A-4





『――――。』




 沈黙が降りた。


 戦場とは思えない静謐に、圧倒的な突風さえ音を亡くす。


 皆が『彼』を見ていて、『彼』はただ、



 鬼は、



「ハハハ、なんだよ。――いい加減食傷だぞテメエ」


 嗤って、――そして咆えた!











 /break..











 さて、


「……、……」



 そんな光景を「少年」は、しかし熱のない瞳で眺めていた。



「(賭けに負けた。これは、面倒なことになった)」



 、と。そう独り言ちる。

 その独白に、この戦場での敗北の可能性は、欠片一つさえも加味されていない。


 ……或いはいっそ、勝ちを確信してしまったからこそ、「少年」は虹彩ひとみを灰色に変えていると言ってすらいい。



 ……『彼』がまた、鬼の剛腕を掻い潜った。

 鬼はそれに嗜虐的な笑みを強くしているが、他方『彼』の甲冑のフルフェイスの奥。――そこには「何の焦燥もない」ことに、鬼は気付けていない。


 確かに、『彼』の感じる痛痒は真実だし、殴られて『体液』を吐瀉するのだって演技ではない。

 それでも、――それでもだ。



「(……うーん。)」



 ――そう。

『彼』、甲冑こと「ドローン72タイプ」はそもそもが無機物である。


『彼』の思考AIこそ間違いなく有機的なものであるが、しかしながら彼の人格たましいは、決してあの甲冑の奥に縛り付けられたものなどではない。


 仮に、あの甲冑がどうしようもなく潰壊したとして、しかしそんなもの『彼』にとっては「あくまでも端末の一つを失ったに過ぎない」ことだ。


 ……そんなわけで、



「(うーん。……みんな盛り上がっちゃってるんだよな。アイツロボットだから死なないから安心してねとか絶対言えないよな)」



 この白熱した聴衆たちの声援に、微妙に申し訳ない気持ちにならないこともない「少年」、

 ――真のゴブリンスrことフィードは、



「()」


 自らの微妙な感情には、そう区切りをつけて、

 そして、



 ――。



「ッ!!???」



 それは果たして、誰の絶句であっただろうか。


 鬼か、聴衆たちか。少なくとも確実に、


 両雄が鎬を削る戦場の外周に絶句が巻き上がり、また鬼は、一瞬さえも悩むことなくフィードを狙い拳を叩き落とす。


 そしてそれを、……。




「    」


「  ……ッチ。馬鹿が」




 鬼が吐き捨てるように言ったのは、その一撃があまりにも確信をもって「致命の手応え」であったためだ。


 甲冑の腹部がぺしゃんこまで陥没して、遅れて『彼』が、身体が空になるほどの量のドス黒い「血液」を吐いた。


 周囲の絶句が、混乱に変わり、恐慌に変わり、……そして諦観に変わる。



 どうしてあの少年は前に出た?


 どうしてあの無力な少年が戦場に割って行ったのだ。


 ? と、



 ――そんな風に感情が臨界を超える「直前」に、






 


「(――!?)」







「――点火イグニッション







 で紡がれるそれは、


 ……先ほど『彼』がした魔術モノと全く同じ詠唱であって、


 あまりにも唐突に鬼の身体が炎上して、空気が音を立てて焼失していく。

 ならば当然、――この展開の先の帰結だって同じだ。

 先ほどのように鬼が論理性も何もなく理不尽に火を消して、そしてまた剛腕が何もかもを破砕する。


 ――






「――起動」






 鬼は見る。

 炎に焦がされた視界で、それでも『本能』が、克明にその光景を受け止める。



 ――



「なんっ!??」



 光条一閃。

 あまりの加速に少年の姿がモザイク調となるほどの突貫が、ほんの数歩分の、少年と鬼の距離を埋めた。

 ゆえに鬼はただ一瞬だけ思考を空白とする。



「て、テメエッ!!」


「それから、こっちも起動だ」



 刹那、鬼の「怒り」で以って火の手が消失する。

 隆々とした筋骨が露わとなり、その懐には少年、フィードがいた。鬼はその一瞬で以って、この状況を、自らのすべき迎撃コトを理解する。


 ……なにせ、これだけの好機。

 向こうからすればこの戦いで、最も鬼の喉元が露わとなっているのがこの瞬間である。


 ならばつまり、次に来るのは、

 ――「敵に起動させてしまった次の一手」とは、



「――――ッ!!」



 ガードは間に合わない。ゆえに鬼はただ歯を食いしばった。


 何が来ても、ここで止める。腹に風穴を開けられたってかまわない。それが命にさえ届かなければなんだって良い。ただ、ただ一つ、これを受けきる!



