(02)
彼の言う王宮直通の大通りまでは、確かにそれなりに歩くことになった。
その内に僕たちは、多少程度だが敬語も砕けて、少しだけフランクなやり取りを行うようになる。
「……、……」
件の大通りは、整然と石畳が敷かれ、品のいい小立ちの建築物が軒を連ねている。
どれを見ても高すぎる建物はなく、また通りの横幅も十分以上に取られていて、空が広い。
人のいない風景でも絵になる出来栄えの見事な街路であるが、これなら確かに、王宮を目指す騎士の凱旋なぞが映えそうに見える。
また、未だ人の少ない往来ではあるが、所かしこには露天商などが散見され、その軒先にはなにやら休日仕様らしい内容の陳列物が確認できた。
「目聡いもんだなぁ。やっぱりこんな突発的な休日には、どこの店でも酒を出すのか」
彼が言う。
「見事な通りですね。活気のあるのを見てみたかった」
「あと数時間もすれば見れるんじゃないかな? 平日どころか祝日連休の
「……人に酔いそう」
そりゃ同感だ。と彼が言う。
それで一つ、僕は思い立ったように言う。
「そうだ」
「うん?」
「良かったら、今回のお礼に食事を奢りましょう。歩いているうちにお昼になってしまいましたし、今のうちに済ませておかないと店に入るのも大変そうじゃないですか?」
言うと、彼は、
「なるほど、……ただ」
――奢りは結構、
と、言葉を返す。
「なんです? 遠慮なんてなさらずに」
「いやね、せっかくだからほら」
「?」
「ほら、休みムードにこんな晴れ日和でしょう? ただのお冷じゃあ味気ない」
「……なるほど?」
/break…
春の日和は強い。
或いはいっそ、この日差しには夏の気風さえ感じる。
もうしばらくすれば、きっと、この国は途端に暑さを増していく。
……と、そんな予感に先んじたように、
「……ふう」
露店のひさしの下に逃れると、日陰に溜まる冷涼感が、さらりと頬を冷やし流れた。
「……とりあえず、エールかな、俺は」
「じゃあ僕もそれを」
「うん? 人に会うんじゃないの?」
「泥酔するつもりはないですって」
「……というか、あの、合法?」
「…………あー。いや、幼くみられるんですけど、僕れっきと成人してますから」
ということでオーダーを完遂。
僕たちはそのまま、背もたれに「ふう」と崩れて景色を眺める。
ちなみに、見繕った店は先の大通りの一角である。
休日どころか、露店の設えは半ば祭日のそれであって、探そうと思えばいくらでも「その場で飲める店」が見つけられた。
そんな中でこの店を選んだのは、何も難しいことはない、
肉を焼くにおいが一際目立っていたためであった。
はてさて、
「……はい、お待たせさん。エールと羊の骨付きグリル、二人分ね」
――ソレが来る。
「ぅぉぉおお……っ!」
それは、……果たしてどちらの口から洩れたものであったか。
春の日陰の最中にあってなおはち切れんばかりに金色をたたえた肉の表面色が、その匂いが、僕たちの脳髄から言葉を攫っていった。
「……、ごくり」
フォークで肉を押せば、きっと肉汁が弾けるのだろう。なにせ今まさにさえ、焦げ付く直前まで一気に火入れされた表面からはとくとくと肉汁が零れている。
それを見逃しているのはあまりにももったいない行為であって、ゆえに僕はフォークとナイフを手に取ることさえ厭うしく思えてしまって、
そしてそのまま、
――骨を持って齧り付くっ。
「! っ!!」
前歯の間際で、
――ばちんっと弾ける。
奥歯で噛む度ぶちんと跳ねる。ざらつく肉の繊維全てが、黄金色のうまみでコーティングされ、どろりと分厚いうまみを喉に落とす。香りで鼻を射抜いて抜ける。
それは、――渇望だ。
砂漠で求める一杯の水のように、泡立つエールが黄金色に見える。いや待てエールはハナッから黄金色だ、何でもいい、もう待てない、飲んじゃえ全部!
「――ぅくっ! ぅくッ!! ……っぶは!」
もう一度言おう。
それは、――砂漠で求める立った一杯の水のようであった。
たった一杯、それしかない水だ。それを全て一息に嚥下する。そうすれば、こうなる。
「――――。」
分厚いジビエのうまみに脳がとろけている。それを、冷涼な炭酸が一気に流す。そうすればこうなる。――こんな風に、胸中に光色の風が奔るのだ。
胸がすく、というのはこんな思いなのだろう。濃厚すぎる幸福が、ヒトの脳では演算し切れないほどの分厚さで以って思考を封殺する。蹂躙され、草いきれ一つも残されず、そうして最後にあるのは恍惚だけだ。ただただ、ヒトが思考を手放す。
そこに、……風が一つ吹く。春の暖かなにおいを混ぜ込んだ風が、僕の身体の輪郭をぼかす。
日陰にいて、しかし僕の身体は、柔らかな日差しに茹で上げられたように柔らかくなる。
ああ――、
「――(絶頂)」
「……なんだあんた、泥酔はしないんじゃねえの?」
「知るか、知らないね。アダムに会うのは明日でいいや」
「だはは、なんだそりゃ」
「そっちだってほら、もうグラスが空じゃん」
「俺は良いんだよ。今日は休みだからな。――ああそうだ、忘れてた」
「うん?」
ほら、と彼がグラスを持ち上げる。
そうして軽く、縁をこちらに向けて、……それでようやく僕は、彼の言いたいことが理解できた。
「……そうだった。こりゃあれだ、お酒の神様に怒られちゃうな」
「寛容でしょうよ。お酒の神様ってんだったら、同じくらい無礼講の神様なんじゃねえの?」
それは、どうにも難解なロジックではあったが、
「――確かに」
と、本能で以って僕は答えて、
そして、
「「乾杯」」
こちん、と、
春の日和のように静かな快音が、一つ鳴った。
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