5-2



 奔るごとに、風の匂いが土に混じった。


 あの男、レブ・ブルガリオとの距離が開くたび、私の心の恐慌が氷解していく。

冷え切っていた身体が熱を思い出し、鼻や、耳や、肌に触る風の感触が克明さを取り戻す。


 この先には、どうやら開けた場所があるらしい。あの男の言う通りなら、そこはつまりあの狂信者どもの坩堝であるはずだが、……だけど、どれだけ耳を澄ませても人の気配は掴めない。



「……、……」



 進むごとに、その「開けた場所」のが分かる。ただし、やはり出口と言うわけではないようだ。匂いには、空白地帯に土埃が沈殿したようなニュアンスがある。


恐らく、空間としてはそれなりに広大なはずだ。『熾天の杜』のごく一部程度であれば問題なく格納できそうなスペースがありそうだ。

 そして、


 私は、「そこ」へ辿り着く。



「……、」



 確かに広く、――そしてその場所はであった。


 人の営みの痕跡も、あの狂信者どもの武装の用意もない。あるのは土と岩くれと、高い天蓋から降る細い光と、それに照らされる苔むしくらいのものだ。どうやら、風の匂いは天蓋の隙間から降りたものらしい。

 それから、



「……。」



 おそらくここには、がない。


 風を感じる限り、この空間にある出入り孔は私が先ほど通ってきた一つだけだ。



「(……追い詰められたのは間違いない。)」



 ここが、『熾天の杜』拠点であった可能性。


それを補強する要素は二つだ。一つはあの正体不明の人物、レブがいたこと。そしてもう一つが、この空間が、


 翻って、ここが拠点であると断じるには、ここには「何もなさすぎる」。



「(一番妥当な推理は、普通に引き上げたって可能性だけど。まだ爆竜が首都に乗り込んでもいない状況で引き上げる? タイムテーブルは向こうの手中だった。の襲撃を予想するなら、引き上げるよりも応戦した方が確実だろうに……)」



 考えられる可能性としては……、


 拠点に、私個人にすら接触させられないほどに「脆いもの、或いは秘匿されたもの」があったのか。もしくは「私やエイルのような偶発的な存在」の襲撃を予期していたのか、といったところか。

 ただし、


 そんなものは、考えていても仕方がない。なにせ――、



「行き止まりだなぁ? 残念(笑)」



 この袋小路に、私は遂にあの男に追い込まれてしまったのだから。






/break..






 私を見ても、男の所作は揺るがない。

 男、レブ・ブルガリオは、あくまでゆったりと、



「――



 そう呟く。


 何かのスキルを使ったらしい。彼の通ってきた孔が、それで



「……、……」



 恐らくは幻覚、認識阻害の系統だろう。まるで手品のように、そこにあったはずの孔が音もなく壁となった。

 ただし、



「(……視覚の阻害だけじゃないな。。理屈は分からないけど、ようなふざけたスキルの可能性もあるのか?)」


「よう、よく逃げてくれたもんだなオイ? おかげさんで俺すげえ歩いたぜ?」


「……、……」



 恐慌を催すスキルの発動は、今はまだ感じない。恐らくは機が悪いと考えているのだろう。練度の低い威圧系スキルは、効果対象の精神状態によって不発となることも多い。


 ……それで言えば、先ほどの私などは特にクリティカルをというべきだろう。

腹に風穴を開けられ、喪失感と激痛と混乱で思考はぐちゃぐちゃだった。



「(冷静な思考を保ったまま、アイツの無力化を狙うべきだ。外の様子は分からないけれど、『熾天の杜』はきっとまだ暴威を振るっているはずだ)」

 


私が任されたのは、『熾天の杜』の攻略だ。

ハルの仮説、……黒幕の無力化、或いは黒幕に「活動停止」の命令を送らせることで、狂信者どもは恐らく「ゴーレムのように」動きを止めるというアイディア。

これに賭ける他ない現状で、――最も黒幕の可能性が予想されるこの男をここで逃がすわけにも、或いは私が逃げるわけにもいかない。


 私は、冷静に男を見分する。


 ――まず、分かりやすい武装は確認できない。本当に徒手空拳などと言うこともないだろうゆえ、恐らくは暗器の類か。

それに先ほどの幻覚スキルは驚異的だ。場合によっては、あのスキルので以って装備を透明化しているという展開もあり得る。


 或いは、そう、……そもそもここは敵の胎内だ。


 ――足元にどんな罠が仕込まれているかだって、分かったものではあるまい。



「(……出方を見る。見えない暗器だろうが潜伏させた魔法陣の起動だろうが、どれもあの男が振るうものである以上、兆しは必ずあの男に出る。――)」



 挑発が必要だ。それで以って向こうの『一手』のタイミングを操作する。いつ来るのかも知れない相手の攻撃のを、に格下げする。


 とはいえ、――無論ながら、口頭での挑発などは在り得ない手だ。短刀を投げるというのも挑発としては弱い。

 ゆえに、



「――起動」



 と私は小さく呟く。

それについては、レブは片眉を上げる程度の反応を返して、しかし、



???」


「……、……」



 使うスキルはステータスの看破だ。……といっても、正確に言えばその効果はただの一端でしかないが、ステータス看破性能これ一つにしたって基本的にはレベル不足による開示不能などは無い。


戦いの場において、互いのステータスがどれだけ暴露されているかは趨勢を決めかねないファクターであり、彼も恐らくは「手札の開示」を阻止するために行動を起こす。


 ――というのが、私の行動予測であった。

 それに対して彼、レブ・ブルガリオは、





 





