04.

 


 シルクハット邸宅を出て。

「――ふう!」



 彼女、レオリア・ストラトスの気分は実に晴れやかであった。


 時刻は、先ほど彼女が街道を歩いていた時分より少しだけ進み、日差しがいよいよ天頂の際へと移う頃のこと。

 午前の街道は、雰囲気の変遷が驚くほど目まぐるしい。レオリアが街の様子から目を離したほんの一瞬で、街道の往来は「働く時間ド真ん中の様相」を呈している。


 これが行商の活発な街ならば、主要街道に上がるのは人の喧騒に違いない。……しかしながら、この街は行商との縁が少しばかり遠くある。


 そんなわけで、



「やー、平和だなぁ」



 この街における「働く時間ド真ん中」とは、つまり「主要街の閑散」である。

 住民は、その殆どが仕事に「出て」いる。行商に縁遠く、それゆえビジネスtoカスタマーの文化が希薄な「物々交換社会」たるストラトス領は、……はっきり言えば、稼ぎ時と言うべき時間帯がほとんど存在しない。


 有力領であれば、この昼食時直前と言う時分はゴールデンタイムの一つに違いないが、ストラトス領においてこの時間帯とは、もっとも人口密度が薄くなるタイミングでしかない。



「(ホントマジ平和。善意おすそわけで前が見えなくなることもないし、気の重いタスクも一つ終わったし、……それに何より、さっきの要領・・・・・・でいいならパブロの方もすぐに終わりそうだし)」



 先ほどのシルクハット邸では結局あんな感じ・・・・・でお茶を濁したレオリアだが、……なにやら、それが功を奏したらしい。ドアを蹴破って威勢を放つグランの様相は、傷心中とは思えないほどのものであった。


 察するに、第一次成長期中の子どもなど30分前の黒歴史であれば忘却の彼方なのだろう。ああいう「勢いだけで生きてる」っていう素敵なパッションを失くすことが大人になるってことなんだなあ、と、レオリアは胸中で感心を催す。



 ……のは蛇足であって、閑話休題。



 彼女が次に向かうリザベル家は、シルクハット家からすぐ近くの南方向にある。

 子どもの足でも五分とかからない距離だ。空いた真昼の街道を滞りなく往き、レオリアは目的の邸宅の前で、先ほどのようにして木陰に隠れ、庭の様子をまずは伺った。



「……、……」



 リザベル家は、主に知識の面で以ってストラトス家の補佐をしている。外観もまさしくシルクハット家とは対極であって、向こうが武力ならこちらは知力。リザベル家の庭には、何よりもまず「静謐」があった。



「……、……」



 シルクハット家の庭に響く威勢とは対極の「人気が空っぽの空間」。

 花壇に鬱蒼とした植物は視線を遮るほどで、その奥の邸宅建物は、半ば以上の外観が隠れて見えている。

 緑に満ち満ちた庭は人の領域外の様相であり、耳をすませばすますほど、虫の気配や動物の生活音が目立つ。


 ……ただし、外側から見れば無秩序極まりないこの庭は、実のところ高名な庭師によって緻密に計算され成り立っているものであるらしい。ただすら伸びただけのように見える植物の一つ一つは、それでも、人一人分が歩くスペースは確実に確保されたうえで育っているのだとか。


 今日も、平素通りであれば、この緑のカーテン幾重の奥に声をかけるべき「人物」が紛れている筈であった。

 レオリアは柵の向こうを注視するようにして、広大な緑の奥の人影を洗い出す。


 そうして、



「……、あぁ、あれかな?」

 ――トマト畑の辺りに確認できた人の気配に向けて、彼女は声をかけた。




「シルヴィさーん。ごめんくださいーい」


「あら? はぁい?」




 返事に応えたその人物、……細身で、手折れそうな儚さのある女性が茂みの向こうからこちらへ顔を出す。



「どうもー」


「あ、レオリアちゃん。今日も綺麗ねぇ」



 彼女、――パブロのママことシルヴィ・リザベルは、ジョーロ片手にそんな風にほほ笑んだ。



「聞いてるわ。今朝は、ウチの子がごめんなさいね」


「え? いえいえそんな、こっちもなんか上手い事出来なくて……」



「いいのよ。女の子はこういう時、気なんか使わない方が素敵だわ。それにパブロったら、帰ってくるなり書斎に入っちゃってね」


「書斎、ですか?」


「ええ。何でも、『レオリアに振られたのは勉強が足りないからだ』ですって。そんなわけだからおばさん的にも助かっちゃったわ」


「あー、はぁ……」



 その言葉を聞く限り、どうやら傷心で潰れたりしているわけではないようである。それはひとまずの吉報だが、……まだ諦めていないというのはぶっちゃけちょっとめんどくさいレオリア。


