第15話 帰還(1)

 重い足を一歩踏み出して、僕は学校の一室、先生の部屋に入った。


「ラング、来ました……」


「来たか、座れ」


 先生の凛とした声が、重さを帯びて僕に響く。すごすごと先生の前に寄って、置かれた椅子に座る。組まれた先生の長い脚が視界に入るが、顔を見ることができない。


「……さて、ラング。色々言いたいことはあるがそれは後だ。まずはーー」


 しばしの沈黙の後先生が口を開く。体が強張って目を閉じる。


「よく帰った。おかえり」


「え……」


 聞こえてくるだろう怒号に備えていた僕に聞こえてきたのは、優しい先生の声だった。継いで軽い衝撃と頭を撫でられる感覚。


「お、怒らないんですか……?」


「何言ってる。お前みたいな子どもが、曲がりなりにも親元を離れて四日も旅をして五体満足で帰ってきたんだぞ?まずは褒めるところだ」


 ワシャワシャと頭を細い指がかき乱すのを感じながら顔が熱くなる。正直今回の旅の顛末は絶対怒られるだろうと思っていた。そこで褒められたりしたから一気に緊張が抜けてふわふわした感覚になる。


「色々と不備もあったが予定より二日も早く帰ってきたしな。結果だけ見れば上々だろう」


「そう、でしょうか……良かった……絶対怒られるだろうと……」


 力なく笑って先生の顔を見上げて。眼鏡の向こうに見える瞳を見据えて。


「ーーうん、怒られるようなことをした自覚はあったわけだな?結構」


 まるで笑っていないその目を見て、確信した。先生、めっちゃ怒ってる。


「あ、あの……」


「安心しろ、私は体罰は与えない主義だ、自分の手ではな。今日は授業も休みだし、しっかり聞こうじゃあないか、なあラング……?」


 頭を撫でていた手がガッチリと頭骨を掴むのを感じながら震える。そんなに簡単に許されているわけはなかった。自分の油断を大いに悔いながら、僕は今度こそ先生の怒号を浴びるのだった。





「で、だ。順番に聞いてやろうじゃないか、ラング。まずなんで渡した契約書が一瞬しか起動していなかったのか。この契約書が起動する条件のどこを失敗したのか、だ」


 ひとしきり怒られた僕を前にしながら先生は腕を組んで話す。まず今回の旅で怒られた最大のポイントがここだった。


「ええ、と……サインはもらってましたし、ペンも渡されたものを使っていましたけどーー」


「なるほど。では報酬は?」


「……別れ際にもらいました」


 視線をそらす。失敗の原因はわかっていた。契約書には報酬は前払いとしっかり書いてる。先生の魔導具が欠陥を起こしているとは思えないから、あるとすれば僕の失敗だった。


「馬鹿者。わざわざ前払いを明記してあるのは、契約締結を明確にするためと踏み倒し防止のためだ。契約書は相手とお前のサイン、目的地の決定と報酬の支払いで初めて有効になる。しっかり覚えておけ」


「はい、すいません……」


 小さくため息をついた先生は脚を組み直して椅子に背を預ける。


「まあしっかり説明していなかった私も悪いがな……。よし、お前に渡した契約書の機能を説明してやる」


 そう言って先生は魔導具である契約書の機能を説明してくれた。契約書には


①雇い主と僕の間に契約違反が起きた際、動きを止める強制停止機能

②僕が傷つけられそうになった際に僕を守る防衛機能

③旅をしている間、僕の位置を先生が確認できる監視追跡機能

④契約完了後に僕が街に転移できる帰還機能


がある、とのことだった。


「従者をすると言ってもお前は子どもで、私は先生だ。お前を守る義務があるからな、契約書はいわばお前を安全に旅させるための生命維持装置だ。だというのに……」


 先生はそこまで説明して拳を震わせる。

なるほど納得はできる。本来なら街から出るところから目的地まで、僕がどこにいるのか確認しながら危険な目にあったら守ってくれる魔導具を渡してあるのに、それが起動せず連絡も取れない状況で四日間を過ごしたのだ。心配にもなるだろう。


「お前のためだけに寝る間を惜しんで作った魔導具がろくに起動もされずに荷物になっていた私の気持ちがわかるか!?」


 違った。先生は自分の作ったものが無駄にされているのが我慢できないだけだった。割と昔からこういう人だ。


「ともかく、その契約書はそういうものだ、次はしっかり使えよ」


「は、はい。わかりました」


 先生が当たり前に口にした次、という言葉にどきりとした。そうだ、次が僕にはあるのだ。


「が、次の前にラング。今回の旅の感想を聞こうか。いや報告だな、どうやって旅をしてきたかーー」


 組んだ腕を解いて眼鏡を持ち上げる先生に、僕は頷くと彼との旅を語りはじめた。

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