第55話 この子と話していると昔のことを思い出すんだ

「それにしてもよくもまぁ、今までバレないで済んだね。誰かに相談する相手とかいなかったの?」


「は、はい。僕はその………友達いないので」


いつのまにリオン君もレンガ壁にもたれかかっていた。


「え、いないの。意外」


「同年代の子で孤児は僕だけなのです。あとは………貴族が多くて」


「ああ」


そりゃ、不憫だ。貴族の中で孤児が一人なんて、大変そう。


「姉さんのために何かしようとも思ってもどうすればいいのかわからなくて」


「へぇ」


いつのまにか私、リオン君の弱音を聞く係になってない?

リオン君を困らせてやろうと思っていたのに、なんでだろう。


「ミフユ様もおかしいと思いますか?」


「何が?」


「神殿に務めているにも関わらず、瘴気に侵された人たちを差別する神官のほうが多いなんて」


「さぁね」


弱音の次は愚痴?

面倒くさいけどまぁ、一時間の暇つぶしくらいにはなるか。


「おかしいはずなのに………ほとんどの人間は口に出さないんです」


「………へぇ」


「その差別する側の大半は貴族出身なんです」


「………ふぅん」


「差別するのはおかしいってもっと言うべきなのに………怖くて」


「………へぇ」


「僕みたいな子供の神官見習いは少ないんです。子供が変にでしゃばるようなことは、少し違うんじゃないかと思うし」


「………」


「子供だから、何もできないとわかってはいても、悩まずにはいられなくて」


「………ああ?」


見習いだから何もできないんじゃなく、子供だから何もできないと言ったのか。

何もしていないくせに、できないと決めつけているのか。


………なんか、なんとなく、むかつくな。


なんかイライラする。でも、いつものイライラとはちょっと違うな。

あ~、そうか。この子と話していると昔のことを思い出すんだ。


だからいつものイライラとは違うんだ。


私は手に持っていたスマホをポケットに入れた。


「………ねぇ、リオン君。人が人を助ける理由って何だと思う?」


私の唐突の脈絡のない質問にリオン君はきょとんとする。


「え?えっと………人が人を助けるのに理由はないと思います」


「うんうん、さすがリオン君。優等生の回答だ。じゃあ、今度はさっきとは違う質問。人が人を助けない理由って何だと思う?」


「………え?」


さっきとは似ているようで、まったく違う意味合いの質問。

そして、答えを出しにくい質問。


私はそれをわかってて言っている。


「えっと………それは………」


リオン君は言葉を詰まらせる。


予想通りの反応だ。

優等生のリオン君はこんな質問の答えなんて一切持ち合わせていなかったろうから。


「教えてあげるよ。人が人を助けないのはね、面倒くさいからだよ」


壁にもたれながら、視線はずっと灰色の雲に向けたまま。

だから、リオン君の表情がわからない。


「まぁ、大概の人間はある程度の優しさは持っていると思うよ。落とし物を拾ってあげる優しさとか、道を尋ねられた時教えてあげる優しさとかね。そういう、気力も労力も一切削らない優しさは誰にでも持ってる。でも、そこに命が関わったら?」


助けを必要としている人間にお金や体力、気力、時間が大量に必要だと知ったら?

大概は差し伸べていた手をどうにか引っ込めようとする。


「人は日常を崩されたくないんだよ。朝起きて朝食食べて………学校又は勤め先に行って、勉強や仕事をそこでこなして………家に帰って、ご飯食べて寝る。このルーティンを守るためなら、助けない罪悪感なんて簡単に蓋することができる。自分に関係ない人間だったら尚更ね」


