02.



 ストラトス家の食事は、一日に二食が通例である。


 領主職業務に忙しい母のために、一食は朝と昼の中間の時分に行われるのが常だ。

 時分は、その頃のこと。彼女、――レオリア・ストラトスは、




「おはようございます、レオリア様。お母様はもう席についておられます」


「あ、どうもコスナー。なんだ、もうそんな時間か」




 老執事、コスナーの声に応え、素振り用の木剣を置いた。


 ……少女の齢は、凡そ十かそこら。

 遊びたい盛りド真ん中であるはずのその少女の所作は、しかし不自然なほどに大人びたものである。


 金雲の色の髪も、湖畔の色の瞳も、一切の穢れから漂白されたような艶やかな肌も、火照った身体に伝う汗の一片でさえ、その所作、立ち姿には不浄と言う物がない。


 ――女神の美貌、と言葉遊びを職にする手合いは、彼女を見てだたすらそう呻いた。


 そんな彼女はその日もまた美しく、呼びかけた執事でさえ、振り返る姿に感銘じみた感情を覚える。




「あー、母さんを待たせてしまった……。グランにパブロも、時間のかかる用事はアポイントを取って欲しいもんだね」


「…………あの、恐れながら。時間掛かってました?」




 ちなみに先ほどの告白は、始まりからバッサリまでしっかりこの執事の目にも触れていた。いたいけな少年二人ががっつり足腰立たなくなったのも確認してしまった彼的には、レオリアのジョークめいた物言いに気を利かせて笑ってやることも出来ない。ただ鎮痛に、胸中で十字を切るのみである。



 ……ということで、閑話休題。



 レオリア的には謎に執事の返しが振るわない会話を更に少し続けた後。彼女らは食事室へ到着した。



「お待たせしました。お母さん」



 ノックを三つ。

 返事は無く、執事が静かに扉を開ける。




「遅れてごめん。今朝はちょっと来客があって」


「グラン君とパブロ君でしょう? ……なんだか幽鬼のような後姿で帰って行くのが見えたけど、なにかあったの?」




 戸を開いた先には、重厚な設えのテーブルと、清潔な白のテーブルクロス。その上には清貧な印象のスープやパンなどが用意されている。


 そして、その奥。

 窓から差す朝日のふもとにて。



「……まあその話は、食事の席で」


「あなたがそういう時は大抵碌なことじゃないわね……」



 そこで一足先にコーヒーに手を付けていた女性が、レオリアの母にしてこの領の現領主、アズサ・ストラトスである。


 ――柔らかな印象の見た目に、どこか堅牢な意思力を思わせる不思議な魅力を持つ女性。血統領主である夫を早くに亡くして以来、平民の出ながら堅実にストラトス領を運営する明主。それが彼女だ。


 が、そんな勇猛たる来歴の気配は、ここにはない。


 あるのは、……デスクワークに少し疲れた様子ではあるが、それでも母親なりの、慈愛に一抹の苦笑をまぶしたような、そんな笑顔であった。






 〈/break..〉






 朝食は、ライ麦のパンとコンソメスープ。それにチーズオムレツと添え物のサラダが用意されていた。


 レオリアは席につき、まずはコンソメスープを口に運び、口内と腹の底を暖めながら……、




「結論から言うと、二人に告白されました」


「っぶー!」




 霧状になって舞うアメリカンコーヒー。一歩引いて見ていた執事が、それに慌ててナプキンを取り出した。



「あ、主様! お気持ちは分かりますが……っ」


「いい、大丈夫。……心配しないでコスナー。どうせグランのとこの、あのクソッタレのターニャ辺りの差し金でしょ。大方あの女が『子どもにはやっぱり好きなようにさせたげないと!』とか言ってアホ面で二人を焚きつけたんだ。貴族同士がくっつくって言うのがどういう意味かも深く考えずにね……ッ!」



 不可視の怒気に後ずさるコスナー。

 他方のアズサは、彼から受け取ったナプキンで口元を拭いながら、



「それで、レオリア……?」


「うん?」



 姿勢を正し、レオリアに向き直る。



「あなたなら当然、断ったんでしょう? 断ったのよね? ……こ、断ったわよね?」


「あ、それは当然」


「……(安堵)」



 ほんの少し、だけれど確実に脱力をするアズサ。

 ただ、彼女にしたってグランとパブロの気持ちは分かるのだ。なにせレオリアは、あまりの美しさにユニークスキルをさえ確立させた、桁外れの容姿である。


 曰く、――「女神の造形〈EX〉」。


 字面から分かる通り、彼女の美しさは女神のそれであるらしい。そんな少女の近侍兼幼馴染として幼少から近くにいた二人がレオリアに憧憬を抱くというのは、まあ当然の帰結と言っていい。