「……。」

 ……などと言う思考の見え透いた表情に、



 他方のフィードは少しだけ可笑しくなった。



「(……カズミハルめ。敵の顔をよく見ておけってのはこういうことか)」



 何せ、鬼のその顔が克明に示している。

 、と。



 ゆえに、フィードはどうしようもなく勝利を確信し、


 そして、だからこそフィードは、鬼の表情が可笑しくてたまらない。


 言ってやりたいものだ。「残念だったな」と。

 なにせ、



「(そもそもこんな、なんて、そっちにしたらあまりにも不公平な運のなさだろうしな)」



 フィードは、

 ……ただ鬼の腹にスクロールを当てるだけであった。


 或いはその「不自然に攻撃性のない感触」に、鬼の方はようやくこちらの意図に気付く頃だろうか。

 しかしながらもう遅い。既に、スクロールへの起動命令は済んでしまっているのだから――。








「じゃあ……、――招かれざる客には、そろそろご退出願おうか。そもそも忍び込んだのはそっちだし、?」


「!!??」








 鬼の悲鳴が、抽象的となる。

 あまりにも遠慮のない加速推進が、鬼の思考を縦に揺らす。くの字に折れた身体がまっすぐに飛翔し、そして、鹿



 ……しかし、




「お、っと?」


「うぎ、ぐぉぉぉおおおオオオオオオオオ!!」




 人一人が通る分の穴は、しかし、鬼の暴力的な体躯を飲み込むのには少し足りない。

 無様に臀部を窓の穴にはめ込みながら、しかし鬼は両腕で以って穴の縁にしがみ付く。



「ゆるっさねえ、……許さねえぞ雑魚の三下がよォ! 殺す殺す! ぜってえ殺すテメエ!!」



「……お前さ、そんな全力で力んでトイレしてるみたいな姿勢で凄んでも怖くないよ?」


「なんだとコラふざけんなァ!」



 その激高からは視線を切って、フィードは背後を振り返った。


 そこには、……今なお絶句したままの乗客たちと、スタッフと、舞い上がる紙幣や雑貨と、

 ――そして倒れた甲冑がいた。



 フィードは、

 その『彼』を、





「それよりもほら、?」





 優しく、言葉で揺り起こす。



『……、……』


「相棒ってば。いつまで寝てんだよ。仕上げにかかるぞ」



『……、……』


「おい、僕にばっかり仕事させるつもりか?」




『……、ッチ。なんだよ、クソ』




 それは、……周囲からすればあまりにも現実味のない光景であった。


 致命傷を受けたはずの『彼』が、まるで「再起動でもしたかのように」当たり前に立ち上がる。

 軽やかに四肢は動き、喋る言葉からは痛痒の痕さえ見て取れない。



『そっちにばっかり仕事させる、だと? ここまでズタボロになって殴られてやった俺への配慮ってモンがねえ』


「なんだと? おいおい。こいつ。結局それも、仕方ないからさっき僕がこなしたよな、無理やり戦場に割って入って、観客の皆さんの不服そうな視線を一身に受けてまで」


『ッチ。口の悪いガキだ』



「それにほら、ようやく仕上げだろ? 二人でやんねえんじゃ締まんねえじゃん」


『……もういい、分かったよ。……じゃあ、どうする? ?』




 その言葉で、




『    』

 ――甲冑が、ゆらりと姿勢を低くする。




 、と。


 低く重い音が、甲冑内部から断続的に発生する。


 不意に、鈍色の輪郭が不可思議に揺れた。――否。それは『彼』から上がる「陽炎」であった。

 加速度的に増していく甲冑内部の熱量が、続々と可視化し発散されていく。周囲の乗客たちはそれに、錯覚ではなく頬が焦げ付くのを感じた。


 そして、





『……、いくぜ』





 ――断続的だった「音」が加速する。

 が大気を叩いて、


 甲冑の背が文字通りに「開いた」。



「なん、なんだッ!?」


『――――。』



 甲冑背面の解放部分から放射されるのは、剣山のように鋭利な青炎だ。

 じりじりと『彼』のつま先が前に進むのを、しかし『彼』は地を踏みしめて耐えている。


「音」を撒き散らす甲冑が、陽炎と蒸気の最奥で、

 ――静かに、拳を引き絞る。




「ま、待て……。待て待て待て待て!」


「待たないよ。そっちの宗教の神様にでもお祈りをしておいたら?」



「ふざけんな! ふざけんなテメエ! つうかそもそも誰なんだよテメエ急にしゃしゃって来たくせに! !」