「――――。」


「……。行くぞコラ、もういいもう死ねテメエ」



 レブが、

 ――奔る。



「ッ!!」



 

その光は弧を描き拡大していく。――魔方陣だ。私のスキルによって「目」がその本質を見抜く。

行動鈍化の範囲魔法。これを受けたものは名前通りに「鈍化を起こす」。攻撃魔法を選べなかったのは恐らく、洞窟の崩落などを恐れたためだろう。



「(……逆に言えば、火の魔法を使われて密室内ここの酸素を使い切られてアウト、なんて展開は相手の方も危険視してるわけね。なら本当に、殴り合いで決着をつけるつもりか。武器は、どこから出てくる?)」



 そう考えながら、私は接近するレブとの距離を飛び退いて確保する。それで以って魔方陣の効果範囲内からも離脱。



「(――別の魔方陣!?)」



 正確にはその兆し、「圧」だ。暴威の予感が私のうなじを灼熱で炙る。


 男から目線を切るのは上手い手ではないが、それで魔方陣の効果を一身に受けるのでは本末転倒である。私は、どうしようもなく後方に視線を切って……、



「(!?)」



 魔方陣の「本質」には、そうあった。

無機物召喚と、の記述詠唱が確認できる。



「(マズいッ!!)」



 一も二もなく横方向に飛び退く。視線はそのまま魔方陣の方へ。そうして私は、土の壁に浮いた小規模魔方陣が吐き出す『ソレの切っ先』を確認する。


 ソレは、……細身の剣だった。或いは、刀と呼ばれる類のものか。反りがあり、幅が薄く、そして


 。振れば自重で折れてしまいそうなほどに巫山戯た長さの刀。それが、――射出される。



「……、……」



 刀が飛ぶのを、私は見る。


 魔方陣が武器を吐き出していた時間は、翻ってもみればほんの一瞬だった。私が後方の悪意に気付くのに遅れていたとすれば、この悪手は致命的だっただろう。


……そんな怖気が私を刀の射出に釘付けにさせて、そしてようやく、「別の光景」に気付く。



 ――レブが、いない。



「    」



 射出された刀の軌道上で、……、と音がして、

そしていつのまにやら、その長大な刀も跡形もなく消失していた。




「(――!!!)」




 

 私は即座に「目」を起動する。空気を掴み、風を掴み、レブの姿を全力で探す。

 風が、


 ――



「ッ!!?」



 短刀を剣線軌道上に置く。即座に、破壊的な剣戟音と圧倒的重量の手応えが返る。受けた手首がいやな音を上げる。



「ぐぃ、っう!!」


「すげえ、受けたよ。達人なの?(笑)」



 声の方向に向き直り、しかし。ダメ押しに私は、きょろきょろと周囲を見回すフリをする。


……やはり、彼の行うのは間違いなく幻惑系のスキルだ。が、それを敢えてレブに教える必要などは無い。



「――――。」



 彼の接近を待つ。

 ……無防備に近づき、刀を振るのを待って、その虚をつく。あれだけ長大な刀だ、切るにせよ突くにせよそれなりの予備動作が必要になる。そこでレブの懐に這入れば、あの刀の領域レンジがそのままアイツの足枷に――、



「――!?」



 視界の端で起こる彼の暴挙に私は思わずそちらを「目視」してしまう。

彼がしたのは、単純な投擲である。ただし、



「ふうん? やっぱ見えてんじゃん?」


「くそったれ!」



 レブが構える。ゆらりと陽炎が揺れるように、長大な刀をまっすぐに上へ。

不可解なほどスローモーションに見えるその動きはしかし、私の回避行動が始まる前に「完結」して、





「――――ッ!!」





 斬撃が墜ちる。


目算では到底届かなかったはずのその一撃が、彼の不可視の足運びにて私の脳天に殺到する。



「(こいつッ、!?)」



 あの足運びには覚えがある。刀を使う国の移動技法の類いだ。

しかしあれは元来、刀の振りやすさと重心移動の利便性を折半にしたような移動方法であって、などを出来るはずはない。私には彼が今、残像さえ引かずに瞬間移動をしたように見えた――。



「(マジでマズい! 右に避けても左に避けても次撃の横薙ぎで身体が上下真っ二つだ! でも、?)」



 思考が加速する。

 迫る死に血液が電撃のように四肢をめぐる。ゼロ以下となった思考速度が、幾度幾度と状況を計算し、答えを出す。


 右に避けたとしよう。

 レブは更に接近し、横薙ぎに私を両断する。


 左に避けたとしよう。

 レブは更に接近し、横薙ぎに私を両断する。


 では、後ろに下がったとしよう。

私は間違いなく、この一撃を避け切れずに頭を勝ち割られる……。





「ぁぁぁああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 ――




 大腿筋繊維が全て断ち切れるのだってかまわない。私の予測よりもう一歩だけ、私は彼から距離を取らなくてはならない。

右手の短剣を額の位置に掲げて、私は、自分が出せるよりも更に一段階上の全力で、後方に飛びぬけるッ!







「――馬鹿な選択だ」







 レブの、

声が聞こえる。



「    」



妙な言い回しだ、と、

私はふと思う。


彼はもっと、どうしようもなく下品なはずだ、と。


迫る剣劇に短剣を構えた私の右手首が、のが見える。

刀の切っ先が、私の瞼を裂くのみで顔スレスレを通り過ぎて、



――そして、






/break..






 俺は、馬上にて、

 爆竜の後姿を、ようやくこの目に収めた。



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