第17話 帰還(3)
「ただいま!」
学校から走って、僕は迷わず帰宅した。二階の自室に荷物を放り出すと、一階で夜の店支度をはじめている両親の手伝いに走る。不思議そうに僕の様子を見る両親はそれでも特に何かを聞いてくることもなく、いつもどおりに店の用意を進めた。開店時間はあっという間に来て、お店に人が入り始める。ここのお客さんはだいたい二種類で、大方は家の近所で働いていて仕事の帰りにうちに寄って飲んでいく人。顔なじみになるからすぐわかる。そしてもう一方はーー。
(来た……!)
顔なじみのお客さんたちにいつもと大差ないメニューを出していた僕の目に、入り口から入ってくる見慣れない姿の女性が見えた。
「ねえ、お店の子かしら。宿屋さんやってるって聞いてきたんだけれど……」
「はい、やってますよ!受付こちらです!」
予想通り、声を掛けられた。そう、僕が今会いたいのはこういう人。宿が必要な、旅の途中の人たちだ。宿屋と飲み屋が一緒になっているうちだからこそ集まるお客さん。今の僕にとっては、旅の先輩たちだ。
母に声を掛けて、僕に声を掛けてくれた女性の宿の受付をしてもらう。その間僕は彼女の様子を注意深く観察する。年の頃は二十代の後半くらいだろうか(きれいな女性はほんとうに年齢がわからないからあまり考えないことにする)。紺色のローブに腰に下げているいくつかの金属でできた不思議な導具、手荷物に大きいものはないけど小道具が多い。
(多分、魔術師だ)
魔術師には魔術用の導具が多く、何かと小物が増えると聞く。魔法を使ったときの魔力の余波から身を守るために季節関係なくローブなどの露出を抑えた格好をしている。
受付を済ませた彼女が部屋に向かおうとしたタイミングで声をかける。
「あの、もしかして旅の方、ですか?」
「ええ、そうよ。なあに、旅の話に興味があるのかしら?それともお姉さんに?」
ニッコリと笑いながら答える旅人の言葉に一瞬固まってしまう。
「い、いえ!旅の、話を聞きたくてーー!」
「ふふ、うぶねえ坊や?荷物を置いてからでいいかしら。お腹も空いているから食事をいただきながら話したいわ?」
「は、はい!もちろん!」
楽しそうに笑う彼女の唇が柔らかく持ち上がるのにどぎまぎしながら頷く。二階に上がる彼女を見送ると、テーブルに座っていた顔なじみの男性客がジョッキを持ち上げながら声を張り上げる。
「おいおいラング!お前もついに女をナンパ始める年になったか!いやあ、大きくなったなあ!」
「ちょ、違いますって!ていうかなんですかナンパ始める年って!」
騒がしい酒場で大声を返しながら空いたジョッキを受け取って下げる。昔話に花を咲かせはじめた酔っぱらいをよそに、僕は彼女に聞くべきことを頭の中でまとめはじめた。
僕が次の仕事までにやりたいことがこれだった。うちを使う旅人から旅の経験を教えてもらうこと。ヒルグラムさんとの旅を通して振り返ってみたときに、僕に足りていないのは下準備だったのだと痛感した。町の外に出たことのない僕が想像できた旅での難所は僅かなもので、実際に行ってみて初めてわかる問題が山のようにあった。だから今度はしっかりした準備をするために可能な限り情報を集めようと思ったのだ。それで思いついたのが、先輩の知恵を借りることだった。
しばらく酒場を駆け回っていると、二階から彼女が下りてきた。紺のローブは脱いで紫の軽装なドレス姿で現れた魔術師に、僕だけでなく酒場の誰もが注目しているのがわかった。そんな僕らの様子も慣れているのか、彼女は適当な席につくと僕へ手招きをする。
「待たせたかしら。色々脱ぐのにちょっとかかってしまって」
「い、いえぜんぜん……!あ、ご注文は?」
わざとらしくこちらの意識を向けさせる言葉選びに気を取られそうになるの誤魔化しながら答える。微笑みをたたえた彼女はいくつかの料理を注文すると僕を見て目を細める。
「さ、お料理が揃ったら話してあげる。急がないと席がなくなっちゃうから、頑張ってねえ……?」
その言葉に首を傾げた僕が、彼女の料理をもっていく頃には席の周りに人だかりができていた。さっきまでおとなしく席について飲んでいた顔なじみたちもこぞって彼女の席に詰めかけている。
「うわあ……」
色々と言葉にできない感情を言葉一つで吐き出して、人並みを押し分けて料理を運ぶ。結局、店が閉まるまで彼女の席が空くことはなかった。
*
「ま、またくるから〜……!」
未練たらしく叫びながら手を振る男が父に追い返されて、ようやっと酒場の扉が閉まる。静かになった店の中で、ゆったりとお酒を飲み干した旅人は空のグラスをテーブルに置いて立ち上がった。
「ごちそうさま、おいしかったわあ。それで、お話は部屋でいいかしら、ラングくん?」
「え、なんで僕の名前……」
片付けにかかろうとした僕に掛けられた言葉に疑問を返して。
「あら、知ってるわよ。だって私が今日ここに泊まっているのはあなたのせいだもの?」
先程までとは違う笑みの彼女言葉に、凍りついた。
「じゃ、じゃあもしかして、あなたが……」
「ええ。出発は早めにお願いね?旅の従者さん?」
そういった魔術師の右手には、見覚えある契約書が握られていた。
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