(03)



「しかし君、バンさんだっけぇ?」


「うぅん?」


「全くアンタ、友達甲斐のない奴だよぅ。待たせてる友達ってのはどうなったんだぅ」


「仕事中!(爆笑)」


「最低だ!(爆笑)」



 ……みたいな感じで泥酔した僕らであるが、さてと、


 ジビエのグリルのほかにも幾つか皿をオーダーして、その底に残った肉汁までをパンで拭って空にしたところで、


 彼が、一つ呂律の回らぬ口で言った。



「よぅ、おぃ」


「んだこらぁ……?」


「店変えんぞぉ」


「のったぁ……っ!」



 ということで、


 ――未だ真昼間の往来に、野獣が二匹解き放たれるのであった。







 ……時刻は、おおよそ昼食とオヤツの時間の中間頃であろうか。


 僕と彼は、ようやく人通りの兆しを見せ始めたその街道にて、

 先ほどのジビエの店で買ったボトルエールを片手に、千鳥足で幅を利かせていた。


「うぉぉ、酔ったぁ!」


「しってりゅ、くふふ」



 どっちがどっちのセリフかも不明である。

 とりあえずどっちも泥酔で、まるで十年来の友のように肩を組んで歩く我々を、まっとうな人々は避けて通る。


 ……ただしながら、僕らを見た人々が、より熱いまなざしで露店に注目し始めたのは錯覚ではなかろう。

 やはりというべきか、平日の真昼間にする泥酔というのは、人類普遍の堕落に違いあるまい。

 もっと回れ、経済よ回れ。僕らのおかげでこの国は潤うのだぁ!



「よう、貴様よぅ」


「なんだこりゃ、お前はあれかぁ、バンちゃんだなぁ?」


「そうだよぉwww。いや違みゅ、違みゅんだぁ……」


「なにゅが違うみゅ? 君はバンさんではないのかぁ……?」


「ぼかぁバンだよ、それ以上でも以下でもねぇ!」


「解決wwwww」


「たしかにwwwww。じゃねえよおぃ、きみねえ、さっき言ったぁ! お店変えるんでしゅう?」


「しゅうだね、お店かえりゅよぅ?」


「ずっと歩りゅいてりゅwww、ぼくらじゅっと歩いてりゅだけwww。どこいくのぅwww」


「ばっきゃろう風の行くままよぅ!wwwwww」



 ということで我々は風になる。春のうららかな風になる。春のうららかな風になってみると、不思議と足取りは滞りをなくす。



「あっちだぁ!」


「こっちかぁ?」


「そっちじゃないぃ!」


「じゃあどっちwwww」



 みたいな感じで、はてさて、


 僕が連れてこられたのは、

 ――何やら奥まった場所に扉を据えた、一軒のバーであった。






 /break..






「(緊張)」


 ……をしている僕をよそ目に、

 彼はやたらと鷹揚気な態度でチェアに腰掛けている。


 ――そこは、こじんまりとしつつも気品のある設えのバーであった。

 外の往来は今しがた昼間の最中であるはずが、ここは妙に夜の気配がある。


 まず目に映るのは、一面の暗転に落ちた深い赤の床と壁、そしてソファーのクッションの深紅色だ。ずらりと並ぶ酒棚は、淡い逆さの水色照明に照らしあげられている。それから、どこかから漏れ出したような鈍い明り、黄金色の「光の影」を、調度品の黄金色が更に反射していた。


 客は、……ここからは一人見えた。なんとなく知ってる後姿のような気がしたけれどたぶん酒で頭が馬鹿になっているせいだろう。あとその彼が蜘蛛と話しているように見えたのもたぶん幻覚だ。だってマジだったらヤバいもん。



