A-3
「少年」は、
自分が賭けに負けたらしいことを、その瞬間に受け入れた。
絢爛たる灯が舞い、札束が舞い、それをさらに突風が攪拌する。
飛空艇メインホールを底から巻き上げるほどの「人の感情」に、
少しずつ、少しずつ、……影が差していた。
『ぐぅ……ッ!? く、そォ!』
「くだらねえ! くだらねえェ! くだんねえんだよォ!!」
木っ端の作る砂塵が破裂する。
膨れ上がった風船が一点決壊するような光景。そして、『英雄』がまた彼方の壁に叩きつけられた。
『ぎッ!? ……がふっ』
既に、飛空艇に出来た亀裂は片手の指の数では足りない。
『英雄』の技巧がどれだけの剛腕をかいくぐって見せても、ただ一度の「接触」程度の一撃で以って、鬼は英雄を圧倒し続ける。
悪夢じみた彼らの体格差が、
……種族として隔絶されすぎた性能差が、
――英雄の持つ技術全てを一笑に付す。
『ヒト』にとってあまりにも絶望的な光景が、ただすら延々と続いていく。
「どうしたよ? ちょこまか動くしか能の無えクセに、それも鈍ってきてんじゃねえのか?」
『……、……』
『彼』が立ち上がろうと足掻くのを、鬼は嗤いながら睥睨していた。
一歩、二歩と、鬼は英雄に向かい、――そして奔る。
「ぅらアッ!!」
『――――ッ!???』
剛腕が、――英雄を射抜いた。
破滅的な轟音が、飛空艇の最後尾までを震撼させる。「ただの音」が、周囲の烈風をはっきりと「打ち消す」。
それだけの「衝突」に。
『 』
また、……英雄が崩れ落ちた。
『あ、……ぅ』
「馬鹿が雑魚ガキ! まるでなってねえんだよなァ!!」
甲冑の腹部に拳を埋めたままで、鬼は『彼』をそう嗤う。
その、ヒトの英雄が人形のように貼り付けにされた光景は、あまりにも「ヒト」にとって絶望的であった。
『は、な……せっ』
「全然弱ぇ! なんだそれ!? それで全力かコラ!!? そんなんじゃ一個も動かねえよ雑魚風情がよォ!」
『放せって、……言ってんだ!』
英雄がもがいて、遂に鬼の拳を逃れる。
しかし鬼は、それすらを睥睨するままだ。
取るに足らぬ小虫が蠢くのを見るように、鬼は『彼』が這いつくばるのを失笑し見下ろしている。
「おぉ? なんだよ、逃げんのか雑魚」
『……、……』
聴衆は、思う。
――もうやめろと、切に願う。
彼らにとって英雄が地に伏す光景は、絶望である以上に凌辱であった。
彼ら聴衆にとって、英雄の後姿はヒトの極致だ。それが地を這う光景など、ヒトの冒涜でなくて何だ。
「……、……やめ、やめろっ」
「なんだァ? 羽虫その2がなんか言ったなあ! 聞いてやるから声張れよサルがよォ!」
『黙ってろ! 手前の相手は俺だ魔族風情が!』
英雄の虚勢に鬼が三度嗤った。
「……なんだ? まだやれるんだったらよ? 立った方がいいんじゃねえのかなあマナーとしてよォ」
『……わかってるさ、手前も構えやがれ。ほら、第三ラウンドだ』
英雄が今、血を吐いた。
ドス黒く粘度の強い『血』だ。それが『彼』の甲冑を伝い、赤い絨毯を濡らす。
それでも、甲冑の奥の赤い灯は消えない。それを見た鬼が、ゆらりと両の剛腕を持ち上げた。
「ハハっ、いいじゃねえの」
『……、……』
言いながら鬼が、英雄を誘う。一つ、二つと足を運び、
……『彼』がそれに応じて、一歩二歩と鬼を追う。
赤い照明。突風吹きすさぶ高空の密室。メインホールの、その最中央。
そこにまた、――両雄が並び立った。
『……、……』
「……、……」
この一合も、当然のように、
――先に動いたのは鬼の方だ。
「――――ッ!!」
――突貫。
大質量が『彼』を覆い潰す。聴衆が思い描いたのは致命的な最期だ。しかし『彼』は、決して掴めない風のように鬼の突進を潜り抜ける。
「ハッハハ!」
『……、』
ここまではしかし、これまでの展開と変わらない。『彼』はその持ちうる全ての技術で以ってほぼ確実に鬼の一撃をいなし、或いは一撃を返し続ける。……しかし鬼は、それら全てをただ一撃で覆す。
これまでも。そしてきっと、これからも。
「じゃあ次なァ!」
剛腕一閃。
裏拳が大気を叩き、空気の破裂する大音量が響く。
これもまた、ただすらに膂力のみで成る一撃。
『彼』は身一つ分体軸をずらすだけで、当然の如くこれを避ける。
「流石ァ!