 ゆえに、問題はターニャ。戦犯もターニャである。ならばそれは、おいおい罪の清算をさせれば済む。


 ……そう考えてみると、



「――――。」



 アズサ・ストラトスだって女の子(?)。女性として性を受けた者ならば、誰だって恋バナ一つで青春に立ち返る。

 久しく縁の無かったその「甘酸っぱい成分」が、途端に彼女の食指を逆なでした。



「で、あの、……ど、どんなふうな話になったのっ?」


「どんな? え? いや、断ったって……」



「違うでしょっ? アンタも一応女の子なんだからさっ。分かるでしょ!?」


「……え、…………わからないケド?」



「ダ、ダメねアンタは本当にその辺の分野・・・・・・については! 見てくればっかり女の子で中身は全然可愛くないんだから! いいからどんな話になったのか聞かせてよ!」


「ど、どんなっていってもさー……?」


「ほら! 二人にはなんて告白されたの!?」



 言われて、レオリアは少し考える。

 ……一字一句の再現は難しいが、ニュアンス程度であれば説明出来そうではある。



「……、……」

 ならば仕方ない、観念しよう。と、



「えぇと……」


「はいはいっ?」



 彼女は胸中で、まずは説明すべき事柄を、文脈で以って整理することにした。






……………………

………………

…………








「えっと、まずはー……」


 文脈の整理のために拍を置くレオリアを、アズサは目を輝かせて見ている。

 ――さて、話すにあたってレオリアは、



「……、」

 まず、手元のパンを一口分にちぎって頬張った。



「まずは、……今朝も剣を振ってたんだよね。コスナーに見てもらいながら」


「あら、それはご苦労さま。しっかり毎日続いてるのねえ」



「継続は力だって話らしいからさ。ええと、それで。……ふっと外の方を見たら、向こうに汗で脂ぎった顔で走ってくる二人がー」


「やめろ馬鹿っ、…………馬鹿のレオリア、やめなさい」


「え?」



 ふと声のトーンを低くするアズサに、レオリアは思わず素で声を上げる。

 他方、アズサは、



「汗で脂ぎった顔じゃない。恋をした人の顔と言い直しなさい。さあアゲイン」


「え? でもぼくホントにアイツらとは脈がなくて」



「やめっ、やめなさい!? どっちも可愛らしい男の子じゃない! どうしてそんな酷いこというのかしら! お母さん聞いていられない!」


「えー……」



 不承不承ではあるが、しかし、今日も大人の義務でお仕事に励むアズサのオーダーである。レオリア的にも出来る限り無碍にはしたくない。


 ということで、



「えっとー、向こうからね。恋する人のカオー……をした二人がさ、花束抱えて走ってきたの」


「花束! まあ花束! 二人ともいつの間にかロマンチストになっちゃってまあ! それはえっと、何のお花だったのっ?」



「あーっと、……ピンクのコスモスと白いコスモス?」


「こす、もす? 今の時期に?」



「……グラン様がガーベラ、パブロ様がマーガレットでございます」


「へー。(マジで興味なさそうな顔をするレオリア)」


「……へ、へーじゃないっ。ちょっとっ、へーじゃないわよ! アンタまさか女の子のクセに花びらが細くてたくさん付いてるやつは全部コスモスだって思ってるの!? 女の子なのに!」



