第53話「始める」
「………聖女様」
お、泣くと思ったけど泣かなかったか。
薄暗くても、リオン君のお姉さんが居住まいを正そうとしているのがわかる。ベッドを少し、軋ませながらリオン君のお姉さんは姿勢を正す。
「弟から聞いています。手違いで召喚された聖女様だと」
「うん、その聖女ね。そして今日還る聖女ね」
「………こんな格好のまま、申し訳ありません」
「いいっていいって。動けないし動かないってこと、リオン君から聞いてるから」
私がおどけていった後、しばしの沈黙が部屋の中を満たす。その沈黙を破ったのは、リオン君のお姉さんの息を乗せた声だった。
「………………あの、私は」
おそるおそるといった申し訳なさそうな声。これ、断るな。
うん、想定内。
あ~マジで――。
「面倒くさい」
あれ、心の声出ちゃった?
………いや、これは夏芽の声だ。そう呟いた後、夏芽は盛大な舌打ちを鳴らした。
私の心の声とタイミングばっちりだったから、私が無意識に口から出ちゃったのかと勘違いしちゃった。
まぁ、いいや。さっさと済ませよう。済ませると言っても私は何もしないんだけど。
「お姉さん、今からその黒いの治すからじっとしててね」
「せ、聖女様。私は―」
「………………うぜー。そしてマジうるさい」
心底面倒くさそうな夏芽はお姉さんの胸倉を強く掴み、引き寄せる。
「きゃっ!?」
「ね、姉さん!」
「はい、リオン君。ストップね」
夏芽を慌てて止めようとするリオン君を私は軽く止める。
「………」
おいおいおい、なんで無言なの。
あ~、はいはい。この無言は私が説明しろってことか。
私は一回咳払いする。
「えっとね、夏芽はこう言いたいの。『私はあんたを浄化する。これはもう決定事項。そんなに浄化されるのが嫌なら、私らを殴り飛ばすかして這ってでも逃げろ。あんたが今から言う御託に付き合う気なんてない。ていうか、もう面倒くさい。今からやる。さっさとやる。さっさとやって戻る』………あ、ついでに言うと私も同じこと考えてるから」
だいたいは合ってるはず。そうだよね?夏芽。
夏芽は返事の代わりに大きく舌打ちすると、胸倉を掴んだままビシッとリオン君を指差した。
「弟を見ろ、だって」
私がそう言った後、夏芽はバッとお姉さんの胸倉を放す。お姉さんは夏芽に促されてリオン君のほうに顔を向けた。すでに目が慣れてきていた。薄暗さの中でもリオン君の表情がわかる。
リオン君はお姉さんに向けて不安と寂しさが入り混じった表情でお姉さんをしていた。
「姉さん」
声がすごく震えている。
「姉さん、僕を一人にしないで」
リオン君は右手で目元を拭った。
私はそれを見てほっとした。目の前で声を震わせているのはいい子ちゃんでも模範的な神官見習でもない、普通の十歳の男の子だったから。
お姉さんはリオン君に向けて手を伸ばすが、すぐにハッとした様子で手を引っ込めた。
「リオン………ごめんね。寂しい思いをさせて。私、甘えてたわ」
お姉さんはぎゅっと両手を組むと、意を決したかのように夏芽のほうに顔を向けた。
「聖女様、私―」
「始める」
夏芽はお姉さんの言葉を苛立たし気に遮った。
「あ~、くっそうるせぇ」
夏芽は右手の掌でトントンと自分の頭を軽くたたく。
「ねぇ、夏芽。その耳元で鳴ってる声、前と同じ?それとも違う?大きい?小さい?」
私が能天気に聞くと、ギロリとこちらを睨みつけてきた。
オイルランタンのゆらゆらとした淡い光が夏芽を照らす。私は夏芽のくっきりとした眉間のシワを視界に捉えた。きっと、この家に入った時から眉間にシワを寄せてたんだろうな。
「ごめんごめん。終わるまで黙るから」
この部屋に入った時からずっと、夏芽の耳の奥から『声』が聞こえていたらしい。
王宮にモンスターが現れた時と同じ、浄化に必要な癒しの歌詞が。
あの時と今とで、分かりやすく異なるところが一つある。それは、私にはあの歌が聞こえていないということだ。
私は副神官長の言葉を思い出す。
“神託によると、瘴気に満ちていた大地に降り立った双子の女神が歌の力によって世界に平和をもたらしたと伝えられています。歌声で人や大地を癒し、モンスターも、世に蔓延っていた瘴気も浄化されたと聞かされています”
“はい、大地を侵している瘴気は姉が、人を侵している瘴気は妹が、浄化の役割を担っていますが、モンスターは双子が一緒になって歌わないと浄化はできません”
つまり、人間担当である夏芽にしか癒しの歌詞が聞こえないということだ。もし、近い場所に瘴気に侵された大地か、瘴気のモンスターがいれば私の耳にも癒し歌詞が流れていただろう。
何にしても、ご愁傷様。最後の最後で、歌を歌うなんて私だったらマジごめんだわ。
夏芽だって、まさかまた歌を歌うなんて思って無かったろうな。
絶対、あのモンスターで最後と思っていたはず。
もう一度言うわ。ご愁傷様。
私は邪魔にならないように軽く一歩下がった。
夏芽は舌打ちを打つと、息を大きく吸い吐いた。
あ、歌う。おっとと、忘れるところだった。動画動画。薄暗いからうまく撮れないと思うけど、目の前に面白い被写体があるというのにそれを見逃して撮らないなんて選択肢は私にはない。
それに今回メインで撮りたいには『夏芽の歌う姿』じゃなく『夏芽の歌声』だった。
聖女の歌声ってどんな感じなのかな。私の歌声と違うのかな。やっぱり私と同じように聞き慣れた声とは違う『音』のように聞こえるのかな。モンスターを浄化したときは、自分が歌うのに夢中で正直夏芽の歌声にはあまり意識を向けることができなかった。だから、今回は思う存分夏芽の歌声に聞き入りたい。
音声録画じゃ、やっぱり味気ない。薄暗くても夏芽の姿と一緒に録画したい。
私は夏芽にスマホを向ける。
夏芽は口を開き、歌いだした。
「~~~♪~~♪~~~~」
ほへー。
聞き慣れていた夏芽の声なのに、初めて聞く『音』のように聞こえる。
この感想は自分で、歌った時にも思っていたことだった。でも自分で歌うのと、こうやって客観的な聞き側に回るのとではやっぱり違って聞こえるな。
面白い?感動?どちらも違うな。
なんだろう。上手く言えないな。
………リラックス?