拳を放る勢いを乗せた中段前蹴り。これも『彼』は避ける。
次に鬼は、振り上げた片足で以って震脚を行い、姿勢を取り直して刹那四度の突きを放つ。
これもやはり、『彼』は避けて……、
しかし、
「次! 次! 次ィ!!」
『――――ッぎ!??』
終わりのない致命の連撃。
暴風が旋風を巻くが如きそれが、……また、『彼』の身体を強かに打つ。
「ダハハ! 何回目だよテメエ、何度でも立ち上がるのだけだ取り柄ってか!?」
『うる、せえ、……ってんだ』
『彼』が立ち、そして幾度目かの「打ち合い」がまた始まる。
鬼も、聴衆も、そして或いは『彼』も、きっとその一合の果てを理解していた。鬼がまた、その膂力のみで以って『彼』を打ち、そして英雄がまた地に伏せる。その繰り返しだ。
それが、――幾度、
幾度と続く。
そして……、
『 』
「うん? なんだァ? ……いい加減終わりかよテメエ?」
――膝から脱力するように、『彼』が倒れた。
聴衆は、祈るようにして『彼』のもう一度立つ光景を待っていて。
そしてそんな奇跡は、
……もう起きない。
『 』
「……、……」
なんだよ、と鬼が呟いた。
「おい。待てよ、もう終わりか?」
『 』
「ヤリ足りねえんだよ。テメエが立てねえなら俺は別のサンドバックを見繕うぞ? それでも立てねえのか?」
『 』
「…………なんだ、今度こそマジに死んじまったのか?」
鬼のその言葉にさえ『彼』は答えない。
反応を見て、鬼はただ、弄ぶのに飽きた玩具にするようにして、『彼』を適当に蹴り飛ばす。
転がっていく『彼』のその、まるで本当に「ただの死体が転がっていった」ような姿に、聴衆は今度こそ言葉を失う。
その光景にあったのは、
――克明な、「人類の魔族に対する敗北」であった。
「 」
「ようテメエら、次はどいつだ? 誰も出てこねぇんなら船が墜ちるぞ? ……おら、誰が出てくんだよ?」
返答はない。
強い風のみが、甲高い音を立てている。
……誰も彼もが、今この瞬間に言語を喪失していた。
如何な貴族の誇りがあろうと、成功者としての実績があろうと、或いはヒトとしての「礎たる何か」があろうと、純粋な畏怖がそれら全てを塗りつぶす。
そして今、この船の全ての人間が黙して、ただすら視線を地に付していた。
――ただ一人、「その少年を残して」。
「テメエか、次は」
「……、……」
少年は、「ヒトの言葉」を喪失したその空間にて、しかし、
――まず、「そうだよ」と答えた。
「……、……」
「僕が相手だ。胸を借りるぞ、でっかいゴブリン風情め」
かちゃり、と。
――幾度目かの音が、もう一度。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます