2-4
バスコ共和国ストラトス領騎士堂。
その局内の、レオリア・ストラトス氏のデスクにて。
私はただすらに、彼女への返答を選び損ねる。
「……。」
――と、
「……さてと、ではここで一つ、話題の文脈を変える必要があります。……ので、失礼」
そう言って、対面に座っていたレオリア氏が席を立つ。
そのまま、向こうの棚へ歩く彼女を、
私は、ただ眺めるだけだ。
……彼女の言っていることについて、まとめてみようと思う。
まず、彼女はこの世界に何かの変遷の予兆を感じ取った。
そしてそれは、今日までに「ヒトと物の流通のキナ臭さ」などによって彼女自身確信を強めている。
それから次に、「その不穏が頭角を示すように、世界各地では『爆竜』(と、恐らくは『赤林檎』)の襲撃に似たこと」が起きている。
……ここに加えて言えば、例えば我が国の『爆竜襲撃事件』などは、今日までに「どうやら黒幕がいたらしい」ことが調査で分かっており、現在その容疑者レブ・ブルガリオは身柄を消した状況である。ならばつまり、世界各地の類似ケースにも「黒幕」は疑って然るだろう。
さて、
これらにおいて、――どうやらこの世界各地の「ネームド襲撃事件」は、ウォルガン・アキンソン部隊の壊滅が皮切りであるらしい。
わたしは、そこに一つ、レオリア氏の抱える「懸念」の根拠になりそうな「仮説」、
――カズミハルの提唱した、とある懸念を抱えつつ、
……しかしそれを、敢えてここで口に出すことはできなかった。
「ストラトス殿、よろしいでしょうか」
「はい?」
そのかわり私は、彼女の背中に声をかける。
他方彼女は、……何やら棚の高い所の「箱」を取ろうと
「その、……各地の襲撃というのは、例えばどのような?」
何よりもまず、すべき確認はそこである。
何せ、そのような情報は私の耳には一切入っていない。
知らぬ恥を対外国領主に隠すよりも前に、私はそれらの事件の詳細を今すぐに掴むべきであった。果たして……、
「あーはい、ええと。……とりあえずですが、ボルネア大海洋の『オルム』による近隣国家への侵略。疫海孤島では、『卵』の孵化が発生しましたし、えっと、なんか北の方で、『アルペジオ』の目撃情報が……」
「なっ、そんな!? どれもS級以上のネームドじゃないですか! どうしてそんな……」
「ああ、知らないのは無理もない。どれも超一級のヘビー案件ですし、その解決に伴っては『英雄』が各地に生まれましたからね。そんわけでどうやら、国家連合によって箝口令が、……っと、取れた」
戦慄する私をよそに、彼女は間延びした口調で言葉を切る。
そうして手に取ったのは、先ほどから苦慮していた例の「箱」、……外見から察するに、クッキーか何かの缶のようであった。
「いや失礼。甘いものは苦手な性分でして、来客に使うくらいしか縁がないんで不便な場所に放置したまんまでした」
「は、はあ?」
「一応確か、いいトコのクッキーだそうです。皿もお出ししますので、よろしければ」
言って、「ぱかり」と蓋を取る。
シナモンの香りに私が視線を奪われると、そこには確かに、宝石のように美しいクッキーが並んでいた。
「あ、どうも」
「ええと、それでですな……」
棚から皿も用意して、そこにクッキーを(ややテキトーに)あけながら、レオリア氏は再び私の対面に収まった。
「……、(甘くておいしそう…………。)」
「あ、どうぞお構いなく。私は手を付けないモノなので」
「! で、では……」
……もしゃり、さくさく、と。
コーヒーの香りが立つ室内に、そんな音が参加した。
「(おいしい……。)」
「(おいしそうにたべるなぁ……)。あー、えっとそれで、先ほどの私の『予感』をひとまず前提として聞いていただいた上で、ここからが本題なのですが」
「あ、はい。なんでしょうか」
「当国においてはまだ、先ほど挙げたような襲撃事件は発生しておりません。おりませんのですが、……なんというか、そういう問題が起きるのに都合が良い筈の『条件』はそろっていましてね。例の、『悪神神殿』なのですが……」
「……、……」
その尻切れた言葉には、しかしまだ続きがあるような気がして、私は敢えて沈黙を返す。
別にクッキーに心奪われてたからとかじゃない。
「そちらも軍人さんならお判りでしょうが、現在この国は大まかな三つ巴の状態にあります。先ほど確認した『北の魔王』と『サクラダカイ』と、そして『我が領』です。残念なことに共和国首都はここに上がってこないんですけれどね、それはひとまず置いておいて」
「……。(外様的には素直に笑っていいジョークなのか微妙すぎる。……クッキーおいしい)」
「この三つ巴が、それぞれ北、南西、南東を拠点にしていて、……そして、その中心点にあるのが『悪神神殿』です」
……なるほど。
「『悪神神殿』自体は現在非常に安定しています。周囲への被害も確認されていません。ただし、それでも近寄るのには悪性すぎる。ゆえに、ある意味ではこれが、三勢力が平静を保つ緩衝材として機能しているんです。――ここが崩れれば、お分かりでしょう?」
「……国内全土を巻き込んだ紛争、ですね?」
「そう」
至極軽い口調で、当たり前の相槌をするように彼女はそう私に返す。
「……と、ここまでがストラトス領の背景です。私自身、この『悪い予感』の正体が掴めていませんから、『悪神神殿』への懸念にしても、そもそもこの『悪い予感』にしても、どちらもあっさりと杞憂に終わるって可能性は十分あります。――今回あなたに頼みたいのは、この『予感』の是非を問う調査、というわけです」
「……、分かりました。お受けしましょう」
聞けば聞くほど厄介な案件だが、そもここにおいて私に拒否権など最初からない。
私の即答に、レオリア氏は鷹揚に頷いた。
「では、これ以降は調査内容以下の仔細を詰めるとしましょうか。こまごまとした話ですが、今しばらくのお付き合いをお願いします」
「ええ、無論。よろしくお願いいたします」
「では、……それにあたって」
「? はい?」
「まずはお客人に、歓迎の品のお渡しをさせてもらっても?」
「……?」
/break..