 しかしとにかく、顔を見ずに帰ってしまっては、アズサに何を言われるか分からない。

 彼女はシルヴィに言葉を返す。



「それでもちょっと心配で、よければ挨拶に昇らせてもらっても?」


「それはもちろん。じゃあ待っててね、そこでハーブを摘んで、お茶を出してあげるから」



 シルヴィが嬉しそうにそう言って、屋敷の方に声をかける。


 ……そうして、そのあとすぐに現れたこの家の執事が、シルヴィに変わって屋敷の案内を引き継いだ。






……………………

………………

…………








「あれ? おかえりレオリア、早かったね?」


「うん……」



 ストラトス邸にて。


 用事でエントランスに通りがかったらしい彼、ジェフ・ウィルウォードが、レオリアの姿を見て声をかけた。



「義姉さんに聞いたよ、今朝からグランとパブロを派手に振って、そのアフターフォローだって? 無事に済んだのかい?」


「うーん。まあ、たぶん……?」



「? どうかした?」


「グランには会えたんだ、元気になったと思う。パブロの方は、会えなかったけど元気ではあったのかなぁ」



「妙に煮え切らないみたいじゃないか。悩み事があったら聞くよ?」


「いやー、パブロは書斎にいたから、ノックして声をかけたんだ。返事は無かったけど、部屋の中から『天啓の降りた発明家』みたいな奇声が響いてて」


「えー……?」


「シルヴィさんに言ったら、『元気な証拠だ』って」


「えー……」


「おじさん……。ぼくこれ、どう母さんに報告したらいいんだろ」


「えー……っと、だねぇ……」



 用事も忘れて言葉を失うジェフ。

 というか天啓の降りた発明家ってなんだ? 失恋こじらせておっかないシロモノとか思いついたわけじゃないよな? と子ども相手にちょっと本気で慄きつつあった彼は、しかし、



「まあ、用事が済んだらしいって俺から義姉さんに伝えとくよ。君はとりあえず、『元気な声が聞けた』って返しておけばダイジョブじゃない?」


「ホント? 他人事だと思ってない? それ……」


「まあー、……そこは置いといても。きっと大事じゃないさ。流石にあのリザベル家・・・・・・・でも、失恋一つで世界に絶望して悪の|科学者(れんきんじゅつし)にーとかはないと思うよ?」


「悪の科学者って、……いや、そこまではぼくも考えてないけどね?」


「そっか、ははは……」



 あーそうだ、とジェフ。



「?」


「今日は忙しくなるらしくて、家庭教師はお休みらしいよ。家の人も用事で動いてるから、申し訳ないけど今日は一人で暇を潰してくれって義姉さんが」


「あー、そうなんだ。ふうん……?」



 煮え切らぬ様子のレオリアに、ジェフは思い出したように語調を急がせた挨拶を残し、そして通路向こうへと消えていく。


 その後ろ姿は、……確かにどこか急いだようなニュアンスがあった。



「……、……」



 グランもパブロも、今日は暇つぶしに付き合ってはくれないだろう、と。

 彼女、レオリアは、一つ溜息を残して、そして自室へ続く通路を辿った。





















 〈../break〉





















 ――さて、


 突然だけれど僕、レオリア・ストラトスは異世界からの転生者・・・・・・・・・である。



「(クリアリング完了。外には誰もいない……っと)」



 それ・・を間違いなく確認して、それから僕は自室の扉を閉める。……それと一応、ドア越しに外の音に耳を澄ませてみて、



「(よし、大丈夫)」



 ――改めて息を吐く。


 僕の部屋は、この館でも特に日当たりのいい場所にある。今日のようなよく晴れた日には、散歩よりも読書や日向ぼっこに気がそそられるような、そんな一室だ。


 右手にはベッド、左手には本棚と勉強机。――それから窓を見れば、見慣れぬ花瓶が一つ。


 ……たしか、ガーベラとマーガレットだっただろうか。今朝グランたちから貰った花束をコスナー辺りが気を利かせてくれたのだろう。日差しを浴びてほころぶその立ち居姿は、こんな僕でもちょっとだけ気持ちが軽くなるくらいに可愛らしいものだった。



 閑話休題。さてと、だ。



 僕ことレオリア・ストラトスは異世界からの転生者である。この世界に来てもう十年近く。それでも未だ、僕の精神性は前世のそれを根強く残している。


 物言いや、立ち居振る舞い。或いはこの、「僕」という一人称もその一つ。

 僕は、それゆえ女性らしさの欠如という点で、家族や友人に欠ける苦労に暇がない。母には結婚の心配で家庭教師にお金を掛けさせてしまっているし、今朝は悪友二人に、脈の皆無な告白などをさせてしまった。


 僕が可愛いのが悪い。それは認めよう。

 この容姿、『女神の造形〈EX〉』というスキルにまで昇華されたこの姿は、――実のところ、転生者として得た恩恵の一つであるらしい。


 今でもあの「時間と色の無い空間」を揺蕩う感覚と、そこで聞いた不思議な「声」は鮮明に思い出せる。




 ――おはよう、×××。死出の目覚めはいかがですか?


 ――あなたの願いを解析しました。三つの願いを、スキルとして出力します。


 ――あなたに、第二の生と、その結末・・の祝福を。




 と、

 それで僕が願ったのが、「これ」らしい。


 僕が前世で焦がれた願いと言えば、考えて思いつくのは「成功」だ。成功の確約・・ではなく、成功への『挑戦』。僕は僕の生涯に、「最高の手札」と、それをいかんなく振るい挑む「挑戦ステージ」を求めた。


 そうして僕は、この女神の如き容姿というアドバンテージと、……三つ目の、使い方のよく分からない『祝福の担い手〈EX〉』とかいうスキルと、


 そして何より、「この力」を得た。






「――起動、『結界:図書館 〈EX〉』」






 右手にはベッド、左手には本棚。

 そんな八畳半の部屋の最中央、――そこに、光が舞い上がる。



「……、……」



 そうして顕れたのは、木製の、両開きの扉である。ぱっと見だけなら「扉という家屋の部品」が忽然と顕れただけのように見えるに違いない。或いはこれが「僕の世界の住人」なら、その「虚空に扉だけが立っている光景」に、一つ思いつくモノがあるかもしれないけれど。


 とにかく、これが僕の得た能力の一つ。

 扉に手をかけて、……ゆっくりと、押し開ける。



 そしてその向こう、その光景にはまず、

 ――いつだって、むせ返るような「紙」の匂いがある。



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