第14話 誉れの騎士(終)
ゆったりとした歩速で、ヒルドラコを引いた僕は街道を進んでいた。ヒルグラムさんと隣町のプレイシタを目指して旅を初めて、三日目。予定では今日でプレイシタにつく。既に視界にはプレイシタの外壁が見えてきていて、距離はあれど確実に到着が近いことを教えていた。
早朝に出発をしてからかれこれ三時間ほど、僕は一切口を開いていなかった。彼には聞きたい話がたくさんあるのに、そのどれもが口にしたら否応なく別れを感じてしまうものだったから、結局何一つ言えないままでいた。ただ黙々と、進んでいる。
「ラング、腹が減ってきちまった。一旦昼にしようぜ」
「ッ……はい」
そんな僕に気を使ってか、ヒルグラムさんは何も言ってこなかった。出発前には数言話をしたが、うまく話せない僕の様子に気づいていたんだろう。
ヒルドラコを止めて、背嚢を下ろす。気づけばこの背嚢も随分背負っているのに慣れた。家で初めて担いだときにはひっくり返ったくらいだったのに。
(いちいち気にするなーー)
頭を振って思考を飛ばす。昼食の支度だ。と言っても今から食材を調達するのは難しいので手持ちの物を使うわけだがーー。
「ラング、調理に火は使うだろ。今日の火起こしは任せてくれ」
「え?でもーー」
「いいからほら、その分料理は任せたぞ?」
戸惑う僕をよそにヒルグラムさんはもう薪を用意し始めていた。ここに至るまで彼がしたことといえば川魚を獲ってきたくらいで、僕の作業に手を出してきたことはない。なぜ今になってそんなことを言い出したのかはわからないが、ああもやる気なのだし今更止めるのも難だろう。
(ダメだったら火を使わないものにしたらいいし……)
そう思いながら背嚢から食材を取り出す。パンが四切と燻製肉の塊が三分の一適度。いくつか引っ張り出した食材ですぐ使えそうなのはそのくらいで、後は調理に手間が掛かる。ここ二日の食事でなるだけ待たせまいと使い切ってしまったのが仇となった。
(流石にこれだけじゃ……)
ちらりとヒルグラムさんの様子を見ると、なにやら自分の荷物を漁っているところだった。焚き火の用意は薪を組んだところで止まっている。
(でもせっかくだし美味しいものがいいよな……)
考えた自分の思考にまた、余計なものがひっついているのに気づいて思わず背嚢の蓋を乱暴に閉める。
「どうした、行き詰まってんのかシェフ」
「うわあ!?」
いきなり耳元で聞こえた声に飛び退く。ヒルグラムさんはいたずらっぽく笑いながら手にした包を広げた。
「良かったらこいつも使ってくれないか。俺の好きなやつでな」
「これ……チーズですか?」
「おう!アイスレフじゃよく食べてたんだ。焼いたり溶かしたりしてな、あったまるんだよ」
そう言いながら渡されたチーズの塊をまじまじと見つめる。普段見るものと比べて表面が固くなっているが、切り口から覗く鮮やかな色合いから質の高いものなのだろうと思った。これを加えて作れるものなら、すぐ思いつく。
「わ、わかりました。えっと、ところで焚き火の方はーー」
「おう、それを伝えに来たんだ。ちっとでかい音がするから気をつけろってな」
ヒルグラムさんは反対の手に下げていた瓶を見せてそう言うと組み上げた薪の方に戻っていく。僕が首を傾げていると、ヒルグラムさんは薪の上から瓶の中身の液体をバシャバシャとかけはじめた。
「なにをーー」
聞く前に気づいた。つん、と鼻につく嗅ぎ慣れた匂い。家の手伝いで何度も嗅いだものの、とびきり強いやつ。
(まさか……!)
と、思ったときには既に。ヒルグラムさんは手持ちの発火魔道具で火を放った後だった。
ドン!