「(おぉ、酔ってる……。こんなラグジュアリー空間に酔いどれ入っちゃっていいのかなぁ……ッ!)」



 ――まるでそこは、「五感を休めるためにある」ような場所であった。


 BGMはマスターのグラスを拭う音にさえ負けるほどささやかで、僕はそれに、耳を手放したような思いになる。


 次いで、柔らかな毛布のような不可思議な感覚に僕は触感を手放し、そして、いつの間にやら目頭の凝りが一通り融解していることに気付く。

 嗅覚は空虚で、味覚はきっと、いずれ満足するのであろう。

 どれをとっても、



 ――ぶっちゃけ言うとすげえチャージが高そう。



「(ねえ! 知ってる店なの!?)」


「(いいや?)」


「(じゃあなんでそんな我が物顔なんだ! 一見様お断りだ断ったらどうする殺されちゃうよ!)」



 たはは、と彼は謎に笑う。

 僕はそれが、非常に癪に障る。絶対こいつ「バー来れる俺かっけえ」ってだけだ絶対。


 しかし、



「どうも、マスター」



 彼はなおも、そんな適当な調子でマスターを呼んだ。



「ギムレットお願い。まだ早いとは言わせないぜ?(ドヤ)」


「(こいつマジで何言ってんの?)」



 他方、


 ――言いませんとも、とマスターは答えて、

 そして、それからマスターは僕に、――そちら様は? とも、



「……、……(萎縮)」


「……なに? バー初めて?」



「……なんだよ初めてだよ、悪いかこら?」


「じゃあマスター、おすすめ一つお願いします」



 ――かしこまりました、とマスターが言う。


 ……え? まって、何出てくんの? 時価とか言われても僕払えないかもしれないよ?



「……(戦々恐々)」



 という僕を置き去りに、マスターがなにやら「しゃこしゃこ」やり始める。

 かっこいいなあ、と僕がそれに目を奪われていると、隣の彼も似たような様子であった、



 そして、

 ――こちら、ギムレットです。と、



「――――。」



 そう言って彼に出された逆三角形のグラスに、寸分たがわぬ表面張力分までの液体が注がれた。



「(おー、すごい)」



 それは、……白と透明が同時に介在するような液体だった。それが、マスターの注ぐ挙動に合わせて、とろり、とろりと滴り落ちる。


 粘度があるのか、と思ったが違う。あれは、アルコールの強い液体が半ば固体化するほどによく冷やされているのだ。それが、鼻孔を通る華やかな柑橘の香りでよくわかる。


 その香りは、冷たくて、なのに角が取れていて、そして、苦いような甘いような、不思議に複雑な香りをしていた。


 それから、



「お、お前のも来たな」



 ――ええ、とマスターが答えると、



「待った。俺それ当てますよ。匂いだけでカクテル当てる。言わないでくらさい」


「……僕はどうしたらいいの? バーの作法的には遠慮なく飲んでいいの?」



 そんな僕の問いにマスターは鷹揚に頷く。それで以って僕も、マスターから差し出されたソレを改めて見聞した。


 まずは、



「……、……」



 ――赤い。


 ルビーのように深く赤い。

 それが「背の高いコップグラス」みたいなのに入っていて、グラスの縁にはオレンジスライスが添えてある。


 ただし、そんなものをどれだけ見聞したところで僕にカクテルのレシピなのが分かるわけもなく、



「……いただきます」



 早速、それを貰う。


 ――と、次元が違うような清涼感が僕を貫いた。



「    」



 そう、

 これは、その通り次元が違った。


 柑橘の香りを幾つ乗せたとか、炭酸をどれだけ強くして冷やしたとか、そう言う話じゃない。

 爽快感とは逆の概念であるはずの「しっかりした甘み」とか「しっかりした苦み」とか、それら全てが「爽快感」に変わっている。僕を貫く風となる。



「……。」



 ――気に入っていただけましたか? とマスターが言う。



「あの、……はいっ」


「カンパリと、オレンジジューズ? 匂い的にはそんな感じですよね?」



 と、彼がマスターに聞くと、……どうやらそこに、「オレンジリキュール」なるモノが加わっているらしい返答があった。

 ぶっちゃけ僕的にはカンパリがもう分からない。オレンジジュースしか分からない。なんだよオレンジジュースおいしいだろ文句でもあんのか?



「カンパリオレンジ? っかー、そのまんまの名前だ! え? なに? ガリバルディって呼び名もあるって? ……いやでも、俺当てましたよねレシピ、当てたやったぜ!」


「(馬鹿っ、はしゃぐんじゃない! やめろよ相手はマスターだぞ! 殺されたらどうする!)」


「……いや、お前バーのことなんだと思ってんの?」



 ……まあ「かっこつけマナー」のハードルは確かに他所よか高いわな? と彼は続けて、



「冷めたならほら、その分飲もうぜ? マスター、俺がさ、このギムレットの次におすすめ

 ってオーダーしたらさ、……ちなみに、何を出してくださる予定です?」



 マスターはその問いに、


 ――当然、私のおすすめを。と答えた後に、



「……『俺にふさわしい名前のカクテルがある』って? なんだ、もしかしてそれ、緑色? え? まじ? ……まあ俺世界中一通り歩いちゃうからなー参ったなー (ドヤドヤ)」


「……、……」



 というやり取りがあって、

 ……僕はそれに妙に腹が立って、



「……。」



 ……次はもっとカッコつけようと思いながら、手元のルビー色を嚥下した。



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