第23話 研鑽の魔術師(6)

 テーブルの上の料理が空になって水を飲み干した僕はようやっとアルシファードへ向き直る。同じ定食を食べ終えた彼女は口許を拭きおえたナフキンを置くと幾分柔らかい視線で僕を見る。


「さて。お腹も膨らんだしあなたのしてほしかった話をしようかしら」


「僕のしてほしかった話、ですか……?」


 頷いたアルシファードはくすりと笑って目を細める。


「私の旅の経験よ。あなた、宿で私に声を掛けたのはその話を聞きたかったからでしょう?」


「あ……それは、はい……」


相変わらずこちらの考えていることを見透かしたように言ってくる。なまじ当たっているだけに居心地が悪い。


「昨日話さなかったのは、あなたの視点が狭く固まってたからよ。なにも考えずに聞いたって、学べるものは少ないわ」


「それは、確かに……」


 素直に頷いた。多分昨日の夜に聞いたとしても、その話は聞いた言葉通りのものでしかなかったとおもう。今朝からのアルシファードとの付き合いを経て、言葉の裏や意図を汲み取るために神経が張りつめている感覚がある。加えてさっきの問答のおかげで様々なものの理由を考えようという視点がある。彼女がわざわざ僕を引っ張り回したのは多分、入念な準備だったのだと思えないこともない。いや、好意的に見れば、だけれど。


「で、旅の話だけど。私がダゴティハンの方から海沿いに回ってきたのは話したわね?旅をはじめたのは二年くらい前だけど、最初から一人旅だったからわりと失敗も多かったのよね」


「え、そうなんですか……?」


 意外そうな顔をした僕を見て眉間にシワを寄せた彼女は腕を組む。


「あら、私が失敗しない完璧超人かなにかだと思ってる?残念ながら普通の人間よ、失敗もするし完璧には程遠い。そもそも最初から答えにたどり着けるなら魔術とかやってないもの」


 つい首を傾げる。完璧超人でないのはわかるが、なぜ魔術の話が出てくるのか。僕の表情にアルシファードはすぐ気づいて、また話を進めた。


「ああ、あなた魔術師が普段なにしてるかとか知らないわね?まあ魔術に入門した人以外は基本的に知らないか……」


「まあ、はい。魔術使えないですし……王宮仕えとかして報酬をもらってるのかと……」


「そんなの一握りよ。ほとんどの魔術師は全然違って……って、脱線ねこれは。旅の話だったわ」


 すぐ話題を戻されてすこしもやもやはしたが、確かに脱線ではある。大人しく頷いて彼女の話を聞く。


「私の旅の失敗の話ね。一番大きかったのは、食料ね」


「食料、ですか」


 頷くと彼女は少し言葉に詰まって、僕から視線を外して続ける。


「そう。私の故郷は港町だったの、だから主食は魚が多くてね。加えて私の家はまあ、ちょっとお金持ちだったのよ。そんなだったから旅をしているときも食料品は町で買うか、ダメなら海で釣るかしたらいいだろうと思っていたわけ」


「なる、ほど……」


 それは、計画としてはうまく行きそうな気もするが。失敗の話である以上どこかダメだったのだろう。試しに考えてみて、彼女が話し出す前に聞いた。


「保存がうまくいかなかった、とか……?」


「ん、正解よ。魚とか腐敗の早いものが多かったのよね。保存食とか口にしてこなかったからわからなかったし。旅をするようになってから知った食料だったわ」


「ああ……」


 それは失敗もするだろうと納得する。と、同時に自分も同じことはしていただろうと納得してしまった。多分食料を選ぶときに彼女が先に用意してくれていなければ、自分の知っている食料ばかりを選んでいたはずだ。


「で、2つ目の町に行くときには保存食ばかりを買っていって、また失敗。確かに日持ちはしたけれど、味が良くないのよね。硬いし味も濃すぎるし……」


「ええ、と。それは仕方ないんじゃーー」


 そういった僕に彼女の冷たい目が突き刺さる。


「じゃあやってみる?ひと月保存食だけの食事。パッサパサの干物とか硬い肉とかだけを食べる生活。とっても、精神が鍛えられるわよ……?」


「え、遠慮しときます……」


 暗く重い声に気圧されて、今度は僕が視線をそらす番になった。ため息を吐いた彼女は続けた。


「で、旅で必要なものの一つに気づいたのよ。それがちょっとした娯楽。私の場合は食事の楽しみが一番効率的だからそれね。まだ旅に必死なあなたには見当たらないかもしれないけど、自分で用意できる楽しみは見つけておきなさい」


「旅の楽しみ、ですか……」


 実際言われてもすぐには思いつかない。まだ一度しか旅をしていない僕にそれに気づく余裕なんて全くなかったし、今言われなければしばらくは気づかなかっただろう。こうして話してみるとやっぱりアルシファードは、いやアルシファードさんは旅をしてきた先輩なのだと改めて思う。その点だけでもこの人は尊敬するに足りる人だと思い直す。


(にしても……)


 話を聞くうちにふと思ったことがあって、なんとなくそれを口にした。


「なんかアルシファードさんって、先生みたいですね」


 それを聞いたアルシファードさんは一瞬なにかを憂いた顔をして、一度目を閉じると笑みを浮かべる。


「そうね、あなたからしたらそんなふうに見えるかもね?色々知ってるもの」


「ええと……そう、ですね」


 どっちかといえば話し方とかのところだったのだがわざわざ言うこともないと曖昧に頷いた。


「さ、話は準備を進めてからにしましょうか。食べ終えていつまでもお店に居るのも悪いしね」


隣に置いていたローブを手に取った彼女は立ち上がるとそう言って店の出口に向かう。慌てて後を追った僕が店を出る寸前、店員に声を掛けられた。


「お会計、まだですよね?」


「あ……!」


 アルシファードさんに会計を押し付けられたのを気づいたのは彼女が見えなくなってからだった。

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