第二章『英雄の国』

Prologue_-03



 ――とある宿舎の一階。


 朝日の食堂に、また一つ香ばしい匂いが登壇した。


 俺こと鹿住ハルと、そして彼女ことエイル、エイリィン・トーラスライトの囲む卓上には既に、まだ脂の燻るベーコンや、一目でパリパリとわかるトースト、そしてバターの芳醇な香りが席巻している。


 そこに店員さんことシアン・ムーンが運んできたのは、二人分の、品のいい柄のコーヒーカップであった。



「どうもー」


「いえー」



 俺の挨拶に、シアンはそうシンプルに答えて、



「あの私、まだ何も頼んでないんですけど……」



 しかし傍らのエイルが、微妙な表情でそう付け加えた。


「ええ。どうせウチは、朝はそれしか出してないんですよ。それとも、……要りませんでしたか?」


「……、……」


 言われて彼女の視線が、朝日に輝く白磁の食器の上をさまよう。

 そして、


「いえ、……いただきます」


「よかったですっ」


 言ってエイルは、まずは果実のジュースに手を付けた。







 ――昨晩、俺はこの街に襲い掛かる大型ネームドエネミーの蜘蛛『赤林檎』を討伐し、小金持ちになった。

 俺の「ちょっとした一計」も加えて、ひとまずは安泰といえるだけのカネが俺の懐に入っているのだが、今朝の彼女の来訪、……エイリィン・トーラスライトというお上代理の訪問は、であったらしいが、そこは先ほど終えたところである。


 さて、


 俺こと鹿住ハルは、異世界からの転移者だ。


 記憶と身体と向こうの服と、それから妙なスキルを三つほど得て俺はここにいる。そして今は彼女、エイルの監視のもと、ひとまず冒険者登録によって身分を得て、またその保証権利に見合う義務を果たすべく活動している。


 詳細は割愛するが、昨日はその「権利を得るための義務」を果たし、俺は晴れて「二級冒険者」となったところであった。


 はてさてと、晴れて自由の身となった俺こと鹿住ハルに、いまや強制執行力などないお上の人間が何の用か。 


 なんでも言うがいい。全て突っぱねてやろう。なにせ俺の首には、もう首輪なって掛かってないんだからね!



「まずは、……『爆竜』討伐依頼の受諾・・、感謝をいたします」


「……、……」



 ……そう言えばそんな話をした覚えがある。


 なにせ昨日は、俺という英雄の誕生に街がひとしきりお祭り騒ぎであって、その惨憺たるや一晩で街の蔵酒が底をつくほどである。

 その中心にいた英雄こと俺の泥酔にしてもすさまじく、その『爆竜』何某がどんな手合いなのかも知らぬまま乗せられるままで依頼を受けた記憶がある。



「……、……」



 ああそうだ、違う。思い出した。

 俺が昨日手にした称号は、『英雄』ではなく『爆弾処理班』なのであった。


 ……おかしいなあって思う。俺は一応身体を張って災害級のモンスターを退けたのに、そもそも「班」どころか俺個人の武勇なのに。それでもこの称号は何やら採用されてしまったようで、俺のステータスにも書き加えられているらしい。


 ってことでさてと、閑話休題。


「俺はね、」


「……はい?」



「昨日は前後不覚だったんだ。心神喪失だ。責任能力なしと判断される身柄だよ」


「はあ?」



「――受注の撤回を要求する。俺はもう、働きたくないでござる」


「は?」



 手のひらを組み、そこに鼻をうずめてゲン〇ウのポーズ。言葉だけではなく態度で以ってシリアスさを演出していく作戦だ。


 どうだこの野郎。へべれけ相手に拇印押させるような真似しやがって、こっちは民事訴訟も視野に入れてんぞコラ。


 さて、彼女は、


「なるほど……、では依頼の解消でよろしいですか?」


「えっ? うっそ出来るの!?」



「ええ、その代わりキャンセル料として、依頼達成報酬の一割を戴きます。ほどになりますね」


「……、……」



 ちなみに俺の総資産が、昨日の『赤林檎』の懸賞金と大規模クエストの報酬も合わせてである。


「おっ! 横暴だ! 弁護士を呼ぶぞ! 民事訴訟だ刑事訴追だ貴様の首をくくってやるぞ!?」


「はっはっは吠えなさいよ。こっちは国ですよ? それでもよければ、三権分立の俎上で戦ってみますか?」


「ぐ、ぐぬぬ」


 三権分立してんのかこの世界。っていうか三権分立してるのに政治屋の言うことを法律屋が聞いていいのか。汚職ど真ん中なんじゃねえのか。


「払いますかよ7000万、それとも大人しく、私の言うことを聞きますか? これは個人的な意見ですがね、あなたはどうせ死にません。ならばあとは腰の重さの問題ですね? どっちがよりめんどくさいか考えた方がご自身のためでは?」


「ちくしょう……、これだから政治家は婚期を逃すんだぁ」


「ばっ? 馬鹿野郎が貴様! 政治家なんて一番モテるに決まってんでしょうが! 政略結婚に家督の拍付けに逆玉モテモテ引く手も数多だよ怖いこと言うな!」


 一番怖いのはどこをどう見ても愛がないことだと思う。

 まあ、それは良いとしよう。


「……一応反発はしておいたけどな。受けるつもりだよ、別に」


「あれ? 私が一応で喧嘩売っていい相手じゃないって気付いてない??? え、待って。私のこの胸の勲章の数ちゃんと数えられてる?」


「胸なんてないじゃん」


「素っ首切り落としてくれようじゃねえか!」


 閑話休題。


「いいよ無いもんの話はさ、……それよりほら、依頼のこと聞かせてくれよ」


「無いもんの話なんかしてない! 私のおっぱいは今もちゃんとここにある!」


「机上の空論の話はいいんだって」


「誰がシュレディンガーの猫だよ研究者に観測されなくたって猫ちゃんは生きてるしおっぱいはあるんだぁ!」


 ……一応この世界にもシュレディンガーの猫の話あるんだなあ。


 ちなみにアレ、実物観測主義かがく台頭時代に生まれたアンチテーゼ的な考察実験であって、実際には殺された猫なんていなかったりする。いやそれはいいんだ。閑話休題なんだってば。