爆音に近い衝撃音に、止まっていたヒルドラコがびくんと体を起こした。
「よし、なんとかついたな!」
ヒルグラムさんは笑顔を向けてくるが苦笑いしか返せなかった。まさかお酒を発火剤にするとは。ていうか発火魔道具もってたなら貸してください……とは、口には出せなかったが。ともかく火はつけてもらえた。
「さてラング、何作るんだ?」
「あ、はい、それじゃーー」
フライパンを用意しながら僕は答える。
*
「ん、うまいな!こいつはいい」
一口頬張ったヒルグラムさんはそう言うとすぐに二口めを頬張る。その様子を見てとりあえず安心してから、自分の握るそれを見る。作ったのはトーストしたパンの間に、焼いた燻製肉とチーズを挟んだもの。毎朝のように母が作ってくれたものをアレンジした、簡素なものだった。トーストは少し焦げてしまったし燻製肉の厚さも不揃いだ。
(簡単に見えて難しいとこもあるんだな、これ……)
誰でも作れる、なんて馬鹿にしていたかもしれない。簡単さと単純さは、何度も試行して無駄を省いてきた結果なんだと今更理解する。
つい考え込んでいると、早くも食べ終えたヒルグラムさんが僕の肩を叩く。
「うん、うまかった。お前料理の才能あるんじゃないか?ラング」
「え、いえそんなこと。これだって母がいつも作ってくれるやつのマネですし……」
「いいんだよ真似でも。むしろそれができるってのは才能だし、誰にでもできるもんじゃない。俺なんてからっきしだ」
にかっと笑うヒルグラムさんの言葉に、ちいさく頷く。そういうものなんだろうか、と疑う気持ちもあるけれど、まずは言葉を受け止めようと思った。
「それよりそいつを食っちまえよ。でないと俺の腹の中だぜ?」
「は、はい!」
言われて慌てて口に運んだ。チーズの味は絶品だったが、暑すぎた燻製肉で食べづらかった。ヒルグラムさんは僕の様子に満足そうに頷くと出立の用意をはじめた。
やっと口が開けて話をして、でも話し出すとやっぱり言いたいことも聞きたいことも溢れてきた。
「ヒルグラムさん!」
「おう、どうした?」
「ーーは、話をしませんか?」
そういった僕に、ヒルグラムさんは頷く。
「おう、歩きながらな。俺は黙ってるのが苦手なんだ」
*
平原を歩きながら、話をした。故郷の話、両親の話、僕の先生の話。好きな食べ物のこと、嫌いな勉強のこと、好きな景色のこと。
ヒルグラムさんも、僕の横を一緒に歩きながらたくさん答えてくれた。故郷の寒さが厳しかったこと、両親とは喧嘩がちだったこと、僕の先生とは冒険者をしているときに知り合っていて、今着ている鎧も先生に作ってもらっていたこと。魚や肉が好きで野菜が苦手なこと、でも豆のスープは美味しかったこと。そして、旅で見る景色が好きなこと。
そうして夕日の落ちてくる頃。僕たちは足を止めた。目の前には大きな門があり、門番はヒルグラムさんを見るとすぐにその扉を開けてくれた。
「よし、ついたな!いやあ、長かったが……」
背伸びをしたヒルグラムさんは僕を見下ろして、腕を下ろすと笑って言った。
「いや、短かったな。お前さんのおかげであっという間だったよ、ラング」
「ヒルグラムさん……」
「楽しかったぜ、ラング。最初は正直不安だらけだったが、お前は立派にやってくれたよ。ありがとな」
ぽんぽん、と軽く僕の頭を撫でる彼の手は大きく、その掌は硬くて。
「あ、あの、僕ーー」
「ほい」
何か言おうとして、言う前に頭の上に何か重いものを乗せられた。落ちそうになるそれを慌てて受け止める。頭から下ろしたそれは、布袋に入った金貨だった。
「え、これ……」
「ばか、報酬だよ。お前契約書に前払いって書いてあったのにもらいそこねたままだったろうが」
「あ……」
言われて初めて気がついた。むしろ言われなければ帰るまで気づかなかったかもしれない。
「でも僕、こんな中途半端で、迷惑もかけてたのにこんなーー」
「胸を張れ、ラング!」
ビリ、と空気を震わすその声に背筋が勝手に伸びた。
一喝した騎士はまた優しく微笑んで、僕を見下ろす。
「お前はここまで、初めての道をしっかり歩いた。飯もうまかったし野営もできた。ヒルドラコを助けたのだってお前だ。お前は俺の旅を一緒に歩いて、俺の命を守った」
「そんな、大それたことーー」
「目に見える形だけが守る、じゃない。ただ生き続けるだけでも人間ってのは大変なもんだ。それをお前は立派に続けて、他人の分も背負ってたんだ。誇っていい」
ヒルグラムさんの顔がぼやけて見えない。胸を張れと言われたのに顔は下を向いてしまう。その言葉は、生き続けられなかった人間を見てきた彼の言葉は重くて、同時に否応なく、ここでの別れを自覚して、体が震える。たった三日の間で、この騎士の存在はとてつもなく大きくなっていた。
「ーーありがとうな、ラング。お前と旅をしてやっと、俺はあいつがもう居ないって納得できた、飲み込めた。俺はこれでやっと、騎士になれる」
何か言葉を返したいのに、口を開くと嗚咽しか出てこないから、必死に声を我慢することしかできない。
「おいおい、そんな泣くなよ。今生の別れでもあるまいに……。またこの街に来たら会えるさ」
「ーーは、い……!」
なんとか頷いて、ひっくり返りそうな声を抑えて返事をする。
「ーーラング、お前はできることをまだ知らないだけだ。だから、いろんなものを見ろ。話をしろ。いろんなものを試せ。そんで……」
「……感じ、逃さない?」
教わった言葉を、返した。ヒルグラムさんは少しだけ驚いた様子をみせて、すぐに笑顔で頷いてまた僕の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「騎士の方!門を閉めますぞ!?」
気づけば周囲は暗くなり始めていた。見かねた門番の声にヒルグラムさんが返事する。
「ああ、悪い!今行く!ーーじゃあな、ラング。お前は旅を続けろよ」
その言葉を最後に、ヒルグラムさんは門の向こうに消えていった。
門は閉ざされ、僕の手元には金貨の入った袋だけが残った。
(……そっか)
ヒルグラムさんがヨルンドラコの報酬を投げ渡した理由が、なんとなくわかった気がした。守るもの、共に行くものがあるから戦う。彼のそれは誇りなんだろう。だから彼は騎士なのだろう。
「……よし」
街に背を向ける。背嚢に金貨をしまい、歩き出す。僕の旅はまだ終わらない。ここからは一人の旅路が待っている。それでも不思議と不安はなくて、今はただこの足を止めてはいけないと、そう思った。
騎士の背中は、もう見えない。
〜誉れの騎士編・完〜
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