第8話 誉れの騎士(5)

 自分の腰に巻いた命綱の先を、近場の木へ縛り付けて、大きく息を吐く。肩にはヒルドラコの救出に使うためのロープがもう一本。崖の前へと立って眼下を見下ろす。崖に挟まったヒルドラコまでの距離はおおよそ五メートル。崖の途中に足を下ろせる場所はなく、角度はほぼ垂直。


「準備できました。ヒルグラムさん」


「おう、こっちもだ。気をつけていけよ」

 返事をしたヒルグラムさんの肩には僕の腰につながる命綱が巻かれている。

 救出の手順を頭の中で確認し直す。


まず、命綱を巻いた僕がヒルドラコのいる場所まで降りる。

次に、ヒルドラコと僕をまとめてロープで縛る。

最後に、縛り終えたらヒルグラムさんが魔法で筋力増強をして僕ごと引っ張り上げる。


作戦としてはシンプルで完全なヒルグラムさん頼りだが、今思いつくのはこれしかなかった。


「危なかったらすぐ引き上げるからな」


 頷いて僕は崖に背を向けて、腰からヒルグラムさんに借りた短剣を抜く。作戦を聞いたヒルグラムさんは少しだけ悩んで、ぼくが危険になったらすぐやめることを条件に協力してくれた。

 短剣を壁面に突き刺して、ゆっくりと壁面を降り始める。僅かな出っ張りに足を引っ掛けて、ゆっくり、ゆっくりと慎重に。雨に濡れた壁面は滑りやすく、一歩間違えば崖下に転落する。命綱があるとはいえ、滑り落ちれば岩肌に叩きつけられて命を落とすことになりかねない。過信は禁物、だった。

 足をかける突起を探して、数歩下へ降りる。命綱を左手に握って右手は短剣を壁面から引き抜く。幸いに大した力もいらずに短剣は壁面へ刺さってくれる。ゆっくりとだが確実に崖下へ降りはじめた時。


「う、わッ……!」


 ずるりと右足が滑った。崩れたバランスを右手で刺していた短剣がなんとか支えてくれる。


「大丈夫かぁ!?」


「へ、平気です!」


 既に一メートル程頭上になったヒルグラムさんに、必要以上な大声で答える。恐怖心が強まれば動けなくなるのがわかっていたから。

 三十分ほどかかって、ようやくヒルドラコの背中近くまで降りることができた。ヒルドラコはもがくことなくじっとしているが、息はあるのがわかった。


「……背中、乗るよ!」


 声をかけてから、その背中に下りる。僅かな鳴き声を漏らしただけで、ヒルドラコは落ち着いていた。小さく安堵の息を漏らして、短剣を腰にしまうと肩にかけてきたロープをヒルドラコへ回す。


(ヒルドラコは腹の下の圧迫に弱いから、足の根本四ヶ所に……)


家で聞いていた何気ない話がこんなところで役に立つとは。ヒルドラコの背中から落ちないように気を付けながら、ロープを通していく。まず前脚二本の根本へロープを回し、背中で自分の命綱とつないで一度縛る。続いて後ろ脚へロープを伸ばしてーー


「うわッ……あぁぁ!」


ぐらり、とバランスが崩れた。ヒルドラコを挟み込んでいた崖の一部が崩れて、支えのなくなったヒルドラコはロープに吊られ垂直になる。幸い命綱をつないでいたからヒルドラコから落ちることはなかったものの、両足をつく場所はなくなり宙吊りになってしまった。


(まずい、これじゃヒルドラコの後ろ足までロープを回せない……!)


吊り下がったヒルドラコを見てすぐそれに気づいた。移動ができるようゆるく結んであった命綱の結び目は、いまは僕の体重を支える起点となってしまってきつく結ばれている。これを緩めて移動しようものならヒルドラコから離れて落下してしまいかねない。だが前足しかロープを通していない今のままで引き上げれば、ヒルドラコは良くて脱臼、最悪骨折もあり得る。


「おい!ラング!大丈夫なのか!?いきなり重くなったぞ!」


「が、崖が崩れました!まだ落ちてはいませんけどロープだけで吊られてます!」


 崖の上で叫ぶヒルグラムさんに叫び返した。


(どうする、このまま引き上げてもらうか?でもそれでこいつの足が持たなかったら……)


 考える。引き上げてもらえばとりあえず助かりはする。時間もかけられない、そうすべきだと思う。


「でも、それじゃーー」


 腰から短剣を引き抜く。それをそのまま、自分の腰に巻かれた命綱に当てた。

それじゃ、求めた万全の結果にはならない。

命綱を切る。これで、動けるようにはなった。代わりにこの握っている命綱を離せば川に落ちて死ぬ。

 短剣をしまってゆっくりと、崖を降りるより慎重に、ロープを伝ってヒルドラコの後ろ足へと降りてゆく。なんとか片手で一本目の後ろ足にはロープを通せた。


(あと、一本……!)


ロープを縛り終えたところで、腕が小刻みに震えて動けなくなる。


(キッ……つい……!)


さっきまでと違って自分の体重を支えるものは腕だけ。負担が段違いだ。正直吊り下がっているだけでもきつい。もういっそ手を離して楽になろうかという誘惑にすら駆られる。


「う、ぐぅ……!」


呻きながら、短剣を岩壁に突き刺す。


(ばか、こんなので、投げ出してられるか……!)


僕には何もないのだから。何かをはじめられる能力がなかったのだから。何かになり得る力もなかったのだから。

だったらせめて。はじめたことを投げ出さないように。

持っているものを失わないようにしなければ。

柄を握ったまま引き寄せるようにして体を勢い任せに横に振った。スイングの要領で後ろ足にしがみついて、自分の体ごとロープで縛る。


「ヒルグラムさん!上げて!」


「よしきたあ!」


力いっぱいの叫びと力任せの引き上げ。雨粒を弾き飛ばしながら巨体が一気に崖の上に引っ張りあげられる。岩壁を削りながら引き上げられたヒルドラコは咆哮を上げ、森の木々を大きく揺らした。


(耐えて、頼むよ……!)


必死にしがみつきながら、祈る。引き上げられるまでほんの数秒。その時間が、ひどく長く感じた。

轟音を立てて地面に伏したヒルドラコに、ヒルグラムさんが駆け寄ってくいる。


「ラング!無事か!?」


「僕よりこいつをーー!」


ロープで身動きできないもどかしさに叫びながら、立ち上がらないヒルドラコに目を向ける。


(もたなかったかーー!?)


不安が胸をよぎる。ヒルグラムさんは足に巻かれたロープを断ち切りながら状態を確認する。


「あ…」


そうして彼が答えを言う前に。ゆっくりと、だが確実に。ヒルドラコは立ち上がる。


「ーーおめでとさん。怪我は軽傷だ」


その言葉に、頷いて。一気に体の力が抜ける。


「休むのは荷物のとこまで戻ってから、だ」


そう言って笑うヒルグラムさんに、元気に返事を返した。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る