「ああ、それは……」



 高揚と激憤と破滅的な「熱量」が席巻する空間に、

 ……一つ、気の抜けるような返答。



「……それを聞かれると、弱るんだよな」


「なんだ? なんだとテメエ!? ここに来て名乗りさえ上げやがらねえってのか!! ふざけんなマジで! そんな半端な覚悟な奴が出張ってきてんじゃねえぞ!」


「いや、だからそんな体勢で凄まれても怖くねえんだよ。……まあ、言いたいことは分かるけど」



 ――でも、、と彼。



「は?」


「もともと名乗ってた通り名の方を、さっき賭けに負けたせいで名乗れなくなっちまったんだよな。なんか『アイツ』、とか言って」


「……は?」



「でも、じゃあ、決めた。――俺は今日から、ゴブリンだ」


「…………いや、は? なにがなんなの?」



 その謎の展開に、率直に目を点にする鬼。

 しかし、――周囲の反応は、劇的だ。



「……ゴブリン、?」


「彼が、ゴブリンブレイカーだって……!?」


「あの少年が、……あの少年が本当のゴブリンスr、ブレイカーだったのか!」


「ヒーローだ! あの少年は俺たちのヒーローだ!」


「ヒーロー! ヒーロー!!」


「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」



 怒号が鳴り、人々は今再び声を張り上げる。


 しかしそこに先ほどまでの諦観はない。そこにはあふれんばかりの喝采があり、

 ――そしてそれは、どこか勝鬨に似ていた。



「ふざっ、ふざけんな! まだ終わってねえ! 俺はまだここにいるんだぞ! 全員この手でぶっ殺してやる! ぶっ殺してやるって言ってんだァ!!」


「いいや、……もう終わりだよホブゴブリン」


「誰がホブゴブリンだふざけんな俺は魔族だ!」



「それにな、お前だけじゃない。いいか? ……――テメエだけじゃねえ、この世界の全てのゴブリンが、平和に生きてる人たちを脅かすって言うんなら、僕が、……いいや、


 ――俺が、そのふざけたゴブリンをぶっ殺す!」




 喝采が割れて、それが、契機となる。


「    ッ!!!!!!」



 甲冑の背に吹く青い炎が、




 ――今、弾けた!!!





『っどォォァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』


「っだあああああああああああああアアアアアアアアアアアア!!!????」






 鈍色が劈き、それが流星に変わる。


 衝突の間際、空気の割れる破裂音が響いた。飛空艇メインホールの分厚い窓が放射状に割れた。

 そして、

 ――、と。


 そんな明確な音を立てて、鬼は高度三千メートルの曇天へと投げ出された!

 










 /break..











『あーあー、てすてす』


「……聞こえてるわよ。どうなった?」



『……、……どうなったって? あー、どうなったって聞いてくるか』


「……そりゃそうでしょ。答えなさい。あなたは今どういう状況にあるの?」



『そうさな、……まあ、率直に言えば、



「………………は?」


『落ちてるんだよ。落とされた。飛空艇から放りだされたんだ。。……悪いが、こっちは失敗だ。あとはお前がなんとk』



「――――。」



 彼女、「理性のフォッサ」は無表情で遠話スクロールを握りつぶす。

 理性の名を関する彼女は、ゆえにどこまでも冷静に、――ふわりとフードを被る。


 そうすると、


 海岸線に落ちる雨の音が、一つ壁を隔てたように曖昧となる。


 夏の夜の不快な湿度が遠くなって、雨幕に煙る視界が不可視の感覚で以って「透き通る」。

 野暮ったい熱に曖昧となった彼女の指先が、一つ、指先の感覚を克明にした。




「はぁ」




 同僚の失敗を謗るのは、今ではない。

 それよりも今は、と。


 彼女は思考を透明色で塗りつぶし、……そして弓を構える。








「――起動。『星堕し〈EX〉』」








 その「矢」は、

 どこまでも静謐に射られて、


 そして、――空一杯の曇天を割った。



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