第9話 誉れの騎士(6)
雨上がりの濡れた地面に、ヒルドラコの大きな足跡が続いていく。先程まで黒い雲に覆われていた空は雲一つなく、夕日の赤が山を照らしている。
ヒルドラコの救出から一時間、僕たちは山の山頂近くまで登っていた。幸い大きな怪我もなかったヒルドラコは荷物を運ぶのに影響はなく、山の斜面に負けることもなくゆっくりと歩を進めていた。
「なんとか山の上まで来れたか。いやあ、なんとかなるもんだ……」
そう呟いたヒルグラムさんは、後ろを歩く僕を見て口角を上げる。
「いや、なんとかした、だな。お前の努力だ、ラング」
「い、いえ、僕はそんなーー」
「謙遜すんなよ。お前が助けようとしなきゃ俺は見捨ててたし、そうなりゃ荷物背負って登ることになってたんだ。到底ここまで着かなかったさ」
そう言ってヒルグラムさんは僕の髪をワシャワシャとかき乱すように撫でた。彼の手は大きくて手のひらは固く、あちこちに傷やタコができていた。
(騎士の手……ってやつなのかな)
昔酒場の手伝いをしていた時聞いた話を思い出す。毎日剣や盾を振るう騎士はみんな手が傷だらけになる。人に害為すものを屠って、手の皮が厚くなって、ちょっとのことじゃあ熱さも冷たさも感じない。そうしてそのうちに心まで、何も感じなくなっていくんだと。
(だから騎士の手を持つやつは信じるな、だっけ)
そんなことあるもんかと、当時も思った。今になって彼を見ても、やはりそう思う。だって彼は、ずっと僕を気にかけてくれていた。どれだけのミスを見ても、こちらが期待に添えなくても、決して僕を責めることはなかった。僕のせいにしてしまうのが楽だし、実際僕のせいのこともたくさんあって、怒っても良かったろうに。一度だってそうしなかったのは、優しさなんだろうと。
そんな考え事をしているさなかに、ふと足にかかる重みが軽くなった。傾斜を登っていた足が、久方ぶりに平地を踏む。
「あ……山頂……」
顔を上げた先には、絶景が広がっていた。紺とオレンジの混ざる空の下には一面の緑に覆われた大平原、その遥か遠くに切り立つ山々と、平原を割って流れる大河。故郷マウリアでは見ることのなかった、広大な景色。
「おつかれさん。いい景色だよなあ、時間もいい。俺はここが好きでな」
足を止めた僕のとなりにヒルグラムさんが立つ。ただこくこくと頷くことしかできなかった。
こんなにも、綺麗な場所があるのかと。まるで別の世界に来たような気分だった。いや、実際そうなんだろう。僕は僕の生まれた町の景色しか知らなくて、そこが世界の全部だったから。今こうして立っている場所は、別の世界なのだと。そう思った。
「さてと、休憩といくか。いよいよお前の本領発揮だぜ?ラング」
「え?本領ってーー」
景色に浸る僕に、ヒルグラムさんはニンマリと笑いながらそう言った。言葉の意味を飲み込みかねていると、ヒルグラムさんは続ける。
「この時間だ、今日中に山を降りきるのは無理だろう。ここは丁度よく平地だし、今日はここで野営をすることにする」
「え、と、つまり……」
「そう、お前はこれから日が暮れきる前に野営の準備をせにゃならんというこったな。ちなみに俺は設営も料理もからっきしだから、すべてお前に任せる!」
元気よくそう言い切った大男の後ろで、眠たそうにヒルドラコが欠伸をした。
「も、もしかして僕を雇ったのって……それが理由で?」
「おうとも。先生に聞かなかったか?」
聞いていない。たしかに料理や焚き火は多少やったことはあるけれど、ぶっつけ本番でやるとは聞いてない。
「ああそれと、この辺は夜に動く生き物も多いからな、薪はしっかり用意しとけよ〜?」
「いますぐ取りに行ってきます!」
かくして僕は、呑気に見送る雇い主の後ろで暮れかけている夕日を感じながら、雨に濡れた森の中という悪条件で薪探しに奔走することになった。
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