレオリアを面白がって更におすそ分けが載せられる始末。


 果物に、チーズに、お肉に野菜にお酒まで。

 どれもありがたいのは間違いないが、しかしいい加減に腕が限界である。そろそろこの場にでもぶちまけてやろうかとレオリアが本気で思い始めた頃――、




「レオリア? ……きみ、パシられてるのか?」


「言ってないで助けてくださいっ。あとこれはあくまで善良な皆さんからの純粋な善意ですんで!」




 背後から、男性の声。

 小さなレオリアからすれば、その声は天高くの上から降って下りたようにさえ聞こえた。



「……持ってやるから、そーっと降ろしてくれー?」


「あ、っとと。……ふう、助かったぁ」



 その男は、名をジェフ・ウィルウォードという。


 恵まれた体格で、その隅々までには収斂された筋肉が詰め込まれている。凡そのシルエットはスリムなものであるが、内包された重量と、何よりその妙に疲れた様子の表情が、見る者に不可思議な「重量感」のようなものを思わせる。


 彼はレオリアにとっての父方の叔父にあたる人で、……更に言えば、


 なので、



「……あれ? ジェフ叔父さんだ。なんでいんの?」


「いま気付くんだ? まぁ、久しぶり。大きくなったな」



 一気に開いた視界に、レオリアはまっすぐ天を仰ぐようにしてジェフを見る。


 積み上がったおすそ分けは大人でも多少程度苦労しそうな重量だったはずだが、ジェフはそれを片腕で難なく抱きかかえていた。



「……こりゃ、全部おすそ分けかい? ウチに持ってけばいい?」


「あー。まあそうですね、おかげでグランとこに預けてかないで済んだデス」



「うん? 今朝はシルクハットさんに顔を出すんだ?」


「用事でね。叔父さんは?」


「……、あー」



 そこでジェフは、何やら言葉を選び損ねたような態度を取る。

 強いてそこを追求するつもりもなかったレオリアは、急かすこともなく言葉の先を待つが……、



「まー。……そんなとこだ」

 ジェフは結局、取り繕うつもりがあるのかも微妙な返事を、レオリアにした。



「? そう?」


「ああ。今日しばらくはいると思うから、用事があったら声をかけて」


「はいー」



 ゆったりとした足取りで行くジェフに、レオリアは片手を挙げて挨拶を返す。


 そうして改めて目前を確認すれば、なにせ、目をつぶっても辿り着けるくらいに通って来た道であるからして、


 ――目測通り、シルクハット家は目と鼻の先であった。






 〈/break..〉






 ストラトス領主街の南。


 その民家通りの中腹にあるシルクハット宅は、周囲の家屋よりも頭一つ分背が高い。また、柵に囲まれた広い庭の中では、今日もストラトス領兵たちが切磋琢磨と剣を振っていた。


 そこに、――いつもならひと際大きな声で威勢を挙げているはずのグランは、今日はいないようである。




「……、……」




 ……もし遠目にグランを見つけられて、それで彼が割と平気そうだったら直帰しようかな、などと考えていたレオリアは、柵の裏の活け木に身を隠しながら溜息を一つ吐いた。



「(気が重い。……急に滅茶苦茶気が重い。なぜだろう)」



 その類まれなる容姿で数多の異性 (と時々同性)を魅了してきた彼女は、それゆえ誰かを振ることには縁が多い。しかし、今日のようなアフターフォローに関しては門外漢もド真ん中。彼女は今更ながら、自分がグランと会って何を話せばいいのかてんでアテが思いつかないことに気付いた。


