第16話やっちゃった

ほっぺたにピタピタと何かが当たっている感触がする。


「ん?」


当てられた方向に目を向けて見ると、その何かの正体は私のスマホだった。


「壊れてない」


夏芽が私のスマホを頬っぺたに当てていたみたい。


「え」


その一言で完全に我に返った。


私は夏芽からスマホを右手で受け取り、親指でホームボタンを押した。


よかった。嫌な音がしたから画面が割れたかと思った。どうやら、どこもひびが入っていないみたい。それにちゃんと電源も入る。

写真も消えていない。データの破損はしていないみたい。


マジでよかったぁ。

私、今決めた。還ったら絶対スマホの落下防止グッズを買う。


「………………そいつ」


夏芽が指をさす。


「死んだ?」


私は夏芽が指をさした方向を見た。


今、気づいた。

私は黄信号の胸倉を掴んだままだったんだ。


「ありゃりゃ、赤信号にさせちゃった」


やっちゃった。

黄信号の顔はボコボコのパンパンになっていた。顔中、蜂にさされたんじゃないかと思うほど全体的に腫れている。つぶれた鼻や欠けた歯が溜まった口からは血が止めどなく溢れてきていた。その口からがヒューヒュー、と掠れた蚊のような音が出ている。

虫の息とはこのことだろう。黄信号の髪にも大量の血が飛び散っている。つまり、黄信号が赤信号に変わったということだ。


「一応、息はしているから生きてるっぽいね………………痛っ」


右手に鈍い痛みが走り、思わず黄信号の胸倉を放す。


「あ~あ、赤くなっちゃってるし」


私の右手もリンゴのように赤くなってしまっていた。ヒリヒリして、痛い。


だめだなぁ、私のこういうところ。

頭に血が上ると夏芽以上に周りが見えなくなるんだよね。


2週間前の喧嘩だって、同じようなことがあったな。

撮影中、スマホをヤンキーに隙をつかれて、取り上げられた時もぷっつんしたんだった。

その時のヤンキー、マジで生死の境を彷徨ったって風の噂で聞いた。


私ってブチ切れると拳の威力が夏芽の3倍になるみたいなんだよね。

でも、それは仕方がないと言えなくもない。私の大事な大事なスマホを傷つけるなんて、殺してくださいって言っているようなものなんだから。


でも、さすがに少し感情にブレーキをかけるべきか。ブチ切れると決まって手がめちゃくちゃ痛くなってるんだよね。私、痛いの嫌いだし。


それに損をすることのほうが多い。実際、こうして黄信号を赤信号に変えてしまった。

もう、人間信号機を撮ることができない。あれほど、いい信号機を撮ろうって思っていたのに。

マジでかっかりだ。


「はぁ、自業自得なんだけど、がっかりするな。時間かけるだけかけて結局、自分でダメにしちゃったんだから………………あれ?そういえば赤信号と青信号は?」


「逃げた」


「えぇ、逃げちゃったの仲間置いて」


私は首を動かす。周囲を見ると、まばらに人が集まってきていた。

皆が皆、青い顔をして私達を見ている。


「私らも逃げたほうがよさそうだね。っと、その前に」


私はすでに虫の息になっている元黄信号のポケットを漁る。


「おっ、あったあったこれこれ」


お目当てのものを手にする。財布だ。

それも四つある。大方、私らに会う少し前に、誰かをカツアゲしていたんだろう。


私はその中の財布を一つ取り、数枚のお札を抜き取った。


「これは迷惑料ね」


なんちゃってね。

元々はこういうゴロツキから金を巻き上げ………借りるつもりだった。だって、私たちにはこの世界のお金なんてないから。


お金がないということは、目的のマヨネーズだって買えない。それに道中気づいた私は夏芽に「まずはお金を手に入れよう」と提案した。この世界にとって余所者の私たちが一番手っ取り早く手に入る方法と言えば、カツア………じゃなくて人から拝借することだった。


異世界にもタチの悪いゴロツキがいると思っていた。

だから、見かけたら適当に脅し………じゃなくて優しくお願いするつもりだった。


そして、予想は的中した。

こっちから絡む予定が向こうから絡まれるという予想外のことが起きちゃったけど、こうしてお金を手に入れることはできた。


何にしても、人として私らに対しての迷惑料を払うのは当然だと思う。

本当は全部抜き取ってやりたいところだけど、さすがに顔の治療費は残してもいいかなって思った。私って、なんて優しいんだろう。


「お腹空いちゃったね」


マヨネーズはこの国にないとわかったけど、このお金に使い道はある。


実は私たちはお昼はあんまり食べなかった。


王宮の料理だからか、昼食はかなり豪勢だった。もったいないと思いながらも、豪勢な料理はかなり食べ飽きているからできるだけ口の中には入れたくなかった。最近は香りが強くて脂が乗っている料理を目にするだけで、胃もたれを起こす。だから、最近はハウスキーパーの人たちに質素なものをお願いしていた。


「何か食べよっか………いや、無理かも」


まばらだった町民の数がいつのまにか増えている。

あ~あ、けっこうな人数に顔バレしちゃったっぽいな。

買い物なんて、もう無理か。じゃあ、お金抜き取っても意味なかったかも。


ま、いっか。記念だ記念。


もうそろそろ、兵士がここに到着する頃かな。その前にここを離れよう。

王宮の料理なんて、本当はあんまり食べたくないけど背に腹は代えられない。


「あ、忘れてた」


私はシオン君のところに足を運んだ。


「大丈夫?シオン君」


「え………あ………」


「あ~、大丈夫じゃないか」


シオン君はふるふると声と体を震わせて私を見上げている。

ものすっごい怯えっぷりだ。


「別に逃げてもよかったのに」


「………そ、そんな、逃げる………だなんて」


「真面目だねぇ。怖がらせて悪いと思うけど、お願いがあってさ。たぶん、もうすぐ兵とかが来るだろうから適当にごまかしてくれない?私らがこうやって騒ぎを起こしたって知られちゃうとちょっと面倒なことになるからさ」


「あ………あの………」


「お願いね………………あ、そうだそうだ」


私はスマホをリオン君に向けて、一枚撮った。


「うん、やっぱりリオン君、可愛いね」


私ってサドッ気あるのかも。

前に撮った呆けている写真より、今取った弱った子犬のように震えながら涙目になっている顔のほうが、そそられるものを感じる。


ありがとう、リオン君。可愛くていい写真が撮れた。


「ほら夏芽、いまのうちに」


その場を離れようとしたときだった。


グゥ~。


聞き慣れた音が夏芽から聞こえた。


「あらら、やっぱり夏芽もお腹空いた?」


「ちっ」


夏芽は舌打ちをすると、私が持っていたお札の中の一枚を奪い取り、シオン君に近づく。そして、シオン君の懐のポケットにぐいっと入れた。


「え?あ………あの………」


「買う」


戸惑うシオン君を後目に、夏芽はシオン君が抱えていたリンゴを二つ取った。

その一つを私に無言で渡す。


リンゴねぇ。

別に今の気分はリンゴの気分じゃないけど、お腹は軽く満たしてくれるか。


「じゃあね、シオン君。一応言っておくけど、そのお金は私らから君に対しての迷惑料も入っているから」


私は呆然とするシオン君に向けてにこっと笑いかけて、そそくさとその場を立ち去った。


「………………信号機と言えば………青信号ってなんで緑なのに「青」信号って言うんだっけ?」


なんか、あったな理由が。

まぁ、いっか。それは還ってからいつでも調べられるからね。

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