第46話さようなら、不便で娯楽のない世界

昨日は斜めの上すぎる展開に感情が追い付けず、その場に似つかわしいリアクションが取れなかった。だって、あまりにも呆気なさすぎるから。

殴って記憶喪失にした大司教が、すっ転んた拍子に記憶が戻ったなんて、ご都合主義すぎる。結末が三流ギャグ漫画のオチみたい。正直、ドッキリなんじゃないかとも思う自分もいた。


そう思ってしまうほど、帰還に対しての実感が持てなかった。

でも、王宮に戻り、ベッドで寝ては起きて、寝ては起きてという、時間を持て余し続けていると、徐々に帰還への現実味を感じてきていた。


何より、一番私自身に実感を持たせてくれたものは廊下で従者やメイド達が立てている足音だった。忙しなく足音が鳴っているということは、帰還の準備が着実に進められるということ。だからなのか、鬱陶しいとは感じつつも、むかっ腹はそれほど立たない。


むかっ腹の代わりに別の感情が沸き上がってきていた。

それは『嬉しい』『やったぁ』『ラッキー』というものだ。今の私は完全に浮かれっぱなし状態だ。


まさか、こうもトントン拍子に行くなんてね。

今、貴族たちが帰還についてつどって協議している最中らしいが、たぶん大丈夫だろう。帰還に反対という意見も出ているらしいが、大半は賛成派が多いらしい。何より私らを終始怖がっていた国王が後押ししている。それに王宮内では『やっと還ってもらえる』『せいせいする』という空気が流れている。むしろ、しらけた意見を出す反対派のほうが糾弾されているだろう。

この空気で帰還を中止させるなんて、絶対にありえない。


私はバタバタバタと動かしていた足を止める。


隣りでうつ伏せ状態の夏芽はいつのまにか足を動かすのをやめていた。ピクリとも動かず、顔を腕で隠すようにしていても、これは起きていると私にはわかる。


「ねぇ夏芽、私たち還れるんだよね」


私がそういうと、夏芽は体勢は変えずに両足をバタバタバタと四回ほど動かした。


「今日、還れるんだよね」


今度は十回ほど動かした。さっきよりも力強い。


「もう無駄に脂っこい料理は食べなくて済む。地獄のような退屈時間ともおさらばできる」


バタバタバタバタバタ。

今度はバタ足の如く、高速で両足を動かす。


おお、喜んでいる喜んでいる。

気持ちわかるよ、夏芽。


一昨日も同じようにベッドをカタカタカタ、と動かしていたね。

いや、同じじゃないか。一昨日は貧乏ゆすりでベッドを動かしていたっけ。

あの時は私も夏芽もかなりイライラして、揺らしたベッドがその苛立ちを助長させていた。

そして、その後一触即発の事態になりかけた。私はくすりと口元だけで笑った。今となっては十分笑いの種になる話だ。だって、私たちは還れるんだから。このベッドで飛び跳ねてもいいくらい私も夏芽も興奮している。


お久しぶり、文明の利器のネット社会。さようなら、不便で娯楽のない世界。

やっと最も嫌いな圏外とおさらばできる。


たしか帰還は召喚時と同じ場所で同じ時刻でやるんだっけ。

大司教が言うには私らを召喚したときは深夜十時。


私はちらりと掛け時計を見る。

現在十時三十分


「十時までまだまだ時間ある。ねぇ、夏芽それまでどうする?」


私は知らぬ間にベッドでのバタ足をやめた夏芽に話しかけた。


「って、いつのまに」


ちらりと横目で見ると、夏芽はうつ伏せのまま入れ物に入ったマヨネーズをスプーンで掬って無言で舐めていた。よっぽどリオン君が作った手作りマヨネーズが気に入ったんだろうね。

しょっちゅう舐めていたから。


夏芽はマヨネーズを掬ったスプーンを口から放さず、じっと容器の中を見入っていた。

その顔はどこか残念そうだ。


「なくなった」


そういって、夏芽は空になった入れ物を私に見せた。

マジですっからかんだ。綺麗に舐めたね。


「あ~あ、しょっちゅう舐めるから。まぁ、仕方ないんじゃない。その容器入れの形から察するに、多くは入っていなかったと思うから」


帰還する半日くらい前に舐め切るなんて、考えようによってはナイスなタイミングかも。

夏芽は名残惜しそうにスプーンで、空になった容器の底をコンコンコンと何度も叩き、繰り返す。


「あと半日で還れるらしいけど、我慢できる?」


「………………」


「できないか」


夏芽にしてみれば、それほどナイスなタイミングでもなかったみたい。

半日「も」マヨネーズを我慢しなくてはいけないから。


「気持ちはわかるけど、すんなり還るためにちょっぴり我慢して。暴れるなら、還ってからでも―」


「マヨネーズ」


夏芽は私の言葉を遮ると、ストンとベッドから下りた。


「マヨネーズを探す」


「え?探す?」


夏芽は入れ物を軽く左右に振った。


「作らせる」


「ああ、もしかしてリオン君のこと?」


マヨネーズを探すって、まだリオンの名前を憶えていなかったの?

まぁ、仕方ないか。夏芽ってよっぽどのことがないかぎり、他人の名前は覚えたがらないからね。


「作らせるって今から?」


「作らせる」


私は再び、掛け時計を見る。


「まぁ、できなくはないか」


マヨネーズのレシピは煮たり焼いたり炒めたりするような手順は一切ないから、今日中には出来上がるだろうね。結局のところマヨネーズのレシピって材料を混ぜるだけだから。

まぁ、その混ぜるだけの作業も私らはできないんだけどさ。


さっそくと言わんばかりに夏芽は部屋から出ていこうとする。


「待って、夏芽」


私は夏芽を呼び止めた。


「私も行く。でもその前に何か食べない?朝から何も食べてないからさ」


その時だった。


ぐうう。


夏芽のお腹が鳴った。おお、なんて絶妙なタイミングなんだ。

漫画みたい。


「なんだ、夏芽だってお腹空いてるじゃん」


「………………」


私がそういうと夏芽は回れ右してベッドに戻ってきた。


「食べる」


「うん、じゃあメイドさんに頼もっか」


マヨネーズを作らせるためにリオン君を探す。

帰還までの暇つぶしとしてはちょうどいいかも。


まぁ、何より作ってって頼めば作ってくれるだろうね。

リオン君はそういうタイプの男の子だから。

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