「それで? そもそも俺な、その『爆竜』ってのからよくわかんねえんだよ」


「『爆竜パシヴェト』です。パシヴェトが個体名で、爆竜の方は、『赤林檎』みたいな通り名ですね」


 さて、


 ようやく落ち着いたと見えるエイルが、居直って説明をし始めた。


 ちょうどいいので、俺はそれを、朝食のアテにすることにする。まずはトーストにベーコンを乗せて頬張りながら、聞く態勢に入っておく。


 ぱりっ、といい音が響いた。


「こほん。――『爆竜パシヴェト』。そもそもこの世界には、魔物の脅威度に合わせてランク付けが、種族ごとになされています」


「ああ、ランク付けって言うと、『赤林檎』が一級だってみたいな?」


「いえ、少し違います。『赤林檎』の一等級はギルド冒険者の等級に合わせてつけられたものです。一級の冒険者であれば、対処可能だろう、と。……魔物の種別に付された等級は、三から一ではなくアルファベットで定義されます」


「アルファベット、ねえ」


 ちなみにだが、無論ながらこの世界になどは無い。


 俺の持つスキルの中には、「言語を自動翻訳する」というものがあるのだが、その際に翻訳上では、「類語表現」が散見されるようなのである。

 例えばこの世界にある「肉汁とタマネギのソース」はグレービーソースと訳されるし、「実在観測主義へのアンチテーゼとして挙げられる思考実験」などは、先ほどのようにシュレディンガーの猫と訳される。多分ではあるが、「実在観測主義への反論」こそこの世界にあっても、それが「シュレディンガーさんが猫を例えに出して行ったもの」と考えるのが妥当だ。……という具合に。


 あとこれは完全な蛇足なんだけど、多分例の「爆弾処理班」っていうのもそう言った経緯で生まれた誤訳であると思われる。いや関係ないんだけどね。


「……それで、そのアルファベットの等級ってのは? 具体的には?」


「ええ、等級は、『F』の無害から、『E』、非戦闘員個人でも対処可能、に続きます。『D』、『C』、『B』が、概ね冒険者への個人依頼で対処されるものと考えていただけますね。そこから更に、『A』、『S』、『H』と続きます」


「……、なるほど?」


「『A』等級は、定義で言えば『一等級冒険者、或いは一個団による戦術的戦闘により撃破可能』と表現されますね。実際に対処する場合は、冒険者複数に向けた大規模クエストや、賞金首のような形で依頼を発注します」


「へえ。……しかしそれで言うと、『S』と『H』はアルファベット通りの並びじゃないね?」


「ええ、その通りです」


 そこで彼女は、一度果実のジュースに口をつける。


 そして他方の俺は、彼女の口上がいったん落ち着いたことで、そこを機にいったん思考を整理することにした。


 察するに、『S』にせよ『H』にせよ、というのは、『A』以下の等級からは一線を画すということだろう。


 ならば……、



「じゃあ『S』は、Superスーパーの略称?」


「察しがいいですね」


 スーパー。つまり『存在』である。既存のアルファベット等級では測れない存在ということか。


 いやしかし、本当にこの世界のネーミングは率直である。いや、案外これも言語理解の粗なのかもしれないが。



「じゃああれか、『H』はHyperハイパーの略?」



「はいぱー? いえ、『H』は、『High‐Existence』の略称ですよ」


「……そ、そうなの?」


 え? 何待って、High‐Existenceじょういそんざいってちょっとカッコよすぎない? 急になんでお洒落になったの?


「上位存在、つまりは既存生態系の上位に当たると考える他にない手合いです。『S』は『一級冒険者複数、或いは一国の総力で以って当たるべき脅威』とされ、『H』は『特級冒険者、或いは全人類で以って対処すべき』とされる相手ですね」


「……うわあ、全人類って来たか。ちなみにその『H』ってさ? 例えばどんなのがいたの?」


「――意思を持つ津波の『巣』。とかですかね」


「…………なにそれ、津波意思持ったらダメでしょ」



 怖すぎる。マジで世界規模の天災じゃねえのそれ。逆にどうやってその特級冒険者さんって勝つつもりでいるんでしょうか?



「安心してください。今回の相手、『爆竜プシヴェト』は、定義で言えば『H』には当たりません」


「……、いや、おい?」



「『S』がいいところですね。ラクショーでしょ」


「何がだよっ。一国の総力で以って当たるべき脅威とか聞いたことないんだけどっ? スケールデカすぎてさっ? 逆に想像できないよね、一国の総力って!」



 一国が総力を結集したら、さてと何が出来るだろう。


 平和の国日本に生まれ落ちた俺としては、ライフラインの整備とかしか想像できない。居心地よくなっちゃうよ。いい場所だなーってなって爆竜居ついちゃうんじゃないの?



「いやいや、落ち着いてくださいよ。今回は確かに『S』相手ですけどね、一国の総力を当てるにはまだ時期尚早です」


「……、……」



 それはつまり、


 ……一国の総力を以って当たるという言い回しだった。


 なるほど?





 そして彼女は、こう続けた。



「――あなた以外の異邦人に、会っておくべきだとは思いませんか?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る