 のだが、

 ……果たして他人とは、無情の生き物であるらしい。




「おぉ、レオリア殿! よくぞいらっしゃいました!」


「……………………。」




 一回帰って作戦会議しようかな、と本気で尻込みをし始めていた彼女は……、


「(……、……)」


 その快活たる声に割と本気の苦虫顔をしてしまう。



「(おっと危ない。可愛く可愛く……)」



 ひとまずは、それを取り繕って……、



「……あ、どうもお邪魔しております。訓練中申し訳ないんですけど、グランに取り次いでもらえますか?」


「(……一瞬ゴミムシを見る目で見られた気がする。とてもいい)は、はい。少々お待ちを!」



 庭先から声をかけてきたのは、訓練中の兵士の一人であった。その人物が何やら館の方へ走り、


 少し待つと、先ほどの兵士と入れ替わり、シルクハット家の執事が現れた。



「おはようございます、レオリア様。今日は如何なさいました?」


「どうもデイモンさん、グランに会いたいと思いまして。よければデスケド」


「かしこまりました、こちらへ」



 デイモンと呼ばれた執事は、恭しい挨拶と、透き通った笑顔でレオリアを迎える。コスナーとも同世代のおじいちゃん執事ではあるが、彼には妙に、瑞々しい品性が香る。


 歳よりも若く見える、とでもいうべきか。兵役職に就くシルクハット家の執事と言う割には、不思議に腕力を感じない雰囲気を持った老人である。



「(……畜生アイツ、ヘタれて面会謝絶ひきこもりとかしてたらよかったのに)」



 なお、シルクハット家の父母はどちらも仕事で外に出ているらしい。

 そんなわけで外が騒がしい分やたらと静かに感じられる館内を、レオリアはデイモンに連れられ粛々と行く。



「レオリア様。……申し訳ありませんが、今日はグランさまのお部屋までご足労頂いてもよろしいでしょうか?」


「はい? あ、ええはい」



「……ご苦労をおかけいたします」


「(あ、これ、ヘタれて引きこもってはいるのか……)」






……………………

………………

…………





 


 人のいない館内の道中は、妙に短く感じられた。



「……、……」

「……、……」



 不要な会話は無く、慣れた道順には滞りがない。デイモン執事の案内こそ用意されているが、レオリアからすればこの行程は「知ってる道」でしかなく、少しばかり気長にさえ感じられるものであった。


 短い道を、迂遠に歩く。

 そんな類の、気の焦りを催す時間だと、レオリアはふと思う。



「…………。」



 出来ることなら、早足でグランの部屋に辿り着いてしまいたい。そうしてさっさと用事を済ませて、今日はもう館に帰りたい。……そして無論、そんな我儘が許されるわけもない。


 彼女がただすらゆっくりと、音を立てずにカーペットを踏むという作業を続けてしばらく、


 ……目当ての部屋は、それでも遂に目前に至る。



「こちらに、グランさまがいらっしゃいます。今日は何やらご気分がすぐれぬらしく、ご容赦いただければ幸いでございます」



「了解です。……ちなみに病名・・ってご存知ですデイモンさん?」


「…………ゲフンゲフン患い・・・・・・・・だと聞いております」


「……、……」



 いや全く、見上げた忠誠である。レオリアはそう、胸中で一つ溜息を洩らした。……さらに言えば、自分が恋煩い・・・の病巣扱いされていたらしいことに溜息をもう一つ。


 そして、



「わたくしはこれにて失礼させていただきます。何かあれば、お手数ですが階下のものをお呼びください」


「あ、はい」



 デイモンが静かに通路を消える。


 残されたレオリアは、

 一度、静かになった通路へと視線を回した。



「……、」



 建築の上手さか、通路は敷地面積の実質以上に広く見える。彼女は、左右に伸びる静謐の回廊に耳を癒しながら、その他方で「ノックがやたらと響いて聞こえそうだ」と気持ちをさらに重くする。


