『英雄誕生前夜_/5』




 ――激痛に思考が軋む。

 不愉快な耳鳴りが脳髄を揺り動かす。



? ?」



 そう言って、レブ・ブルガリオがこちらに歩み寄る。

 私は――、



「(こんなところで……ッ!)」



 奥歯に仕込んだを噛み砕く。


 じわりと口内にぬめつく苦みが広がり、失血に冷え切っていた私の身体が一瞬で沸騰する。



「なんだ? おい?」


「ぃッ!!」



 悲鳴が未だ口端から漏れる。けれど、そんなものに拘泥している暇はない。

 私は涎を拭うことも出来ずに、とにかく男、レブから距離を取った。



「ははは、サルみたいに荒れてんじゃねえか(笑) どうした? 痛いの?」



 ――呼吸が荒い。喉が鳴るのを止められない。

 未だ思考にこびりついたままの痛みが視界を赤く染めている。



「……おいおい。傷治ってんじゃん? エリクサー的な?」



 正解だ、と私は思う、が。



「いや馬鹿な(笑)。雑魚冒険者にんなもん買えねえわな」



 レブは私の返答など待っていなかったというように、一人、そのように納得した。



「(なに、が、……起きた!?)」



 痛みが晴れるにつれて視界が収まっていく。オーバーヒートを起こしていた思考が沈静に向かう。そうしていくほど、……私は、先ほどの不可解な出来事にどうしようもなくパニックを起こす。



 ……背後を取ったはずだ。

 向こうが仮に気付いていても、それで、は不可能だ。絶対に。



「(――違う、! 私は自分で自分を刺した! 何が起きた!? どうしてこんなことが!?)」


「テメエな? なんで生きてんだって聞いてんだよ。……あー、いや。もしかして、俺が怪しいって気付いたからとかそんなとこ?」



 ……そう言えば、そっちから刺してきたもんな? とレブは言う。



「じゃあよ、質問を変えるぞテメエ。おーこら? なんで俺がヤベエって気付いたの?(笑)」


「(腕は動く。右手も、……右手? いや待って、左手は自由に動いていた。右手だけが勝手に私を刺した? 右手? ??)」



!!!」



 ――に身体がこわばる。思考が一気にゼロに立ち返って、


 



「(――!)」



 それが私の自我を取り戻した。すんでのところで私は、その一撃を避ける。

 彼のつま先が宙を舞い、そしてレブは、



「へへへ(笑)」



 と嗤った。



「ちょー外した。恥ずかしいぜ、なあ?」


「……、……」



「なあって?」


「…………、……」



! !」



 それは、どこまでも『抜身の怒り』だった。それが私の胃の腑を凍らせる。

 狭い空間で、ささやかなトーチだけが照らす狭い空間で、レブの、があまりにも不快だった。



「なにが、……したいのよ」


「うん? なぁに?(笑)」



「どうしてあなたは、そんな……」


「なんだって聞いてんだろおーコラ? もしゃもしゃ聞こえねえ声で喋りやがってなぁおい?」



 ゴミを見るような目だ、と私は率直に感じてしまった。


 さっきまであんなにも火照っていた身体が恐ろしく冷たい。

 四肢が冷えて、掴んだ土の冷たさで指が取れてしまいそうな気がした。



 ――



 どうしようもなく怖くて、それなのに私の背後には逃げ場がない。あるのは狂信者どもが入り口を塞いだ袋小路だけだ。



「やめ、やめてよ……っ! 大きい声出さないで!」


「ははは、おーおー? 絶対テメエのが声デカかっただろォがクソアマよォ!」


「――――。」



 喋れなくなる。


 思考が勝手に、……言葉を紡ぐ。



……っ」


「……、……」



! ! !?」




「……? ?(笑)」


「    」



 


 私は、喋り出す前から気付いていたはずだった。

 これはきっと相手の生命線だ。だから、もっと効果的な場所で言うべきだ、と。


 それでも私のどうしようもない本能が、今ここで少しでも優位にしがみつこうとして、手札を全てドブに捨てた――。



「ぁ、……ぅ」


「お終い?(笑) ねーえー、終わりかよぉ?」



「ッ!」



 短剣を構える。レブのトーチが、少し揺れる。それで私が、どうしようもなく土壁に写った影を見ると、


 ……レブが立っていて、私が跪いているように見えた。



「……、だ、っァアアアアああああああああああああッ!!」


「なんだよ? やめろようるせェな」



 立ち上がり、襲い掛かろうとすると、それでようやく私は、自分の腰が抜けてしまっていることに気付いた。

 限界ギリギリまで失血していた私は、同時に眩暈のような感覚も起こして、


 ……結局はもう一度、レブの前に首を垂れることしかできなかった。



「え?(笑) なに?(笑) ねえ待ってなにがしたいの?」


「うるさぃ……、うるさいうるさいぃ!」


「テメエだそりゃあよォ!!」



 蹴りが飛ぶのが見えた。刻印あれをもう一度食らうのだけは絶対にマズい。なのに手足がマトモに動かない。必死になって転がって避けると、髪の毛が泥でべちゃべちゃになる感触が後頭部に残った。



「だからよ? なにがしてーの?(笑)」


「…………っ」



 どうしようもなく、……このひとが怖い。


 私はそう感じている。服から露出した肌が全部冷たくなって、それを晒しているのがどうしようもなく恥ずかしくなる。額をこすりつけて頼み込んででも逃がしてほしい、と。そう感じている。



「(……これは、。恐慌を喚起するスキル。心を強く持たないとダメだっ!)」


?」



 また、蹴りが飛んできた。私はそれを転がって避ける。口の奥に苦い味が広がって、それをたまらず吐き出す。口端から垂れたのは、いっぱいの涎とほんの少しの泥だった。

 男はきっと、そんな私を楽しんで見下ろしていた。



「うわうっそ! 泣いてんの!(笑)」


「…、」



 挑発だ。聞く必要はない。


 それよりも、そうだ。今の「回避」で位置取りが少し良くなった。これならきっと、向こう、洞窟の奥に走って逃げられる……!



「ッ!!」


「逃げんの?」



 レブは、


 ……もしかしたら私を捕まえられたのかもしれない。


 だけどそうはせず、耳元で屈辱的な言葉を吐いて、腕を引く代わりに、それで私の逃走を見逃した。



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