「だ、駄目だよ母さん、ほら、子どもに対してそんな価値観を決め付けるような言い回しは教育上良くないから……」


「あーもーアンタ絶対お嫁行くとき苦労するんだわ! お母さんあなたの往く末を見てられない!」


「微笑ましく見ててよ……」



 とにかく、とレオリアがチーズオムレツを頬張る。



「その、ナントカとナントカっていう花束を二人して持ってきてね」


「ガーベラとマーガレットね、はい復唱!」



「……ガーベラとマーガレットを持ってきて。えぇと、それで走って来るや否やぼくに言ったんだ」


「まあ! いきなりクライマックス! 告白の文言ね? どんなふうに告白をっ?」



「えー、……グランがまずは、『俺と結婚してください』って感じでー」


「まあ! まぁまぁまぁまあ!」



「割と恥ずかしいなあコレ……。まーいいけどさ。それでパブロがー、『いや、僕と結婚してください。幸せにしますから』みたいな?」


「ふわぁ可愛い! あぁ可愛い! お母さん溶けちゃいそうだわ!」



「それでぼくが、『え? なんで?』って」


「え、え……?」


「『え? なんで?』って」



「な、……なんで?」


「え? だって理由ないのに」


「……、……」




 ――朝日朗らかな春の食卓に降りる、沈黙の帳。

 気を抜いた表情でいたレオリアの脳裏に、突如として流れ出した不穏なアラーム。




「……、……」

「……、……」




 その空気感の中間最前線にて、右に左に視線を振るコスナーの様相たるや、それはまさに、テニスの観戦客のそれであって……、






「――お馬鹿ッ!」


「お、おばかっ!?」






 スープの水面を揺らすような雷が、食卓をぴしゃりと打ち据えた!



「あんたはねぇ! あんたっ、常日頃からあの二人とはやたらと三人合わせて悪ガキセットだと思ってたけど! だけどそれでも、踏みにじっちゃいけない気持ちってのはあるでしょう!」


「悪ガキ……、そんな風に見えてたのか……」



「想像してみなさい、ほらっ! 想像をしてみなさい! 例えばの話をするからね!?」


「え、えー?」



「いいですかレオリア! 今日は母の日です! あなたは私に、カーネーションの花束を用意してくれるの! それを想像なさい!」


「はーい……」



「あなたは言いました! 『お母さん! いつもありがとう! 大好き!』そう言って花束を渡すのよ! 想像できる!?」


「でき、出来るケド……」



「ええ、……それはきっと素敵な晴れの日のことよ。ちょうど今朝みたいな、朝日が肌を暖めて、風がすっと抜けて行くような素敵な日。そんな日に私は、全然気づかないふりしてるんだけど実はずっとソワソワしてて、そしたらあなたが向こうから花束持って走ってきてデュフフフフ……」


「か、母さん?」



「…………。今のはナシ。ナシよ。いいこと? ……あなたは私に日ごろの感謝を伝えるべく、一生懸命貯めたお小遣いでカーネーションを用意した。『お母さん! いつもありがとう! 大好き!』そう言って私に花束を渡すの。小さな身体で一生懸命、大きな花束を抱きしめるようにして持ってきてね。それを渡すのよデュフフ……」


「主様。よだれをお拭きください」



「ありがとうコスナー。……どうレオリア? 想像が出来た?」


「あ、うん。はい」



「いいでしょう。じゃあそこで、――お母さんがあなたにこう答えたら、あなたはどんな気持ちになるかしら?」


「え?」



「『え? いらないよ』って」


「……、……」



「……、……」

「……、」



「どう?」


「さっ、最低の光景だ……」


「そう! 最低だあんたは! 自分がしでかしたことがようやく理解できたらしいな! いいことレオリアっ? ご飯食べて汗を流して歯磨きをしたらすぐに出立なさい! 分かってるわねアフターフォローよ! あなたの今日の一挙手一投足が、親友二人のナニを一生使い物にならなくする可能性もあるってことを忘れないように!」



「そ、それはどうかなっ?」


「どうもこうもない! パパとママのその手の苦労話が聞きたいの!?」



「いやっ、それはいやだ! 身内のそんな話聞きたくない! コスナーごちそうさま! 行ってきます母さん!」


「行ってらっしゃいレオリア! 今日のお勉強は、お母さんちょっと先生とレオリアの教育方針についてお話ししたいと思ってるからお休みよ! だから後ろは振り返らずに行きなさい!」


「は、はい!」



 ……どたどた、と忙しない足音が響き、

 そして室内に、再び清貧な静けさが訪れた。



「……コスナー」


「はっ」



「レオリアの教師を全員もう一度・・・・ここに呼びなさい」


「は、はい。……して、ご用件は?」



「さっきの、教育方針の最終打ち合わせは全部白紙撤回よ。――私たちが真に考えるべきだったマターは、どうしたらレオリアを最低限ラインまででも女の子に出来るのか。……いいことコスナー? これは、我が領きっての重大案件よ!」


「は、はぁ。……レオリア様あれ、一人で生きて行った方が幸せになりそうですけどね」



「やめろ聞きたくないそんな分かり切ったこと! 女の子にはねっ、振り返っても決して届かない時間はだつやってものがあるんだからあとで後悔しても遅いのよ……っ!」


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