ということで連れてこられたのは、この支部の地下牢獄であった。
「(えーなに? こわい……)」
暗い螺旋階段は最低限の魔力性光源で照らされていて、石と冷気の無機質ばかりが沈殿している。
……階下からは時折、鎖の鳴るような音と、人の呻く声が聞こえた。
「早速の案内がこんな場所で申し訳ない。さっきからうめき声とか聞こえてますけど、一応ここは留置所扱いですから、基本的に収容者を虐めたりとかはしてませんのでご安心を」
「あ、はぁい……。(何を安心すればいいの?)」
螺旋階段が終わり、
「……、(うぅ……)」
狭く暗い地下空間の静寂が、私を包み込む。
レオリア氏の持つカンテラが辺りを照らすと、
「おつかれさまです」
「はっ!」
まずは看守の男と、彼の待つ小さなスペース、そしてその奥の、どこまでも続く石の回廊が浮かび上がった。
次いで、……光に反応したらしい収容者数人が、暗闇の奥ずっと向こうから鉄格子を叩いて「歓待の拍手」を打ち鳴らす……。
「……うるせえぞこの豚のケツどもォ!」
「(びっくり!)」
……看守がそれを怒声で納めて、
「失礼」
それからこちらに向き直り敬礼をする。
「お疲れ様でございますストラトス殿。と、そちらは?」
「公国騎士のエイリィン・トーラスライトです。(こいつこわい、いちばんこわい……)」
そう返すと彼は、私の方にも敬礼を向けた。
と、そのような「簡単なあいさつ」で以って、
「君、とりあえず今ので、用件は分かったと思います。ので早速、案内をお願いできますか?」
「はっ、了解いたしました」
「……?」
レオリア氏は、何やら本題に入ったらしい。
看守が彼女からカンテラを受け取って、牢獄に続く鉄格子の施錠を解いた。
「こっち、いくんですか……?」
鎖鳴る暗闇の回廊を視線で刺して、私は思わずそう言うが、
「いえ、こっち」
しかしレオリア氏は、回廊の右手側へ曲がった。
……暗がりで確認が出来なかったが、どうやらそこに通路があるらしい。
レオリア氏の背中を追うと、その通路の先に見えたのは階上へと続く昇り階段であった。
私は、――それに、
「……(おっとー?)」
一つ『心当たり』を思い出しながらも、黙ってレオリア氏の背中を追った。
「もう少しなんでね、辛抱しててくださいね」
「あ、ええ。……お構いなく」
短い階段を経て階上に昇ると、先ほどまでの怜悧な空気感は、やや緩和された印象となる。
というか、ぱっと見では騎士堂支部内の通路とも大差のない感じだ。
調度品と窓こそないが、それなりの清潔感が確保されている。
「……、」
……この地下牢の造りは、概ね、公国で見たそれとも近いようなイメージがある。
とすればここ「地下牢施設」内には、収容スペースだけではなく、恐らくは聴取用スペースやその他の「収容者とコミュニケーションを取るような場所」もあるはずだ。
「……、……」
なんてことを想像しながら、通された先は……、
「ではトーラスライト殿、こちらは聴取室となっております。中にいるのは……」
「歓迎のプレゼントです。さ、どぞどぞ」
看守の言葉をレオリア氏が遮る。
それで以って私は『心当たり』への確信を深めつつも、努めて冷静に、その扉を潜った。
果たして――、
「あ! エイル! エイルじゃないか俺だよ鹿住ハルだよ! なあエイル信じてくれ! 俺はやってないんだ!」
「…………………………。(ごみを見る目)」
と、いうことで、
私は無事、バスコ共和国ストラトス領内留置場にて、
その、いらねープレゼントこと私の監視対象異邦者、鹿住ハルとの、三週間ぶりの再会を果たしたのであった。
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