あ、これがうまく当てはまるかも。
たぶんこれが合ってる。聞き入れば聞き入るほどリラックスする歌と歌詞だ。こんな風に思えるのは聖女の特別な力が身に宿っているせいだとわかってはいても、普段の夏芽を知っている私にとってはやっぱり物珍しく感じさせる。
まさか、夏芽がこんなリラックスできる歌を歌うなんてね。
私はカメラを夏芽に向けたままで視線をリオン君とお姉さんに向けた。
リオン君もお姉さんも私と同じように感じているみたい。
顔を見ただけでわかる。夏芽の歌を心地よく聞き入っている。
お姉ちゃん、嬉しいよ。夏芽が人を癒す現場を目の当たりにするなんて、一生ないだろうと思っていたから。しかも歌で。
ああ、思わず涙ぐんじゃう。おっとと、泣いてる場合じゃない。ちゃんと、カメラを回さないと。
あ、そうだ。肝心の瘴気に侵されたお姉さんの身体はどうなってる?
私はカメラをお姉さんに向ける。
「おお、すっご」
私はカメラ越しでなく、直にその光景に見入った。
体中の皮膚にあったグロい変色部分はみるみるうちに消えていった。
まるで、魔法みたいだ………ってこれ魔法なんだっけ。
さっきまで爛れている左半分の顔の皮膚が今では普通の肌色だ。
体中すべての爛れた皮膚を浄化したと判断した夏芽は歌うのをやめた。
同時に私も撮影をやめる。
「姉さん!」
リオン君は必死な形相でお姉さんの左手を握った。一瞬、お姉さんはビクッと身体を強張らせたが、それはほんの一瞬だった。
「………リオン」
お姉さんは穏やかな声音と眼差しをリオン君に向け、握られた左手をゆっくりと右手で上に添える。そして、二人は嬉しそうに笑った。本当に似てる姉弟だ。笑った顔がそっくり。
お姉さんはリオン君を安心させるようにふわりと微笑むと、ふっと眠るように意識を失った。
「姉さん!」
「緊張の糸が切れたんだろうね。寝かせてあげなって」
私はお姉さんの顔の覗き込みながら言った。
「あの、あの、本当にありがとうございます!」
「いやいや、私はまったく何にもしてないから。お礼は夏芽に言って―」
バタン!
ん?何だ今のバタンとした何かが倒れる音は。
私は音がした方向にゆっくりと顔を向けた。
「って夏芽、なんで倒れてるの!?」
さきほどのバタンとした音は夏芽が倒れる音だった。さすがの私もギョッとする。
急いで倒れた夏芽の体を軽く揺さぶった。
「ちょ、ちょっと夏芽―」
「すぅ………すぅ………」
「………え、寝てんの?」
夏芽は寝息を立てて、ぐっすり眠っている。
なんだよ、驚かせないでよ。ていうか、なんでこのタイミングでいきなり寝るの。
別に今、深夜ってわけでもないのに。
………そういえば夏芽、昨日あんまり眠れていなかったんだっけ。私もだけど。
よくよく考えれば、かなり珍しいんだよね。夏芽が眠っては起きて、眠っては起きてを繰り返すなんて。どんなに周囲が騒がしくても十二時過ぎれば、必ずと言っていいほど沈むように眠り、夢の中に入るから。
私が思っている以上に、帰還できるという事実に興奮してたのかな。むしろ、私以上に嬉しがっていたのかも。その昨日の分の眠気が今になってやってきたってこと?薄暗さのこの部屋がその眠気を助長させちゃったってこと?子供かっての。
あ~もう、マジびっくりしたわ。死んだかと思って、一瞬心臓止まったっての。
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