わかりやすい例を挙げてみる。

必ずと言っていいほどテレビでは連日「死」に関してのニュースが出る。

事故死、他殺、自殺など………。


中には聞くに堪えない凄惨な事件もある。大抵の日本人はそんなニュースを見てこう思うだろう。

『可哀想』『ひどい』『犯人許せない』『理不尽』

事件を起こした加害者を怒り、被害者には憐れむの感情を向ける。

これが普通。これが正常な人間の感性。


そして、そんな凄惨な事件への感傷にいちいち引きずろうと思わないのも人間の感性でもある。加害者への怒りも、被害者への同情も結局は一時的なものに過ぎない。

大抵次の日になったら、被害者の顔や名前すらも思い出さなくなる。

そんな感性になってしまう理由なんて容易に想像できる。

自分には関係ないから、暗い感情に煩われたくないから、そして考えるのが面倒くさくなるから。


自分にとって遠い世界の話だから簡単に忘れられる。


一時の感傷で満足するだけで行動を一切起こさない。特に日本人は。

まさに自分に責任が降りかからない優しさをある程度持つ日本人らしい感性だ。

だから、DⅤや虐待が例年減らないんだろう。


「あ、誤解しないでね。別に私は人間のそういう心理に呆れとか失望とかは感じてるわけじゃないから。私だって別にそれらへんに一切、関心なんてもってない。むしろ、私は助けない罪悪感なんて露ほども感じないし」


大抵の人間が他人の不幸に思い煩いたくないと無意識に考えているのと同じように、私もいちいちそんなものに気を取られたくない。何の足しにもならないぼんやりとした罪悪感に浸るくらいなら、SNSに何の写真をアップするか考える方がよっぽど有意義だ。


「結局のところそんなもんなんだよ、人間は」


私は………いや、私と夏芽はそれを身を持って知っている。


「ごめんね、見習い神官君にはちょっと答えづらい意地悪な質問だったね」


昔のことをちょっぴり思い出したせいかな。

ちょっとセンチメンタルな中二病っぽい質問しちゃった。


「………あの、ミフユ様は―」


「え、何?」


ずっと無言だったリオン君が急に話し出したため、思わず私は視線を上空からリオン君に向けた。リオン君は壁にもたれたまま、上空を見上げている。私の言葉に沈んでいるわけでも気まずそうにしているわけでもなく、ただ灰色の空から視線を外そうとしなかった。


「ミフユ様は僕のこと、嫌い………ですよね」


「いきなりだね。まぁ、私も変な質問したんだけど………なんで、そう思うの?」


「その………なんとなくです。あまり、よく思われてないのかなって」


「別に嫌いじゃないよ。好きじゃないだけで」


「それ、嫌いって言うんじゃないんですか」


「私ね、基本的に夏芽以外の人間はぶっちゃけ、どうでもいいんだよね。ひまつぶしの観察対象として思えなくて。君のこと含め」


「………」


リオン君、可愛いし見ていて面白かったら、私にとってはいい観察対象だった。人として好きも嫌いもなかった。


「それがいつのまにか見ていて、イラっとするようになったんだよね。なんでだろう。やっぱり昔のこと思い出すからかな」


この感情は好きとか嫌いとかの陳腐な言葉では片付けられないと思う。

そんな簡単に片づけられて堪るか。


「昔?」


「私と夏芽………幼少期は君以上に散々な目に遭ってたんだよね、毎日を」


「ミフユ様」


「何?」


ふいに名前を呼ばれて、リオン君のほうに顔を向ける。

リオン君はずっと上空に向けていた視線を今は私のほうに向けていた。私はじっと私から逸らそうと知らない若葉のような萌黄色の瞳に一瞬、見入ってしまっていた。


「ミフユ様とナツメ様のこと、教えてください」


「何、いきなり」


「ずっとナツメ様とミフユ様は、遠い存在のように感じていました。悩みも苦しみも僕たちとは違うものだって勝手に思っていました。でも今は………」


リオン君は一歩私に近づく。その足取りにいつもの仰々しさは一切、感じられなかった。


「お二人のことが知りたいです」


「………まさか、私らのことを知りたいなんてね。そんな目で見られることも、そんな感情を向けられることも今までなかったよ」


私らに向けられるものなんてそれも似たようなものだった。

嫌悪、侮蔑、無関心、尊敬、好奇心、高圧的、偽善。もうすでに見慣れた視線の色だ。


でも、リオン君の瞳には私らが普段向けられている見慣れたものが一切、なかった。

慣れない視線にちょっと戸惑う自分がいる。


リオン君に向けられている視線は私にとっては毒だ。

ムズムズとした妙な気分にさせられるなんて、毒でしかない。


「ま、いっか。一時間の時間つぶしくらいにはなるね。どうせ君にはもう会うことはないんだし」


その毒に当てられた、ということにする。

私はいまだに灰色のままの空を見上げながら、ぽつぽつと語り始めた。


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