 しかし、ノックをしないわけにはいかない。当然、このまま臆して逃げ帰るのもあり得ない。



 ということで、ノックの音が二つ。


「……、……」



 ――はい、と。

 短い返答が返った。


 それから、……待っていてもドアが開けられる様子がなかったため、レオリアはそのままドア越しに彼、グランに声をかける。



「ぼくだけど、……あの、無事?」


「レ、レオリアっ?」



 木製のドア一枚越しの返答は、ほとんど素通しと言っていいほどクリアに聞こえた。

 やり取りにはこのままでも苦がなさそうだ、とレオリアはアテを付けて、敢えて開錠を待たずに言葉を続けた。



「あのね、……グラン。あの、その、……調子はどう?」


「…………、」



 無声の返答。更に言えばドア越しであるため、グランの表情も彼女には見えない。

 しかしながら謎に、口いっぱいの苦虫をかみつぶしたっぽい雰囲気が、ドアの向こうから発露されてきた。



「…………。グラン、ねえグラン? ナントカ患いだって聞いたけど、……あの、ぼくに出来ることがあったら言ってよね。なんでもするよぼく」


「……、……」



「……ど、どうしたんだよ? 今朝はあんなに元気だったじゃないかっ。――あんな、あんな挫折一つで折れる君じゃないはずだ! グラン! 返事をしてよグラン!」


「……やめ、やめてくれぇ(小声)」



 声が小さくてよく聞こえなかったので、

 ……レオリアはひとまずそのまま畳みかけることに決める。



「謝るよ! ぼく、謝るからさあ! ごめん! 振ってごめん! 反省してる!」


「やめてえ……っ」



「もうぼくねっ、振ったりしないよ! 絶対に君のことを振ったりなんてしない! ちゃんと忖度そんたくをするよ! だからグランっ、もう一度元気な顔を見せてよ……っ!」


「もうやめ、やめろぉ……! いい加減にしてくれぇ……っ」



「ほら告って!? また告って!! 今度はきっと、君のためにぼくは優しい言葉を掛ける! そう誓うからお願いだグランっ、こんなしようもないことでイ〇ポになったりしないでくれ!!」


「っだぁあ!! やめろっつってんだろ『ほら告って』って言われて誰が告るか馬鹿野郎ォ!!」



 どたどたと音が響いて、


 ――果たして、固く閉ざされた扉が遂に、

 遂に開け放たれた!



「――グ、グラン!」


「貴様この野郎! 惚れた弱みだと思って優しくしたたらつけ上がりやがって! 何が忖度だ! 何が『こんなしようもないことでイ〇ポになったりしないでくれ』だぁ! 傷心の十歳児にこれ以上難しいことを言うのはやめろォ!」



「グ、グラン……?」


「大体なあレオリア! お前はいっつもそうだ! 人がガチで落ち込んでるときに限って本気でお前は爆笑だ! 惚れた弱みだよ! 惚れた弱みで許してるけどなあ! お前マジでそこは人として最悪だからな!?」


「あれ? おっと? 説教が始まったっ?」


「説教だよ! これは説教だ! お前は常日頃ォ! 人が傷つけば大爆笑! 肥溜めにハマれば大爆笑! あとはなんだ!? 俺がおねしょした時も大爆笑だ! 人としてどうだよ!? 人としてどうだ答えてみろ!?」


「えー……?」


「あぁ畜生! 今ばっかり常識人ぶって困惑面してやがる! ズルい! ズルいんだお前は! 可愛ければ全部許されやがる! ちっくしょうどうして俺はお前が好きで好きでたまらなくなってしまったんだぁ……っ!!」


「それはもうぼくのせいでも管轄でもないだろ……?」


「お前のせいだ! お前が可愛くてフランクで妙に小悪魔気質なのが悪いっ! いいかレオリアっ、今朝のは俺の気の迷いだ! 俺が素面ならお前に告白するなんてありえない! きっとあれは、今朝のあの花がやたらと綺麗に咲いてたせいでちょっと間違えちゃっただけなんだ!」


「あー、あの赤いコスモスだよね? ありがとね」


「ガーベラだけどなァ! ガーベラって言う花だァ心に刻めェ!」


「あ、はい」


「空返事だなあ! くっそォもういいよ! いいかレオリア! 俺は寝るっ、今日はもうこの街にA級の魔物が現れたってこの扉を開けない! 俺は寝る! お前も帰れっ、帰ってくれ!」


「え? でもあれならホント、今日はマジで何でも言うこと聞くよ?」


「お……っと。いや、いやいやいやその手には乗らない、その展開の先に待ってるのは俺の赤っ恥だ。全部わかってる。その手には乗らない」



「触ってあげようか……?」


「どこを!? やめろ!! いいから今日はもう帰ってくれぇ!!」



 語調の勢いのまま、強い音を立ててドアが閉められる。

 ばたんっ、と。


 そんな乾いた音が、広い通路の右から左へ反響して、厚手のカーペットに吸われて消える。


 ……あとに残るのは、階下、庭で上がる兵士たちの素振りの掛け声だけである。それが妙に威勢がいいからか、通路の静寂が、執拗に物寂しいものにレオリアには思えて、



「……、……」



 その代わり、昼間の日差しの勢いが、彼女のうなじを焼く。



「……、」

 ――たぶん、あれならもう大丈夫だよねぇ。なんて彼女は胸中で呟いて、



 一人通路を階下へと向かった。



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